93 / 126
第五章〈謎の狙撃手〉編
5.8 汚れた手を重ねて(3)頼みごと
しおりを挟む
リッシュモンは暗い表情でしばらく私を見下ろしていたが、ふいと視線を逸らした。
「なぜ、私にそんなことを……?」
ずれた寝具を肩に掛け直しながらたずねる。
「長い間、イングランドはフランス王位を欲していた。だが、ここ数年の戦いはそれだけじゃない。ベッドフォード公もブルゴーニュ公もシャルル七世を恨んでいる。二人の私怨が、戦意の根源になっている」
ならば、私がいなくなれば——、と思った。
「私を殺せば、恨みの対象はなくなる。憎しみの連鎖は終わり、ひいては戦争も終わる」
「あなたの命を差し出すことに納得しない者もいるでしょう。元はと言えば、英仏の戦いは数代前の王位継承が発端で、フランスの内戦は王弟と無怖公ふたりの争いにすぎなかった」
「そうだ。みんな忘れているのに、貴公はよく覚えているな」
「本来、あなたは争いの当事者ではなかった。ひとりで何もかも背負いすぎです」
「そうだ。今、生きて戦っている人間の中に、争いの発端となった当事者はいない」
いや、母のイザボー・ド・バヴィエールは現在生きている唯一の当事者だ。
王弟と無怖公が争うことになった発端で、内戦の元凶だ。
彼女の恨みもまた、私へ向いている。
「人の感情とは難儀なものだ。怒りや悲しみ、憎しみや恨み、そして欲望や野望……。それらは親から子へ、または兄弟へと継承されていく」
他人を恨むのではなく、自分が産んだ息子を恨む心境はどんなものだろう。
私には理解も想像もできない修羅の道だ。
「そうです。あなたが死んだら、別の誰かが悲嘆と憎悪を次代へ継承する……」
「それが、そうでもないんだ」
「どういう意味です?」
「私は母から憎まれ、息子からも嫌われている」
「王太子があなたを嫌っていると?」
私はこくりとうなずいた。
「息子のルイは五歳になったばかりだが、すでに自我を持っていて賢い。そして、明らかに私を嫌っている。私が死んだところで誰かを恨むことはないさ」
悲観的に聞こえないように、私は努めてさばさばと語った。
「そんなに憐れむなよ。むしろ好都合だと思っているくらいだ。私は自ら望んで命を差し出す。これで戦争はおしまい、めでたしめでたし……という寸法だ」
「あなたの考えはわかりました。ですが、なぜ私に手を下させようとするのです?」
「なんていうか、これまでの忠義に対する礼代わりだ」
「そんな御礼は要りません」
「イングランドでもブルゴーニュでも、貴公が再仕官するときに私の首があればいい手土産になるだろう?」
リッシュモンは絶句した。
彼の顔色の変化に気づかず、私は話を続けた。
「イングランドのベッドフォード公とブルゴーニュ公、両陣営のトップに顔が利くのは貴公くらいだ。もし、私の遺志を汲む気があるなら、これ以上フランスを侵攻しないように貴公の力で働きかけてくれ。あと、シャルル・ドルレアンが早く帰国できるように」
ついでに、遺言を託した。
「それは、命令ですか?」
「まあ、そんなところだ」
「できないと言ったら?」
しばし見つめ合った後、一呼吸置いて、私はため息をついた。
「……失望する。貴公は見込み違いだったかと」
言い終わる前に、世界がぐるりと反転した。
天井の梁が見える。声をあげる間もなく、私は一瞬でベッドに仰向けになっていた。負傷した右手は、リッシュモンの左手につかまれて、頭上で縫い付けられたように組み敷かれている。
動けないことに戸惑っていると、馬乗りになったリッシュモンがぞっとするほど昏い目で私を見下ろしていた。そして、空いた右手が伸びてきて私の首を締め上げようと——。
(やられる……!)
