7番目のシャルル、聖女と亡霊の声

しんの(C.Clarté)

文字の大きさ
上 下
126 / 126
第七章〈救国の少女〉編

7.12 声の主(3)

しおりを挟む
 ブロワ城では、再びオルレアンに行軍する編成が整った。
 ジャンヌの護衛たちのほかに、シノンに来ていたブサック元帥とラ・イルが加わり、いつものように兵站も十分に用意した。

 オルレアン市民に拒絶されたクレルモン伯の代わりに、新たな援軍を率いるのはアランソン公だ。シャルル・ドルレアンの娘婿という肩書きは、町の人々も受け入れやすいだろうと考えての人選だ。結婚したばかりの夫婦を引き離すのは心苦しいが、他に適任者がいなかった。

「あっ、王太子さまーーー!!」

 ジャンヌが白い軍旗をぶんぶん振り回している。
 武装した少女の周りには、顔見知りの二人の他に、新顔の取り巻きが増えている。
 シノンに来て数週間、ジャンヌの護衛たちが真偽の定かではない奇跡の話を吹聴して回っているせいで、少女の信奉者はますます増えていた。ある者はまぶしそうな表情で恍惚と少女を見上げ、またある者は好奇心からくる奇異の目を向けている。
 ジャンヌの呼びかけに、私は控えめに手をあげて応えた。

「武運を祈っているよ」
「心配しないで。神様がそばにいるからあたしは絶対に大丈夫です。勝利の知らせを楽しみに待っててください」
「うん、わかったよ」
「オルレアンの次はランスですからね。約束しましたからね!」

 ジャンヌの真の目的は、私をランスのノートルダム大聖堂へ連れて行くことだ。オルレアン包囲戦の勝利は中間目標に過ぎない。
 しかし、勝利も奇跡も、口で言うほど簡単ではない。
 もしかしたらこれが最後の対面になるかもしれないのだ。

「ひとつ、聞きたいことがある」

 感傷的な気分も重なって、ジャンヌを引き留めた。
 聞きそびれていたことを確かめる最後のチャンスでもある。

「初めて謁見した日のことだ。なぜ、玉座に向かわずに私のところへ来た? 私の顔を知っていたのか?」

 ジャンヌは聖人ではなく奇跡も起こしていない。
 信者たちはともかく、そのことはジャンヌ自身が認めている。
 だが、初対面のときに私を見つけたことだけは、いまだに腑に落ちなかった。
 王国で流通している金貨には王の肖像が彫られているが、こまかい人相を見分けられるほど精巧ではない。

「王太子さまの顔は知らなかったけど、声でわかりました」
「私の、声……?」
「いつものように呼ばれた気がしたんです。導かれた先に王太子さまがいました。本物の声を聞くまでは自信なかったけど、しゃべったらすぐにわかりましたよ!」

 単純なことだと言いたげに、ジャンヌはすらすらと答えた。
 しかし、私の疑問は深まるばかり。

「いつものように? 声とはいったい何だ?」
「あたしをここまで導いた声、そして未来を教えてくれる声——」

 シノン城の礼拝堂では、フランス軍の出立を知らせる鐘が鳴っている。
 ジャンヌは馬上でうっとりと耳を澄ました。

「あたしをここまで導いてくれたのは王太子さまだったんですね!」
「よくわからないな。私の声?がジャンヌを導いたというのか?」
「王太子さまにも聞こえてるんじゃないですか?」
「いや、私には何も……」
「ううん、王太子さまは声を聞いてます。たぶんあたしよりも声が聞こえてる。聞こえすぎるから迷うんです」

 戸惑いながらも、しばし考えた。
 聖書はそのまま読めば、一般人を啓蒙するシンプルな物語だ。
 しかし、キリストをはじめ聖人たちは比喩を多用するので、神学者は「書かれている内容」を深く掘り下げて、神の真意・摂理を探るものだ。

 神学者になったつもりで、ジャンヌの話を解釈してみよう。
 表面的な言葉にとらわれていては、真意を見抜くことはできない。

「あ、もしかして……」

 ジャンヌがいう「あたしを導く声」とは、心の中を飛び交うさまざまな思考のことだろうか。

「わかったみたいですね」
「い、いや、確証はない。それに私の声はひとつだけではない」
「あたしもたくさんの声が聞こえます。そう、この鐘の音のようにね」

 村や町にある時報を知らせる鐘と違い、大きな城や大聖堂にある鐘楼は、複数の音階で構成されている。楽士のいる聖堂では、音の響きごとに名前をつけているが、ジャンヌはそれにならって「あたしを導く声」にひとつずつ名前をつけたと明かした。

