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第四章〈オルレアン包囲戦・開戦〉編
4.4 フランス軍の編成(3)アランソン公とジャンヌ・ドルレアン
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イングランドの脅威が迫る中、慌ただしい日々が続く。
本格的に開戦する前に、できるだけの対策をしておきたい。
戦いの準備だけではない。
例えば、戦争が差し迫っているとき、慶事ごとは戦前に済ませるか、戦後まで延期するものだ。
オルレアン公ことシャルル・ドルレアンの一人娘ジャンヌ・ドルレアンがアランソン公と結婚した。
この縁談は、シャルル・ドルレアンの強い願いで推し進められた。
いわゆる政略結婚だが、おそらくシャルル・ドルレアンの本心は、結婚を建前に一人娘を戦地となるオルレアンから避難させたかったのだろう。
「陛下、お久しゅうございます」
ジャンヌ・ドルレアンの母は、私の長姉イザベル王女だ。
つまり、私の姪でもある。
「父君の願いとはいえ、急な縁談ですまなかったね」
「いえ、とんでもございません!」
生まれてすぐに母と死別し、6歳の時に父と生き別れてから13年経つ。
実の両親よりも、継母で養母でもあるボンヌ・ダルマニャックと過ごした時間の方がはるかに長い。
「お父様の見立てた縁談に間違いはありませんもの!」
「ふふ、そうか」
19歳になった姪は、平和なオルレアンで養母に甘やかされて育ったようだ。
鼻息荒く縁談にのぞむ姪につられて、私も苦笑する。
「まあぁぁぁぁ……! 素敵な殿方ですこと……」
夫となるアランソン公は見目麗しい美男子で、面食いのジャンヌ・ドルレアンはひと目で気に入ったようだ。
見合いの釣書きによると、アランソン公はジャンヌ・ドルレアンと同い年で、ヴェルヌイユの戦いに従軍してイングランドの捕虜になった。
不幸中の幸いというべきか、幽閉中にシャルル・ドルレアンに気に入られ、娘との結婚と引き換えに、オルレアンが身代金を支払って釈放された。自由の身になったものの、アランソン公自身の領地はイングランドに占領されたままで、約束通り、ジャンヌ・ドルレアンと結婚することでオルレアンに身を寄せた。
アランソン公の本心はわからないが、ジャンヌ・ドルレアンは間違いなく夫にベタ惚れだった。
6歳の時に生き別れてから13年も会ってないというのに、シャルル・ドルレアンは愛娘が好むタイプを正確に理解しているようだ。私なんぞ、5歳になる一人息子のことさえよくわからないと言うのに。
ジャンヌ・ドルレアンは事あるごとに美しい夫を見つめ、アランソン公は妻の熱烈な視線に気づくと優しく微笑む。手を取り上げて唇を押し当てたり、顎を上向かせたり、赤らんだ頬をすりすりと撫でたり、耳元で何かをささやいたり……。私とマリー・ダンジューが結婚したときもこんな風だったかと、しばし思いを馳せるが、あまり覚えていない。
没薬も香油も炊いてないはずだが、甘酸っぱい空気が漂っている。
もし、ここにシャルル・ドルレアンがいたらどんな反応をしただろう。
微笑ましく見守るのか、やり過ぎだと怒るのか。
私はただの叔父なので、若い姪夫妻を見守るにとどめる。
王侯貴族の結婚は、個人の感情より政略が優先される。
そうだとしても、二人の相性がいいに越したことはない。
「幸せな二人に、神のご加護がありますように」
父親の代わりに結婚に立ち会い、祝福の言葉を送りながら、それでも私は王として酷なことも言わなければならない。
「戦況次第では、アランソン公もオルレアンに参戦してもらうかもしれない」
ジャンヌ・ドルレアンと結婚した以上、アランソン公は「オルレアン公の娘婿」として町を守る義務があった。高額な身代金を払ってもらった恩義もある。
「仰せのままに」
「御意」
即答されて、ちくりと胸が痛んだ。
浮かれているように見えるが、二人ともオルレアンの危機的な状況を理解している。だが、今しばらくは新婚生活を楽しみ、愛を育んでほしいと思う。
フランス軍の総司令官となったデュノワがオルレアンへ旅立ったのと入れ替わるように、アランソン公とジャンヌ・ドルレアン夫妻が宮廷にとどまることになった。名目上は、もうすぐ5歳になる王太子ルイの養育係としてだ。
ちょうどその頃、マリーは四年ぶり三度目の妊娠をしていた。
長男のルイは健やかに育っていたが、次男のジャンは生後1年ほどで亡くなった。王妃の妊娠は慶事のひとつだが、子を亡くした経験をすると、妊娠中の妻の体調に慎重になるものだ。
王妃マリー・ダンジューは良き妻であり、良き母でもある。
しかし、今は子育てに関わるよりも、マリー自身の心と体を最優先して欲しかった。
