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第0章〈正義の目覚め〉編・改
0.5 リッシュモンとフランス宮廷(1)
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1404年、アルテュール・ド・リッシュモンが11歳のときに養父・ブルゴーニュ豪胆公は死去した。
後継者の新たなブルゴーニュ公ジャン・ド・ブルゴーニュは、亡き父の称号と財産を継承するやいなや、派手な軍勢を従えて意気揚々と王都パリへ入城した。
狂王シャルル六世は精神を病みがちで、王弟オルレアン公が政務を肩代わりし、王妃イザボー・ド・バヴィエールと深い関係になっていた。
華やかだが醜聞にまみれた宮廷の裏側で、ブルゴーニュ豪胆公の葬儀の準備が進められていた。
主人のいない城内では、侍従・家令が多忙をきわめ、リッシュモンも小間使いのように働いた。仕事の合間に時間があると、豪胆公の棺のかたわらに付き添い、養父に追悼の祈りを捧げる姿を目撃されている。
このころのリッシュモンは、豪胆公の嫡孫フィリップとともに育てられていた。
幼なじみで主従でもある。これは私とデュノワ伯ジャンの関係に似ているかもしれない。気のおけない友情と、厳格な主従関係。どちらに重きを置くかはそれぞれに個人差がある。
なんにせよ、リッシュモンはブルゴーニュ公一家に養われている小姓だった。
豪胆公は、リッシュモンの気丈さとまじめな性格を愛していたが、無怖公とは合わなかったようだ。ほどなくしてブルゴーニュ公一家から遠ざけられ、12歳で戦場に駆り出された。
豪胆公が引き取った子供は、幼い日の望みを叶えて従騎士となり、みごとに初陣を飾った。
私ことシャルル七世の親友デュノワ伯ジャンは騎士道物語に憧れて騎士を目指し、盟友ルネ・ダンジューは物語好きが高じてみずから執筆し始めるが、のちに私の腹心となるリッシュモンの「願望」は彼らの「夢」とは少し違った。
より現実的かつ切実な願いから、騎士になろうとした。
もともとの資質もあったのだろうが、リッシュモンはまじめで一途だ。
ひと並外れた努力で才能を開花させ、またたく間に成長した。
ただ強いのではなく、当時は勝者の権利だった「略奪」を嫌った。
部下を持つようになると彼らにも略奪行為を禁じ、必要な金銭を惜しまず与えた。
部下のひとりが手癖で略奪を働いたときは、盗品を取り上げると、リッシュモンみずから持ち主に返しにいき、部下の横暴を詫びた。
上官や同僚の中には、まじめすぎる性格をからかう者もいただろう。
だが、大抵の人はリッシュモンのアルテュールという名から「アーサー王」を連想した。偉大な先祖の再来だと称賛され、ときにはやっかみも受けた。当時は騎士道物語ブームの全盛期で、アーサー王と円卓の騎士の物語は特に人気があった。
リッシュモンは先祖の威光にすがる性格ではないが、ブルターニュの印象が高まるならばとあえて否定もしなかった。リッシュモンの名声は、事実と虚構が入り混じりながら広まっていった。
「貴様がブルターニュ公の弟か」
評判を聞きつけたのか、リッシュモンはブルゴーニュ公に呼び出された。
「名は?」
「アルテュール・ド・リッシュモン伯です」
「アルテュール……、つまりアーサー王か。大層な名を授かったな」
「恐れ入ります」
ブルゴーニュ公は宮廷で実権を握るために、王弟オルレアン公と王妃イザボーの不倫現場を襲撃したり、王子を誘拐して連れまわしたり、無法スレスレの存在感を示したあげく、恋敵で政敵でもあった王弟を殺害した。
