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第六章〈ニシンの戦い〉編
6.6 ニシンの戦い(3)激突
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1429年2月12日の未明。
ラ・イルとザントライユは失望しながら傭兵団に戻り、イングランド軍の兵站輸送部隊を付かず離れず監視した。日が昇って明るくなると、予想した通り、イングランド軍は自分たちが狙われていることに気づいた。
指揮官はジョン・ファストルフとシモン・モリエ。
前者は、亡きヘンリー五世が即位する前から付き合いのある悪友で、ベッドフォード公のもとでパリに駐在するイングランド人。
後者は母イザボー・ド・バヴィエールのお気に入りの寵臣のひとりで、ようするにフランス人だった。
ベッドフォード公は、イングランド人が主体だった攻囲軍にフランス人の幹部を投入することで、オルレアン市民の反感を和らげようと企んだのだろう。
私もベッドフォード公も、考えることは同じだ。
膠着するオルレアン包囲戦を打開するために援軍と兵站を送り、新たな一手を投じようとしていた。
イングランド軍はオルレアンへ向かう行軍を中断し、細長い行列はひと固まりになった。前衛に弓兵、後衛に騎兵、荷馬車を並べて急拵えのバリケードを作り、陣形の外に向けて槍を突き出して馬防柵の代わりにした。
「ちっ」
奇襲するチャンスは完全に失われた。
防御に特化した陣形を崩すのは簡単ではない。
「クレクレ伯の野郎がもたついてる間に迎撃体制を作られちまったなぁ」
「クレルモン伯だ」
「挑発されても無視しろってか?」
「進言を無駄にされておもしろくないのは俺も同じだ」
ラ・イルとザントライユは仕掛けなかった。
物陰に隠れて、クレルモン伯と総司令官デュノワの出方を見守った。
*
しばらくすると街道の南側からフランス軍が現れて、イングランド軍が待ち構えているのを見つけた。オルレアンの北40キロの辺りだ。
「向こうに気付かれてないと聞いていたのに」
「夜ならともかく、もう昼だしなぁ」
気付かれないうちにやり過ごすか、不意打ちで襲撃するか。
先手を打つチャンスは失われたが、よく見れば、イングランド軍は荷馬車と槍を並べた即席の防御にすぎず、対するフランス軍は大軍を率いている上に、輸送中の兵站の中には新型の火砲があった。
重臣たちは、私が以前から火砲の運用にこだわっていることと、オルレアンの防衛で成果を出していることを知っている。
騎士道を重んじる貴族は、火薬の燃焼とメカニックを駆使する戦い方を「ずるい」と考え、表立って火砲の運用法を学ぼうとしなかったが、内心で興味を持っている者もいたようで、クレルモン伯もそんなひとりだった。
「デュノワは使ったことがあるのか?」
「撃つだけならそれほど難しくないけど、砲兵に全部任せている」
オルレアンでは城壁の塔に配備している。
運用法は模索中で、野戦で使うことは想定していない。
「俺的には、騎士道に反する気がしてあまり好きじゃないんだ」
「そうか。しかし、陛下のお気に入りがどんなものか、知っておいて損はないだろう」
クレルモン伯はイングランドに向けて砲撃を命じた。
戦略的な意味はない、気まぐれの試し撃ちみたいなものだ。
「戦闘準備……、撃て!」
轟音とともに一斉に発射された石弾は、ロングボウでは絶対に届かない荷馬車に命中した。荷台に積まれた樽が弾け飛び、中身のニシンがばらまかれた。イングランド兵の飢えを満たすための貴重な食料を輸送中だった。
「ほう、これはこれは……」
初陣と初めての射撃は、クレルモン伯の琴線に触れたようだ。
フランス軍は次々に砲撃を繰り出し、辺り一面がニシンまみれになった。
「ふはははは。どうだ、デュノワ! なかなか面白いぞ!」
「クレルモン伯、遊んでいる場合では……」
クレルモン伯の余興に業を煮やしたのか、フランス語の通じないスコットランド兵は苛立ちを募らせたあげく、イングランド軍に向かって勝手に突撃を敢行した。
「えっ、ちょ……」
「うわあ、砲撃中止だ! 撃ち方止めーーー!!!」
