94 / 126
第五章〈謎の狙撃手〉編
5.9 汚れた手を重ねて(4)慰め
しおりを挟む
リッシュモンの手が、首輪をつけるように私の首に嵌まる。
親指と人差し指の付け根が喉仏にかかり、ゆっくりとせり上がってくる。
目を閉じているせいか、肌に触れる感触がやけに鋭敏に感じられた。
流れる時間も妙にゆっくりしていて、「早くひと思いに捻ってくれればいいのに」と、この期に及んでリッシュモンへの不満が浮かんだ。
首を絞めるのかと思ったが、リッシュモンの指先は首筋を撫でながら耳の裏側へ。後頭部の髪をかきあげて耳たぶをふにふにしたかと思えば、こめかみへ伸びていき、顔のラインをなぞって顎の下を経由し、顔の反対側へ進んでいく。
(何をやっているんだ?)
前に、絞首刑を見たことがある。
それは見るに堪えないほど苦しそうで、まるで肉体が死に抗っているかのように激しく痙攣しながらしだいに弛緩し、泡立つよだれと舌が口からはみ出て、下からは大量の汚物を垂れ流す。
首を絞め上げる窒息死は、むごたらしい。
もしかしたら、リッシュモンなりの情けをかけて、首を絞めるのではなく、首の骨を折るつもりなのかもしれない。しきりに首筋をまさぐっているのは、急所を探しているのだろう。
触り方が、妙に優しくてくすぐったい。
私はまぶたを閉じているから何も見えないが、リッシュモンの指先が目頭から目尻を撫でると、小さな雫がこめかみから流れ落ちた。涙の痕跡をぬぐうように、手櫛で髪を梳き、頬骨のあたりをすりすりと愛撫されたかと思えば、また指先が首元に戻ってきた。
今度こそやるのか……と思っていると、顎に親指がかかって軽く押される。
ごく自然に口がひらかれて、鼻先に吐息を感じた瞬間、何か柔らかいものが唇をかすめた。
(何を、しているんだ……?)
重いけれど不快ではない肉厚な体が私の上に覆いかぶさり、動かなくなった。
そこで、ようやく目を開けた。仰向けになった私の上にリッシュモンが重なっている。
つかまれて頭上に縫い付けられた右手と、私の頭の間にできた空間——首筋に鼻先を寄せるようにして顔を埋めていた。
「なぁ、リッシュモン。さっきから何をしているんだ?」
意味がわからない。私の顔をさんざん弄んで何がしたいのか。
リッシュモンは何も答えず、かすかに身じろぎした。
「……首を吸うな。それとも匂いを嗅いでいるのか?」
さっき火砲を撃ったから、私の体臭は火薬くさいだろう。
決していい匂いではないはずだ。
「黙ってないで何か言え」
「……今、あなたの体は傷ついて、冷たく凍えています」
「貴公の手当てのおかげで、右手の火傷は軽症だよ。体が濡れて冷えてはいるが、さっきよりずいぶん暖かくなったから心配無用……だと……」
そう言いながら、私の冷えた体にリッシュモンの少し高めの体温が乗り移ってすっかり暖まっていることに思い至り、急に恥ずかしくなってきた。
「本当に、心配しなくていいから……」
意図せず、心臓が早鐘を打ち始めて狼狽する。
お互いにほとんど何も身につけていない状態で、今はぴったりと肌を重ねているから、心臓の音がリッシュモンにも聞こえてしまう。覆いかぶさった巨躯を押しのけようにも、右手はつかまれたままだし、まともに身動きが取れない。
「体だけじゃない。あなたの魂は、取り返しがつかないほど傷ついていて、孤独の中でずっと凍えている」
私の狼狽はさておき、リッシュモンが引き続き何かぶつぶつ言っている。
「今、私が何を考えているかわかりますか?」
「し、知るか!」
「あなたを全身全霊で慰めたい。傷を癒やして、凍える魂をあたためて差し上げたい」
なぜかわからないが、きまじめで峻厳なリッシュモンが至極感傷的になっている。残念だが、私を殺す意欲は失せてしまったようだ。
「あのなぁ……」
「私ではいけませんか?」
「傷ついたことのない人間なんかいないだろ。貴公だってそうだ。ブルターニュでの幼少期やイングランドに渡った母君とのこと……、いろいろ聞き及んでいるぞ。大変だったな」
患部の右手はリッシュモンにつかまれたまま、離してくれそうにないので、私は空いた左手でリッシュモンの頭をぽんぽんと撫でた。
「貴公は、私と傷を舐め合いたいのか?」
「あなたを幸せにしたい。幸せを感じてほしいのです。心も、体も……」
幸せとはなんだろうか。生まれてこの方25年経つが、波乱の多い人生だったことは確かで、不運に見舞われること数知れず。しかし、幸運と思える出来事もたくさんあったと思う。だから、今ここで人生が終わっても悔いはない。
「貴公に私の命をくれてやってもいい。そう思える程度には好意を持っているよ」
リッシュモンは少々暑苦しいがいい奴だと思う。
今、慰めが必要なのは、みじめで冷めている私よりもこの実直で不器用な大元帥のような気がして、私はまるで母親になったような気持ちで、リッシュモンの髪を優しく梳いてあげた。
「すみません」
「生理現象だから仕方がない。不問にする」
肌を重ねているから、刻々と変化する肉体の動きを拾ってしまう。
本当に人間とは心も体も難儀なものだ。
親指と人差し指の付け根が喉仏にかかり、ゆっくりとせり上がってくる。
目を閉じているせいか、肌に触れる感触がやけに鋭敏に感じられた。
流れる時間も妙にゆっくりしていて、「早くひと思いに捻ってくれればいいのに」と、この期に及んでリッシュモンへの不満が浮かんだ。
首を絞めるのかと思ったが、リッシュモンの指先は首筋を撫でながら耳の裏側へ。後頭部の髪をかきあげて耳たぶをふにふにしたかと思えば、こめかみへ伸びていき、顔のラインをなぞって顎の下を経由し、顔の反対側へ進んでいく。
(何をやっているんだ?)
