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第五章〈謎の狙撃手〉編
5.1 大元帥は塩対応(1)
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言い方が悪いが、リッシュモンに強引に連れ込まれたのはパン屋の二階だった。
町の川沿いには、今は壊されてしまったが製粉用の水車があるため必然的にパン屋が多い。かまどが常時稼働し、水も豊富にあるから、一階で食事を提供しながら上階で湯屋付きのも宿泊業もやっている。
町の中は、異様な雰囲気に包まれていた。
レ・トゥーレルからの撤退は、フランス軍の後退とイングランド軍の進軍を意味する。嫌なムードが広がっていたところに、予想外の砲撃で、イングランド軍の頭ともいえる総司令官が吹き飛ばされたのだ。
砲撃されたレ・トゥーレルに衆目が集まり、私たちは人目に晒されずに狙撃現場から離れた。
初めから目をつけていたのか、たまたまだったのか。
日暮れ前のパン屋は、食堂の夜間営業に向けて準備中だった。
「失礼する!」
「あいにく、営業時間はまだなんですがね……」
リッシュモンはためらうことなく押し入り、目についた水差しをつかむと私にじょぼじょぼとぶっかけた。
「ちょっとお客さん、いきなり何ですか!」
「負傷者だ」
パン屋のおやじは慌てて止めに来たが、そう言われてはっとする。
「熱傷の手当てをしたい。水と手桶はあるか?」
「やれやれ、うちは病院でも修道院でもないんですがね」
「訳あって、人目につきたくない」
「金はあるんですかい?」
「これで足りるか」
リッシュモンは革袋ごと差し出した。
おやじは袋の中身を見て「だいぶこまかいな」と言うと、白い粉をつまみ、ぺろりと舐めた。
「しょっぱいがうまい」
「ブルターニュ産ゲランドの塩だ」
塩税がかかる時代、ゲランド湾で天日干しした海塩は最高品質の希少品だ。
忘れがちだが、リッシュモンはブルターニュ公の弟で、フランスの貴族であると同時に「公国の王子」ともいえる。ブルターニュは小麦の収穫量が少ない痩せた土地だが、塩の売買と塩税のおかげで莫大な富を築いていた。
「一袋で足りなければ、あとで追加する」
「ちょっと待ってな」
リッシュモンが頼んだ物を取りに、奥へ行こうとするおやじの背中に、「あれば卵白もほしい」と追加注文した。
お忍び中ゆえ、目立ちたくなくてずっと黙っていたが、二人になったので小声で尋ねた。
「卵白?」
「手持ちの香油とまぜて薬を調合します」
せっかちなリッシュモンは、おやじが戻るまで待ってられないのか、食堂の片隅に干しているテーブルクロスを取り上げて別の水差しでびしょびしょに濡らすと、火傷した患部を覆った。
「確か聖書では、傷にはワインとオリーブオイルが効くと書いてあったような」
「従軍した経験から、蒸留した松脂油とバラの香油を卵白でまぜた薬が火傷には一番効きます」
「へー、詳しいな」
「ですが、まず最初は水で冷やすに限ります」
患部は手のひらだ。テーブルクロスは包帯がわりとしては大きすぎる。
「かなり余ったな……」
思った通り、濡らしたテーブルクロスは半分以上余ってしまった。
びたびたと雫が垂れて、足元に水溜りができた。
「切りましょう」
「いや、そこまでは」
濡らしたテーブルクロスは乾けば元通りだが、切ってしまったら元には戻せない。その場で引きちぎる勢いだったので、あわてて止めた。
(あいかわらず横暴な奴だ)
いや、冷静に見えるが、リッシュモンも動揺しているのかもしれない。
余った部分から滴が垂れるのが気になり、少しでも被害を防ごうと、腕全体を使って巻き取った。
見た目だけなら、すごい大怪我をしたかのようだ。
みっともないが、濡れたテーブルクロスで患部を覆ったおかげで、じんじんする痛みがだいぶ和らいだ気がする。
「お待たせしました」
しばらくすると、パン屋のおやじは「人目につきたくない訳ありの上客」のために、上階奥にある宿屋の貴賓室に案内した。
「お二人がここで何をしようと詮索はしません。それが当店のルールですから」
「やけどの治療だぞ」