また、私は子守役の侍女——大侍従ラ・トレモイユの妻にある不信感を持っていたので、王太子の養育に別の人間を入れたかったからでもある。
本格的に開戦する前に、できるだけの対策をしておきたい。
戦いの準備だけではない。
例えば、戦争が差し迫っているとき、慶事ごとは戦前に済ませるか、戦後まで延期するものだ。
オルレアン公ことシャルル・ドルレアンの一人娘ジャンヌ・ドルレアンがアランソン公と結婚した。
この縁談は、シャルル・ドルレアンの強い願いで推し進められた。
いわゆる政略結婚だが、おそらくシャルル・ドルレアンの本心は、結婚を建前に一人娘を戦地となるオルレアンから避難させたかったのだろう。
「陛下、お久しゅうございます」
ジャンヌ・ドルレアンの母は、私の長姉イザベル王女だ。
つまり、私の姪でもある。
「父君の願いとはいえ、急な縁談ですまなかったね」
「いえ、とんでもございません!」
生まれてすぐに母と死別し、6歳の時に父と生き別れてから13年経つ。
実の両親よりも、継母で養母でもあるボンヌ・ダルマニャックと過ごした時間の方がはるかに長い。
「お父様の見立てた縁談に間違いはありませんもの!」
「ふふ、そうか」
19歳になった姪は、平和なオルレアンで養母に甘やかされて育ったようだ。
鼻息荒く縁談にのぞむ姪につられて、私も苦笑する。
「まあぁぁぁぁ……! 素敵な殿方ですこと……」
夫となるアランソン公は見目麗しい美男子で、面食いのジャンヌ・ドルレアンはひと目で気に入ったようだ。
見合いの釣書きによると、アランソン公はジャンヌ・ドルレアンと同い年で、ヴェルヌイユの戦いに従軍してイングランドの捕虜になった。
不幸中の幸いというべきか、幽閉中にシャルル・ドルレアンに気に入られ、娘との結婚と引き換えに、オルレアンが身代金を支払って釈放された。自由の身になったものの、アランソン公自身の領地はイングランドに占領されたままで、約束通り、ジャンヌ・ドルレアンと結婚することでオルレアンに身を寄せた。
アランソン公の本心はわからないが、ジャンヌ・ドルレアンは間違いなく夫にベタ惚れだった。
6歳の時に生き別れてから13年も会ってないというのに、シャルル・ドルレアンは愛娘が好むタイプを正確に理解しているようだ。私なんぞ、5歳になる一人息子のことさえよくわからないと言うのに。
ジャンヌ・ドルレアンは事あるごとに美しい夫を見つめ、アランソン公は妻の熱烈な視線に気づくと優しく微笑む。手を取り上げて唇を押し当てたり、顎を上向かせたり、赤らんだ頬をすりすりと撫でたり、耳元で何かをささやいたり……。私とマリー・ダンジューが結婚したときもこんな風だったかと、しばし思いを馳せるが、あまり覚えていない。
没薬も香油も炊いてないはずだが、甘酸っぱい空気が漂っている。
もし、ここにシャルル・ドルレアンがいたらどんな反応をしただろう。
微笑ましく見守るのか、やり過ぎだと怒るのか。
私はただの叔父なので、若い姪夫妻を見守るにとどめる。
王侯貴族の結婚は、個人の感情より政略が優先される。
そうだとしても、二人の相性がいいに越したことはない。
「幸せな二人に、神のご加護がありますように」
父親の代わりに結婚に立ち会い、祝福の言葉を送りながら、それでも私は王として酷なことも言わなければならない。
「戦況次第では、アランソン公もオルレアンに参戦してもらうかもしれない」
ジャンヌ・ドルレアンと結婚した以上、アランソン公は「オルレアン公の娘婿」として町を守る義務があった。高額な身代金を払ってもらった恩義もある。
「仰せのままに」
「御意」
即答されて、ちくりと胸が痛んだ。
浮かれているように見えるが、二人ともオルレアンの危機的な状況を理解している。だが、今しばらくは新婚生活を楽しみ、愛を育んでほしいと思う。
フランス軍の総司令官となったデュノワがオルレアンへ旅立ったのと入れ替わるように、アランソン公とジャンヌ・ドルレアン夫妻が宮廷にとどまることになった。名目上は、もうすぐ5歳になる王太子ルイの養育係としてだ。
ちょうどその頃、マリーは四年ぶり三度目の妊娠をしていた。
長男のルイは健やかに育っていたが、次男のジャンは生後1年ほどで亡くなった。王妃の妊娠は慶事のひとつだが、子を亡くした経験をすると、妊娠中の妻の体調に慎重になるものだ。
王妃マリー・ダンジューは良き妻であり、良き母でもある。
しかし、今は子育てに関わるよりも、マリー自身の心と体を最優先して欲しかった。
また、私は子守役の侍女——大侍従ラ・トレモイユの妻にある不信感を持っていたので、王太子の養育に別の人間を入れたかったからでもある。
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