14 / 126
第0章〈正義の目覚め〉編・改
0.13 王太子の面影(2)
しおりを挟む
ブルターニュ公失踪について、王太子が関与しているという説がある。
ジャンヌ・ダルクの火刑をはじめ、よくない出来事を「シャルル七世のせい」にしようとする風潮があるようだ。
私は王太子時代に司祭の資格を取っているが、王は真の意味での「聖職者」にはなれない。
王の義務を果たし、王国の秩序を守るために、時には、心を殺し、手を汚して、身内や友を切り捨てる場面もある。
だが、この時期、ブルターニュ公を拉致監禁して私にどんなメリットがあるというのか。
「アルテュール、思い込みで犯人を決めつけてはいけない」
「兄上がそうおっしゃるならば、私は別に……」
「不服そうだな」
このころのリッシュモンは、現実で誰に仕えていたとしても真の主君は「兄」であった。
「アルテュールは王太子殿下に会ったことがあるのだろう? どのような方だった?」
「思い出したくありません」
「なぜだ?」
「幻滅したからです」
失踪中、何か心境の変化でもあったのか。
復帰したブルターニュ公は、アンジュー公未亡人ヨランド・ダラゴンを通じて王太子と同盟を結ぼうと画策していた。
「王太子の中傷をよく聞くが、先日会ったアンジュー公妃は賢夫人だ。その彼女が贔屓にしている王太子がどんな人物か知りたくてね」
ブルターニュ公は、弟の王太子評を聞きたがり、リッシュモンはしぶしぶ口をひらいた。
「貴族社会に慣れていない様子で、うかつな言動が少々。亡き王太子殿下……、兄君の手紙を読んで泣いていたのを覚えています」
「そうか。けなげだな」
「今はどうでしょう。陰険で粗暴で好色なバカ王子だとロンドンでも評判ですから」
「それで幻滅したのか」
「昔の印象は、純朴な可愛らしい王子です。成長して変わったのでしょう。あの宮廷なら無理もない」
実際、私本人とじかに対面した人物はわずかだった。
イングランド王とブルゴーニュ公と母妃イザボーは、王太子の実像が知られてないのをいいことに真偽の不確かな誹謗中傷を広めていた。
「噂は聞いているが、私は実像を知りたい。王太子本人とじかに対面した者は少ないのだ」
「私が会ったのは8年近く前です。兄上のお役に立てるかどうか」
「アルテュールが感じたことを教えて欲しい」
「そういえば、義姉上も王太子に会ったことがあるのでは?」
「14歳のときだ。王太子になったばかりで貴族社会に不慣れな様子だったとか」
「あまり変わってないな……」
リッシュモンは呆れたが、ブルターニュ公はくつくつと笑いながら「10歳から14歳まで変わってないなら、18歳になった今もあまり変わってないかもしれないな」と予想し、リッシュモンは「次期国王がそれでは困ります」と言った。
「アルテュールは、王太子が次期フランス王になると考えているのか?」
兄に突っ込まれると、リッシュモンは「仮定の話です」と付け加えた。
「パリに来たばかりの王太子殿下は……」
ブルターニュ公は、公妃ジャンヌ王女から聞いた「14歳時点の王太子」情報を明かした。
「緊張しているのか食が細く、母妃と姉王女のいさかいを仲裁しようとしていたとか」
「そうでしたか」
「最後に見たときは、口から血を流して倒れていたそうだ」
「まさか、毒!?」
「詳細はわからない。王太子が軽傷だったこともあって秘密裏に処理されたようだな」
アジャンクールに参戦する以前、リッシュモンは王太子付きの護衛をしていた。
パリの宮廷で、リッシュモンはその出自からブルゴーニュ派だと考えられていたが、王太子はリッシュモンを重用して正騎士に叙任した。
「まったく、護衛は何をやっていたんだ。職務怠慢がひどすぎる」
昔のことを思い出したのか、ぶつぶつと文句を言った。
「アルテュールが護衛をしていたら、王太子を守れたと思うか?」
「……私には関係ありません。イングランド王に臣従を誓ったのですから」
「仮定の話だよ」
このとき、リッシュモンのまぶたに浮かんだのは「亡き王太子」だろうか。
それとも、ありし日の「10歳のシャルル王子」だろうか。
「不遇な生い立ちの王子と出会って、慰めたことがある……。それだけのことです」
幼いころに家族から引き離され、兄の手紙を心待ちにしていたのは、リッシュモンの幼少期にも重なる。
