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第三章〈大元帥と大侍従〉編
3.14 シャルル七世と異母妹(3)証拠
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謁見の間にて。
二人の女性が進み出て、玉座の前でひざまずいた。
フードを目深にかぶっていて顔が見えない。もどかしい。
とはいえ、10年ぶりだから、顔を見てすぐに認識できる自信もないが。
「遠いところをよく来た」
「は、はい……」
「見せたいものがあるのだろう?」
事前に対面したクレルモン伯によると、私の妹であると証明するしるしがあるらしいのだが、取り上げられることを恐れているのか、「兄王本人にだけ見せます」と言い張り、見せなかったらしい。
クレルモン伯は小声で「陛下が会いたいと望まなければ門前払いするところです」と懸念を示した。証拠を見せると言って私に近づき、凶器を向けられる恐れがあるからだ。
「顔を見せて。もっと近くにおいで」
「はい……」
フードを下げると、うるんだ瞳と目があった。
唇を震わせて泣くのを堪えている。少女らしさの残るまだ若い女性だ。
こちらが異母妹マルグリットに違いない。
やや腰を落としながらゆっくりと進み出て、ポケットから何かを取り出そうとしている。おそらく、彼女が主張する証拠品だろう。
もう一人の女性は顔を伏せてひざまずいたまま、控えの侍女のように動かない。玉座に近づく気配はなかった。
感動の対面だが、護衛たちの緊張が高まっているのがわかる。
注意を払うべき人物が分散したため、どちらを警戒するか迷い、瞬時に目くばせし合っている。護衛隊長がうまくまとめてくれるだろう。
私のかたわらに控えるクレルモン伯も、刺繍を凝らした洒落たウプランドの下に薄手のチェーンメイルを身につけ、長い袖の下では手にガントレットを嵌め込んでいる。万が一、凶器が振るわれた時に、王の盾になるつもりでいるのだ。
「あの頃の私はまだ幼くて、兄の顔をよく覚えてません。母がお世話をしていた王様はその人のことを『小姓』と呼び、母は『王太子さま』と呼んでいました。本当の素性は、私にはわかりません……」
少女は、取り出したものを両手で差し出した。
「兄との思い出の品はこれだけです。私が『お兄ちゃん』と呼んでいた王子様はこれをくれました」
少女の手の中に、みすぼらしい羽根があった。
元はと言えば、美しく着色された大きな羽飾りだったのだろう。
色褪せた貧相な羽飾りが数本ほど取り巻き、その中央に、がらくた同然の木片があった。小さな金具が差し込まれている。羽飾りと木片は古びているが、金具が錆びていないので、今も大切に手入れをしているのだろう。
「ここの細工をひねると、ほら。音が鳴るんです」
謁見の場には不釣り合いな、かわいらしい音が鳴った。
まるで小鳥のさえずりのような——。
*
「きょうはマルグリットのために玩具をもってきたよ」
「あっ、とりさんのこえがきこえる!」
鳥笛にはさまざまな種類がある。
大鴉を手なずけたときは、けたたましい笛の音を使っていたが、小さな女の子を驚かせてしまわないように一番かわいらしい音が鳴る笛を持っていった。
「わたしにもかして」
「はい。ここを少しひねってごらん」
「ちょっとしかきこえない……」
妹の手は小さくて、ちょうどいい力加減で鳴らすことは難しいようだった。
「今度、ヴァンセンヌの森へ連れて行ってあげるよ。一緒に鳴らしてみよう」
「とりさんくる?」
「きっと来るよ。この笛をあげるから、上手に鳴らせるように練習しよう」
「うん! ママン、みてみてーかわいいでしょ。はねもつけたの!」
「ほら、マルグリット。お礼を言いなさい」
「おにいちゃん、ありがとう!」
オデットがたしなめると、マルグリットはたたたっと引き返してきた。
スカートの裾をつまむと、首をかしげながら一礼した。
*
色々なことがありすぎて、忘れていた記憶が瞬時によみがえる。
「マルグリット……!」
私は涙声でその名をつぶやくと、玉座から立ち上がり、高みから転げ落ちるように異母妹マルグリットに飛び付き、抱きしめた。
私が前触れなく飛び出したので、クレルモン伯は止める間もなかったようだ。
「よくぞ無事で……! ずっと探してた、ずっと気になってたんだよ!」
「本当にあなたが私のお兄ちゃんなんですね……」
「うん、うん……」
