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第0章〈正義の目覚め〉編・改
0.13 王太子の面影(2)
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ブルターニュ公失踪について、王太子が関与しているという説がある。
ジャンヌ・ダルクの火刑をはじめ、よくない出来事を「シャルル七世のせい」にしようとする風潮があるようだ。
私は王太子時代に司祭の資格を取っているが、王は真の意味での「聖職者」にはなれない。
王の義務を果たし、王国の秩序を守るために、時には、心を殺し、手を汚して、身内や友を切り捨てる場面もある。
だが、この時期、ブルターニュ公を拉致監禁して私にどんなメリットがあるというのか。
「アルテュール、思い込みで犯人を決めつけてはいけない」
「兄上がそうおっしゃるならば、私は別に……」
「不服そうだな」
このころのリッシュモンは、現実で誰に仕えていたとしても真の主君は「兄」であった。
「アルテュールは王太子殿下に会ったことがあるのだろう? どのような方だった?」
「思い出したくありません」
「なぜだ?」
「幻滅したからです」
失踪中、何か心境の変化でもあったのか。
復帰したブルターニュ公は、アンジュー公未亡人ヨランド・ダラゴンを通じて王太子と同盟を結ぼうと画策していた。
「王太子の中傷をよく聞くが、先日会ったアンジュー公妃は賢夫人だ。その彼女が贔屓にしている王太子がどんな人物か知りたくてね」
ブルターニュ公は、弟の王太子評を聞きたがり、リッシュモンはしぶしぶ口をひらいた。
「貴族社会に慣れていない様子で、うかつな言動が少々。亡き王太子殿下……、兄君の手紙を読んで泣いていたのを覚えています」
「そうか。けなげだな」
「今はどうでしょう。陰険で粗暴で好色なバカ王子だとロンドンでも評判ですから」
「それで幻滅したのか」
「昔の印象は、純朴な可愛らしい王子です。成長して変わったのでしょう。あの宮廷なら無理もない」
実際、私本人とじかに対面した人物はわずかだった。
イングランド王とブルゴーニュ公と母妃イザボーは、王太子の実像が知られてないのをいいことに真偽の不確かな誹謗中傷を広めていた。
「噂は聞いているが、私は実像を知りたい。王太子本人とじかに対面した者は少ないのだ」
「私が会ったのは8年近く前です。兄上のお役に立てるかどうか」
「アルテュールが感じたことを教えて欲しい」
「そういえば、義姉上も王太子に会ったことがあるのでは?」
「14歳のときだ。王太子になったばかりで貴族社会に不慣れな様子だったとか」
「あまり変わってないな……」
リッシュモンは呆れたが、ブルターニュ公はくつくつと笑いながら「10歳から14歳まで変わってないなら、18歳になった今もあまり変わってないかもしれないな」と予想し、リッシュモンは「次期国王がそれでは困ります」と言った。
「アルテュールは、王太子が次期フランス王になると考えているのか?」
兄に突っ込まれると、リッシュモンは「仮定の話です」と付け加えた。
「パリに来たばかりの王太子殿下は……」
ブルターニュ公は、公妃ジャンヌ王女から聞いた「14歳時点の王太子」情報を明かした。
「緊張しているのか食が細く、母妃と姉王女のいさかいを仲裁しようとしていたとか」
「そうでしたか」
「最後に見たときは、口から血を流して倒れていたそうだ」
「まさか、毒!?」
「詳細はわからない。王太子が軽傷だったこともあって秘密裏に処理されたようだな」
アジャンクールに参戦する以前、リッシュモンは王太子付きの護衛をしていた。
パリの宮廷で、リッシュモンはその出自からブルゴーニュ派だと考えられていたが、王太子はリッシュモンを重用して正騎士に叙任した。
「まったく、護衛は何をやっていたんだ。職務怠慢がひどすぎる」
昔のことを思い出したのか、ぶつぶつと文句を言った。
「アルテュールが護衛をしていたら、王太子を守れたと思うか?」
「……私には関係ありません。イングランド王に臣従を誓ったのですから」
「仮定の話だよ」
このとき、リッシュモンのまぶたに浮かんだのは「亡き王太子」だろうか。
それとも、ありし日の「10歳のシャルル王子」だろうか。
「不遇な生い立ちの王子と出会って、慰めたことがある……。それだけのことです」
