125 / 126
第七章〈救国の少女〉編
7.11 声の主(2)処女検査
しおりを挟む
ジャンヌ・ラ・ピュセルの審査と準備に六週間ほどかかった。
四旬節から復活祭までの期間をまるまる使い、異端審問官たちの入念な面接の他に——非常に言いづらい話だが——処女検査がおこなわれた。
キリスト教で処女を神聖視するのは、聖母マリアの影響が大きい。
未婚の女性が預言者・聖女として認められるには「処女であること」を証明しなければならない。なお、たとえ男であっても司祭になれるのは未婚の童貞に限られる。
神とつながることができるのは処女・童貞の特権とされ、ジャンヌが「神の声」を主張する以上、異端審問と同じ検査をする必要があった。
普通、男か女か、処女か非処女かに関係なく、陰部を人目にさらすことは羞恥と屈辱をともなう。検査の結果、処女ではないと判断されれば、聖女候補は一転して「堕落した魔女」と見なされ、神の声は「悪魔の声」だったことになる。
認められるまでの障壁が高いおかげで、預言者を自称する詐欺師を抑制する効果もあるのだろう。だが、異端でも悪人でもなさそうな少女にこういう検査を強いるのは、なんとも憂鬱なことだ。
「心変わりしたなら、いつでも主張を撤回して故郷へ帰っていい」
もしかしたら、引っ込みがつかなくなっているのではないかと考えて、それとなく逃げ道を用意したが、ジャンヌは「あたしの話を信じてくれるなら検査でもなんでもやります」と言って聞かなかった。
こうなっては仕方がない。
私は、異端審問官の面接に続いて処女検査を実施することを承諾した。
フランス王国はキリスト教国だから、王といえど宗教上のルールを曲げることはできないのだ。
「ジャンヌ・ラ・ピュセル、あなたに敬意を表します」
検査の直前、ジャンヌが待機しているところへマリー・ダンジューがあらわれた。
「今回検査するのは、わたくしの母ヨランド・ダラゴンとオルレアン総督ラウル・ド・ゴークール卿の奥方、それと修道女たちが数名。いずれも、陛下とわたくしが大きな信頼を寄せている女性ばかりだから安心して。あなたを傷つけることは絶対にしないから」
当然だが、聖職者であろうと男性は立ち入り禁止だ。
私をはじめ男性陣は離れた別室で待機し、あとで報告を聞く。
「覚悟はできてます。見られても触られても大丈夫です!」
ジャンヌが身につけているのはチュニック状の薄い亜麻の下着のみ。
衣服の有無は、人の尊厳にかかわる。若い少女ならなおさらそうだ。
「陛下がおっしゃっていた通り、とても勇敢なお嬢さんね」
「はい、王太子さまは優しいお方ですから……!」
「……いい? 陛下はわたくしにこうも仰せだったわ。もし、恥ずかしい、恐ろしいと思っているなら逃がしてあげるようにとね。黙ってシノンから立ち去っても陛下は処罰しない。追っ手も差し向けない。今なら、オルレアンで危険な目に遭うこともない」
マリー・ダンジューの言葉は、私の意向を汲んでいると同時に、マリー自身の本心でもある。高圧的な異端審問官の前では意地を張るかもしれないが、若く慈悲深い王妃が情けをかけたらどうか?
