上 下
29 / 37

29・フリッツの後悔

しおりを挟む
 ──自分はなんと愚かな行いをしてしまったんだ。


 ディアナから婚約破棄を告げられ、徐々に実感が湧いてくるのと比例して、フリッツの中の後悔は膨らんでいった。

 彼女のことが好きだった。

 美しく気高く、知性を兼ね備えた彼女が自分の婚約者であることを、フリッツは誇らしく思っていた。
 他愛もない会話が心地よかったし、彼女のさりげない仕草に心が躍る瞬間が無数にあった。
 彼女と人生を共にし、幸せな夫婦関係を築くこと──それがフリッツが夢見ていた光景だった。

 それなのに、自分はどうしてあんなことをしてしまったのだろうか?

 フリッツは考える。

(もちろん、一番悪いのは彼女の気持ちを蔑ろにしてしまった僕だ。だけど……)
 
 リーゼが原因の発端となったことは間違いない。

 平民出身で貴族の常識を知らないリーゼは、フリッツの目に新鮮に映った。彼女のことが気になっていた。

 だが、リーゼへの感情はそれまでだ。
 自分にはディアナがいたし、リーゼのことを好きになるはずがなかった。リーゼがいくら可愛くても、ディアナよりは劣ると考えていたからだ。

 それなのに、どうしていつの間にかディアナよりリーゼのことが気になり始めたのか?

 リーゼと接している時の自分は、どこか浮ついた気分になっていた。
 最初の方はそうではなかったっというのに……だ。

(いつからだ……? いつから、リーゼのことを好きになり始めていたんだ?)

 ディアナとの婚約を破棄し、彼女に自分の愚行を嗜められてから。
 フリッツはリーゼと距離を取った。

 初めの方は苦痛だった。
 体と心が常にリーゼを求めていたのだ。
 彼女と話さなければ、胸がずきずきと痛んだ。彼女が他の男と話していると、吐き気を催した。

 しかしフリッツは自制心を保った。
 リーゼと話せないことの苦痛は、ディアナを傷つけてしまったという後悔より劣った。

 もう辛い思いはしたくない。
 その一心でフリッツはリーゼとの関係を絶った。

 だが、そう簡単にリーゼへの依存は断ち切ることは出来ない。
 胸の痛みも治まってきた頃、リーゼの方からフリッツに接触してきたのだ。


『フリッツ様、どうかされたんですか? 最近、わたしのことを無視しているように感じるんですが……わたし、なにか悪いことをしましたか?』


 
 フリッツは彼女に責任を求めるつもりはなかった。
 浮気をしたのは自分の精神が未熟であったがゆえ、と考えていたからだ。

 とはいえ、リーゼが白々しく『わたし、なにか悪いことをしましたか?』と言うのには、苛ついた。


 ──お前はパーティーでの一件を覚えていないのか!?


 リーゼに怒りのような感情を抱くのは、これが初めてだった。

(待てよ……? どうしてこれが初めてだったんだ? 思えば、リーゼの行動が目に余る場面は多かった。それなのにどうして……)

 不思議なことに、しらばくリーゼとの接触を断つことによって、フリッツは冷静に自分を見つめ直すことが出来ていた。

『そんなことないよ。ただ、ちょっと気分が向かないだけ』

 イライラを抑えつつ、フリッツはそう言葉を返す。

『本当ですか?』
『本当だよ。君は悪くない。だけど……僕たちは距離を取るべきだと思うんだ。君も王宮からごちゃごちゃ言われているだろ?』

 それは事実だ。

 彼女の男癖の悪さは、とうとう国王陛下の耳にも入るようになっていた。
 おそらく、ディアナの親友である第三王女コルネリアが、なんらかの手を打ったのだろう。
 ディアナとの婚約を破棄することによって、コルネリアの怒りに触れてしまったのだ。

 ゆえに最近のリーゼは『聖女候補としてふさわしくない行動は控えるように』と言われている。
 親衛隊の問題行動のこともあるし、彼女は以前のように振る舞えていなかった。

『でも、どうしてを心配することの、どこが悪いことなんですか?』
『お友達……か。君はそういう風に考えていたんだね』
『え?』
『なんでもない。僕はもう行くよ。悪いけど、僕には構わないでくれ』