射程範囲に友軍が飛び出してきたため、クレルモン伯はあわてて砲撃命令を取り下げたが、着火済みの石弾が何発か放たれた。裏切りでも仲間割れでもないのに味方の背中を撃つ事態になり、フランス軍は騒然とした。
「誤爆した!」
「スコットランド軍のバカーーーー!!」
フランス軍の規律の緩さと、クレルモン伯の計画性のなさは大いに問題がある。だが、最大の敗因は、スコットランド軍の無秩序な突撃だろう。
イングランド軍はこの茶番騒ぎの一部始終を目撃しながら、突撃してくるスコットランド軍に向かってロングボウの弾幕を浴びせた。
アジャンクールの戦いも、ヴェルヌイユの戦いもまったく同じ。
またしても、「イングランド軍の必勝パターン」かつ「フランス軍の敗北パターン」が繰り返された。
プレートアーマーの進化で昔ほど矢傷を受けないが、火砲から放たれた弾の威力はロングボウの比ではない。
過去の戦いから何も学ばず、自己判断で戦場に飛び出したあげく、味方に背後から撃たれる。これほど馬鹿馬鹿しい敗北があるだろうか。私の治世下でもっとも愚かな敗戦だ。情けないにも程がある。
戦略兵器としての火砲の運用法を知っていれば、援護射撃で白兵戦をサポートすることもできただろうが、この時はまともな砲兵がいなかった。
イングランド軍は、フランス軍がロングボウの射程圏内に入ってこないと見ると、防御重視の陣形を崩して側面に回り込み、スコットランド兵を囲んで集中攻撃し始めた。
「ど、どうすれば……」
クレルモン伯は激しく動揺し、立ち尽くしていた。
友軍を救うのか、敵軍と戦うのか、戦う部隊と輸送部隊を分けるのか、各隊はどのように展開するのか——、指揮官が命じなければ兵は動けない。
命令を待たずに、勝手に動いたスコットランド軍は目の前で虐殺されている。
「クレルモン伯、先にオルレアンへ行ってくれ」
そのとき、デュノワが前に進み出た。
「兵站輸送がおまえの任務だろ。今はそのことだけを考えろ」
「デュノワはどうするんだ!」
「俺はフランス軍総司令官として、友軍のスコットランド兵を見捨てることはできない」
戦場の真っ只中でかろうじて生き残っている兵を逃すために、デュノワは単騎で駆け出した。
(※)フランスの軍隊用語「撃て」の号令は、「Feu(フー)」
「撃ち方止め」の号令は、「Halte au feu(アルトゥーフー)」
英語の「ファイアー」、ドイツ語の「フォイエル」と同じです。
ラ・イルとザントライユは失望しながら傭兵団に戻り、イングランド軍の兵站輸送部隊を付かず離れず監視した。日が昇って明るくなると、予想した通り、イングランド軍は自分たちが狙われていることに気づいた。
指揮官はジョン・ファストルフとシモン・モリエ。
前者は、亡きヘンリー五世が即位する前から付き合いのある悪友で、ベッドフォード公のもとでパリに駐在するイングランド人。
後者は母イザボー・ド・バヴィエールのお気に入りの寵臣のひとりで、ようするにフランス人だった。
ベッドフォード公は、イングランド人が主体だった攻囲軍にフランス人の幹部を投入することで、オルレアン市民の反感を和らげようと企んだのだろう。
私もベッドフォード公も、考えることは同じだ。
膠着するオルレアン包囲戦を打開するために援軍と兵站を送り、新たな一手を投じようとしていた。
イングランド軍はオルレアンへ向かう行軍を中断し、細長い行列はひと固まりになった。前衛に弓兵、後衛に騎兵、荷馬車を並べて急拵えのバリケードを作り、陣形の外に向けて槍を突き出して馬防柵の代わりにした。
「ちっ」
奇襲するチャンスは完全に失われた。
防御に特化した陣形を崩すのは簡単ではない。
「クレクレ伯の野郎がもたついてる間に迎撃体制を作られちまったなぁ」
「クレルモン伯だ」
「挑発されても無視しろってか?」
「進言を無駄にされておもしろくないのは俺も同じだ」
ラ・イルとザントライユは仕掛けなかった。
物陰に隠れて、クレルモン伯と総司令官デュノワの出方を見守った。
*
しばらくすると街道の南側からフランス軍が現れて、イングランド軍が待ち構えているのを見つけた。オルレアンの北40キロの辺りだ。
「向こうに気付かれてないと聞いていたのに」
「夜ならともかく、もう昼だしなぁ」
気付かれないうちにやり過ごすか、不意打ちで襲撃するか。
