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第五章〈謎の狙撃手〉編
5.9 汚れた手を重ねて(4)慰め
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リッシュモンの手が、首輪をつけるように私の首に嵌まる。
親指と人差し指の付け根が喉仏にかかり、ゆっくりとせり上がってくる。
目を閉じているせいか、肌に触れる感触がやけに鋭敏に感じられた。
流れる時間も妙にゆっくりしていて、「早くひと思いに捻ってくれればいいのに」と、この期に及んでリッシュモンへの不満が浮かんだ。
首を絞めるのかと思ったが、リッシュモンの指先は首筋を撫でながら耳の裏側へ。後頭部の髪をかきあげて耳たぶをふにふにしたかと思えば、こめかみへ伸びていき、顔のラインをなぞって顎の下を経由し、顔の反対側へ進んでいく。
(何をやっているんだ?)
前に、絞首刑を見たことがある。
それは見るに堪えないほど苦しそうで、まるで肉体が死に抗っているかのように激しく痙攣しながらしだいに弛緩し、泡立つよだれと舌が口からはみ出て、下からは大量の汚物を垂れ流す。
首を絞め上げる窒息死は、むごたらしい。
もしかしたら、リッシュモンなりの情けをかけて、首を絞めるのではなく、首の骨を折るつもりなのかもしれない。しきりに首筋をまさぐっているのは、急所を探しているのだろう。
触り方が、妙に優しくてくすぐったい。
私はまぶたを閉じているから何も見えないが、リッシュモンの指先が目頭から目尻を撫でると、小さな雫がこめかみから流れ落ちた。涙の痕跡をぬぐうように、手櫛で髪を梳き、頬骨のあたりをすりすりと愛撫されたかと思えば、また指先が首元に戻ってきた。
今度こそやるのか……と思っていると、顎に親指がかかって軽く押される。
ごく自然に口がひらかれて、鼻先に吐息を感じた瞬間、何か柔らかいものが唇をかすめた。
(何を、しているんだ……?)
重いけれど不快ではない肉厚な体が私の上に覆いかぶさり、動かなくなった。
そこで、ようやく目を開けた。仰向けになった私の上にリッシュモンが重なっている。
つかまれて頭上に縫い付けられた右手と、私の頭の間にできた空間——首筋に鼻先を寄せるようにして顔を埋めていた。
「なぁ、リッシュモン。さっきから何をしているんだ?」
意味がわからない。私の顔をさんざん弄んで何がしたいのか。
リッシュモンは何も答えず、かすかに身じろぎした。
「……首を吸うな。それとも匂いを嗅いでいるのか?」
さっき火砲を撃ったから、私の体臭は火薬くさいだろう。
決していい匂いではないはずだ。
「黙ってないで何か言え」
「……今、あなたの体は傷ついて、冷たく凍えています」
「貴公の手当てのおかげで、右手の火傷は軽症だよ。体が濡れて冷えてはいるが、さっきよりずいぶん暖かくなったから心配無用……だと……」
そう言いながら、私の冷えた体にリッシュモンの少し高めの体温が乗り移ってすっかり暖まっていることに思い至り、急に恥ずかしくなってきた。
「本当に、心配しなくていいから……」
意図せず、心臓が早鐘を打ち始めて狼狽する。
お互いにほとんど何も身につけていない状態で、今はぴったりと肌を重ねているから、心臓の音がリッシュモンにも聞こえてしまう。覆いかぶさった巨躯を押しのけようにも、右手はつかまれたままだし、まともに身動きが取れない。
「体だけじゃない。あなたの魂は、取り返しがつかないほど傷ついていて、孤独の中でずっと凍えている」
私の狼狽はさておき、リッシュモンが引き続き何かぶつぶつ言っている。
「今、私が何を考えているかわかりますか?」
「し、知るか!」
「あなたを全身全霊で慰めたい。傷を癒やして、凍える魂をあたためて差し上げたい」
なぜかわからないが、きまじめで峻厳なリッシュモンが至極感傷的になっている。残念だが、私を殺す意欲は失せてしまったようだ。
「あのなぁ……」
「私ではいけませんか?」
「傷ついたことのない人間なんかいないだろ。貴公だってそうだ。ブルターニュでの幼少期やイングランドに渡った母君とのこと……、いろいろ聞き及んでいるぞ。大変だったな」
患部の右手はリッシュモンにつかまれたまま、離してくれそうにないので、私は空いた左手でリッシュモンの頭をぽんぽんと撫でた。
「貴公は、私と傷を舐め合いたいのか?」
「あなたを幸せにしたい。幸せを感じてほしいのです。心も、体も……」
幸せとはなんだろうか。生まれてこの方25年経つが、波乱の多い人生だったことは確かで、不運に見舞われること数知れず。しかし、幸運と思える出来事もたくさんあったと思う。だから、今ここで人生が終わっても悔いはない。
「貴公に私の命をくれてやってもいい。そう思える程度には好意を持っているよ」
リッシュモンは少々暑苦しいがいい奴だと思う。
今、慰めが必要なのは、みじめで冷めている私よりもこの実直で不器用な大元帥のような気がして、私はまるで母親になったような気持ちで、リッシュモンの髪を優しく梳いてあげた。
「すみません」
「生理現象だから仕方がない。不問にする」
肌を重ねているから、刻々と変化する肉体の動きを拾ってしまう。
本当に人間とは心も体も難儀なものだ。
親指と人差し指の付け根が喉仏にかかり、ゆっくりとせり上がってくる。
目を閉じているせいか、肌に触れる感触がやけに鋭敏に感じられた。
流れる時間も妙にゆっくりしていて、「早くひと思いに捻ってくれればいいのに」と、この期に及んでリッシュモンへの不満が浮かんだ。
首を絞めるのかと思ったが、リッシュモンの指先は首筋を撫でながら耳の裏側へ。後頭部の髪をかきあげて耳たぶをふにふにしたかと思えば、こめかみへ伸びていき、顔のラインをなぞって顎の下を経由し、顔の反対側へ進んでいく。
(何をやっているんだ?)