しかし、シャルル六世も王妃も弟殺しを咎めるどころか、正直に罪を告白したことを褒めて赦免状を与えるありさまで、狂王の赦免と王妃の寵愛を得たブルゴーニュ公は、先代以上の豪胆ぶりから恐れ知らずの「無怖公」と呼ばれるようになっていた。
「我が娘マルグリットが王太子妃になることが決まった。輿入れに同行して王城へ行き、そのまま王太子の配下に就け」
ここでいう王太子とは、私の兄ルイ・ド・ギュイエンヌ公を指す。
無怖公の野望はとどまることを知らなかった。王太子を監視下に置き、可能ならば懐柔するために、さまざまな人材を送り込もうとしていた。
「不幸な王太子を慰めて差し上げろ。そうして信頼を勝ち得るのだ」
「お言葉ですが、王弟殺しに送り込まれた私を王太子殿下が信用するでしょうか」
無怖公はくくっと笑った。
赦免されたとはいえ、王弟殺しを批判する者は多く、宮廷ではオルレアン公の家臣を中心に反ブルゴーニュ勢力がうまれていた。
「うわさ通りの無遠慮な堅物だ。戦場で甘っちょろいことを抜かしているそうじゃないか。略奪をしたくないとか? なぜだ?」
「騎士道精神に反しますゆえ」
「貴様も騎士道物語にかぶれた理想主義者というわけか。まぁ、いい。その生真面目な性格は王太子に気に入られるだろうからな」
こうしてリッシュモンは、若きブルゴーニュ派のひとりとしてパリの宮廷へ送り込まれた。
無怖公の想定通り、王太子はリッシュモンを気に入って正騎士に叙任した。
想定外だったのは、リッシュモンにとってまことの主人は実兄のブルターニュ公ただひとりで、無怖公の言いなりにならなかったことだろう。
パリで暴動が起き、無怖公の陰謀がばれて失脚すると、反ブルゴーニュを掲げる「アルマニャック派」が優勢になったが、リッシュモンは宮廷に残った。
兄のブルターニュ公はフランス王に臣従している。
弟であるリッシュモンが次期国王たる王太子に仕えるのは自然ななりゆきだった。
ブルターニュ公兄弟にとって何より大事なのは、故郷と自分たちの「名誉」を守ることだったから、本音ではブルゴーニュ派でもアルマニャック派でもどちらでもいいのだろう。
後継者の新たなブルゴーニュ公ジャン・ド・ブルゴーニュは、亡き父の称号と財産を継承するやいなや、派手な軍勢を従えて意気揚々と王都パリへ入城した。
狂王シャルル六世は精神を病みがちで、王弟オルレアン公が政務を肩代わりし、王妃イザボー・ド・バヴィエールと深い関係になっていた。
華やかだが醜聞にまみれた宮廷の裏側で、ブルゴーニュ豪胆公の葬儀の準備が進められていた。
主人のいない城内では、侍従・家令が多忙をきわめ、リッシュモンも小間使いのように働いた。仕事の合間に時間があると、豪胆公の棺のかたわらに付き添い、養父に追悼の祈りを捧げる姿を目撃されている。
このころのリッシュモンは、豪胆公の嫡孫フィリップとともに育てられていた。
幼なじみで主従でもある。これは私とデュノワ伯ジャンの関係に似ているかもしれない。気のおけない友情と、厳格な主従関係。どちらに重きを置くかはそれぞれに個人差がある。
なんにせよ、リッシュモンはブルゴーニュ公一家に養われている小姓だった。
豪胆公は、リッシュモンの気丈さとまじめな性格を愛していたが、無怖公とは合わなかったようだ。ほどなくしてブルゴーニュ公一家から遠ざけられ、12歳で戦場に駆り出された。
豪胆公が引き取った子供は、幼い日の望みを叶えて従騎士となり、みごとに初陣を飾った。
私ことシャルル七世の親友デュノワ伯ジャンは騎士道物語に憧れて騎士を目指し、盟友ルネ・ダンジューは物語好きが高じてみずから執筆し始めるが、のちに私の腹心となるリッシュモンの「願望」は彼らの「夢」とは少し違った。
より現実的かつ切実な願いから、騎士になろうとした。
もともとの資質もあったのだろうが、リッシュモンはまじめで一途だ。