「泣いている子供は苦手です」
「そうだろうか? 今のアルテュールは、私が見たことないような優しい表情をしている」
兄に指摘されて、リッシュモンは気まずそうに視線を逸らすと「子供を痛めつけるのはもっと苦手です」と付け加え、暗に「王太子と戦いたくない」ことをほのめかした。
「兄の私から見ても、アルテュール・ド・リッシュモン伯は清く正しい一流の騎士だ」
「光栄です」
「しかし、復讐すべき相手を間違えていたら、それは正義ではない。慎重に見極めなければな」
「……はい、肝に銘じます」
リッシュモンはヘンリー五世に臣従したが、完全に自由の身になったわけではなかった。
期間限定の釈放で、その間、リッシュモンの生母でもあるイングランド王太后が「異端の罪」で牢に繋がれていた。人質である。
ヘンリーは、政略の具として「親子きょうだいの情」を最大限に利用した。
釈放中のリッシュモンは、時間を惜しむようにブルターニュ各地をまわった。
この時のリッシュモンは二十代後半だが、父を亡くして以来、ずいぶんと毛色の違う主君たちに仕えてきた。
ブルゴーニュ豪胆公、無怖公。
フランス王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公。
そして、イングランド王ヘンリー五世。
ロンドン塔に幽閉されている時も、そうでない時でも、思い通りの人生など望むべくもなかったはずだ。
しかし、リッシュモンの半生は、比類なき軍事的知見として実を結びつつあった。
近い将来、主力兵器が人力から火力へ変わるのを見越したかのように、城・都市の外周に火砲攻撃の防御に優れた堡塁を築いた。釈放期間が終わる頃には、ブルターニュ軍再編から軍事拠点の整備まであらかた済ませてしまった。
***
リッシュモンはロンドン塔に戻らなかった。
兄のブルターニュ公から預かったブルトン兵を率いて、イングランド王とブルゴーニュ公の連合軍に合流した。
「貴公の助言を聞いて、略奪を控えてみたのだがな」
ヘンリー五世はリッシュモンの顔を見ると、嫌味たっぷりに「略奪も焼き討ちもない戦いは、塩も香辛料もないまずい料理と同じだ」と言い放った。
ジャンヌ・ダルクの火刑をはじめ、よくない出来事を「シャルル七世のせい」にしようとする風潮があるようだ。
私は王太子時代に司祭の資格を取っているが、王は真の意味での「聖職者」にはなれない。
王の義務を果たし、王国の秩序を守るために、時には、心を殺し、手を汚して、身内や友を切り捨てる場面もある。
だが、この時期、ブルターニュ公を拉致監禁して私にどんなメリットがあるというのか。
「アルテュール、思い込みで犯人を決めつけてはいけない」
「兄上がそうおっしゃるならば、私は別に……」
「不服そうだな」
このころのリッシュモンは、現実で誰に仕えていたとしても真の主君は「兄」であった。
「アルテュールは王太子殿下に会ったことがあるのだろう? どのような方だった?」
「思い出したくありません」
「なぜだ?」
「幻滅したからです」
失踪中、何か心境の変化でもあったのか。
復帰したブルターニュ公は、アンジュー公未亡人ヨランド・ダラゴンを通じて王太子と同盟を結ぼうと画策していた。
「王太子の中傷をよく聞くが、先日会ったアンジュー公妃は賢夫人だ。その彼女が贔屓にしている王太子がどんな人物か知りたくてね」
ブルターニュ公は、弟の王太子評を聞きたがり、リッシュモンはしぶしぶ口をひらいた。
「貴族社会に慣れていない様子で、うかつな言動が少々。亡き王太子殿下……、兄君の手紙を読んで泣いていたのを覚えています」
「そうか。けなげだな」
「今はどうでしょう。陰険で粗暴で好色なバカ王子だとロンドンでも評判ですから」
「それで幻滅したのか」
「昔の印象は、純朴な可愛らしい王子です。成長して変わったのでしょう。あの宮廷なら無理もない」
実際、私本人とじかに対面した人物はわずかだった。
イングランド王とブルゴーニュ公と母妃イザボーは、王太子の実像が知られてないのをいいことに真偽の不確かな誹謗中傷を広めていた。
「噂は聞いているが、私は実像を知りたい。王太子本人とじかに対面した者は少ないのだ」
「私が会ったのは8年近く前です。兄上のお役に立てるかどうか」
「アルテュールが感じたことを教えて欲しい」