前に、絞首刑を見たことがある。
それは見るに堪えないほど苦しそうで、まるで肉体が死に抗っているかのように激しく痙攣しながらしだいに弛緩し、泡立つよだれと舌が口からはみ出て、下からは大量の汚物を垂れ流す。
首を絞め上げる窒息死は、むごたらしい。
もしかしたら、リッシュモンなりの情けをかけて、首を絞めるのではなく、首の骨を折るつもりなのかもしれない。しきりに首筋をまさぐっているのは、急所を探しているのだろう。
触り方が、妙に優しくてくすぐったい。
私はまぶたを閉じているから何も見えないが、リッシュモンの指先が目頭から目尻を撫でると、小さな雫がこめかみから流れ落ちた。涙の痕跡をぬぐうように、手櫛で髪を梳き、頬骨のあたりをすりすりと愛撫されたかと思えば、また指先が首元に戻ってきた。
今度こそやるのか……と思っていると、顎に親指がかかって軽く押される。
ごく自然に口がひらかれて、鼻先に吐息を感じた瞬間、何か柔らかいものが唇をかすめた。
(何を、しているんだ……?)
重いけれど不快ではない肉厚な体が私の上に覆いかぶさり、動かなくなった。
そこで、ようやく目を開けた。仰向けになった私の上にリッシュモンが重なっている。
つかまれて頭上に縫い付けられた右手と、私の頭の間にできた空間——首筋に鼻先を寄せるようにして顔を埋めていた。
「なぁ、リッシュモン。さっきから何をしているんだ?」
意味がわからない。私の顔をさんざん弄んで何がしたいのか。
リッシュモンは何も答えず、かすかに身じろぎした。
「……首を吸うな。それとも匂いを嗅いでいるのか?」
さっき火砲を撃ったから、私の体臭は火薬くさいだろう。
決していい匂いではないはずだ。
「黙ってないで何か言え」
「……今、あなたの体は傷ついて、冷たく凍えています」
「貴公の手当てのおかげで、右手の火傷は軽症だよ。体が濡れて冷えてはいるが、さっきよりずいぶん暖かくなったから心配無用……だと……」
そう言いながら、私の冷えた体にリッシュモンの少し高めの体温が乗り移ってすっかり暖まっていることに思い至り、急に恥ずかしくなってきた。
「本当に、心配しなくていいから……」
意図せず、心臓が早鐘を打ち始めて狼狽する。
お互いにほとんど何も身につけていない状態で、今はぴったりと肌を重ねているから、心臓の音がリッシュモンにも聞こえてしまう。覆いかぶさった巨躯を押しのけようにも、右手はつかまれたままだし、まともに身動きが取れない。
「体だけじゃない。あなたの魂は、取り返しがつかないほど傷ついていて、孤独の中でずっと凍えている」
私の狼狽はさておき、リッシュモンが引き続き何かぶつぶつ言っている。
「今、私が何を考えているかわかりますか?」
「し、知るか!」
「あなたを全身全霊で慰めたい。傷を癒やして、凍える魂をあたためて差し上げたい」
なぜかわからないが、きまじめで峻厳なリッシュモンが至極感傷的になっている。残念だが、私を殺す意欲は失せてしまったようだ。
「あのなぁ……」
「私ではいけませんか?」
「傷ついたことのない人間なんかいないだろ。貴公だってそうだ。ブルターニュでの幼少期やイングランドに渡った母君とのこと……、いろいろ聞き及んでいるぞ。大変だったな」
患部の右手はリッシュモンにつかまれたまま、離してくれそうにないので、私は空いた左手でリッシュモンの頭をぽんぽんと撫でた。
「貴公は、私と傷を舐め合いたいのか?」
「あなたを幸せにしたい。幸せを感じてほしいのです。心も、体も……」
幸せとはなんだろうか。生まれてこの方25年経つが、波乱の多い人生だったことは確かで、不運に見舞われること数知れず。しかし、幸運と思える出来事もたくさんあったと思う。だから、今ここで人生が終わっても悔いはない。
「貴公に私の命をくれてやってもいい。そう思える程度には好意を持っているよ」
リッシュモンは少々暑苦しいがいい奴だと思う。
今、慰めが必要なのは、みじめで冷めている私よりもこの実直で不器用な大元帥のような気がして、私はまるで母親になったような気持ちで、リッシュモンの髪を優しく梳いてあげた。
「すみません」
「生理現象だから仕方がない。不問にする」
肌を重ねているから、刻々と変化する肉体の動きを拾ってしまう。
本当に人間とは心も体も難儀なものだ。
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