しかし、ジャンヌはかぶりを振った。
「いいえ、逃げません。あたしの決意は硬いんです」
マリーはそれ以上何も言わず、ジャンヌが膝上で握りしめているこぶしを両手でやさしく包み込んだ。やがてヨランドたちが入室してくるとマリーはジャンヌを残して退出し、別室で待つ私に検査前のいきさつを報告した。
ジャンヌは規定に沿って検査を受け、「無垢で純潔な処女である」と証明された。
異端審問官たちの面接、貴婦人と修道女による処女検査。
私はさまざまな調査報告書と証明書をもとに、重臣たちと「ジャンヌ・ラ・ピュセルに関する意見書」をまとめると、フランス内外の王侯貴族と高位聖職者に通知を送った。
これは、ジャンヌの聖性あるいは異端性の根拠となる最初の調査だ。
四旬節から復活祭までの期間をまるまる使い、異端審問官たちの入念な面接の他に——非常に言いづらい話だが——処女検査がおこなわれた。
キリスト教で処女を神聖視するのは、聖母マリアの影響が大きい。
未婚の女性が預言者・聖女として認められるには「処女であること」を証明しなければならない。なお、たとえ男であっても司祭になれるのは未婚の童貞に限られる。
神とつながることができるのは処女・童貞の特権とされ、ジャンヌが「神の声」を主張する以上、異端審問と同じ検査をする必要があった。
普通、男か女か、処女か非処女かに関係なく、陰部を人目にさらすことは羞恥と屈辱をともなう。検査の結果、処女ではないと判断されれば、聖女候補は一転して「堕落した魔女」と見なされ、神の声は「悪魔の声」だったことになる。
認められるまでの障壁が高いおかげで、預言者を自称する詐欺師を抑制する効果もあるのだろう。だが、異端でも悪人でもなさそうな少女にこういう検査を強いるのは、なんとも憂鬱なことだ。
「心変わりしたなら、いつでも主張を撤回して故郷へ帰っていい」
もしかしたら、引っ込みがつかなくなっているのではないかと考えて、それとなく逃げ道を用意したが、ジャンヌは「あたしの話を信じてくれるなら検査でもなんでもやります」と言って聞かなかった。
こうなっては仕方がない。
私は、異端審問官の面接に続いて処女検査を実施することを承諾した。
フランス王国はキリスト教国だから、王といえど宗教上のルールを曲げることはできないのだ。
「ジャンヌ・ラ・ピュセル、あなたに敬意を表します」
検査の直前、ジャンヌが待機しているところへマリー・ダンジューがあらわれた。
「今回検査するのは、わたくしの母ヨランド・ダラゴンとオルレアン総督ラウル・ド・ゴークール卿の奥方、それと修道女たちが数名。いずれも、陛下とわたくしが大きな信頼を寄せている女性ばかりだから安心して。あなたを傷つけることは絶対にしないから」
当然だが、聖職者であろうと男性は立ち入り禁止だ。
私をはじめ男性陣は離れた別室で待機し、あとで報告を聞く。
「覚悟はできてます。見られても触られても大丈夫です!」
ジャンヌが身につけているのはチュニック状の薄い亜麻の下着のみ。
衣服の有無は、人の尊厳にかかわる。若い少女ならなおさらそうだ。
「陛下がおっしゃっていた通り、とても勇敢なお嬢さんね」
「はい、王太子さまは優しいお方ですから……!」
「……いい? 陛下はわたくしにこうも仰せだったわ。もし、恥ずかしい、恐ろしいと思っているなら逃がしてあげるようにとね。黙ってシノンから立ち去っても陛下は処罰しない。追っ手も差し向けない。今なら、オルレアンで危険な目に遭うこともない」
マリー・ダンジューの言葉は、私の意向を汲んでいると同時に、マリー自身の本心でもある。高圧的な異端審問官の前では意地を張るかもしれないが、若く慈悲深い王妃が情けをかけたらどうか?
しかし、ジャンヌはかぶりを振った。
「いいえ、逃げません。あたしの決意は硬いんです」
マリーはそれ以上何も言わず、ジャンヌが膝上で握りしめているこぶしを両手でやさしく包み込んだ。やがてヨランドたちが入室してくるとマリーはジャンヌを残して退出し、別室で待つ私に検査前のいきさつを報告した。
ジャンヌは規定に沿って検査を受け、「無垢で純潔な処女である」と証明された。
異端審問官たちの面接、貴婦人と修道女による処女検査。
私はさまざまな調査報告書と証明書をもとに、重臣たちと「ジャンヌ・ラ・ピュセルに関する意見書」をまとめると、フランス内外の王侯貴族と高位聖職者に通知を送った。
これは、ジャンヌの聖性あるいは異端性の根拠となる最初の調査だ。
23
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる