上 下
110 / 126
第六章〈ニシンの戦い〉編

6.9 デュノワの武勇伝(3)帰還

しおりを挟む
 夕方、クレルモン伯が率いる援軍は予定通りにオルレアンの町に到着した。
 兵站輸送の作戦は問題なく成功したというのに、指揮官のクレルモン伯も兵たちも喜ぶどころか、顔面蒼白で緊張をにじませていた。
 ブサック元帥は、クレルモン伯から一部始終を聞くと、デュノワとスコットランド兵を捜索して保護するため、ただちに兵を向かわせた。

 城壁の内も外も、ありったけの松明をかかげた。
 暗闇の中で、敗走する兵たちが帰ってくる目印と希望を絶やさないために。

 デュノワは、愛馬に背負われて、半ば失神した状態でオルレアンに帰還した。
 ひどい重傷を負っていて、すでに息絶えているかと思われたが、打撃を受けてプレートアーマーの胸部がへこみ、肺に空気を吸い込めなくなっていただけで、出迎えた兵たちが武装を解くとすぐに息を吹き返した。

「はあ……はあ……」
「デュノワ、デュノワ……、頼むから生き返ってくれ!」
「すぐに侍医を呼んで手当てを!」

 新鮮な空気が全身にめぐり、ぼやけた頭がはっきりしてきた。

「俺、助かったのか……」

 ラ・イルとザントライユが敵の注意を引きつけている隙に、包囲を抜け出し、落ち着きを取り戻した愛馬と再会した。
 最後の力を振りしぼって騎乗すると、朦朧としながらオルレアンを目指した。
 馬を見つけて安心したのか、新鮮な空気が足りなかったせいか、デュノワは途中で意識を失った。腕に手綱を絡めていたとはいえ、ほとんど馬首に寄りかかっただけの不安定な体勢だったが、馬は主人を落とさずに歩みを進め、町まで運んでくれた。

 ザントライユ率いる傭兵団が、生き残ったスコットランド兵を拾いながら続々と戻ってきていた。ラ・イルは最後尾につき、一晩中、城壁外で警戒にあたった。

 意識を取り戻したデュノワは、治療を受けるかたわらでブサック元帥や町の守備隊を統べるゴークール卿をはじめ、幹部たちを呼びつけて報告を聞いた。

「痛てて、もう少し優しくやってくれよ……。で、町の様子は?」

 十分な量の兵站が運び込まれ、食糧難の不安は解消された。
 新しい火砲を含め、武器弾薬も補充され、防衛体勢はさらに強化された。
 だが、デュノワの負傷とスコットランド軍が壊滅した知らせは、オルレアン市民に「自分たちに本当の戦況は知らされてないのではないか」という疑念を抱かせた。

「デュノワ伯も数日後に死ぬのではないかと噂が広まっています。イングランド軍の総司令官のように」

「みんな、俺の顔をよく見てくれ」

 一斉に注目が集まる。

「正直に言ってほしい。死にそうに見えるか?」

 全員、首を横に振った。
 代々オルレアン公に仕える侍医も同じ見立てだったので、デュノワは「それなら大丈夫だ!」と胸を張ったが、ゴークール卿は、デュノワの生死とは別の意味で懸念を示した。

「瀕死で運び込まれた総司令官を見た者がいるようで、市民は不安がっています。オルレアン公に続いて、弟のあなたまでいなくなるのではないかと」

「へぇ、俺も案外慕われてるんだな。……じゃあさ、みんなを安心させるために、朝になったらひとっ走りして町中を巡回してくるよ」

 デュノワは市民に元気な姿を見せれば済むと考えたが、すぐに却下された。

「傷だらけの姿はかえって不安を煽ります」
「そんなにひどいか?」
「ぼっこぼこです。大人しく寝ててください」
「はぁ……、ひどい目に遭ったな」

 瀕死の重傷を負ったが、幸いなことに命に別状はなかった。
 ただ、しばらく動けそうになく、傷がある程度癒えるまでブサック元帥が総司令官代行を務めることになった。

「総司令官といっても、俺はもともとみたいなもんだし今まで通り。問題ないな!」

 気丈なデュノワは、自分のことはさておき、ブサック元帥やクレルモン伯をねぎらった。

「デュノワ、貴公が無事でよかった」
「へへへ、いい武勇伝になったろ?」
「本当によかった……」
「おいおい、らしくないぞ。あんまり神妙にされるとこっちの調子が狂う」

 手当てが一通り終わると、デュノワはがつがつと夜食をかきこみながら、クレルモン伯にある頼みごとを告げた。

「ここの総司令官はデュノワだ。何でも命じてくれ」
「見ての通り、俺はしばらく動けそうにないからさ」
「さっき話していた町の巡回か? ちょうどいい。地理を覚えるために出かけようと思っていたところだ」
「いや、ひとっ走りして、シノン城にいる王に武勇伝を伝えてきてくれないか」
「えっ……」

 遠回しな言い方はデュノワらしくなかったが、言わんとしていることはすぐに伝わった。クレルモン伯は凍りつき、その場にいる全員が絶句した。
 デュノワの真意を確認しようと、クレルモン伯はシンプルに問いただした。

「……オルレアンから出ていけということか?」

 貴族らしい遠回しな言葉遣いは、むしろ、クレルモン伯の流儀だ。
 嫌味や皮肉をこめていることも多いが、きつい内容を和らげる効果もある。
 デュノワがこういう遠回しな言い方をするときは、大抵、後者のパターンだ。

「ただの任務だよ」

 階級社会において、本来なら格下の「私生児」に屈辱的な命令を受けたら、プライドの高いクレルモン伯は即座に断るか、皮肉を言いながらしぶしぶ引き受けるかのどちらかだろう。
 だが、デュノワへの引け目からか、この時ばかりは素直だった。

「……承知した」
「よろしく頼む」

 翌日、クレルモン伯と援軍は来たばかりのオルレアンを去った。
 町の人々は、に失望し、共に戦う仲間とみなさなかった。クレルモン伯は背中に罵声を浴びながら、再び城門をくぐって出て行った。

 ニシンの戦いを経て、フランス軍とオルレアン市民の間に亀裂がうまれた。
 溝が深まれば、遠からず内部分裂が起きる。そうなる前に、市民の不満を解消して、関係を修復する必要があった。

 クレルモン伯はデュノワの頼みで「悪役」を引き受け、市民の憎しみを背負いながらオルレアンを旅立った。
 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

追放された王太子のひとりごと 〜7番目のシャルル étude〜

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
救国の英雄ジャンヌ・ダルクが現れる数年前。百年戦争は休戦中だったが、フランス王シャルル六世の発狂で王国は内乱状態となり、イングランド王ヘンリー五世は再び野心を抱く。 兄王子たちの連続死で、末っ子で第五王子のシャルルは14歳で王太子となり王都パリへ連れ戻された。父王に統治能力がないため、王太子は摂政(国王代理)である。重責を背負いながら宮廷で奮闘していたが、母妃イザボーと愛人ブルゴーニュ公に命を狙われ、パリを脱出した。王太子は、逃亡先のシノン城で星空に問いかける。 ※「7番目のシャルル」シリーズの原型となった習作です。 ※小説家になろうとカクヨムで重複投稿しています。 ※表紙と挿絵画像はPicrew「キミの世界メーカー」で作成したイラストを加工し、イメージとして使わせていただいてます。