「そういえば、義姉上も王太子に会ったことがあるのでは?」
「14歳のときだ。王太子になったばかりで貴族社会に不慣れな様子だったとか」
「あまり変わってないな……」
リッシュモンは呆れたが、ブルターニュ公はくつくつと笑いながら「10歳から14歳まで変わってないなら、18歳になった今もあまり変わってないかもしれないな」と予想し、リッシュモンは「次期国王がそれでは困ります」と言った。
「アルテュールは、王太子が次期フランス王になると考えているのか?」
兄に突っ込まれると、リッシュモンは「仮定の話です」と付け加えた。
「パリに来たばかりの王太子殿下は……」
ブルターニュ公は、公妃ジャンヌ王女から聞いた「14歳時点の王太子」情報を明かした。
「緊張しているのか食が細く、母妃と姉王女のいさかいを仲裁しようとしていたとか」
「そうでしたか」
「最後に見たときは、口から血を流して倒れていたそうだ」
「まさか、毒!?」
「詳細はわからない。王太子が軽傷だったこともあって秘密裏に処理されたようだな」
アジャンクールに参戦する以前、リッシュモンは王太子付きの護衛をしていた。
パリの宮廷で、リッシュモンはその出自からブルゴーニュ派だと考えられていたが、王太子はリッシュモンを重用して正騎士に叙任した。
「まったく、護衛は何をやっていたんだ。職務怠慢がひどすぎる」
昔のことを思い出したのか、ぶつぶつと文句を言った。
「アルテュールが護衛をしていたら、王太子を守れたと思うか?」
「……私には関係ありません。イングランド王に臣従を誓ったのですから」
「仮定の話だよ」
このとき、リッシュモンのまぶたに浮かんだのは「亡き王太子」だろうか。
それとも、ありし日の「10歳のシャルル王子」だろうか。
「不遇な生い立ちの王子と出会って、慰めたことがある……。それだけのことです」
幼いころに家族から引き離され、兄の手紙を心待ちにしていたのは、リッシュモンの幼少期にも重なる。
「泣いている子供は苦手です」
「そうだろうか? 今のアルテュールは、私が見たことないような優しい表情をしている」
兄に指摘されて、リッシュモンは気まずそうに視線を逸らすと「子供を痛めつけるのはもっと苦手です」と付け加え、暗に「王太子と戦いたくない」ことをほのめかした。
「兄の私から見ても、アルテュール・ド・リッシュモン伯は清く正しい一流の騎士だ」
「光栄です」
「しかし、復讐すべき相手を間違えていたら、それは正義ではない。慎重に見極めなければな」
「……はい、肝に銘じます」
リッシュモンはヘンリー五世に臣従したが、完全に自由の身になったわけではなかった。
期間限定の釈放で、その間、リッシュモンの生母でもあるイングランド王太后が「異端の罪」で牢に繋がれていた。人質である。
ヘンリーは、政略の具として「親子きょうだいの情」を最大限に利用した。
釈放中のリッシュモンは、時間を惜しむようにブルターニュ各地をまわった。
この時のリッシュモンは二十代後半だが、父を亡くして以来、ずいぶんと毛色の違う主君たちに仕えてきた。
ブルゴーニュ豪胆公、無怖公。
フランス王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公。
そして、イングランド王ヘンリー五世。
ロンドン塔に幽閉されている時も、そうでない時でも、思い通りの人生など望むべくもなかったはずだ。
しかし、リッシュモンの半生は、比類なき軍事的知見として実を結びつつあった。
近い将来、主力兵器が人力から火力へ変わるのを見越したかのように、城・都市の外周に火砲攻撃の防御に優れた堡塁を築いた。釈放期間が終わる頃には、ブルターニュ軍再編から軍事拠点の整備まであらかた済ませてしまった。
***
リッシュモンはロンドン塔に戻らなかった。
兄のブルターニュ公から預かったブルトン兵を率いて、イングランド王とブルゴーニュ公の連合軍に合流した。
「貴公の助言を聞いて、略奪を控えてみたのだがな」
ヘンリー五世はリッシュモンの顔を見ると、嫌味たっぷりに「略奪も焼き討ちもない戦いは、塩も香辛料もないまずい料理と同じだ」と言い放った。
40
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる