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第二章〈モン・サン=ミシェルの戦い〉編

2.9 論功行賞と粛清(2)

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 事実上の休戦といっても、戦いの主導権を握っているのはイングランドだ。
 ベッドフォード公はロンドン宮廷の内紛を収めるために兵を引いたが、イングランド国内が落ち着けばすぐにフランスに戻ってくるだろう。逆に、イングランドの内紛が激化すればフランス侵略どころではなくなり、現状維持が続く。
 フランスはいつもイングランドの動向に振り回されている。

「いっそ、こちらから攻勢に出てはどうです?」

 モン・サン=ミシェルから帰ってきた「オルレアンの私生児」こと、デュノワ伯ジャンに勧められた。

「ベッドフォード公がいないなら、攻める好機ですよ」

 ブルターニュ公の人質でありながら、勝手にモン・サン=ミシェルへ渡ったことは咎められても仕方がないが、修道院長の口添えもあってジャンは処罰を免れた。
 私個人としては称賛と褒美をあげたいくらいだが、ジャンは謙虚だった。
 肉料理をたらふく食べたいと言うので、私的な酒席を用意した。

「受けるばかりではつまらない。男らしくないです!」

 こってりした肉料理には豊穣な味わいのポワティエ産ワインが合う。
 私の本拠地のひとつで、良質のワインが輸出しても余るほどある。
 ジャンをねぎらうために酒樽ごと用意した。
 私は少食だから、ジャンにじゃんじゃん勧めた。
 皿には山盛りの肉料理を、杯にはなみなみとワインを注ぎ足す。
 食べっぷりがいいのは、見ている方も気持ちがいい。

「ベッドフォード公の不在は攻める好機、か」
「俺に言われなくても気づいているでしょう? 修道院長が、陛下は知恵者だと褒めてましたよ」
「はは、光栄だね」

 修道院長は、銀貨の鋳造特権と守備隊長任命をよほど気に入ったようだ。
 いつだったか子供の頃に約束したとおり、ジャンは武勇伝を語ってくれたが、酔いが回ってくると私に檄を飛ばして戦わせようとする。
 モン・サン=ミシェルでは防戦一方だったから、不完全燃焼なのかもしれない。

「攻勢に出ろという進言はもっともだが……」
「そうですよ。負けっぱなしじゃないですか!」
「負けっぱなしは言い過ぎだよ。五分五分といったところかな」
「ヴェルヌイユ以来、受け身ばかりじゃないですか!」

 ジャンは粗暴ではないが、どちらかというと好戦的な熱血漢だ。
 一方、私は内気で厭戦的だった。

「義母上……、ヨランド・ダラゴンがブルゴーニュ公を調略しようとしている」
「またあの方の駆け引き『待ち』ですか」

 ジャンは呆れながらゴブレットの中身を飲み干した。
 無理もない。ブルターニュ公と同盟してリッシュモンを迎え入れる代わりに、人質としてジャンを差し出したのだから。

「ブルターニュと違ってブルゴーニュとは因縁があります。賢夫人と呼ばれるあの方でもそう簡単にいきませんよ……」

 人質にされた恨みと、幼なじみ同士の気楽さも相まって、ジャンは言いたい放題だ。
 悪酔いする前に、酒器は片付けた方がいいかもしれない。

「今のは聞き流すけど、マリーの前では控えるように頼むよ」

 ジャンが子供みたいにむくれるので、私は苦笑しながらなだめる。

「昔も今も、ジャンは頼もしい幼なじみだよ。騎士は戦うのが仕事だからね。活躍の場を作るためにも金策しないとね」

 内紛が起きているのはロンドンの宮廷だけではない。
 私の宮廷も多くの火種を抱えている。モン・サン=ミシェルとブルターニュ各地へ送った戦費と物資は行方不明になったまま。敵方に奪われた報告がないということは、味方の誰かが横領した可能性が高い。金策と戦争の準備をする前に、裏切り者を見つけなければならない。

