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第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編

1.11 侍従長ジアックの殺戮(3)

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 右手を切り落とされたジアックは、すぐに応急処置を受けた。
 この物語を読んでいる読者諸氏の時代に比べれば、医療技術は未熟だ。
 しかし、長い戦乱期を生きる優れた医師は、経験則で最適な治療を施した。

「陛下の侍医は優秀です。この程度で死にはしません」

 ジアックは罪人だが、リッシュモンの所業と発言は許しがたい。
 私は怒りを抑えきれずに睨んだが、リッシュモンの表情は微動だにしなかった。

「はあ、はあ……」

 ジアックは顔面蒼白で、息も絶え絶えだ。
 侍医は顔をしかめながら、止血して右腕を吊り、切られた断面にきつく包帯を巻いたが、血が滲んでいる。

「陛下……神よ……」

 切り落とされた右手は、司祭に悪魔祓いをしてもらうために持ち去られた。
 血溜まりとジアック自身に、容赦なく聖水がかけられた。侮辱を意味する「水かけ」ではないが、見るに堪えない光景だ。

「どうか、お許しください……これ以上は……」
「もういい。けがれた右手を引き換えにして贖罪は済んだのだから!」

 私は声を張り上げて一堂を見渡し、最後にリッシュモンを正面から見据えた。
 拷問じみた断罪が続くのではないかと危惧したが、しばしの沈黙のあと、リッシュモンは「仰せのままに」とうなずいて同意を示した。
 ジアックは苦痛と安堵が入り混じった、深いため息を吐いた。
 これで終わりだと、胸を撫で下ろしたのもつかの間。

「続いて、ピエール・ド・ジアックが妻ジャンヌ・ド・ナイアックを殺害した容疑について審議をおこなう」

 リッシュモンは、新たな裁きの開始を告げた。



***



 王侯貴族は政略結婚する。心のままに相手を選ぶことはできない。
 運良く愛し合うことができれば良いが、伴侶以外に恋人・愛人がいる者も多い。
 肉体関係のない宮廷恋愛は美談でもあった。伴侶の恋人にいちいち嫉妬することは、みっともないとも言われた。

 ピエール・ド・ジアックは、親が決めた伴侶ジャンヌ・ド・ナイアックと結婚したが、美しい愛人がいた。名をカトリーヌ・ド・トレーヌという。
 一度関係が破綻したのか、同意のもとで出世の具にしたのか。ジアックは主君ブルゴーニュ無怖公に愛人カトリーヌを献上し、ジアック自身は——私の母、王妃イザボー・ド・バヴィエールを取り巻く愛人のひとりになった。
 後日、カトリーヌと復縁して後妻として迎えるために、ジアックは妻の殺害を計画した。
 はじめに毒を盛ったが、妻は昏睡するにとどまった。死にそうにないと見ると、ジアックは妻を馬車にくくりつけ、確実に死ぬまで何度も轢いたという。

「おぞましい話だ……」

 にわかに信じがたく、「何かの間違いではないか」と言いかけて、横領事件と同じ発言だと気づいた。

「証拠はあるのか?」
「後ろめたいことがなければ、死者を看取った司祭がいるはずです。ジアックの妻は司祭が呼ばれた形跡がありません」

 キリスト教徒が死ぬときは、必ず司祭が呼ばれて「死の秘蹟」を授ける。
 事故死でも病死でも、貧乏でも、罪人でも、たとえ生きているうちに間に合わなかったとしても、形式的な儀式をおこなう。
 生前の罪を告白して、許しを乞い、司祭に看取られながら、死者は安心して天国へ旅立つ。
 貴族の正妻が、司祭抜きで死去し、葬られることは通常あり得ない。

「ジアック……」

 何か言って欲しかった。
 教区と司祭の名を言えば、疑惑はすぐに晴れるのだ。

「都合良く、司祭が死んでいるか。または、口裏を合わせた司祭がいるかもしれません」

 リッシュモンは、何としてもジアックを断罪する気のようだ。

「そんなことを言ったら、司祭がいてもいなくても真相はわからない」
「確実に真実を知る手段があります。陛下と前妻の実家の許しを得て、ジャンヌ・ド・ナイアックの棺を開封し、遺体に不審な点がないかを調べることができれば……」
「口を慎め。一度埋葬した棺を掘り起こすことは、死者への冒涜だ」
「仰せの通りです。しかし、もしジャンヌ・ド・ナイアックが死の秘蹟さえ受けていないなら、すでに冒涜されているに等しいのです」
「!!」