当時14歳の私は、妹の遊び道具兼アクセサリがわりにとバードコールを持っていき、少しでも見栄えをよくしようと帽子の羽飾りをむしって装飾品にしたのだ。職人が作った工芸品ではないから、とても不恰好で、それゆえにこの世にひとつしかない。
マリー・ダンジューは「人目を気にしないで泣いてもいい」と言っていたが、もはやクレルモン伯や護衛たちのことを気に掛ける余裕はなく、私は立場を忘れてべちょべちょに泣いてしまった。マルグリットも同じだ。涙ばかりか、少々鼻水まで垂れてしまうところが庶民育ちらしくて、ますます愛らしい。
兄妹でぐずぐず泣きながら顔を上げ、少し恥ずかしくなって、へへっと笑った。
「ああ、私の異母妹マルグリットで間違いない。クレルモン伯が証人だ」
「はっ、御意のままに」
「それからあなたも」
私は、マルグリットの肩越しに、後方で控えているもうひとりに声をかけた。
「よくここまで来てくれた、オデット殿!」
10年間の足跡はただならぬものであっただろう。
玉座に進み出なかったのは、体を痛めているせいかもしれない。
聞きたいことが山ほどあったが、今は無事を喜び、これまでの労をねぎらいたい。私は涙をぬぐうと、何の疑いも抱かずにもうひとりに近づいた。
「礼を言わせてほしい」
肩を抱いて身を起こすと、相手の顔を確かめずに抱きしめた。
「ひゃ……!」
「あ、お兄ちゃん、その子は……」
想像以上に華奢な手応えと、腕の中で聞こえた声に、私はうろたえた。
「えっ……」
あわてて体を離すと、ぶかぶかのフードがこぼれ落ちて、もうひとりの顔があらわになった。
(オデット殿じゃない……?)
オデット・ド・シャンディベールは生きていれば38歳になるはずだが、腕の中にいるのはマルグリットよりもさらに若い少女だ。
(えっ、誰……?)
慌てふためいたのは、人違いに驚いただけではない。
第一印象は、まるで、この世に舞い降りた妖精をつかまえたかのような——、雲のない夜空のような群青色の瞳に、星が瞬くようなきらめき、聡明さを感じさせる丸みを帯びた額、筋の通った鼻梁、真珠のような艶を帯びた白い柔肌、血色の良い頬とふっくらとした唇。化粧っ気はなく、着飾っているわけでもないのに目を奪われた。
彼女の名はアニエス・ソレル。
異母妹マルグリットの親友として、亡き母オデットの代わりにここまで付き添ってくれたのだった。
二人の女性が進み出て、玉座の前でひざまずいた。
フードを目深にかぶっていて顔が見えない。もどかしい。
とはいえ、10年ぶりだから、顔を見てすぐに認識できる自信もないが。
「遠いところをよく来た」
「は、はい……」
「見せたいものがあるのだろう?」
事前に対面したクレルモン伯によると、私の妹であると証明するしるしがあるらしいのだが、取り上げられることを恐れているのか、「兄王本人にだけ見せます」と言い張り、見せなかったらしい。
クレルモン伯は小声で「陛下が会いたいと望まなければ門前払いするところです」と懸念を示した。証拠を見せると言って私に近づき、凶器を向けられる恐れがあるからだ。
「顔を見せて。もっと近くにおいで」
「はい……」
フードを下げると、うるんだ瞳と目があった。
唇を震わせて泣くのを堪えている。少女らしさの残るまだ若い女性だ。
こちらが異母妹マルグリットに違いない。
やや腰を落としながらゆっくりと進み出て、ポケットから何かを取り出そうとしている。おそらく、彼女が主張する証拠品だろう。
もう一人の女性は顔を伏せてひざまずいたまま、控えの侍女のように動かない。玉座に近づく気配はなかった。
感動の対面だが、護衛たちの緊張が高まっているのがわかる。
注意を払うべき人物が分散したため、どちらを警戒するか迷い、瞬時に目くばせし合っている。護衛隊長がうまくまとめてくれるだろう。
私のかたわらに控えるクレルモン伯も、刺繍を凝らした洒落たウプランドの下に薄手のチェーンメイルを身につけ、長い袖の下では手にガントレットを嵌め込んでいる。万が一、凶器が振るわれた時に、王の盾になるつもりでいるのだ。
「あの頃の私はまだ幼くて、兄の顔をよく覚えてません。母がお世話をしていた王様はその人のことを『小姓』と呼び、母は『王太子さま』と呼んでいました。本当の素性は、私にはわかりません……」
少女は、取り出したものを両手で差し出した。
「兄との思い出の品はこれだけです。私が『お兄ちゃん』と呼んでいた王子様はこれをくれました」
少女の手の中に、みすぼらしい羽根があった。