嵐大好き☆ALSお母さんの闘病と終活

しんの(C.Clarté)
エッセイ・ノンフィクション
アイドル大好き♡ミーハーお母さんが治療法のない難病ALSに侵された! ファンブログは闘病記になり、母は心残りがあると叫んだ。 「死ぬ前に聖地に行きたい」 モネの生地フランス・ノルマンディー、嵐のロケ地・美瑛町。 車椅子に酸素ボンベをくくりつけて聖地巡礼へ旅立った直後、北海道胆振東部大地震に巻き込まれるアクシデント発生!! 進行する病、近づく死。無茶すぎるALSお母さんの闘病は三年目の冬を迎えていた。 ※NOVELDAYSで重複投稿しています。 https://novel.daysneo.com/works/cf7d818ce5ae218ad362772c4a33c6c6.html

ローマ教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
ノーベル文学賞作家アナトール・フランスの著書「ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc, 1908)」全文翻訳プロジェクトです。原著は1922年にローマ教皇庁の禁書目録に指定されましたが、現在は制度自体が廃止になっています。

暗愚か名君か、ジャンヌ・ダルクではなく勝利王シャルル七世を主人公にした理由

しんの(C.Clarté)
エッセイ・ノンフィクション
勝利王シャルル七世といえば「ジャンヌ・ダルクのおかげで王になった」と「恩人を見捨てた非情な暗愚」という印象がつきまとう、地味なフランス王です。 ですが、その生い立ちは「設定盛りすぎ」としか言いようがない。 これほど波乱の多い生涯を送った実在の人物はいないのでは…と思うほど、魅力的なキャラクターでした。 百年戦争はジャンヌだけじゃない。 知られざるキャラクターとエピソードを掘り起こしたくて……いや、私が読みたいから! ついに自給自足で小説を書き始めました。 ※表紙絵はPaul de Semantによるパブリックドメインの画像を使用しています。

◆アルファポリスの24hポイントって?◆「1時間で消滅する数百ptの謎」や「投稿インセンティブ」「読者数/PV早見表」等の考察・所感エッセイ

カワカツ
エッセイ・ノンフィクション
◆24h.ptから算出する「読者(閲覧・PV)数確認早見表」を追加しました。各カテゴリ100人までの読者数を確認可能です。自作品の読者数把握の参考にご利用下さい。※P.15〜P.20に掲載 (2023.9.8時点確認の各カテゴリptより算出) ◆「結局、アルファポリスの24hポイントって何なの!」ってモヤモヤ感を短いエッセイとして書きなぐっていましたが、途中から『24hポイントの仕組み考察』になってしまいました。 ◆「せっかく増えた数百ptが1時間足らずで消えてしまってる?!」とか、「24h.ptは分かるけど、結局、何人の読者さんが見てくれてるの?」など、気付いた事や疑問などをつらつら上げています。

レジェンド賞最終選考で短評をいただいたのでセルフ公開処刑する

しんの(C.Clarté)
エッセイ・ノンフィクション
拙作「7番目のシャルル 〜狂った王国にうまれて〜」が講談社の第一回レジェンド賞最終選考に残り、惜しくも受賞は逃しましたが短評をいただく運びとなりました。 選考過程の評価になるため批判的なコメントもありますが、とても勉強になりました(皮肉ではなく)。 このページは作者自身の後学のための備忘録です。同時に、小説家志望者の参考になるかもしれません。 ※このエッセイおよび「7番目のシャルル 〜狂った王国にうまれて〜」は小説家になろうで重複投稿しています。 ※表紙絵はPaul de Sémant作による著作権切れのイラストを使用しています。

母の遺言と祖母の手帳 〜ALSお母さんの闘病と終活・後日談〜

しんの(C.Clarté)
エッセイ・ノンフィクション
母の遺品整理をしていたら祖母の手帳を発見。母から「棺に入れて燃やして」と頼まれていたが火葬まで数日猶予があるため、私は謎めいた祖母の手記を読み始める—— ノンフィクションエッセイ「嵐大好き☆ALSお母さんの闘病と終活」の後日談です。前作は画像が200枚に達したため、こちらで改めて。 ▼前作「嵐大好き☆ALSお母さんの闘病と終活」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/525255259

処理中です...