「ジャンヌの声、マリーの声、ミシェルの声、カトリーヌの声、マルグリットの声……。はじめは戸惑ったけど一番輝いているを中心に据えたら迷わなくなりました。あたしはそれをシャルルの声と名付けました」

 ジャンヌがあげた「声の主」はフランスに由来する聖人や天使の名前だ。
 15世紀フランスは名前のバリエーションが少なく、いずれもよくある命名だったが、それらの名を聞いた私は、初対面のとき以上に戦慄した。

「ちょ、ちょっと待ってくれ……。一体どういうことだ?」

 ジャンヌ、マリー、ミシェル、カトリーヌ、マルグリット——私と血の繋がった姉王女たちの名前である。神のメッセージなのか、人為的な暗号なのか見当もつかないが、偶然にしてはできすぎている。

「あたしはその声に導かれてここまで来ました。……そろそろ行かないと」
「まだ話は終わっていない!」

 引き止めようとしたが、私自身が混乱していてとっさに何から聞けばいいのかわからない。

「ジャンヌ、聞きたいことがたくさんある! だから、必ず生きて帰ってくるんだ!」

 まごついているうちに行軍が進み、もう声は届かない。
 ジャンヌは白い軍旗をたなびかせながらオルレアンへ旅立った。






(※)第七章〈救国の少女〉編、完結。

しおりを挟む
感想 8

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(8件)

hum_a_tune
2024.06.30 hum_a_tune

ブログで興味を持った「シャルル七世」、ようやく読みに来れました。
その治世やヒトトナリについて、これまで何も知らずに生きてきましたが、本作で様々なエピソードに触れて、功績の大きさや現代への影響力に感服しています。特に銀食器のくだりなど、(初見エピソードで嬉しい)彼にしかできない機転が痛快でした。何故にこれほど日本では無名なのか不思議な程です。
本文や書斎も良いですが、作者さんの補足解説が作品のアンカーとして機能しているように感じました。たくさんの資料に丁寧に当たられてるのが伝わります。
予想よりも言葉遣いが大幅に砕けている箇所が有って少々面食らいましたが(個人の感想です。)それも御愛嬌。
馴染みのない時代の人物についてジュニア世代にもすんなり読んでもらえるのではないかな、とも思いますし、ジャンヌの台詞回しとしてはとても味が出ていて素敵。そして納得感が有る!と思いました。
今後の展開も楽しみです。

しんの(C.Clarté)
2024.07.01 しんの(C.Clarté)

ご感想ありがとうございます。
シャルル七世といえば、圧倒的ヒロイン&知名度のジャンヌ・ダルクに隠れがち…
それどころか陰険な暗君だと思われていることも多いので、勝利王の功績に多少なりとも光が当たるきっかけになれたら嬉しいです。この小説を書いた甲斐があったなと。
エピソードのこまかいところまで拾っていただき、とても感激しました!

解除
helene
2024.06.28 helene

旅行中の移動の際などに少しづつ読み進めていますが、やはり魅力的な人物たちや、ちょっとした会話の掛け合いを楽しんでいます。
登場人物たちへの愛や、その時代への想いを感じますね。
今、トルコにいるんですが、キリスト教世界と敵対していた地にいるので、読んでいる最中はずっぽりと西洋中世の世界にどっぷりとつかっているのですが、ふと我に返ると、不思議な気分になります。
まだまだ先があるので、じっくりと読んでゆきます!
最新話も楽しみにしてます!

しんの(C.Clarté)
2024.06.29 しんの(C.Clarté)

ご感想ありがとうございます。

>魅力的な人物たち、ちょっとした会話の掛け合い
>登場人物たちへの愛、その時代への想い

前者は、エンタメ小説として意識している部分。
後者は、この物語の執筆動機みたいなものかな…。汲み取っていただけて嬉しいです!



解除
helene
2024.06.22 helene

楽しく読んでます。丁寧な描写、魅力のある人物たち、まだ、読みかけですが、この先を楽しみに読み進めています。

しんの(C.Clarté)
2024.06.22 しんの(C.Clarté)

ご感想ありがとうございます。
歴史・時代小説大賞に合わせて、気づけば3週間で120話も投稿していました。
書き溜め分を出し尽くしたため、投稿ペースもひと段落…
最新話でお待ちしてます。

解除

あなたにおすすめの小説

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。