元はと言えば、美しく着色された大きな羽飾りだったのだろう。
色褪せた貧相な羽飾りが数本ほど取り巻き、その中央に、がらくた同然の木片があった。小さな金具が差し込まれている。羽飾りと木片は古びているが、金具が錆びていないので、今も大切に手入れをしているのだろう。
「ここの細工をひねると、ほら。音が鳴るんです」
謁見の場には不釣り合いな、かわいらしい音が鳴った。
まるで小鳥のさえずりのような——。
*
「きょうはマルグリットのために玩具をもってきたよ」
「あっ、とりさんのこえがきこえる!」
鳥笛にはさまざまな種類がある。
大鴉を手なずけたときは、けたたましい笛の音を使っていたが、小さな女の子を驚かせてしまわないように一番かわいらしい音が鳴る笛を持っていった。
「わたしにもかして」
「はい。ここを少しひねってごらん」
「ちょっとしかきこえない……」
妹の手は小さくて、ちょうどいい力加減で鳴らすことは難しいようだった。
「今度、ヴァンセンヌの森へ連れて行ってあげるよ。一緒に鳴らしてみよう」
「とりさんくる?」
「きっと来るよ。この笛をあげるから、上手に鳴らせるように練習しよう」
「うん! ママン、みてみてーかわいいでしょ。はねもつけたの!」
「ほら、マルグリット。お礼を言いなさい」
「おにいちゃん、ありがとう!」
オデットがたしなめると、マルグリットはたたたっと引き返してきた。
スカートの裾をつまむと、首をかしげながら一礼した。
*
色々なことがありすぎて、忘れていた記憶が瞬時によみがえる。
「マルグリット……!」
私は涙声でその名をつぶやくと、玉座から立ち上がり、高みから転げ落ちるように異母妹マルグリットに飛び付き、抱きしめた。
私が前触れなく飛び出したので、クレルモン伯は止める間もなかったようだ。
「よくぞ無事で……! ずっと探してた、ずっと気になってたんだよ!」
「本当にあなたが私のお兄ちゃんなんですね……」
「うん、うん……」
当時14歳の私は、妹の遊び道具兼アクセサリがわりにとバードコールを持っていき、少しでも見栄えをよくしようと帽子の羽飾りをむしって装飾品にしたのだ。職人が作った工芸品ではないから、とても不恰好で、それゆえにこの世にひとつしかない。
マリー・ダンジューは「人目を気にしないで泣いてもいい」と言っていたが、もはやクレルモン伯や護衛たちのことを気に掛ける余裕はなく、私は立場を忘れてべちょべちょに泣いてしまった。マルグリットも同じだ。涙ばかりか、少々鼻水まで垂れてしまうところが庶民育ちらしくて、ますます愛らしい。
兄妹でぐずぐず泣きながら顔を上げ、少し恥ずかしくなって、へへっと笑った。
「ああ、私の異母妹マルグリットで間違いない。クレルモン伯が証人だ」
「はっ、御意のままに」
「それからあなたも」
私は、マルグリットの肩越しに、後方で控えているもうひとりに声をかけた。
「よくここまで来てくれた、オデット殿!」
10年間の足跡はただならぬものであっただろう。
玉座に進み出なかったのは、体を痛めているせいかもしれない。
聞きたいことが山ほどあったが、今は無事を喜び、これまでの労をねぎらいたい。私は涙をぬぐうと、何の疑いも抱かずにもうひとりに近づいた。
「礼を言わせてほしい」
肩を抱いて身を起こすと、相手の顔を確かめずに抱きしめた。
「ひゃ……!」
「あ、お兄ちゃん、その子は……」
想像以上に華奢な手応えと、腕の中で聞こえた声に、私はうろたえた。
「えっ……」
あわてて体を離すと、ぶかぶかのフードがこぼれ落ちて、もうひとりの顔があらわになった。
(オデット殿じゃない……?)
オデット・ド・シャンディベールは生きていれば38歳になるはずだが、腕の中にいるのはマルグリットよりもさらに若い少女だ。
(えっ、誰……?)
慌てふためいたのは、人違いに驚いただけではない。
第一印象は、まるで、この世に舞い降りた妖精をつかまえたかのような——、雲のない夜空のような群青色の瞳に、星が瞬くようなきらめき、聡明さを感じさせる丸みを帯びた額、筋の通った鼻梁、真珠のような艶を帯びた白い柔肌、血色の良い頬とふっくらとした唇。化粧っ気はなく、着飾っているわけでもないのに目を奪われた。
彼女の名はアニエス・ソレル。
異母妹マルグリットの親友として、亡き母オデットの代わりにここまで付き添ってくれたのだった。
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