7番目のシャルル、聖女と亡霊の声

しんの(C.Clarté)

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第0章〈正義の目覚め〉編・改

0.25 シャルル六世崩御(3)リッシュモンの結婚と出奔

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 この物語を読んでいる読者諸氏の時代——近ごろ流行りの小説に「没落令嬢」というテンプレ設定があると聞く。
 元王太子妃マルグリット・ド・ブルゴーニュの境遇はまさにそれだった。

「一体、どういうことですの……」

 権力を維持・拡大する方法はいくつかあるが、もっとも手っ取り早いのは政略結婚である。
 ヘンリー五世とシャルル六世の死後、イングランドの政略はこれまでの強硬手段から転換せざるを得なくなった。
 スコットランド王ジェームズ一世は、王太子だった少年時代にイングランドに拉致されて以来18年間も人質生活を送っていたが、ヘンリー五世の従妹ジョウンとの結婚を機にスコットランドに帰国した。
 スコットランド兵は私ことシャルル七世の主力になっていたから、スコットランド王家を懐柔して、フランスとの軍事関係を断ち切る意図があったのだろう。

 イングランド摂政のベッドフォード公は独身だったから、自分の結婚を政略の具にした。
 フランス統治を強固にするためには、内陸にある最大勢力のブルゴーニュ公と、海側のブルターニュ半島で半独立を堅持するブルターニュ公を味方にする必要がある。

 1422年当時、独身で適齢期だった四人に白羽の矢がたった。

 ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター、33歳。
 ブルターニュ公の弟アルテュール・ド・リッシュモン、29歳。
 ブルゴーニュ公の姉マルグリット、29歳。
 ブルゴーニュ公の妹アンヌ、18歳。

 マルグリット以外の3人は初婚だ。
 年齢差と身分・称号のバランスを考えると、年長同士のベッドフォード公とマルグリットを縁組みするのが筋だと思うが、ベッドフォード公は15歳も年下のアンヌを選んだ。

「王妃になれず、ギュイエンヌ公夫人の称号まで手放して、妹よりも格下の伯爵夫人になれと言うの……?」

 リッシュモンはイングランド王に臣従しており、また虜囚の身分でもある。選択肢はないも同然だ。
 リッシュモンとマルグリットは「残りもの同士」のみじめな縁組だった。

「いやよ、絶対にいや!!」

 マルグリットの貴婦人としての矜持は、これ以上ないほどに傷つけられた。
 王太后と取り巻きの前では耐え忍んだが、きょうだい相手なら別だ。

「誰ぞ! 今すぐ、弟をここへ呼びなさい!」

 マルグリットは元王太子妃のプライドをかけて抗おうとしたが、ブルゴーニュ公フィリップは姉の怒りを恐れたのか、自分の代わりに使者を寄越した。

「あの子、逃げたわね……」
「お許しください。閣下はご多忙ゆえ、代わりにご用件をお聞きします」
「いいこと! あの縁談はわたくしに対する侮辱に等しい。弟はブルゴーニュ公として『自分の声』で説明責任を果たすべきだわ!」

 元王太子妃マルグリットは、生まれながらに「次期フランス王妃」として育てられた。
 ある意味、ブルゴーニュ公を継承する嫡男フィリップよりも格上の扱いだったため、家族の前ではとりわけ気位きぐらいが高かった。

「許せないわ。父上が生きていらしたらただでは済まさないのに」

 先代のブルゴーニュ無怖公が死んでからすでに三年が経っていた。
 後継のブルゴーニュ公フィリップは、当初こそ「父を殺した王太子に復讐する」と息巻いていたが、しだいに歯切れが悪くなった。
 パリの宮廷でも、摂政の座をベッドフォード公に取られて、存在感は薄くなるばかりだ。

「次期王妃にふさわしい器量を身につけるために、わたくしは血の滲むような努力をしてきたわ。幼いころは厳しい父上の言いつけを守り、輿入れ後は王妃陛下の気まぐれな仕打ちにも耐えてきた。すべてはフランスとブルゴーニュのためだからと、何度も自分に言い聞かせて……」

 マルグリットはかつての宮廷生活を思い出して青ざめたが、口から紡ぎ出した言葉は止まらなかった。

「王妃になれなかったのはわたくしのせいじゃないわ!」

 マルグリットは22歳の若さで未亡人となり、故郷に帰された。
 王妃になれなかった元王太子妃の没落を嘲笑う者もいただろうし、同情する者もいただろう。
 本人の心中はわからないが、故郷では母と姉妹に囲まれて穏やかな生活を送っていたらしい。

「王太子殿下の御子を授からなかったのもわたくしのせいじゃない。夜の寝室まで見張られていたら、いくらお優しい殿下だってわたくしを避けるに決まっているわ! 父上も、弟も、妹たちも、どれだけわたくしが我慢してきたか考えたことあるのかしら……!」