 せっかく、リーゼへの依存が取れ始めているのだ。
 リーゼと言葉を交わすことによって、彼女への恋心を再燃させたくない。

 そう思いフリッツは逃げるようにその場を去ろうとするが、そんな彼の腕をリーゼが掴む。

『ま、待ってください! あなたの考えはよく分かりました。ですが……やっぱりわたしには、友達を見捨てることは出来ない。せめてこれを受け取ってください。フリッツ様が大好きなクッキーですよ』

 そう言って、リーゼは小袋を手渡す。
 そんな彼女の行動に腹が立った。

『構わないでくれと言っただろ!?』

 カッとなってしまい、リーゼの手を払いのけてしまう。
 彼女の持っていた小袋が地面に落ち、中のクッキーがばら撒かれた。

『あっ、ごめん……』

 さすがに今の行動はいけなかった。いくら腹が立っていても、彼女を傷つけていい理由にはならないのだから。

 リーゼの顔を慌てて見ると、予想外の光景が飛び込んできた。

(え……?)

 いつも愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべているリーゼ。
 それなのに今のリーゼの顔はからは全ての感情が消え失せ、無表情でクッキーを眺めていた。

 そして軽蔑しきった声で、


『わたしを見てくれない男性には興味がありません。さようなら。二度とあなたと話すこともないでしょう』


 そう言って、リーゼは地面に落ちているクッキーを全て拾い、その場から消え去ってしまった。

『ま、待ってくれ!』

 嫌な予感がして呼び止めるが、リーゼは走り去る足を止めようとしない。
 一人残されるフリッツ。彼の目には先ほどのリーゼの無表情が焼き付いていた。

(どうして、リーゼはあんな表情を……?)

 思い出せ。
 そこにヒントがある。

(そうだ……クッキー……)

 フリッツはことあるごとに、リーゼからクッキーをもらってきた。
 それは彼女手作りだったり、有名店のものであった。

 彼女からもらったクッキーを食べると、日々の不安がなくなった。クッキーをプレゼントしてくれるリーゼのことを、愛おしくなっていた。
 そして自分の過ちにも気が付かず、いつしかリーゼのことを優先するようになっていた。

 婚約者のディアナを放置して──だ。
 思えば、明らかな異常行動であった。

(そして学園パーティー……僕はリーゼに呼び出された)

 あれだ。
 ディアナに浮気現場を目撃された日。

 フリッツはあの日のことを思い出した。
しおりを挟む
感想 57

あなたにおすすめの小説

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。 そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。 婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。 どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。 実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。 それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。 これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。 ☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

【完結】離縁したいのなら、もっと穏便な方法もありましたのに。では、徹底的にやらせて頂きますね

との
恋愛
離婚したいのですか?  喜んでお受けします。 でも、本当に大丈夫なんでしょうか? 伯爵様・・自滅の道を行ってません? まあ、徹底的にやらせて頂くだけですが。 収納スキル持ちの主人公と、錬金術師と異名をとる父親が爆走します。 (父さんの今の顔を見たらフリーカンパニーの団長も怯えるわ。ちっちゃい頃の私だったら確実に泣いてる) ーーーーーー ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 32話、完結迄予約投稿済みです。 R15は念の為・・

今から婚約者に会いに行きます。〜私は運命の相手ではないから

毛蟹葵葉
恋愛
婚約者が王立学園の卒業を間近に控えていたある日。 ポーリーンのところに、婚約者の恋人だと名乗る女性がやってきた。 彼女は別れろ。と、一方的に迫り。 最後には暴言を吐いた。 「ああ、本当に嫌だわ。こんな田舎。肥溜めの臭いがするみたい。……貴女からも漂ってるわよ」  洗練された都会に住む自分の方がトリスタンにふさわしい。と、言わんばかりに彼女は微笑んだ。 「ねえ、卒業パーティーには来ないでね。恥をかくのは貴女よ。婚約破棄されてもまだ間に合うでしょう?早く相手を見つけたら?」 彼女が去ると、ポーリーンはある事を考えた。 ちゃんと、別れ話をしようと。 ポーリーンはこっそりと屋敷から抜け出して、婚約者のところへと向かった。

「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。

友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。 あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。 ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。 「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」 「わかりました……」 「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」 そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。 勘違い、すれ違いな夫婦の恋。 前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。 四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

処理中です...