動物的な本能なのか、反射的に恐怖を感じた。
しかし、すぐに理性を取り戻し、私の内面に穏やかな諦観が広がる。
(馬鹿だ……。今ここで殺してくれないかと頼んだのは、私じゃないか……)
誘ったのは私だ。
リッシュモンは私の願いを叶えようとしてくれている。
感謝こそすれ、怯える必要はない。
「後生だ。あまり痛くするな……」
最後の願いをささやくと、私は首を絞めやすいように少し上を向き、静かに目を閉じた。
「なぜ、私にそんなことを……?」
ずれた寝具を肩に掛け直しながらたずねる。
「長い間、イングランドはフランス王位を欲していた。だが、ここ数年の戦いはそれだけじゃない。ベッドフォード公もブルゴーニュ公もシャルル七世を恨んでいる。二人の私怨が、戦意の根源になっている」
ならば、私がいなくなれば——、と思った。
「私を殺せば、恨みの対象はなくなる。憎しみの連鎖は終わり、ひいては戦争も終わる」
「あなたの命を差し出すことに納得しない者もいるでしょう。元はと言えば、英仏の戦いは数代前の王位継承が発端で、フランスの内戦は王弟と無怖公ふたりの争いにすぎなかった」
「そうだ。みんな忘れているのに、貴公はよく覚えているな」
「本来、あなたは争いの当事者ではなかった。ひとりで何もかも背負いすぎです」
「そうだ。今、生きて戦っている人間の中に、争いの発端となった当事者はいない」
いや、母のイザボー・ド・バヴィエールは現在生きている唯一の当事者だ。
王弟と無怖公が争うことになった発端で、内戦の元凶だ。
彼女の恨みもまた、私へ向いている。
「人の感情とは難儀なものだ。怒りや悲しみ、憎しみや恨み、そして欲望や野望……。それらは親から子へ、または兄弟へと継承されていく」
他人を恨むのではなく、自分が産んだ息子を恨む心境はどんなものだろう。
私には理解も想像もできない修羅の道だ。
「そうです。あなたが死んだら、別の誰かが悲嘆と憎悪を次代へ継承する……」
「それが、そうでもないんだ」
「どういう意味です?」
「私は母から憎まれ、息子からも嫌われている」
「王太子があなたを嫌っていると?」
私はこくりとうなずいた。
「息子のルイは五歳になったばかりだが、すでに自我を持っていて賢い。そして、明らかに私を嫌っている。私が死んだところで誰かを恨むことはないさ」
悲観的に聞こえないように、私は努めてさばさばと語った。
「そんなに憐れむなよ。むしろ好都合だと思っているくらいだ。私は自ら望んで命を差し出す。これで戦争はおしまい、めでたしめでたし……という寸法だ」
「あなたの考えはわかりました。ですが、なぜ私に手を下させようとするのです?」
「なんていうか、これまでの忠義に対する礼代わりだ」
「そんな御礼は要りません」
「イングランドでもブルゴーニュでも、貴公が再仕官するときに私の首があればいい手土産になるだろう?」
リッシュモンは絶句した。
彼の顔色の変化に気づかず、私は話を続けた。
「イングランドのベッドフォード公とブルゴーニュ公、両陣営のトップに顔が利くのは貴公くらいだ。もし、私の遺志を汲む気があるなら、これ以上フランスを侵攻しないように貴公の力で働きかけてくれ。あと、シャルル・ドルレアンが早く帰国できるように」
ついでに、遺言を託した。
「それは、命令ですか?」
「まあ、そんなところだ」
「できないと言ったら?」
しばし見つめ合った後、一呼吸置いて、私はため息をついた。
「……失望する。貴公は見込み違いだったかと」
言い終わる前に、世界がぐるりと反転した。
天井の梁が見える。声をあげる間もなく、私は一瞬でベッドに仰向けになっていた。負傷した右手は、リッシュモンの左手につかまれて、頭上で縫い付けられたように組み敷かれている。
動けないことに戸惑っていると、馬乗りになったリッシュモンがぞっとするほど昏い目で私を見下ろしていた。そして、空いた右手が伸びてきて私の首を締め上げようと——。
(やられる……!)
