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第五章〈謎の狙撃手〉編
5.4 大元帥は塩対応(4)虚勢を張る
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リッシュモンに少々行きすぎた世話をされながら、簡単な食事を済ませた。
階下ではパン屋併設の食堂が営業を始めたらしく、賑やかな雰囲気が伝わってくる。かなり繁盛しているようだ。
「フランス軍に所属する騎士や、この辺りを縄張りにしている傭兵たちが絶えず出入りしています」
その中には、私やリッシュモンの顔を知っている人間がいないとも限らない。
「彼らがいなくなるまでこの部屋で静かに待ちましょう」
「やむを得ないな」
「何か気になることはありますか?」
「……特にない」
ビューロー兄弟の行方が気になるが、商魂たくましい彼らなら臨機応変にやり過ごすだろう。
私もリッシュモンも黙ったまま、時が流れる。
聞こえるのは、階下のざわめきと暖炉の炎がはぜる音だけだ。
リッシュモンはシンプルな作りの丸椅子に座っているのに、まるで背もたれがあるかのように姿勢が良く、背筋を伸ばして微動だにしない。
(まじめな奴だな)
まっすぐな姿勢や、重苦しい表情をゆるめる時はあるのだろうか。
こうして体面を保っているのは主君がいるせいだとしたら、少し申し訳ないと思う。「姿を見せるつもりはなかった」と言っていたから、リッシュモンにとっても今の状況は想定外なのだろう。
階下のにぎわいはなかなか収まらない。
収まるどころか、夜が更けるほど騒がしくなってきた気がする。
「やれやれ。静まる気配がないな」
「砲撃の目撃者たちが興奮しているのでしょう」
「ああ、なるほど……」
オルレアンにとって、レ・トゥーレルの放棄と撤退は大きな痛手だった。
ショッキングな出来事だったが、要塞を奪われたと同時に、敵味方から兵士・市民に至るまで大勢の目撃者がいる前で、謎の砲撃によってイングランド軍総司令官ごと吹き飛んだことは別の意味でショックだったに違いない。
「なぜ、あんなことを……」
何か言いかけて、リッシュモンは何かに気づいたように口を閉ざした。
「どうした?」
「しっ! 何者かが階上に上がってきたようです」
そう言われて、にわかに緊張が走る。
このパン屋は、階下で食堂を、二階で宿を提供しているようだ。
私たちがいるのは人目につきにくい奥まった貴賓室だが、同じフロアに誰かがいるとしたら、廊下で鉢合わせするかもしれない。
「申し訳ありません。フロアごと買い取るべきでした」
「いや、そこまでしなくても……」
顔を寄せ合い、小声で話していると——
「何か聞こえるな……」
リッシュモンも気付いたようで、眉間に皺を刻みながら、腕を伸ばして私の両耳を塞いだ。
しかし、時すでに遅く、男女が褥で睦み合うときの嬌声が聞こえてしまった。城と違って、民家の壁は薄いのだ。
「いいって。子供じゃあるまいし」
気まずいのは確かだが、どうということもない。
耳をふさぐリッシュモンの手を払い除けようとしたが、その前に手首をつかまれた。顔が近い。
「……今夜は負傷した手を使わず安静にするようにと、あれほど申し上げているのに」
両手首に枷を嵌めるようにつかまえられ、さらに小声でささやかれて、不覚にも動揺した。
「火傷したのは利き手だけだ。両手をつかまなくてもいいだろう」
「……申し訳ありません」
内心の動揺を悟られないように、かろうじて虚勢を張る。
左手はすぐに解放されたが、右手はつかまれたままだ。
「貴公は押しが強すぎる……」
居たたまれない気持ちで目を逸らす。
リッシュモンは両手で、傷ついている私の右手を包み込んだ。
「御身を大事にしてください」
「別に、貴公に言われなくたって……」
「手が冷たすぎます」
とっさに手を引こうとしたができなかった。
リッシュモンは向かい合わせで、私の右手をつかんだまま、もう片方の手で肩を抱くように上衣の袖に触れた。
「今、気づきました。テーブルクロスを巻きつけたときに、服が水気を吸ってこんなに濡れていたとは……」
「心配無用だ。このくらい大したことじゃない」
言ったそばから、盛大にくしゃみが出た。
「すまん」
たぶん、飛沫がかかったので一応謝ったが、迫ってくるリッシュモンも悪いと思う。
「すぐに着替えを用意させます」
「今は外に出られないだろう。それに……」
言いづらいことだが、リッシュモンもすぐに気付いた。
下着からマントに至るまで、フランス王が身につけるものは、大侍従がすべて管理している。布地の染料に毒物が含まれていないか、縫い目に針が仕込まれていないかを厳重に調べて、問題ない服だけを身につける。事故と暗殺、両方の可能性を含めて、徹底管理されている。
つまり、私は「出所不明の服」をむやみに着替えることができないのだ。
階下ではパン屋併設の食堂が営業を始めたらしく、賑やかな雰囲気が伝わってくる。かなり繁盛しているようだ。
「フランス軍に所属する騎士や、この辺りを縄張りにしている傭兵たちが絶えず出入りしています」
その中には、私やリッシュモンの顔を知っている人間がいないとも限らない。
「彼らがいなくなるまでこの部屋で静かに待ちましょう」
「やむを得ないな」
「何か気になることはありますか?」
「……特にない」
ビューロー兄弟の行方が気になるが、商魂たくましい彼らなら臨機応変にやり過ごすだろう。
私もリッシュモンも黙ったまま、時が流れる。
聞こえるのは、階下のざわめきと暖炉の炎がはぜる音だけだ。
リッシュモンはシンプルな作りの丸椅子に座っているのに、まるで背もたれがあるかのように姿勢が良く、背筋を伸ばして微動だにしない。
(まじめな奴だな)
まっすぐな姿勢や、重苦しい表情をゆるめる時はあるのだろうか。
こうして体面を保っているのは主君がいるせいだとしたら、少し申し訳ないと思う。「姿を見せるつもりはなかった」と言っていたから、リッシュモンにとっても今の状況は想定外なのだろう。
階下のにぎわいはなかなか収まらない。
収まるどころか、夜が更けるほど騒がしくなってきた気がする。
「やれやれ。静まる気配がないな」
「砲撃の目撃者たちが興奮しているのでしょう」
「ああ、なるほど……」
オルレアンにとって、レ・トゥーレルの放棄と撤退は大きな痛手だった。
ショッキングな出来事だったが、要塞を奪われたと同時に、敵味方から兵士・市民に至るまで大勢の目撃者がいる前で、謎の砲撃によってイングランド軍総司令官ごと吹き飛んだことは別の意味でショックだったに違いない。
「なぜ、あんなことを……」
何か言いかけて、リッシュモンは何かに気づいたように口を閉ざした。
「どうした?」
「しっ! 何者かが階上に上がってきたようです」
そう言われて、にわかに緊張が走る。
このパン屋は、階下で食堂を、二階で宿を提供しているようだ。
私たちがいるのは人目につきにくい奥まった貴賓室だが、同じフロアに誰かがいるとしたら、廊下で鉢合わせするかもしれない。
「申し訳ありません。フロアごと買い取るべきでした」
「いや、そこまでしなくても……」
顔を寄せ合い、小声で話していると——
「何か聞こえるな……」
リッシュモンも気付いたようで、眉間に皺を刻みながら、腕を伸ばして私の両耳を塞いだ。
しかし、時すでに遅く、男女が褥で睦み合うときの嬌声が聞こえてしまった。城と違って、民家の壁は薄いのだ。
「いいって。子供じゃあるまいし」
気まずいのは確かだが、どうということもない。
耳をふさぐリッシュモンの手を払い除けようとしたが、その前に手首をつかまれた。顔が近い。
「……今夜は負傷した手を使わず安静にするようにと、あれほど申し上げているのに」
両手首に枷を嵌めるようにつかまえられ、さらに小声でささやかれて、不覚にも動揺した。
「火傷したのは利き手だけだ。両手をつかまなくてもいいだろう」
「……申し訳ありません」
内心の動揺を悟られないように、かろうじて虚勢を張る。
左手はすぐに解放されたが、右手はつかまれたままだ。
「貴公は押しが強すぎる……」
居たたまれない気持ちで目を逸らす。
リッシュモンは両手で、傷ついている私の右手を包み込んだ。
「御身を大事にしてください」
「別に、貴公に言われなくたって……」
「手が冷たすぎます」
とっさに手を引こうとしたができなかった。
リッシュモンは向かい合わせで、私の右手をつかんだまま、もう片方の手で肩を抱くように上衣の袖に触れた。
「今、気づきました。テーブルクロスを巻きつけたときに、服が水気を吸ってこんなに濡れていたとは……」
「心配無用だ。このくらい大したことじゃない」
言ったそばから、盛大にくしゃみが出た。
「すまん」
たぶん、飛沫がかかったので一応謝ったが、迫ってくるリッシュモンも悪いと思う。
「すぐに着替えを用意させます」
「今は外に出られないだろう。それに……」
言いづらいことだが、リッシュモンもすぐに気付いた。
下着からマントに至るまで、フランス王が身につけるものは、大侍従がすべて管理している。布地の染料に毒物が含まれていないか、縫い目に針が仕込まれていないかを厳重に調べて、問題ない服だけを身につける。事故と暗殺、両方の可能性を含めて、徹底管理されている。
つまり、私は「出所不明の服」をむやみに着替えることができないのだ。
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