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第0章〈正義の目覚め〉編・改

0.20 ヘンリー五世崩御(5)王位簒奪者

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 かつて、ヘンリー四世はリチャード二世を監禁・餓死させてイングランド王に即位した。
 息子のヘンリー五世と弟たちは、父のクーデターとは無関係だったが、たびたび「王位簒奪者」と陰口を言われていた。
 王侯貴族は血筋と大義、そして上下関係を重視する。
 アルマニャック派および、穏当な王位継承を望む諸外国は「血は争えない」という皮肉を込めて「簒奪者」と呼び、何かとイングランドを見下した。
 もはやイングランドの宮廷では禁句になっていたが、ブルゴーニュ派とパリの宮廷ではどうだったのだろうか。

「フランスもイングランドも面倒くさいことばかり。それよりリッシュモン、姉に会って行かないか」
「ブルゴーニュ公の姉君と申しますと?」
「長姉のマルグリットだ。元王太子妃として参列している」

 ブルゴーニュ公フィリップは上にも下にも姉妹が多い。
 長姉マルグリットは、私の兄ルイ・ド・ギュイエンヌ公の妃で、兄が生きていればフランス王妃になるはずだった女性である。
 リッシュモンとは同い年で、フィリップとともに幼なじみの一人だ。
 葬儀の翌年、アルテュール・ド・リッシュモン伯と元王太子妃マルグリット・ド・ブルゴーニュは結婚し、さらに翌年、二人は故郷を出奔して私の元へやってくる。

 さまざまな思惑を孕みながらも、ヘンリー五世の追悼ミサはしめやかに営まれていたが。

「外が騒がしいな」

 意外な弔問客の来訪で、聖堂はざわめいた。

「一体、何事だ。イングランド王たる兄の葬儀なのだぞ!」
「ふふふ、王太子が攻めてきたのかもしれなくてよ?」
「まさか!」

 追悼ミサに現れたのは、ヘンリー五世とベッドフォード公兄弟の叔父・エクセター公だった。
 親族が参列するのは何もおかしくないが、エクセター公はボージェの戦いでスコットランド兵が率いる王太子軍に捕らわれ、捕虜になっていた。

「叔父上ではありませんか!」
「ああ、ミサに間に合ってよかった」
「よくぞご無事で……」

 ヘンリー五世の一番上の弟クラレンス公は、ボージェの戦いで戦死している。
 わずか一年でイングランド王家の親族は激減していたため、エクセター公の帰還は思いがけない幸運だっただろう。

「兄を二人も亡くして苦労しただろう。これからは私も力を貸すぞ」
「叔父上、心強いお言葉です」

 甥と叔父は久しぶりの再会を祝して抱き合った。

「それにしても、王太子軍の規律はゆるいと見える。よく逃げて来れましたね」
「逃げてきたのではない。解放されたのだ」
「……は?」

 私はヘンリー五世の訃報を聞くと、イングランド王家の親族を解放するように命じた。
 ろくに身代金も取らずに、捕虜を解放することは珍しかったと思う。

「王太子め、何が目的だ……?」
「あの方は弔意を示すためだとおっしゃっていました」
「弔意ですと?」
「王太子にとって、姉カトリーヌの夫ヘンリーは義兄に当たるゆえ、弔意を示すために人質を解放すると仰せでした」

 イングランドは、アジャンクールの人質を長期間ロンドン塔にとどめて政略的に活用している。
 対照的に、私の捕虜政策はほぼ無条件と言っていい。
 これはかなり奇異に映ったようだった。

「シャルルめ、何が目的だ……」
「くすくす」

 ベッドフォード公が困惑していると、近くでしのび笑いが聞こえた。

「イザボー王妃、どうしました」
「うふふ、わからない?」
「シャルルの真意に思い当たることがあるならお聞かせください」
「んふふっ。あーはっはっは、いやだわ、あの子を恐れる必要ないのに。言ったじゃない、シャルルは馬鹿だって。駆け引きも政略も何も考えられない大馬鹿者。いいじゃない、王の器じゃないことを自ら証明してくれたのだから」

 母は、王太子の奇行をおもしろがった。
 ベッドフォード公は疑心暗鬼になり、何か裏があるのではないかと考えた。

「恐れながら、あの方はそれほど狡猾な人物ではないと思いまする」
「叔父上、気が触れましたか。王太子シャルルは我らの敵ですぞ」
「そ、そうであったな……」

 私は、エクセター公を伝令代わりに解放して、イングランドに「私の真意」を伝えようと試みた。

「言いにくいのだが、王太子から伝言を預かってきた」
「奴の伝言?!」
「解放と引き換えに伝言を伝えると神に誓ったのだ。使命を果たさせてくれないか」
「叔父上は、王太子に都合よく丸め込まれたのではありませんか?!」
「そ、そんなことはないぞ……」

 母に言われなくとも、私は王の器ではないと自覚していた。
 生まれつき力も気も弱くて、戦争や政争が好きではない。
 できれば、イングランド王妃となった姉カトリーヌとその子——ヘンリー六世は私の甥だ——と、王位をめぐって敵対する事態を避けたかった。