 マルグリットは、亡き父を恐れていたが敬ってもいた。
 同時に、強引なやり方を愚かだと思っていた。

「父上より話がわかる子だと思っていたけど、期待できないわね」

 マルグリットは悲しげに目を伏せ、ため息をついた。

「ギュイエンヌ公夫人……」

 何か思うところがあったとしても、ただの使者が意見を述べたり、ましてや手を差し伸べることはできない。淡々と役目を果たすだけだ。

「閣下より手紙を預かってまいりました」
「あの弟が『閣下』とはね……」

 マルグリットは差し出された手紙を見下ろした。

「愚弟の手紙など読まないわ。持ち帰るか燃やしておしまい」
「そうはいきません。それに、この手紙の差出人は閣下ではありません」
「なんですって?」

 使者は主人の命令を遂行しているだけだ。手紙を突き返せば、使命を果たせず困るだろう。
 マルグリットは気位が高い貴婦人だが、愚かではない。「非礼があってはいけないから」としぶしぶ手紙を受け取り、開封した。
 差出人は、政略結婚の相手アルテュール・ド・リッシュモン伯。
 あの堅物騎士による、心づくしのラブレターだった。

「ま、まぁ……」
「立派な方です。騎士としても大変優れていると聞いています」

 使者はマルグリットをなだめるべく、言葉を添えた。

「知っているわ。はじめは祖父に仕え、次に父上に仕え、わたくしの輿入れに付き合って王太子殿下にお仕えしていたわね」

 マルグリットは昔を思い出すように、しばらく考え事をしていた。
 リッシュモンは領地を持たない伯爵位で、虜囚の身分でもあったから、この縁組に意見を挟む余地はない。

「お気の毒な方ね。高貴な血筋と、優れた能力を兼ね備えていながら何ひとつ思いのままにならない。わたくしと同じ……」

 誠実さを感じさせる、お手本のような恋文。
 逆に言えば、「書かされている」のは明らかだった。

「わたくしはもう恋にあこがれる小娘ではないの。上辺だけの甘い言葉はいらないわ」

 マルグリットは「わたくしとあなたでは身分が釣り合わない」と返信をしたため、リッシュモンの求愛を拒絶した。

「愚弟に伝えなさい。どれほど立派な方だとしても、二度と結婚するつもりはないと」
「ギュイエンヌ公夫人、どうかお考え直しください!」
「お務めごくろうさま。下がりなさい」

 マルグリットは破談を強く望んだ。
 しかし、その意志が省みられることはなく、表向きでも水面下でも駆け引きが続いた。
 意外にも、リッシュモンはこの縁談に乗り気だったようで求婚する手紙がいくつも届いた。

「そろそろ諦めて欲しいのだけど……」

 そう言いながらも、悪い気はしなかったようだ。
 生まれながらの「次期王妃」に求婚する者は、これまでいなかっただろうから。

「わたくし、諦めの悪い人はきらいよ。でも、本当に諦めが悪いのは誰かしらね」

 一年以上も先延ばした挙句、ついにマルグリットは根負けした。
 聡明な元王太子妃は、この縁組が政略として意味があると見抜いていた。
 高い教養の持ち主は、自分の心と体を縛り付けてしまう。弟や妹たちの手前、いつまでも駄々をこねる自分を恥じたのかもしれない。

「ブルゴーニュのため、フランスのため……。わたくしはそれ以外の生き方がわからない……」

 マルグリットのせめてもの抵抗か、それともブルゴーニュ公フィリップが姉を憐れんだのかわからないが、ひとつだけ条件をつけた。
 それは、リッシュモンの称号を格上げすること。
 リッシュモンが公爵に叙任されれば、マルグリットは少なくとも妹たちと同格の「公爵夫人」になれる。ベッドフォード公は、リッシュモンにトゥーレーヌ公の称号を与えた。

「『トゥーレーヌ公夫人』ならば、これまでの『ギュイエンヌ公夫人』や妹たちと同格だ。文句はないだろう」

 この決定に文句を言いたいのは私の方だ。
 私は王太子になった時にいくつか称号を授かった。トゥーレーヌ公はそのひとつだ。
 リッシュモンが「トゥーレーヌ公」の称号と領地を自分のものにするには、私と戦って切り取らなければならない。

「行ってこい、貴公の実力ならシャルルに勝つことなど造作もないだろう。領地を奪い、さらに命を奪ってこれたらもっといい」

 ブルゴーニュ公フィリップは、義兄となったリッシュモンに副官——戦時は盾持ち役、平時は書記として——ギヨーム・グリュエルを与えた。この男は筆まめで、上官リッシュモンの言動をつぶさに書き残した人物だ。
 もしかしたら、見張り役と伝令・内通者の役目もあったかもしれない。

「武運を祈る」
「はっ」
「それから、たまにでいいから姉を労ってやってほしい」
「……ふっ、まるで今生の別れですね」

 政略結婚で親族になった兄弟たちに見送られ、リッシュモンは新妻を連れて旅立った。
 ロワール川流域を行軍してトゥーレーヌ地方にたどり着くと、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンに合流した。

「お久しぶりです」
「ふふ、お待ちしていましたよ」

 元王太子妃マルグリット・ド・ブルゴーニュは知っていたのだろうか。
 リッシュモンはトゥーレーヌ公になるつもりはなく、ましてや戦う気もなかった。
 ヘンリー五世の死によって臣従の誓いから解放され、虜囚の身分からも抜け出し、さらに南下する口実を得て、堂々と私のもとへ現れた。これは、出陣ではなく出奔だったのだ。





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