先手を打つチャンスは失われたが、よく見れば、イングランド軍は荷馬車と槍を並べた即席の防御にすぎず、対するフランス軍は大軍を率いている上に、輸送中の兵站の中には新型の火砲があった。
重臣たちは、私が以前から火砲の運用にこだわっていることと、オルレアンの防衛で成果を出していることを知っている。
騎士道を重んじる貴族は、火薬の燃焼とメカニックを駆使する戦い方を「ずるい」と考え、表立って火砲の運用法を学ぼうとしなかったが、内心で興味を持っている者もいたようで、クレルモン伯もそんなひとりだった。
「デュノワは使ったことがあるのか?」
「撃つだけならそれほど難しくないけど、砲兵に全部任せている」
オルレアンでは城壁の塔に配備している。
運用法は模索中で、野戦で使うことは想定していない。
「俺的には、騎士道に反する気がしてあまり好きじゃないんだ」
「そうか。しかし、陛下のお気に入りがどんなものか、知っておいて損はないだろう」
クレルモン伯はイングランドに向けて砲撃を命じた。
戦略的な意味はない、気まぐれの試し撃ちみたいなものだ。
「戦闘準備……、撃て!」
轟音とともに一斉に発射された石弾は、ロングボウでは絶対に届かない荷馬車に命中した。荷台に積まれた樽が弾け飛び、中身のニシンがばらまかれた。イングランド兵の飢えを満たすための貴重な食料を輸送中だった。
「ほう、これはこれは……」
初陣と初めての射撃は、クレルモン伯の琴線に触れたようだ。
フランス軍は次々に砲撃を繰り出し、辺り一面がニシンまみれになった。
「ふはははは。どうだ、デュノワ! なかなか面白いぞ!」
「クレルモン伯、遊んでいる場合では……」
クレルモン伯の余興に業を煮やしたのか、フランス語の通じないスコットランド兵は苛立ちを募らせたあげく、イングランド軍に向かって勝手に突撃を敢行した。
「えっ、ちょ……」
「うわあ、砲撃中止だ! 撃ち方止めーーー!!!」
射程範囲に友軍が飛び出してきたため、クレルモン伯はあわてて砲撃命令を取り下げたが、着火済みの石弾が何発か放たれた。裏切りでも仲間割れでもないのに味方の背中を撃つ事態になり、フランス軍は騒然とした。
「誤爆した!」
「スコットランド軍のバカーーーー!!」
フランス軍の規律の緩さと、クレルモン伯の計画性のなさは大いに問題がある。だが、最大の敗因は、スコットランド軍の無秩序な突撃だろう。
イングランド軍はこの茶番騒ぎの一部始終を目撃しながら、突撃してくるスコットランド軍に向かってロングボウの弾幕を浴びせた。
アジャンクールの戦いも、ヴェルヌイユの戦いもまったく同じ。
またしても、「イングランド軍の必勝パターン」かつ「フランス軍の敗北パターン」が繰り返された。
プレートアーマーの進化で昔ほど矢傷を受けないが、火砲から放たれた弾の威力はロングボウの比ではない。
過去の戦いから何も学ばず、自己判断で戦場に飛び出したあげく、味方に背後から撃たれる。これほど馬鹿馬鹿しい敗北があるだろうか。私の治世下でもっとも愚かな敗戦だ。情けないにも程がある。
戦略兵器としての火砲の運用法を知っていれば、援護射撃で白兵戦をサポートすることもできただろうが、この時はまともな砲兵がいなかった。
イングランド軍は、フランス軍がロングボウの射程圏内に入ってこないと見ると、防御重視の陣形を崩して側面に回り込み、スコットランド兵を囲んで集中攻撃し始めた。
「ど、どうすれば……」
クレルモン伯は激しく動揺し、立ち尽くしていた。
友軍を救うのか、敵軍と戦うのか、戦う部隊と輸送部隊を分けるのか、各隊はどのように展開するのか——、指揮官が命じなければ兵は動けない。
命令を待たずに、勝手に動いたスコットランド軍は目の前で虐殺されている。
「クレルモン伯、先にオルレアンへ行ってくれ」
そのとき、デュノワが前に進み出た。
「兵站輸送がおまえの任務だろ。今はそのことだけを考えろ」
「デュノワはどうするんだ!」
「俺はフランス軍総司令官として、友軍のスコットランド兵を見捨てることはできない」
戦場の真っ只中でかろうじて生き残っている兵を逃すために、デュノワは単騎で駆け出した。
(※)フランスの軍隊用語「撃て」の号令は、「Feu(フー)」
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