幼いころに家族から引き離され、兄の手紙を心待ちにしていたのは、リッシュモンの幼少期にも重なる。
「泣いている子供は苦手です」
「そうだろうか? 今のアルテュールは、私が見たことないような優しい表情をしている」
兄に指摘されて、リッシュモンは気まずそうに視線を逸らすと「子供を痛めつけるのはもっと苦手です」と付け加え、暗に「王太子と戦いたくない」ことをほのめかした。
「兄の私から見ても、アルテュール・ド・リッシュモン伯は清く正しい一流の騎士だ」
「光栄です」
「しかし、復讐すべき相手を間違えていたら、それは正義ではない。慎重に見極めなければな」
「……はい、肝に銘じます」
リッシュモンはヘンリー五世に臣従したが、完全に自由の身になったわけではなかった。
期間限定の釈放で、その間、リッシュモンの生母でもあるイングランド王太后が「異端の罪」で牢に繋がれていた。人質である。
ヘンリーは、政略の具として「親子きょうだいの情」を最大限に利用した。
釈放中のリッシュモンは、時間を惜しむようにブルターニュ各地をまわった。
この時のリッシュモンは二十代後半だが、父を亡くして以来、ずいぶんと毛色の違う主君たちに仕えてきた。
ブルゴーニュ豪胆公、無怖公。
フランス王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公。
そして、イングランド王ヘンリー五世。
ロンドン塔に幽閉されている時も、そうでない時でも、思い通りの人生など望むべくもなかったはずだ。
しかし、リッシュモンの半生は、比類なき軍事的知見として実を結びつつあった。
近い将来、主力兵器が人力から火力へ変わるのを見越したかのように、城・都市の外周に火砲攻撃の防御に優れた堡塁を築いた。釈放期間が終わる頃には、ブルターニュ軍再編から軍事拠点の整備まであらかた済ませてしまった。
***
リッシュモンはロンドン塔に戻らなかった。
兄のブルターニュ公から預かったブルトン兵を率いて、イングランド王とブルゴーニュ公の連合軍に合流した。
「貴公の助言を聞いて、略奪を控えてみたのだがな」
ヘンリー五世はリッシュモンの顔を見ると、嫌味たっぷりに「略奪も焼き討ちもない戦いは、塩も香辛料もないまずい料理と同じだ」と言い放った。
ジャンヌ・ダルクの火刑をはじめ、よくない出来事を「シャルル七世のせい」にしようとする風潮があるようだ。
私は王太子時代に司祭の資格を取っているが、王は真の意味での「聖職者」にはなれない。
王の義務を果たし、王国の秩序を守るために、時には、心を殺し、手を汚して、身内や友を切り捨てる場面もある。
だが、この時期、ブルターニュ公を拉致監禁して私にどんなメリットがあるというのか。
「アルテュール、思い込みで犯人を決めつけてはいけない」
「兄上がそうおっしゃるならば、私は別に……」
「不服そうだな」
このころのリッシュモンは、現実で誰に仕えていたとしても真の主君は「兄」であった。
「アルテュールは王太子殿下に会ったことがあるのだろう? どのような方だった?」
「思い出したくありません」
「なぜだ?」
「幻滅したからです」
失踪中、何か心境の変化でもあったのか。
復帰したブルターニュ公は、アンジュー公未亡人ヨランド・ダラゴンを通じて王太子と同盟を結ぼうと画策していた。
「王太子の中傷をよく聞くが、先日会ったアンジュー公妃は賢夫人だ。その彼女が贔屓にしている王太子がどんな人物か知りたくてね」
ブルターニュ公は、弟の王太子評を聞きたがり、リッシュモンはしぶしぶ口をひらいた。
「貴族社会に慣れていない様子で、うかつな言動が少々。亡き王太子殿下……、兄君の手紙を読んで泣いていたのを覚えています」
「そうか。けなげだな」
「今はどうでしょう。陰険で粗暴で好色なバカ王子だとロンドンでも評判ですから」
「それで幻滅したのか」
「昔の印象は、純朴な可愛らしい王子です。成長して変わったのでしょう。あの宮廷なら無理もない」
実際、私本人とじかに対面した人物はわずかだった。
イングランド王とブルゴーニュ公と母妃イザボーは、王太子の実像が知られてないのをいいことに真偽の不確かな誹謗中傷を広めていた。
「噂は聞いているが、私は実像を知りたい。王太子本人とじかに対面した者は少ないのだ」
「私が会ったのは8年近く前です。兄上のお役に立てるかどうか」