動物的な本能なのか、反射的に恐怖を感じた。
しかし、すぐに理性を取り戻し、私の内面に穏やかな諦観が広がる。
(馬鹿だ……。今ここで殺してくれないかと頼んだのは、私じゃないか……)
誘ったのは私だ。
リッシュモンは私の願いを叶えようとしてくれている。
感謝こそすれ、怯える必要はない。
「後生だ。あまり痛くするな……」
最後の願いをささやくと、私は首を絞めやすいように少し上を向き、静かに目を閉じた。
35
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
連合航空艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年のロンドン海軍軍縮条約を機に海軍内では新時代の軍備についての議論が活発に行われるようになった。その中で生れたのが”航空艦隊主義”だった。この考えは当初、一部の中堅将校や青年将校が唱えていたものだが途中からいわゆる海軍左派である山本五十六や米内光政がこの考えを支持し始めて実現のためにの政治力を駆使し始めた。この航空艦隊主義と言うものは”重巡以上の大型艦を全て空母に改装する”というかなり極端なものだった。それでも1936年の条約失効を持って日本海軍は航空艦隊主義に傾注していくことになる。
デモ版と言っては何ですが、こんなものも書く予定があるんだなぁ程度に思ってい頂けると幸いです。
日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
日本には1942年当時世界最強の機動部隊があった!
明日ハレル
歴史・時代
第2次世界大戦に突入した日本帝国に生き残る道はあったのか?模索して行きたいと思います。
当時6隻の空母を集中使用した南雲機動部隊は航空機300余機を持つ世界最強の戦力でした。
ただ彼らにもレーダーを持たない、空母の直掩機との無線連絡が出来ない、ダメージコントロールが未熟である。制空権の確保という理論が判っていない、空母戦術への理解が無い等多くの問題があります。
空母が誕生して戦術的な物を求めても無理があるでしょう。ただどの様に強力な攻撃部隊を持っていても敵地上空での制空権が確保できなけれな、簡単に言えば攻撃隊を守れなけれな無駄だと言う事です。
空母部隊が対峙した場合敵側の直掩機を強力な戦闘機部隊を攻撃の前の送って一掃する手もあります。
日本のゼロ戦は優秀ですが、悪迄軽戦闘機であり大馬力のPー47やF4U等が出てくれば苦戦は免れません。
この為旧式ですが96式陸攻で使われた金星エンジンをチューンナップし、金星3型エンジン1350馬力に再生させこれを積んだ戦闘機、爆撃機、攻撃機、偵察機を陸海軍共通で戦う。
共通と言う所が大事で国力の小さい日本には試作機も絞って開発すべきで、陸海軍別々に開発する余裕は無いのです。
その他数多くの改良点はありますが、本文で少しづつ紹介して行きましょう。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
追放された王太子のひとりごと 〜7番目のシャルル étude〜
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
救国の英雄ジャンヌ・ダルクが現れる数年前。百年戦争は休戦中だったが、フランス王シャルル六世の発狂で王国は内乱状態となり、イングランド王ヘンリー五世は再び野心を抱く。
兄王子たちの連続死で、末っ子で第五王子のシャルルは14歳で王太子となり王都パリへ連れ戻された。父王に統治能力がないため、王太子は摂政(国王代理)である。重責を背負いながら宮廷で奮闘していたが、母妃イザボーと愛人ブルゴーニュ公に命を狙われ、パリを脱出した。王太子は、逃亡先のシノン城で星空に問いかける。
※「7番目のシャルル」シリーズの原型となった習作です。
※小説家になろうとカクヨムで重複投稿しています。
※表紙と挿絵画像はPicrew「キミの世界メーカー」で作成したイラストを加工し、イメージとして使わせていただいてます。
架空戦記 旭日旗の元に
葉山宗次郎
歴史・時代
国力で遙かに勝るアメリカを相手にするべく日本は様々な手を打ってきた。各地で善戦してきたが、国力の差の前には敗退を重ねる。
そして決戦と挑んだマリアナ沖海戦に敗北。日本は終わりかと思われた。
だが、それでも起死回生のチャンスを、日本を存続させるために男達は奮闘する。
カクヨムでも投稿しています
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる