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第三章〈大元帥と大侍従〉編
3.4 シノン城(3)
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城門の落とし格子が上がり、正面から入城した。
私が与えた城だから、いざとなれば隠し通路から侵入することも可能だが、敵対とみなされる行為はできるだけ避けたい。
ジル・ド・レは、ブルターニュ近郊にあるラヴァルの領主だ。
私の祖父・賢明王シャルル五世に仕えた名将ベルトラン・デュ・ゲクランの親族でもある。ゲクランは「鎧を着た豚」「ブロセリアンドの黒いブルドッグ」と呼ばれていたらしい。ちなみに、ブロセリアンドとは妖怪が住む森のことだ。
「顔に何かついてますか?」
「えっ」
いけない、立場より好奇心が勝ってじろじろ見すぎていたようだ。
ゲクランは優れた名将でありながら、いじりやすい容姿と人柄だったのだろう。逸話と二つ名は数え切れないほどある。他にも「レンヌからディナンまでで一番醜い」などと言われていたらしいが、ジル・ド・レは特筆に値するひどい容姿ではなかった。
「失礼。貴公があの名将ゲクランの末裔かと思うと感慨深くてね」
青みがかった漆黒の髪色は、陽光の下でも淡く透過することがなく、全体的に陰鬱な印象を漂わせている。色白のせいか、目の下のクマが目立つ。
眉間に深いシワが刻まれ、黒い目の中心には深淵な瞳孔がのぞく。
「あぁ、残念です。僕はゲクランの直系じゃないんです……」
申し訳なさそうに眉尻を下げた。
正確に言うと、ジル・ド・レは、ゲクランの姪の曾孫だった。
「名将の血がほんの少し混ざっているらしいですが、ゲクランの一族とは疎遠でして」
ジルは幼いころに両親を亡くし、祖父に引き取られた。
名将の子孫としてではなく、昔気質の気味の悪い迷信と暴力的な躾を叩き込まれて育ったという。
「親族の話によると、僕は祖父に似ているそうです。ギー・ド・レという名をご存知ですか」
「いや、初めて聞いた」
「故郷のラヴァルでその名を知らない者はいません。ですが、祖父の武勇伝もフランス全体から見れば大したことないのでしょうね」
騎士道物語が流行して以来、地方ごとに郷土色豊かな「英雄譚」がいくつも生まれた。ジルの祖父ギーも、故郷ラヴァルで勇名を馳せているのだろう。
「ギー・ド・レとジル・ド・レ。覚えておこう」
国王らしく、そつのない返事で答えた。
「ところで、この城はリッシュモン大元帥に与えたはずなのだが」
「ブルターニュ公の弟君ですね」
「彼はどこにいる?」
「僕が城代だとお考えにならないのですか?」
ジル・ド・レの故郷ラヴァルはブルターニュ近郊にあるので、広い意味では同郷出身と言える。だが、かつてブルターニュ公位をめぐる継承戦争があったように、ブルターニュ貴族も一枚岩ではない。
「貴公は城代ではない。なぜなら、城壁にブルターニュの旗がなかったからだ」
「……やれやれ、軽率に旗をしまうべきではありませんでしたね」
「だが、敵ではない」
「もちろんです。フランス王に敵対する理由がありません」
「では、貴公の目的はなんだ?」
「先ほど、祖父ギー・ド・レのことを申し上げました。……ああ、祖父に命じられたのではありません。むしろ逆です。祖父から逃れて自立するため、さる人物に仕えるためにこの城を占拠しました」
「貴公が仕えているさる人物とは誰だ?」
ちょうど城の中庭に着いたところで、ジルが立ち止まった。
花が咲き乱れる庭園ではなく、鍛錬の場だ。ジルが持ち込んだのかリッシュモンのものかわからないが、あちこちに武具が備え付けられている。
「まっすぐいけば謁見の間です。右に礼拝堂、左に客間があります」
ジルは振り返ると、「どちらにご案内しましょうか」と尋ねた。
「僕と臣従契約を結んでくださるなら礼拝堂にお連れします。儀式を済ませたら謁見の間ですべてを話します。僕と臣従する気がなければ客人として精一杯もてなしますが、個人的な深い話まで打ち明けることはできません」
横に控えるデュノワ伯ジャンが何か言いかけたが、手で制した。
「訳あって、ここに長居するつもりはない」
「時間がなければ、力づくで聞き出すという選択肢もあります」
「……城門で、争うつもりはないと言ったはずだが」
「決闘は正当な裁きの手段です」
ジルは「代理決闘でも構いません」と言って、私の肩越しにデュノワを一瞥した。
「オルレアンの私生児、あなたもこういうの好きでしょう?」
名指しされて、デュノワがずいっと前に出てきた。
「俺が何者か知りながら煽るとは、なかなか度胸がある奴だ」
「陛下の御前試合をするのに、この中庭はちょうどいいと思いませんか」
「確かに。見たところ、いい武器も揃っていることだし」
「マントの下に武器をいくつも隠し持っているのにまだ足りないのですか」
「ジャンまで挑発に乗らないで欲しいな……」
私を無視して、二人は決闘のルールについて話し始めた。
武器を決められたものに限定するか、暗器を含めるかといった取り決めだ。
「ブーツの中にも何か仕込んでますね。あと袖の下にも」
「お、よくわかったな」
「透視能力です」
「えっ、ジルくんは服の中まで見えてるの?」
「魔術です」
「そういうのアリなの?」
「なんでもありのデスマッチでいきましょう」
決闘が既定路線になりかけたその時。
「誰かが見ている……」
堅牢な要塞は、出入りする人間を監視する場所が多数ある。
中庭に面した塔のひとつ、おそらく螺旋階段になっていて細い窓がある。そこから見下ろす視線を感じた。
「ああ、ここの女主人ですよ」
ジルが言った通り、まるで女王のような佇まいの貴婦人が侍女をはべらせながら現れた。
「リッシュモン伯爵夫人……と呼ぶのは失礼ですかね?」
ジル・ド・レに紹介されるまでもない。
城主のリッシュモンは不在のようだが、もうひとり、城主の代理になりえる人物がいた。リッシュモン夫人ことマルグリット・ド・ブルゴーニュ、無怖公の長女で元・王太子妃——私の兄ギュイエンヌ公の妻だった貴婦人である。
(※)複数の称号を持つ王侯貴族は、時期・立場によって呼び名が変わりますが、史実通りだとまぎらわしいので作中では作者ルールで呼び名を決めています。
(※)ジル・ド・レの本名はジル・ド・モンモランシー=ラヴァル。レ(Rais)は領地(称号)の名前です。
私が与えた城だから、いざとなれば隠し通路から侵入することも可能だが、敵対とみなされる行為はできるだけ避けたい。
ジル・ド・レは、ブルターニュ近郊にあるラヴァルの領主だ。
私の祖父・賢明王シャルル五世に仕えた名将ベルトラン・デュ・ゲクランの親族でもある。ゲクランは「鎧を着た豚」「ブロセリアンドの黒いブルドッグ」と呼ばれていたらしい。ちなみに、ブロセリアンドとは妖怪が住む森のことだ。
「顔に何かついてますか?」
「えっ」
いけない、立場より好奇心が勝ってじろじろ見すぎていたようだ。
ゲクランは優れた名将でありながら、いじりやすい容姿と人柄だったのだろう。逸話と二つ名は数え切れないほどある。他にも「レンヌからディナンまでで一番醜い」などと言われていたらしいが、ジル・ド・レは特筆に値するひどい容姿ではなかった。
「失礼。貴公があの名将ゲクランの末裔かと思うと感慨深くてね」
青みがかった漆黒の髪色は、陽光の下でも淡く透過することがなく、全体的に陰鬱な印象を漂わせている。色白のせいか、目の下のクマが目立つ。
眉間に深いシワが刻まれ、黒い目の中心には深淵な瞳孔がのぞく。
「あぁ、残念です。僕はゲクランの直系じゃないんです……」
申し訳なさそうに眉尻を下げた。
正確に言うと、ジル・ド・レは、ゲクランの姪の曾孫だった。
「名将の血がほんの少し混ざっているらしいですが、ゲクランの一族とは疎遠でして」
ジルは幼いころに両親を亡くし、祖父に引き取られた。
名将の子孫としてではなく、昔気質の気味の悪い迷信と暴力的な躾を叩き込まれて育ったという。
「親族の話によると、僕は祖父に似ているそうです。ギー・ド・レという名をご存知ですか」
「いや、初めて聞いた」
「故郷のラヴァルでその名を知らない者はいません。ですが、祖父の武勇伝もフランス全体から見れば大したことないのでしょうね」
騎士道物語が流行して以来、地方ごとに郷土色豊かな「英雄譚」がいくつも生まれた。ジルの祖父ギーも、故郷ラヴァルで勇名を馳せているのだろう。
