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第三章〈大元帥と大侍従〉編

3.17 オデット・ド・シャンディベールの遺言(3)

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 庭園の片隅で、マルグリットとアニエス・ソレルがきゃあきゃあと押し問答をしている。

「いいじゃない。王妃さまも歓迎するとおっしゃってるんだから!」
「だめだってば! そんなに単純な話じゃないんだから」
「じゃあ、タロット占いはハズレなの? お兄ちゃんのことキライ?」
「もう、そういうことじゃないの!」

 少女たちの戯れを見守りながら、マリー・ダンジューが私に耳打ちした。

「アニエスの身の安全のためです」
「どういう意味だ?」

 今回の件で、アニエスは「王妹の親友」として、王である私と面識ができた。
 アニエス自身は無欲な善人だが、彼女を解放すれば敵方に狙われる可能性がある。

「マルグリットの証言で、ブルゴーニュ派が今も陛下の暗殺を計画していることが明らかになりましたでしょう? オデット・ド・シャンディベールは危機を知らせようとして、反逆者となり処刑されかけた……」

 オデットを救えなかったことは痛恨の極みだ。
 マルグリットは明るく振る舞っているが、抱きしめた時に触れた手はあかぎれで荒れていて、これまでの暮らしぶりが察せられた。妹を庇護し、王妹として認知することは、オデットの遺志にかなうはずだ。
 宮廷の女性たちを差配するのは王妃の務めだから、妹を快く受け入れてくれたマリーに感謝を伝えた。

「そして、あの少女も」

 さらに、マリーは、アニエスの身柄もこちらで引き受け、宮廷で守った方が良いのではないかと進言した。

「美しい少女ね」
「そうだな」

 シャルティエは恋だというが、私にはよくわからない。
 美しいと思ったのは事実だから、そう答えたまでだ。
 マリーは黙したまま目を細め、扇を広げて口元を隠した。微笑んでいるようだが、怒っているようにも泣いているようにも見える。何か言いたいことがあるのかと聞こうとしたが。

「あいつキライ!」

 子守の侍女——ラ・トレモイユの妻に付き添われた長男のルイが、不機嫌を通り越して怒りの声を上げた。少女たちの黄色い声が癇に障ったのだろうか。

「びっくりした……」

 無口な子だと思っていたので、唐突な発言に驚きはしたが、ちゃんと喋れることに少し安堵した。滑舌も悪くない。いい声だ。

「やっと声を聞かせてくれたね」

 抱き寄せてなだめようとしたが、ルイは「パパもキライ!」と叫ぶと、私の腕をすり抜けてマリーの背後に逃げてしまった。

「まぁ、父上に何てことを……!」

 私よりもマリーの方がショックを受けたようで、ルイを前に出そうとしたが、母親のドレスの裾をぎゅうっと握りしめて抵抗した。
 私はその場でしゃがんで目線を下げた。アンジュー家の義弟たちと仲が良かったから、子供の扱いには慣れているつもりだった。

「じゃあ、ルイはママが好きなのか?」
「ママもキライ」
「えぇ……、そんなにしっかり抱きついているのに?」
「ぜんぶキライ……」

 はじめ、マリーは動揺したが、手当たり次第に「きらい」と言っていることがわかり、私たちは顔を見合わせて苦笑した。きっと小さい子供特有の癇癪なのだろう。そうと分かれば悪態も可愛いものだ。

 こうして、アニエス・ソレルは侍女として宮廷入りすることになった。
 建前は、王妹マルグリット・ド・ヴァロワの友人兼侍女として。本当の目的は、アニエス・ソレル自身を守るため。彼女の身辺を守るためでもあるが、イングランドとブルゴーニュに対する防衛・防諜のため、政略的な意図もあった。

 異母妹との再会は嬉しかったが、喜んでばかりもいられない。
 今回の一件で、逆スパイがいることがわかり、ブルゴーニュ公との関係修復も今のところ見込みがないと判明した。調略の首尾はいいとは言えず、先行きは暗い。空を見上げると暗雲が立ち込め、西から黒い飛翔が近づいてくるのが見えた。