ひと並外れた努力で才能を開花させ、またたく間に成長した。
ただ強いのではなく、当時は勝者の権利だった「略奪」を嫌った。
部下を持つようになると彼らにも略奪行為を禁じ、必要な金銭を惜しまず与えた。
部下のひとりが手癖で略奪を働いたときは、盗品を取り上げると、リッシュモンみずから持ち主に返しにいき、部下の横暴を詫びた。
上官や同僚の中には、まじめすぎる性格をからかう者もいただろう。
だが、大抵の人はリッシュモンのアルテュールという名から「アーサー王」を連想した。偉大な先祖の再来だと称賛され、ときにはやっかみも受けた。当時は騎士道物語ブームの全盛期で、アーサー王と円卓の騎士の物語は特に人気があった。
リッシュモンは先祖の威光にすがる性格ではないが、ブルターニュの印象が高まるならばとあえて否定もしなかった。リッシュモンの名声は、事実と虚構が入り混じりながら広まっていった。
「貴様がブルターニュ公の弟か」
評判を聞きつけたのか、リッシュモンはブルゴーニュ公に呼び出された。
「名は?」
「アルテュール・ド・リッシュモン伯です」
「アルテュール……、つまりアーサー王か。大層な名を授かったな」
「恐れ入ります」
ブルゴーニュ公は宮廷で実権を握るために、王弟オルレアン公と王妃イザボーの不倫現場を襲撃したり、王子を誘拐して連れまわしたり、無法スレスレの存在感を示したあげく、恋敵で政敵でもあった王弟を殺害した。
しかし、シャルル六世も王妃も弟殺しを咎めるどころか、正直に罪を告白したことを褒めて赦免状を与えるありさまで、狂王の赦免と王妃の寵愛を得たブルゴーニュ公は、先代以上の豪胆ぶりから恐れ知らずの「無怖公」と呼ばれるようになっていた。
「我が娘マルグリットが王太子妃になることが決まった。輿入れに同行して王城へ行き、そのまま王太子の配下に就け」
ここでいう王太子とは、私の兄ルイ・ド・ギュイエンヌ公を指す。
無怖公の野望はとどまることを知らなかった。王太子を監視下に置き、可能ならば懐柔するために、さまざまな人材を送り込もうとしていた。
「不幸な王太子を慰めて差し上げろ。そうして信頼を勝ち得るのだ」
「お言葉ですが、王弟殺しに送り込まれた私を王太子殿下が信用するでしょうか」
無怖公はくくっと笑った。
赦免されたとはいえ、王弟殺しを批判する者は多く、宮廷ではオルレアン公の家臣を中心に反ブルゴーニュ勢力がうまれていた。
「うわさ通りの無遠慮な堅物だ。戦場で甘っちょろいことを抜かしているそうじゃないか。略奪をしたくないとか? なぜだ?」
「騎士道精神に反しますゆえ」
「貴様も騎士道物語にかぶれた理想主義者というわけか。まぁ、いい。その生真面目な性格は王太子に気に入られるだろうからな」
こうしてリッシュモンは、若きブルゴーニュ派のひとりとしてパリの宮廷へ送り込まれた。
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想定外だったのは、リッシュモンにとってまことの主人は実兄のブルターニュ公ただひとりで、無怖公の言いなりにならなかったことだろう。
パリで暴動が起き、無怖公の陰謀がばれて失脚すると、反ブルゴーニュを掲げる「アルマニャック派」が優勢になったが、リッシュモンは宮廷に残った。
兄のブルターニュ公はフランス王に臣従している。
弟であるリッシュモンが次期国王たる王太子に仕えるのは自然ななりゆきだった。
ブルターニュ公兄弟にとって何より大事なのは、故郷と自分たちの「名誉」を守ることだったから、本音ではブルゴーニュ派でもアルマニャック派でもどちらでもいいのだろう。
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