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第三章〈大元帥と大侍従〉編

3.13 シャルル七世と異母妹(2)王妃の嫉妬

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 綿密に計画し、注意深く隠密行動したつもりだったが、やはり情報が漏れている。リヨンには先客がいた。

「ごきげんよう陛下」
「どうしてここに……」
「まぁ、そんなに驚いていただけるなんて!」

 こちらの気持ちも知らないで、マリー・ダンジューは「作戦成功ね」と微笑みながら、子守の侍女が連れているルイを抱き上げた。

「さあ、こちらへいらっしゃい。父上にお目にかかるのは何日ぶりかしらね」

 面食らっている私に、幼い息子を差し出した。

「たまには抱いてあげてくださいませ」
「あ、うん……」
「子供の成長は、わたくしたちが想像するよりずっと早いそうよ。あっという間に抱けなくなるわ」

 幼いと言っても、ことしの誕生日が来ればもう五歳になる。

「重くなったなぁ……」

 もちろん、いやな重さではない。我が子の成長を感じる幸福なひとときだ。
 普段、王として気を張っているせいか、子供の柔肌と体の温もりが心地よくてほだされそうになる。いつのまにか、赤子特有の甘いミルクの匂いはなくなっていた。かすかに犬の匂いがするのは、少し前まで庭園でお気に入りの子犬と戯れていたのだろう。
 その一方で、王としての私は、幼い子供を政略結婚の駒として考えている。そのことに罪悪感を覚える。

「パパだよ」

 前髪をかき上げておでこにキスをすると、ルイは嫌がるように頭をぶんぶんと左右に振った。
 拒絶された気がして、私は少し傷ついた。

「……パパのことは嫌いかい?」
「そんなはずないわ。あまり会いに来てくださらないから拗ねているのよ」

 マリーがフォローしてくれたが、ルイは私の腕から逃れようと体をよじり、母であるマリーに手を伸ばした。
 なすがままに、私はルイを返そうとしたが、マリーは息子の小さな手を包み込むにとどめ、そのまま私に抱かせた。

「人見知りをしているだけ。慣れればすぐに懐くから大丈夫よ」

 そう言われて、ルイの体勢を変えて抱き直す。
 なだめるように背中をぽんぽん撫でながら、マリーに尋ねた。

「どうやってここまで?」
「オーベルニュを通って先回りしました」
「なぜ、私がリヨンに向かっているとわかったんだ」
「忠実な臣下が、陛下の動向を教えてくれたのです」

 さては、クレルモン伯が計画を教えたのかと思ったが、違うと言う。

「忠実な侍女のひとりが、陛下がようだと忠告してくれたの」

 その言葉に面食らい、上ずる声で聞き返した。

「な、何だって?」
「陛下が秘密裏に女性と逢引きなさるようだと」
「誤解だ」
「あら、違うんですの?」
「いや、違わないが……」
「どっち?」

 違わないけど、マリーが想像するような後ろめたい相手ではない。

「オーベルニュから来たのか……」
「ラ・トレモイユの妻はオーベルニュに土地勘があるんですって」
「カトリーヌ・ド・トレーヌか」

 マリーはうなずいた。

 ラ・トレモイユの前妻ベリー公夫人の本名は、ジャンヌ・ドーベルニュ。
 オーベルニュはベリー公夫人の領地だが、ラ・トレモイユと結婚して共同統治となり、ベリー公夫人の死後、ラ・トレモイユの再婚で今やカトリーヌ・ド・トレーヌのものになっているようだ。

「わたくしは王妃として、陛下のお相手を見定める義務があります!」

 めまぐるしい思索をどう勘違いしたのか、マリーはめずらしく饒舌に言い訳をしている。

「私の相手を見定める?」
「わたくしは融通の効かない女じゃありませんのよ。政略結婚ですもの、他に恋人がいたからって全否定しないわ。ですが、素性の知れない悪女にだまされてはいけません。ええ、王妃の義務として、陛下のお相手をみておかなければ! それゆえに、こうして先回りして馳せ参じた次第です」

 吹き出しそうになるのを、どうにかこらえた。

「拗ねているのはルイじゃなくて、マリーじゃないか」
「それはどういう意味ですの……きゃ!」

 むきになるマリーが愛おしく感じられて、妻子をぎゅっと抱きしめた。
 母であるマリーの機嫌を代弁しているのか、ルイは怒ったようにほほを膨らませ、私を見上げて睨んでいる。明らかに不機嫌なのだが、ほっぺがぷにぷにしてかわいい。懐かれなくてもかわいいと感じるのは、父のさがというものだろう。

「そういうことか……」

 マリー・ダンジューは「高潔な令嬢、理想の王妃」と賞賛されているから、こういう言動はめずらしい。
 二人の反応があまりにもおもしろく、また可愛らしかったので、誤解されたままでもいいかと思ったが、自称・異母妹が刺客だった場合を考えると、事情を説明しておいた方がいいだろう。

「ぷくく……」
「なぜ、笑ってらっしゃるの?」
「いや、すまない。確かに、これから面会する相手を警戒するのは理にかなっていると思う」
「どういう意味ですの?」

 異母妹と思われる人物に会うこと、確証したら王妹として認知するつもりだということ、マリーにも紹介することをかいつまんで説明した。

「まぁ、そんなことが。わたくしは何も知らなくて……」
「王太子になってパリにいた一年間のことだから、マリーが知らないのも当然だ。妹だと確証できたら、父の代わりに認知して後ろ盾になりたいと考えてる」
「御意のままに。わたくしは陛下のご意向を尊重します」

 階級社会では庶子を見下す者も多い。実母のイザボー・ド・バヴィエールは、王弟オルレアン公の庶子であるデュノワを嫌っていたし、オデットとマルグリット母子の財産を取り上げ、父王の子だと認知もしなかった。
 だが、マリーは異母妹に同情し、兄妹の再会を邪魔しないようにと、ルイを連れて引き下がった。

「10年ぶりの再会でしょう? 人目を気にせず、存分に喜びを分かち合って! わたくしたちは遠くから見守っているから、陛下が泣いてもわからないわ」
「泣かないよ。子供じゃあるまいし心配無用だ」
「ふふ、そうですね」

 マリーは付き合いが長いから、私が本当は泣き虫だということを知っている。
 刺客だった場合に備えて、安全面からマリーとルイを同席させないつもりだったが、マリーはただ「兄妹の再会」の喜びを邪魔しないようにと考えて、身を引いたのだった。

(昔から変わらず、本当にいい子だなぁ。私の妻にはもったいないくらいだ)

 マリー・ダンジューは王妃としても母親としても、また一人の女性として見てもよくできた人で、もしかしたら母親のヨランド・ダラゴン以上に善良で聡明な人格者だった。そんな彼女を裏切ることなどありえない。
 口さがない人間は「シャルル七世は甲斐性なしだから地味な王妃ひとりで満足している」などと言っているらしいが、誹謗中傷のつもりだろうか。馬鹿馬鹿しいにも程がある。


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