「コルネイユが来たか」

 ロンドン塔に幽閉されている従兄シャルル・ドルレアンからの密書だ。
 クレルモン伯をはじめ、側近も立ち会いながら賢い大鴉を迎え入れ、密書を開封した。シャルル・ドルレアンは詩人でもあるので、余裕があるときはちょっとした韻文詩を書き添えてくるのだが、今回は筆跡が乱れていた。

「オルレアン公はなんと?」

 私の表情が険しくなっていくのを見かねて、クレルモン伯がたずねた。

「……イングランドの宮廷で、フランス侵攻を再開する軍事予算が可決されたという知らせだ」

 ベッドフォード公が帰国したのは宮廷闘争を仲裁するためだといわれていたが、やはりそれは口実にすぎなかった。

「また、戦争が始まる」

 ある程度予想していたとはいえ、気が重い。
 ヴェルヌイユの戦い以来、戦場の中心はロワール川の下流——イングランドの軍事拠点があるノルマンディー、私が少年時代に養育されたアンジュー、そしてブルターニュだったが、今度の標的はオルレアンになりそうだと記されていた。

「オルレアン公の心痛はいかばかりか……」
「くそっ、イングランドめ!」

 クレルモン伯が皮肉ではなく、ストレートな悪態をつくのはめずらしい。
 シャルル・ドルレアンは、その名があらわす通りオルレアンを統治する領主でオルレアン公だが、ロンドン塔に十三年も幽閉され、故郷の危機に成す術もない。クレルモン伯の父、ブルボン公も同じ立場だから他人事ではないのだろう。

「オルレアン公が出陣できないなら、まさか……」
「デュノワはシャルル・ドルレアンの異母弟だ。この密書と同じ内容か、それ以上の知らせが届いているはずだ」

 クレルモン伯がはっとする。

「あいつが指揮官に……?」

 デュノワ宛ての知らせには、防衛手段の指示や、指揮官の指名などが記されていると考えられる。領主であるシャルル・ドルレアンの意向を尊重したいが、十三年の空白期間は心許ない。デュノワに兄の名代が務まるのかもわからない。
 この場でクレルモン伯にブルボン軍の参戦を要請し、彼は快く引き受けてくれた。とはいえ、当のクレルモン伯もほとんど初陣に近い。

 以前オルレアンを訪問した時に見た都市の規模や周辺の地理を思い浮かべる。おそらく、野戦よりも包囲戦が中心になるだろう。

「ブルゴーニュ公の動向も気になる。イングランド陣営で参戦するなら、フランスと和解する可能性はゼロだ」

 15世紀当時、読者諸氏の時代よりも人の命は軽いが、人道的なルールがないわけじゃない。
 例えば、「領主が敵方の捕虜になっている場合は領地を攻撃しない」という暗黙のルールがあったが、イングランドはあからさまにそれを破ろうとしている。

 私は戦争も流血も嫌いだが、ふつふつと怒りが沸き上がるのを感じていた。

 イングランドの現王朝、ランカスター家は王位簒奪から始まった。慣習や法を守らない前科があったし、ブルゴーニュ無怖公も同じタイプだった。
 今のブルゴーニュ公フィリップは善良公と呼ばれているが、オルレアン攻撃に乗っかるつもりなのだろうか。






(※)第三章〈大元帥と大侍従〉編、完結。

オデット・ド・シャンディベールとマルグリットがたどった経緯と、シャルル七世がオルレアン包囲戦の少し前に異母妹を保護し、王妹として認知した話はおおむね史実通りです。

シャルル六世とイザボー王妃とブルゴーニュ公がさんざん利用して切り捨てたこの母子を、次代のシャルル七世が探し出して保護した(オデットは間に合わなかったけど)ことから見ても、シャルル七世は冷徹非情な暗君ではないと思うんだよなぁ…。

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