「ギー・ド・レとジル・ド・レ。覚えておこう」
国王らしく、そつのない返事で答えた。
「ところで、この城はリッシュモン大元帥に与えたはずなのだが」
「ブルターニュ公の弟君ですね」
「彼はどこにいる?」
「僕が城代だとお考えにならないのですか?」
ジル・ド・レの故郷ラヴァルはブルターニュ近郊にあるので、広い意味では同郷出身と言える。だが、かつてブルターニュ公位をめぐる継承戦争があったように、ブルターニュ貴族も一枚岩ではない。
「貴公は城代ではない。なぜなら、城壁にブルターニュの旗がなかったからだ」
「……やれやれ、軽率に旗をしまうべきではありませんでしたね」
「だが、敵ではない」
「もちろんです。フランス王に敵対する理由がありません」
「では、貴公の目的はなんだ?」
「先ほど、祖父ギー・ド・レのことを申し上げました。……ああ、祖父に命じられたのではありません。むしろ逆です。祖父から逃れて自立するため、さる人物に仕えるためにこの城を占拠しました」
「貴公が仕えているさる人物とは誰だ?」
ちょうど城の中庭に着いたところで、ジルが立ち止まった。
花が咲き乱れる庭園ではなく、鍛錬の場だ。ジルが持ち込んだのかリッシュモンのものかわからないが、あちこちに武具が備え付けられている。
「まっすぐいけば謁見の間です。右に礼拝堂、左に客間があります」
ジルは振り返ると、「どちらにご案内しましょうか」と尋ねた。
「僕と臣従契約を結んでくださるなら礼拝堂にお連れします。儀式を済ませたら謁見の間ですべてを話します。僕と臣従する気がなければ客人として精一杯もてなしますが、個人的な深い話まで打ち明けることはできません」
横に控えるデュノワ伯ジャンが何か言いかけたが、手で制した。
「訳あって、ここに長居するつもりはない」
「時間がなければ、力づくで聞き出すという選択肢もあります」
「……城門で、争うつもりはないと言ったはずだが」
「決闘は正当な裁きの手段です」
ジルは「代理決闘でも構いません」と言って、私の肩越しにデュノワを一瞥した。
「オルレアンの私生児、あなたもこういうの好きでしょう?」
名指しされて、デュノワがずいっと前に出てきた。
「俺が何者か知りながら煽るとは、なかなか度胸がある奴だ」
「陛下の御前試合をするのに、この中庭はちょうどいいと思いませんか」
「確かに。見たところ、いい武器も揃っていることだし」
「マントの下に武器をいくつも隠し持っているのにまだ足りないのですか」
「ジャンまで挑発に乗らないで欲しいな……」
私を無視して、二人は決闘のルールについて話し始めた。
武器を決められたものに限定するか、暗器を含めるかといった取り決めだ。
「ブーツの中にも何か仕込んでますね。あと袖の下にも」
「お、よくわかったな」
「透視能力です」
「えっ、ジルくんは服の中まで見えてるの?」
「魔術です」
「そういうのアリなの?」
「なんでもありのデスマッチでいきましょう」
決闘が既定路線になりかけたその時。
「誰かが見ている……」
堅牢な要塞は、出入りする人間を監視する場所が多数ある。
中庭に面した塔のひとつ、おそらく螺旋階段になっていて細い窓がある。そこから見下ろす視線を感じた。
「ああ、ここの女主人ですよ」
ジルが言った通り、まるで女王のような佇まいの貴婦人が侍女をはべらせながら現れた。
「リッシュモン伯爵夫人……と呼ぶのは失礼ですかね?」
ジル・ド・レに紹介されるまでもない。
城主のリッシュモンは不在のようだが、もうひとり、城主の代理になりえる人物がいた。リッシュモン夫人ことマルグリット・ド・ブルゴーニュ、無怖公の長女で元・王太子妃——私の兄ギュイエンヌ公の妻だった貴婦人である。
(※)複数の称号を持つ王侯貴族は、時期・立場によって呼び名が変わりますが、史実通りだとまぎらわしいので作中では作者ルールで呼び名を決めています。
(※)ジル・ド・レの本名はジル・ド・モンモランシー=ラヴァル。レ(Rais)は領地(称号)の名前です。
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