「んふふ、いいわよ。あの子はなんて?」

 私は母が思うほど馬鹿ではないが、秘策があった訳ではない。下心なら少々あった。
 イングランド王家の親族を解放して、もしエクセター公が私に恩義を感じてくれたなら、私のことも悪いようにはしないだろう。英仏間で和解のために働いてくれるかもしれないと考えた。

「では、代弁するぞ。ごほん。——フランス王太子シャルルは、英仏両国の秩序と平和を心から望んでいる。私が、父王シャルル六世の血を引く息子ではないと明白に証明されるならば、私は王位簒奪者であると認め、身分を返上する用意がある——と仰せであった」

 「王位簒奪」とは、継承資格がないもの、または継承順位の低いものが武力や政治的圧力で本来の継承者から王位を奪い取ることを意味する。

 トロワ条約を締結するとき、私の母イザボー・ド・バヴィエールは「シャルルは王の実子ではない」と仄めかしたと言われている。それが事実ならば、私に王位継承権はない。
 私はもともと王家の10番目の子で第五王子だ。王になる予定ではなかった。なりたいとも思わなかった。ふさわしい人物がいるならば、私は潔く身を引き、昔のように修道院で静かに暮らしたいと思った。
 しかし、私の謙虚な思いは伝わらず、ベッドフォード公は逆上した。

「図々しい王太子め……!」

 ブルゴーニュ公殺害をきっかけに、私はある種の人々——主にイングランドとブルゴーニュ派から、物騒で陰険で逃げ足の速い卑劣漢だと認識されていた。
 このときは、駆け引きをするよりも率直な本心を伝えたつもりだったが、「煽り」と受け取られたのだろう。

「実の母親から愛されるどころか、拒絶され、遠ざけられ、虐げられていた分際で、王位継承に口出しする資格はない! 父親が誰であろうとシャルルの継承権は認めない。フランス王位は渡さん、絶対にだ!!」

 ベッドフォード公は切れ者だが、フランス王位が関わると冷静さを欠くところがあった。
 ヘンリー四世・五世を指している文脈ではないのに、「王位簒奪者」と聞いただけで頭に血がのぼり、ランカスター王朝に対する侮辱と思い込んだ。
 和解とは程遠く、両国の平和と安定はますます遠のいた。

 かくして、私とベッドフォード公は宿敵となり、この先、何度も戦うことになる。


***


 ヘンリー五世はフランス・パリ郊外で死んだが、イングランド王家の霊廟ウェストミンスター寺院に葬られる。一国の王というより、まるで聖人の遺骸のように扱われ、信じられないほど荘厳な葬儀がおこなわれたらしい。
 王の遺体はフランスで防腐処置が施され、エクセター公がロンドンへ運ぶ任務についた。
 この処置のおかげで、ヘンリーは毒殺されたのではないかとささやかれた。

「ねぇ、カトリーヌとアンリはいつ帰ってくるのかしら?」

 イザボー王妃に問いかけられて、ベッドフォード公はすぐに理解できなかった。
 ヘンリー五世とキャサリン王妃——フランス王女カトリーヌの子・幼君ヘンリー六世。
 フランス風に呼ぶなら「アンリ」である。

「カトリーヌは夫に先立たれて未亡人になったわ。アンリを連れて、実家のフランスに帰るのが筋ではなくて?」

 イングランド王ヘンリー六世は、英仏連合王国の理論としてはフランス王アンリ二世となる。

「早く孫に会いたいわ!」

 フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールは孫がいるとは思えないほど、無邪気な少女のようにはしゃいでいた。

「あの子は——」
「いつ? ねぇ、いつになったら会えるの?」
「王はまだ1歳にもならない赤子です」
「わたくし、かわいい王子様が大好きなの。今度こそ絶対に逃がさないんだから!」
「長い船旅は、乳幼児には負担が大きすぎます」
「そんなことを言って、またわたくしから取り上げるつもり?!」

 淫乱王妃の豹変を目の当たりにして、ベッドフォード公はたじろいだが「万が一、幼君の身に何かあればまた王位継承が揺らぐ」ことを力説した。
 あえて口に出さなかったが、ヘンリー六世が夭折すればベッドフォード公自身が王位継承者になる。

(狂人と呼ばれているのは王妃ではなく、王の方だったはずだが)

 イザボー王妃は落ち着きを取り戻すと、柔らかな猫なで声ウイスパーボイスで、「あなたを信じるわ。絶対に死なせないでちょうだいね」とささやき、見るものの背筋が凍るような微笑みを浮かべた。






(※)ジャンヌ以前のシャルル七世の「謙虚な意志」は、ランカスター王朝成立の背景を考えると高度な煽り文(言い方!)として有効だと感じ、今回の話になりました。なお、ヘンリー五世がある交渉で王位簒奪者と罵られて(見下されて?)怒ったというエピソードならあります。

(※)エクセター公の解放について。エクセター公本人が「王族が立て続けに亡くなり、王家は人材難で緊急事態。叔父である自分が必要とされている」と直談判して、シャルル七世が解放を許可したようです。シャルル七世はこの件以外でも捕虜・虜囚に対して寛大な対応をする事例が多いです。イングランドとは対照的ですが、当時はシャルルのやり方の方が珍しかったと思います。

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