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第三章〈大元帥と大侍従〉編

3.10 ペストと移動宮廷(1)詩人とランデブー

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 スコットランドに派遣していたアラン・シャルティエが帰国した。

「ああ、シャルティエ! 待っていたよ」
「陛下みずから出迎えてくださるとは、かつての塩対応が嘘のよう!」
「間に合ってよかった!」

 訳あって宮廷が慌ただしいため、玉座を備えた謁見用の広間ではなく、客間に酒席を用意した。
 長旅の労をねぎらい、とっておきの酒杯をすすめる。

「これは美味……、ジュニパーベリーで香り付けした蒸留酒ですね」
「今、宮廷でも城下でもこれが一番飲まれているんだ」
「何ですと!!」

 ジュニパーベリーは代表的な薬草で、ジンと呼ばれる香辛料でもある。
 病院を兼ねた修道院では、くちばし型マスクの中にジュニパーベリーを詰めた修道士たちがペスト患者の治療に当たっているし、香り付けした蒸留酒は「薬酒」としてよく飲まれた。

「この酒が流行っていると言うことは、つまり……」
「察しがいいな」

 大侍従が、くちばし付きの特殊なマスクを持ってきた。

「城下町に外出するときは、これを装着することを勧める」
「ペ、ペペペ……」
「シャルティエにもひとつあげよう」
「ください!!」
「使い方は知ってる? くちばしの先に新鮮な薬草を詰めるんだ」

 このころ、シャルル七世が統治するはポワティエを拠点としていたが、ペストが流行する兆しが見られたため、北の郊外にあるシノン城に移ることが正式に決まった。
 移動宮廷の準備で慌ただしくなっていたというわけだ。
 そもそも、読者諸氏の時代と違って「都の所在地」は厳密に決まっていない。

「行き違いになる前に会えてよかった!」
「うぅ、ペストが流行っているなら、もう少しスコットランドに長居すればよかった……」
「今のところ、宮廷で感染者は出ていない。城下町の一部を封鎖しているくらいだ」

 シャルティエは狼狽えていたが、宮廷を移動する根拠として「ペスト流行」は都合が良かった。





 シャルティエをともなって、ポワティエを離れた。
 馬車に乗りこんで、薬草入りくちばしマスクを装着し、移動中も感染地域を避けた。

「陛下はペスト禍の最盛期をご存知ないでしょう!」
「生まれてなかったからね」
「ヨーロッパ中が黒ずんだ死体だらけで、滅んだ村もあるとか。ああ、おそろしい!」

 ペストが猛威を振るったのは父の時代だ。
 私が物心ついた頃にはだいぶ収まっていたが、当時を知る人たちは震え上がった。
 町を出たところで、くちばしマスクを外す。シャルティエも私に倣っておそるおそる外した。

「ふう、息苦しいな」
「感染するよりマシです」
「話をするときには邪魔だよ」

 都合よく人払いもできた。
 スコットランドを往復する道すがらでシャルティエが得た情勢を直接聞きたかった。
 また、移動宮廷の準備でラ・トレモイユの監視が緩んでいる隙をついて、新たな任務を頼みたかったのもある。

「最近の情勢ですか……」
「悪い知らせでも構わない。忌憚のない話を聞かせてほしい」
「やれやれ。近頃のシャルル七世陛下は人使いが荒いと噂ですが、どうやら嘘ではないようですね」

 詩人の舌鋒は鋭く、皮肉を言われてしまった。

「すまないと思っている。宮廷はいつも人材不足で、その中で信用できるのはひと握り……。中でも、詩人アラン・シャルティエの文才は唯一無二で、代われる人間は他にいないんだ」
「信頼していただけて光栄です。陛下のためなら労力を惜しみませんが、帰国して早々にペスト禍に巻き込まれるとは……」

 車窓をちらりと見る。

「拉致されるとは思いませんでした」
「勘がいいな」

 シノン城に移動すると見せかけて、私とシャルティエが乗った馬車は途中で隊列を離れて東へ進んだ。

「拉致というほどではないよ」
「では、ランデブーということにしましょうか」

 詩人らしい軽妙な口調が戻ってきた。

「スコットランドから帰国して、休む間もなく付き合わせて申し訳ない」

 ラ・トレモイユがいない隙に、ある任務を頼みたかった。

「陛下に泣きつかれたら断ることはできませんからね」
「ありがとう!」
「見返りに、今度美女を紹介してください。詩のインスピレーションを掻き立ててくれそうな、とびっきりの美女を!!」