「アルテュールが感じたことを教えて欲しい」
「そういえば、義姉上も王太子に会ったことがあるのでは?」
「14歳のときだ。王太子になったばかりで貴族社会に不慣れな様子だったとか」
「あまり変わってないな……」
リッシュモンは呆れたが、ブルターニュ公はくつくつと笑いながら「10歳から14歳まで変わってないなら、18歳になった今もあまり変わってないかもしれないな」と予想し、リッシュモンは「次期国王がそれでは困ります」と言った。
「アルテュールは、王太子が次期フランス王になると考えているのか?」
兄に突っ込まれると、リッシュモンは「仮定の話です」と付け加えた。
「パリに来たばかりの王太子殿下は……」
ブルターニュ公は、公妃ジャンヌ王女から聞いた「14歳時点の王太子」情報を明かした。
「緊張しているのか食が細く、母妃と姉王女のいさかいを仲裁しようとしていたとか」
「そうでしたか」
「最後に見たときは、口から血を流して倒れていたそうだ」
「まさか、毒!?」
「詳細はわからない。王太子が軽傷だったこともあって秘密裏に処理されたようだな」
アジャンクールに参戦する以前、リッシュモンは王太子付きの護衛をしていた。
パリの宮廷で、リッシュモンはその出自からブルゴーニュ派だと考えられていたが、王太子はリッシュモンを重用して正騎士に叙任した。
「まったく、護衛は何をやっていたんだ。職務怠慢がひどすぎる」
昔のことを思い出したのか、ぶつぶつと文句を言った。
「アルテュールが護衛をしていたら、王太子を守れたと思うか?」
「……私には関係ありません。イングランド王に臣従を誓ったのですから」
「仮定の話だよ」
このとき、リッシュモンのまぶたに浮かんだのは「亡き王太子」だろうか。
それとも、ありし日の「10歳のシャルル王子」だろうか。
「不遇な生い立ちの王子と出会って、慰めたことがある……。それだけのことです」
幼いころに家族から引き離され、兄の手紙を心待ちにしていたのは、リッシュモンの幼少期にも重なる。
「泣いている子供は苦手です」
「そうだろうか? 今のアルテュールは、私が見たことないような優しい表情をしている」
兄に指摘されて、リッシュモンは気まずそうに視線を逸らすと「子供を痛めつけるのはもっと苦手です」と付け加え、暗に「王太子と戦いたくない」ことをほのめかした。
「兄の私から見ても、アルテュール・ド・リッシュモン伯は清く正しい一流の騎士だ」
「光栄です」
「しかし、復讐すべき相手を間違えていたら、それは正義ではない。慎重に見極めなければな」
「……はい、肝に銘じます」
リッシュモンはヘンリー五世に臣従したが、完全に自由の身になったわけではなかった。
期間限定の釈放で、その間、リッシュモンの生母でもあるイングランド王太后が「異端の罪」で牢に繋がれていた。人質である。
ヘンリーは、政略の具として「親子きょうだいの情」を最大限に利用した。
釈放中のリッシュモンは、時間を惜しむようにブルターニュ各地をまわった。
この時のリッシュモンは二十代後半だが、父を亡くして以来、ずいぶんと毛色の違う主君たちに仕えてきた。
ブルゴーニュ豪胆公、無怖公。
フランス王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公。
そして、イングランド王ヘンリー五世。
ロンドン塔に幽閉されている時も、そうでない時でも、思い通りの人生など望むべくもなかったはずだ。
しかし、リッシュモンの半生は、比類なき軍事的知見として実を結びつつあった。
近い将来、主力兵器が人力から火力へ変わるのを見越したかのように、城・都市の外周に火砲攻撃の防御に優れた堡塁を築いた。釈放期間が終わる頃には、ブルターニュ軍再編から軍事拠点の整備まであらかた済ませてしまった。
***
リッシュモンはロンドン塔に戻らなかった。
兄のブルターニュ公から預かったブルトン兵を率いて、イングランド王とブルゴーニュ公の連合軍に合流した。
「貴公の助言を聞いて、略奪を控えてみたのだがな」
ヘンリー五世はリッシュモンの顔を見ると、嫌味たっぷりに「略奪も焼き討ちもない戦いは、塩も香辛料もないまずい料理と同じだ」と言い放った。
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