「そういうことにしておきましょう。それでは、どうぞごゆっくり」
「ちょ、待っ……」
私とリッシュモンを残して、背後のドアがしまった。
町の川沿いには、今は壊されてしまったが製粉用の水車があるため必然的にパン屋が多い。かまどが常時稼働し、水も豊富にあるから、一階で食事を提供しながら上階で湯屋付きのも宿泊業もやっている。
町の中は、異様な雰囲気に包まれていた。
レ・トゥーレルからの撤退は、フランス軍の後退とイングランド軍の進軍を意味する。嫌なムードが広がっていたところに、予想外の砲撃で、イングランド軍の頭ともいえる総司令官が吹き飛ばされたのだ。
砲撃されたレ・トゥーレルに衆目が集まり、私たちは人目に晒されずに狙撃現場から離れた。
初めから目をつけていたのか、たまたまだったのか。
日暮れ前のパン屋は、食堂の夜間営業に向けて準備中だった。
「失礼する!」
「あいにく、営業時間はまだなんですがね……」
リッシュモンはためらうことなく押し入り、目についた水差しをつかむと私にじょぼじょぼとぶっかけた。
「ちょっとお客さん、いきなり何ですか!」
「負傷者だ」
パン屋のおやじは慌てて止めに来たが、そう言われてはっとする。
「熱傷の手当てをしたい。水と手桶はあるか?」
「やれやれ、うちは病院でも修道院でもないんですがね」
「訳あって、人目につきたくない」
「金はあるんですかい?」
「これで足りるか」
リッシュモンは革袋ごと差し出した。
おやじは袋の中身を見て「だいぶこまかいな」と言うと、白い粉をつまみ、ぺろりと舐めた。
「しょっぱいがうまい」
「ブルターニュ産ゲランドの塩だ」
塩税がかかる時代、ゲランド湾で天日干しした海塩は最高品質の希少品だ。
忘れがちだが、リッシュモンはブルターニュ公の弟で、フランスの貴族であると同時に「公国の王子」ともいえる。ブルターニュは小麦の収穫量が少ない痩せた土地だが、塩の売買と塩税のおかげで莫大な富を築いていた。
「一袋で足りなければ、あとで追加する」
「ちょっと待ってな」
リッシュモンが頼んだ物を取りに、奥へ行こうとするおやじの背中に、「あれば卵白もほしい」と追加注文した。
お忍び中ゆえ、目立ちたくなくてずっと黙っていたが、二人になったので小声で尋ねた。
「卵白?」
「手持ちの香油とまぜて薬を調合します」
せっかちなリッシュモンは、おやじが戻るまで待ってられないのか、食堂の片隅に干しているテーブルクロスを取り上げて別の水差しでびしょびしょに濡らすと、火傷した患部を覆った。
「確か聖書では、傷にはワインとオリーブオイルが効くと書いてあったような」
「従軍した経験から、蒸留した松脂油とバラの香油を卵白でまぜた薬が火傷には一番効きます」
「へー、詳しいな」
「ですが、まず最初は水で冷やすに限ります」
患部は手のひらだ。テーブルクロスは包帯がわりとしては大きすぎる。
「かなり余ったな……」
思った通り、濡らしたテーブルクロスは半分以上余ってしまった。
びたびたと雫が垂れて、足元に水溜りができた。
「切りましょう」
「いや、そこまでは」
濡らしたテーブルクロスは乾けば元通りだが、切ってしまったら元には戻せない。その場で引きちぎる勢いだったので、あわてて止めた。
(あいかわらず横暴な奴だ)
いや、冷静に見えるが、リッシュモンも動揺しているのかもしれない。
余った部分から滴が垂れるのが気になり、少しでも被害を防ごうと、腕全体を使って巻き取った。
見た目だけなら、すごい大怪我をしたかのようだ。
みっともないが、濡れたテーブルクロスで患部を覆ったおかげで、じんじんする痛みがだいぶ和らいだ気がする。
「お待たせしました」
しばらくすると、パン屋のおやじは「人目につきたくない訳ありの上客」のために、上階奥にある宿屋の貴賓室に案内した。
「お二人がここで何をしようと詮索はしません。それが当店のルールですから」
「やけどの治療だぞ」
「そういうことにしておきましょう。それでは、どうぞごゆっくり」
「ちょ、待っ……」
私とリッシュモンを残して、背後のドアがしまった。
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