 リッシュモンの理屈は筋が通っている。
 死ぬまで馬車で轢き殺したことが事実なら、前妻の遺体は激しく損傷している。
 何があったか、一目でわかるはずだ。

 私は、棺の掘り起こしと、遺体の確認作業を許可した。
 ナイアック家にも使者を送った。じきに真相が判明するだろう。
 死者を生き返らせることはできないが、せめて彼女の境遇を憐れみ、司祭とともに冥福を祈ってやりたい。

「何と言うことだ……!」

 私は、横領事件を裁くときに「損なわれたのは財産であって、人命ではない」と言って、ジアックをかばった。私利私欲のために、伴侶を殺めた罪人をこれ以上かばうことはできない。

 キリスト教の神は、厳格だが寛大でもある。
 人は生まれながらに原罪があり、善良でありたいと願っていても小さな罪を犯してしまう。
 しかし、罪を自覚して、正直に告白し、許しを乞うならば、イエス・キリストの取りなしで免罪可能とされている。
 しかし、積極的に悪に荷担することは許されない。
 大罪を犯したときに、「悪魔に誘惑された」という言い訳が通用するのは一度だけだ。
 二度目は、情状酌量の余地なく処刑すると決まっている。

大元帥コネタブルに導かれるままに、こんなことになってしまったが……」

 腕の痛みと心痛で、ジアックは憔悴しきっていた。
 王の前だと言うのに、腰が抜けたように地べたに座り込んでいる。

「裁きに不服があるなら、今のうちに話して欲しい」

 できるだけ冷静に呼びかけたが、ジアックは何も言わない。
 顔色は蒼白を通り越して、土気色になっていた。

「名誉や良心がないのか? ジアックの祖先、同じ名のピエール・ド・ジアック一世はフランス王家で宰相を務めた偉大な人物だと聞く……」

 改心する最後の機会かもしれない。
 私は救いの糸口を探して、ひたすら語りかけた。

「それから、貴公には息子がいたはずだ。ジアックの名誉と良心にかけて、何か告白することはないのか? 本当に、このまま終わっていいのか……?」

 ジアックの乾いた唇が震えた。

「私の、息子……」
「確か、ルイと言ったか。はは、私の息子と同じ名だ」

 息子に反応したところから、ジアックは悪人に違いないが多少は情のある人物だと——私は信じたかった。この時は、ジアックの反応についてそれほど深く考えていなかった。

「私は未熟な王だが、父を慕う子供の気持ちと、子を愛する親の気持ちならわかるぞ。何か伝えたいことがあるだろう? なぁ、ジアック……」

 公務の場で、私情をさらけ出す振る舞いはタブーだ。
 だが、もともと「王にふさわしくない暗愚」と呼ばれている。
 今さら構うものかと、開き直っていた。

「何も、言うことはございません」

 私は次第に感傷的になっていたが、対照的にジアックは冷静さを取り戻していた。
 苦しそうだったが、最後まで正気を保ち、口調もはっきりしていた。

「ジアック、そんな……」
「陛下に私の気持ちはわからないでしょう。私のことは忘れてください」

 何がいけなかったのだろう。どこで間違えたのだろう。
 わずかに光が差し込んだかに見えたが、ジアックは完全に心を閉ざし、二度と私を見なかった。

 

***



 フランスには、「川は濁らずに大きくなることはない」という慣用句がある。
 何か汚いことをせずに、急速に拡大することはないと言う意味だ。

 若きジアックは閨房けいぼう術——ようするに性的な奉仕を利用して、ブルゴーニュ派宮廷の寵児となった。
 私の元へ来てからのスピード出世も、有力者の誰かと同じことをしていたのだろうか。
 そして何より、ジアックが母の愛人だったという話が、私の苦悩にいっそう拍車をかけた。
 以前から、私は父王シャルル六世の実子ではないと噂されている。
 ジアックは私より23歳年上だ。父かもしれない人物を、私は処刑しなければならない。

「なぜ、ここへ来た? なぜ、私に近づいた? モントロー橋で私を見かけて、何を思った? 息子だと思ったからブルゴーニュ派から寝返ったのか? 何のために? 罪滅ぼしか? それとも利用するためか? なぜ、どうして——!!」

 1427年2月、侍従長ピエール・ド・ジアックは溺死刑に処せられた。
 ロワール川の支流オーロン川にて、立会人のもと、縛られた罪人は革袋に詰め込まれ、生きたまま川に沈められた。
 王侯貴族の名誉を重んじた処刑方法は、城内で執行する斬首刑だ。
 溺死刑は、斬首刑に比べると格式が低いが、「死にゆく姿を人前にさらさない」という意味では、火刑や縛り首などの公開処刑よりも慈悲のある処刑方法といわれる。
 だが、ひとおもいに死ぬことはできない。苦痛に満ちた死だ。






(※)第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編、完結。

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