 相変わらず、ぐいぐい来る奴だ。
 昔の私はずいぶん引いたものだが、もうこのノリに慣れた。

「わかった。探しておく」
「それでは、次の任務をお聞かせください」
「神聖ローマ帝国のジギスムント皇帝に宛てて、手紙を書いて欲しい」

 ベッドフォード公がイングランドに戻り、フランスは束の間の休戦状態だったが、ロンドンの宮廷で大がかりな戦費と兵力を調達していることは、シャルティエに聞くまでもなく、私もすでに知っていた。
 そう遠くないうちに、大攻勢を仕掛けてくることは明らかだった。

「神聖ローマ帝国に援軍要請ですか。今はあちらもフス派と交戦中で、フランスに介入する余裕はなさそうですが」
「逆だ。介入を頼まれた」
「えぇっ! フランスこそ、他国の戦争に介入している余裕はないでしょうに」

 フランスとイングランドの戦いと並行して、神聖ローマ帝国では「フス戦争」と呼ばれる宗教戦争が勃発していた。神聖ローマ帝国では、ジギスムント皇帝ご自慢の騎士団と同盟軍に加えてローマ教皇庁の十字軍まで動員して鎮圧しようとしたが、首尾は芳しくない。
 二国間の戦争でも、王侯貴族と民衆の紛争でも、本来ならローマ教皇が仲裁するのが筋だが、フス戦争ではそうもいかない。
 そもそも、教会組織の腐敗を批判していたプラハ大学の学長ヤン・フスは、ジギスムントに招待されて教皇が主催するコンスタンツ公会議に出席し、騙し打ちのような形で拘束・幽閉され、異端審問を経て火刑に処された。フスの支持者たちは激昂し、神聖ローマ皇帝およびローマ教皇に対して戦争を仕掛けた。

「もちろん、フランスは中立だ」
「賢明なご判断です」
「どちらかに肩入れするつもりはないが……」

 どんな勢力にも、好戦的な武断派と、厭戦的な穏健派がいる。
 戦いの激化を望まない穏健派が、中立を保つフランスに仲裁役を求めるのは自然ななりゆきだった。
 それに、立場上「中立」を表明しているとはいえ、私は生まれつき血なまぐさい事柄が苦手だったから、個人的には穏健派に共感していた。

「なるほど。フス戦争の状況と、陛下の意向はわかりました」
「皇帝と教皇の機嫌を損ねないよう、くれぐれも慎重な文面で頼む」
「お任せください。知性と情緒を兼ね備えた格調高い手紙を送りつけてみせましょう!」
「期待してるよ。……それに、将来、イングランドやブルゴーニュと和解するときが来たら、今度は皇帝と教皇が仲裁役になる。彼らには、今のうちに恩を売っておきたい」

 なお、シャルティエには言わなかったが、仲裁役を引き受ける見返りに、フスの穏健派から新型火砲を横流ししてもらう約束を取り付けた。戦争が終われば、いらなくなった武器が大量に市場に出回るから、事前に根回ししたというわけだ。
 とはいえ、すぐにフス終戦が実現するとは思えない。手始めに、宗教戦争を逃れる名目で砲手とその家族に偽名を与えてフランスに招き、火薬と金属加工の秘蔵レシピを教えてもらった。
 私は以前から「イングランドの長弓兵を打ち破るには、新型火砲の開発とそれらを運用できる砲手の確保」が必要不可欠だと考えている。
 フランスはいつも人材不足だったから、フス戦争の動向はまったく無関係でもなかった。

 かつて、イングランド王ヘンリー五世は、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立を煽りながら、同時にそれぞれを支援し、大きな利益を得ていた。
 私はフス戦争とは直接関係ないが、中立的な仲介者として立ち回り、フス派と神聖ローマ帝国の双方から間接的に見返りをもらっていた。
 時に、「シャルル七世はずるい」と言われるのは、こういう振る舞いのせいかもしれない。

 私は、戦争も流血も嫌いだ。
 だが、戦火の時代には、平和な時代であれば埋もれていた人材や技術が表舞台に登場する。生き残るために、命をかけて知恵を振り絞り、したたかに立ち回る——、それは、戦火に巻き込まれる民衆も、逃げることを許されない君主も同じだった。

 ちなみに、シャルティエがしたためた格調高い名文は、ジギスムント皇帝には理解できなかったようで、後日、もっと簡単で分かりやすい内容に修正して送り直す羽目になった。

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