前に、絞首刑を見たことがある。
それは見るに堪えないほど苦しそうで、まるで肉体が死に抗っているかのように激しく痙攣しながらしだいに弛緩し、泡立つよだれと舌が口からはみ出て、下からは大量の汚物を垂れ流す。
首を絞め上げる窒息死は、むごたらしい。
もしかしたら、リッシュモンなりの情けをかけて、首を絞めるのではなく、首の骨を折るつもりなのかもしれない。しきりに首筋をまさぐっているのは、急所を探しているのだろう。
触り方が、妙に優しくてくすぐったい。
私はまぶたを閉じているから何も見えないが、リッシュモンの指先が目頭から目尻を撫でると、小さな雫がこめかみから流れ落ちた。涙の痕跡をぬぐうように、手櫛で髪を梳き、頬骨のあたりをすりすりと愛撫されたかと思えば、また指先が首元に戻ってきた。
今度こそやるのか……と思っていると、顎に親指がかかって軽く押される。
ごく自然に口がひらかれて、鼻先に吐息を感じた瞬間、何か柔らかいものが唇をかすめた。
(何を、しているんだ……?)
重いけれど不快ではない肉厚な体が私の上に覆いかぶさり、動かなくなった。
そこで、ようやく目を開けた。仰向けになった私の上にリッシュモンが重なっている。
つかまれて頭上に縫い付けられた右手と、私の頭の間にできた空間——首筋に鼻先を寄せるようにして顔を埋めていた。
「なぁ、リッシュモン。さっきから何をしているんだ?」
意味がわからない。私の顔をさんざん弄んで何がしたいのか。
リッシュモンは何も答えず、かすかに身じろぎした。
「……首を吸うな。それとも匂いを嗅いでいるのか?」
さっき火砲を撃ったから、私の体臭は火薬くさいだろう。
決していい匂いではないはずだ。
「黙ってないで何か言え」
「……今、あなたの体は傷ついて、冷たく凍えています」
「貴公の手当てのおかげで、右手の火傷は軽症だよ。体が濡れて冷えてはいるが、さっきよりずいぶん暖かくなったから心配無用……だと……」
そう言いながら、私の冷えた体にリッシュモンの少し高めの体温が乗り移ってすっかり暖まっていることに思い至り、急に恥ずかしくなってきた。
「本当に、心配しなくていいから……」
意図せず、心臓が早鐘を打ち始めて狼狽する。
お互いにほとんど何も身につけていない状態で、今はぴったりと肌を重ねているから、心臓の音がリッシュモンにも聞こえてしまう。覆いかぶさった巨躯を押しのけようにも、右手はつかまれたままだし、まともに身動きが取れない。
「体だけじゃない。あなたの魂は、取り返しがつかないほど傷ついていて、孤独の中でずっと凍えている」
私の狼狽はさておき、リッシュモンが引き続き何かぶつぶつ言っている。
「今、私が何を考えているかわかりますか?」
「し、知るか!」
「あなたを全身全霊で慰めたい。傷を癒やして、凍える魂をあたためて差し上げたい」
なぜかわからないが、きまじめで峻厳なリッシュモンが至極感傷的になっている。残念だが、私を殺す意欲は失せてしまったようだ。
「あのなぁ……」
「私ではいけませんか?」
「傷ついたことのない人間なんかいないだろ。貴公だってそうだ。ブルターニュでの幼少期やイングランドに渡った母君とのこと……、いろいろ聞き及んでいるぞ。大変だったな」
患部の右手はリッシュモンにつかまれたまま、離してくれそうにないので、私は空いた左手でリッシュモンの頭をぽんぽんと撫でた。
「貴公は、私と傷を舐め合いたいのか?」
「あなたを幸せにしたい。幸せを感じてほしいのです。心も、体も……」
幸せとはなんだろうか。生まれてこの方25年経つが、波乱の多い人生だったことは確かで、不運に見舞われること数知れず。しかし、幸運と思える出来事もたくさんあったと思う。だから、今ここで人生が終わっても悔いはない。
「貴公に私の命をくれてやってもいい。そう思える程度には好意を持っているよ」
リッシュモンは少々暑苦しいがいい奴だと思う。
今、慰めが必要なのは、みじめで冷めている私よりもこの実直で不器用な大元帥のような気がして、私はまるで母親になったような気持ちで、リッシュモンの髪を優しく梳いてあげた。
「すみません」
「生理現象だから仕方がない。不問にする」
肌を重ねているから、刻々と変化する肉体の動きを拾ってしまう。
本当に人間とは心も体も難儀なものだ。
25
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる