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第三章〈大元帥と大侍従〉編

3.11 ペストと移動宮廷(2)スコットランド王の野望

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 時系列が前後するが、詩人アラン・シャルティエが持ち帰った「スコットランドとの同盟」について触れておこう。シャルティエの性癖からしても、絶対に外せない話だろうから。

「イングランド以上に遅れている辺境の島国と聞いてましたが、風評は当てになりませんね。宮廷改革が進み、国全体が生き生きとしています。フランスの使節団は、王族がたが総出になって好意的に迎えられました。中でも、マーガレット王女は、歓迎会で披露した私の即興詩をたいそう気に入ってくださり、フランス語を学んで早く来仏したいと仰せでした。ちょっと油断した隙に、熱烈なキッスまで賜りましてね……いやあ、参りましたよ」

 シャルティエは女性の話になると、オリーブオイルを直飲みしたかのように舌がつるつると滑らかになる。
 しばらく自由に語らせていたが、王女のキスと聞いて黙っていられなくなった。

「マーガレット王女は、まだ四歳と聞いていたのだが」
「あ、誤解です。やましいことは何もしてませんよ」
「当たり前だ。手を出していたとしたらただの処刑じゃ済まないぞ」
「と、とにかく! 私が申し上げたいことは——」

 シャルティエはごほんと咳払いすると、ようやく本題に入った。

「王女様は愛らしく、実年齢以上に聡明で、私の詩をきっかけにフランスの宮廷文化を気に入ってくださったようです。幼いながら、王太子妃にふさわしい御方とお見受けしました」

 臣従、あるいは同盟関係の証として、君主の子供同士が婚姻を結ぶ。
 いわゆる政略結婚だ。

 自由恋愛を謳歌する時代の読者諸氏からすれば、酷だと思うかもしれない。
 だが、王侯貴族の結婚は外交政策そのもので、国家の安寧にかかわる重要事項だ。
 当事者二人の相性はそれほど重視されなかったが、まともな人間なら「夫婦お互いに国を背負っている」と理解しているから、配偶者を邪険にすることはしない。

 フランスとスコットランドの「古き同盟」復活の証として、私の長男で王太子のルイと、スコットランド王ジェームズ一世の長女マーガレットを結婚させることが決まった。ルイは五歳で、マーガレット王女は四歳だ。
 二人とも幼すぎるため、当面は婚約関係だが、がすでに「フランスに好意を抱いている」というのは幸先がいい。政略結婚といえど、二人の相性が良いに越したことはない。

「何はともあれ、このご時世だ。スコットランドとの同盟復活は大手柄だよ」
「ははっ! お褒めにあずかり光栄です」

 マーガレット王女の両親——スコットランド王ジェームズ一世とジョウン王妃は、王侯貴族では珍しい恋愛結婚で、しかもジョウン王妃はヘンリー五世とベッドフォード公のいとこ、つまりイングランドの王族だ。
 フランスとスコットランドは古来から同盟関係を結ぶ友好国だが、ジェームズ一世は王妃に配慮して「親イングランド」を表明し、フランスとは敵対までいかなくても距離を置くと思われていた。

「スコットランド王は、王太子時代にパリ留学できなかったことを今も残念に思っておいでのようでした。ですから、マーガレット王女をフランスに送り出すことは、叶わなかった夢の実現でもあるのでしょう」

 1406年、ジェームズ一世が王太子だったころ、パリの宮廷に留学へ向かう海上でイングランドに襲われて拉致された。
 11歳の王太子は、戦時下の捕虜・罪人ではないためロンドン塔送りにはならなかったが、ウインザー城に幽閉され、ヘンリー四世も、次代のヘンリー五世もスコットランドに莫大な身代金を要求した。
 父王はショックのあまり急死し、叔父が摂政としてスコットランドで実権を握った。

 のちに英仏の対立が深まった影響で、イングランドの対スコットランド政策が和らぎ、ジェームズ一世はウインザー城で厚遇され、イングランド風の宮廷教育を受けて成長した。
 ヘンリー五世のいとこジョウン・ボーフォートに美文のラブレターを送って求婚し、王家からも結婚を認められ、すっかりイングランド色に染まったころ、ようやくスコットランドへの帰国が許された。拉致から18年が経っていた。

「……長年イングランドで厚遇され、宮廷教育を受けたとしても、海上で襲われて拉致された屈辱は消せないようです。スコットランド王は『敵方に捕らわれたときに従うふりをするのは処世術の基本だ』と笑っておいででした」

「なるほど。スコットランド王は狡猾で胆力のある好人物と見受けられる」
「まさしく、そのような御方です」

 スコットランド王ジェームズ一世は同盟締結と同時にフランスに大規模な援軍を送り、イングランドへの対抗姿勢を鮮明にした。
 イングランドとしては、隣国スコットランドが「味方ではない」状況下で、フランスに大軍勢を送ることはできない。普通に考えれば、これ以上のフランス侵攻を断念すべきだし、そうなってほしいと私は願っていた。

 しかし、この同盟は、ベッドフォード公の憎悪をますます煽る結果になった。



 ……少々難しい話をしすぎているようだ。
 イングランド情勢とオルレアン包囲戦に至るいきさつについては、次章に後回しにしよう。



「ところで、シノン城からずいぶん離れてしまいましたが」

 ポワティエからシノンへ引っ越す途中だったが、神聖ローマ帝国へ派遣するシャルティエを見送る名目で、本来のルートから離脱。こうして馬車の中で、非公式な密談をしている。

「陛下はこのあとどちらへ?」
「ドーフィネに行く」
「えぇっ! ちょっと寄り道するような距離ではありませんよ!」

 ポワティエから見て、北に少し行くとシノン城がある。
 神聖ローマ帝国はずっと東で、王太子領ドーフィネはフランス南東部に位置する。アンジュー家が保有する飛び地の領地プロヴァンスの手前にあるので、それほど遠い気がしないが、フランス全体から見れば辺境といえる。
 近距離用の馬車でドーフィネまで行くのは難しいので、途中で、旅行用の大きい馬車に乗り換えるつもりだ。

「プロヴァンスもドーフィネも、暖かくていい所だよ」
「私みたいな忠臣をこき使っておきながら、陛下はペストが蔓延する宮廷を離れてバカンスとは……、まったくいいご身分ですね」
「実は、秘密の待ち人がいるんだ」
「……女性ですね?」

 詩人の直感か霊感か、あるいは本能だろうか。
 私が返事をする暇もなく、がばりと前のめりになって迫ってきた。

「ちょ……、近い近い!」
「ドーフィネで、美・女が待っているんですね?!!!」

 スコットランド帰りの疲れを感じさせるどころか、ますます元気になり、「忠臣アラン・シャルティエの名にかけて!」と叫ぶと、次のように宣言した。

「外国であろうと辺境であろうと、どこまでも陛下のお供をします。連れていってください!!」

 シャルティエが美女の気配を感じたときの豹変ぶりは、初めて会ったときからまったく変わっていないのだった。


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