「金策?」
「うん、お金がないんだ」

 犯人の目星はついているが味方を疑うのは気が重い。断罪、処罰となればなおさら。

「つまり貧乏ってことですか! フランス王なのに?」
「あはは、私の二つ名は『貧乏王』で決まりだな。えっ、ちょ、泣いてるの? ひょっとしてジャンは酔うと泣くタイプ?」
「な、泣いてません。これはワインです!」

 ジャンはゴブレットに指を突っ込むと、滴るワインを目のふちに塗りたくった。

「ぎゃあ、目が痛い!」
「ばかだなぁ。そんなことしたら沁みるに決まってる」

 本当に酔っ払っているのか、酒席を和ませようとしているのか分からない。
 ジャンのための酒席だったが、私はほんのひととき苦悩を忘れて思いきり笑い転げた。
 ジャンと話をするのは楽しい。王の仮面を脱いで、素顔をさらけ出せる。

 細長い窓から角度の浅い夕陽が差し込む。
 私にはやることが残っている。酔いつぶれる前に「お開き」にしようと合図をした。
 侍従長が酒器を片付けるように給仕に指示をすると、ジャンは「まだまだ。今夜は酒樽ごと飲みたい気分です……」と言って立ち上がった。
 足元がふらついて、見るからに危なっかしい。

「飲み過ぎだよジャン」

 私は引き止めようと思い、ジャンの上着の裾を引っ張ったら、逆に手を掴まれて「陛下も俺に付き合って一緒に飲みましょう」と連れていかれそうになった。

「今夜は厨房の酒樽をぜーんぶ飲み干すまで帰しません」
「無理無理むりむり!」

 ずるずると引きずられていく。
 壁面に細長い窓がいくつも連なっていて外の景色が見えた。
 視界の先では、王の厩舎で隊長を務めるル・カミュ・ド・ボーリューが馬を放牧させている。
 ここには軍馬以外にも馬車馬や早馬がいて、いつでも使えるように準備しておくのだ。

(そうだ、明日はポレールに会いに行こう。ボーリューとも少し話せれば……)

 そんなことを考えていると、リッシュモン大元帥と配下の騎士たちが厩舎へ向かう姿が見えた。
 ボーリューは厩舎の中にいるのか、それとも牧草地の死角に隠れてしまったのか。
 私が見下ろす視界から消えていた。

「ごめん。私はここで失礼するよ。なんだか胸騒ぎがする」
「えっ、胸焼けがするんですか?」
「酒樽ごと飲んでいいから!」

 侍従長ラ・トレモイユにジャンを押し付けると、私は厩舎へ急いだ。
 先触れを追い越す勢いで、無人の厩舎を通り抜けて牧草地へ。
 むっとするような匂いが流れてきた。草いきれと家畜臭だけではない。

「のどかな牧草地に似つかわしくない、血のにおい……」

 頭の中で「可能性の断片」が組み合わさって、ある予感を感じていた。
 心のどこかで「もう手遅れだ」と諦めながら、それでも私は歩みを進めた。
 とっくに酔いは覚めているのに、胸がむかむかして吐きたい気分だった。だが、嘔吐はしなかった。泣いたり叫んだり失神したり、正気を失って取り乱すこともなかった。
 いいかげん、惨劇を見慣れたのかもしれない。

 日没前、黄昏時の紅い陽光に照らされてリッシュモンが戻ってきた。
 私の姿を認めると一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにいつもの鉄面皮に戻った。
 其処そこここに赤茶けたしみが——血飛沫ちしぶきがついている。

「今度はボーリューを殺したのか。釈明する機会も与えずに」

 大元帥アルテュール・ド・リッシュモン伯は戦地から帰還すると、ル・カミュ・ド・ボーリューを王の財産を横領した罪で告発し、裁判の手続きを飛ばして即刻処刑した。
 ジアック処刑よりも手際が良く、私には事後報告と犠牲者の形見だけが手渡された。






第二章〈モン・サン=ミシェルの戦い〉編、完結。
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