上 下
36 / 126
第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編

1.6 さまよう王と北極星(1)

しおりを挟む
 シャルル七世の寵臣として知られるカミュ・ド・ボーリューは、当初は護衛のひとりに過ぎなかった。

「やあ、私の愛するポレールは元気にしているかな」
「はははっ、またそうやってふざけたことを言ってからかうんだから!」
「本心だよ。私の傷心を癒してくれる唯一の存在なんだ」

 要人に仕えるには知性と慎重さが足りなかったが、私はボーリューの軽薄な性格を気に入って、「王の厩舎」の隊長に任命していた。

「また侍従長に叱られちゃいますよ」
「今は、ジアックより怖い奴がいるぞ」
「ええっ! じゃあ、ますますこんな所で油を売っていたらまずいじゃないですかぁ!」

 一応、臣下らしく諫めはするが、私を本気で追い出すつもりはない。
 ボーリューは人気のない厩舎の奥——孤独な王を慰めてくれる特別な部屋へと私を案内した。

「いつものやつ、預かりますね」

 入る前に、私は手早く上衣を脱いだ。
 服に匂いが移ると怪しまれてしまうから、上半身は下着同然のシャツ一枚のみ。
 この格好なら、もし汚れてもすぐに替えがきく。
 脱いだばかりの生暖かい上衣をボーリューに預けた。

「新鮮な水桶を用意しておきます。帰る前に、王様の体も洗い清めたほうがいいと思いますよ」
「ありがとう、そうさせてもらう」

 道具を受け取ると、私は厩舎の特別室へ入った。



***



 やかましい宮廷から解放されて、一息つけると思ったのに。

「……よくここが分かったな。ジアックから聞いたのか?」
「侍従長の取りなしは無用です。陛下の護衛はすべて私の部下ですから」

 アルテュール・ド・リッシュモンは大元帥コネタブルの権限を使って、護衛の人員配置を一新したようだ。
 私の行動はすべて筒抜けになっていた。

「調教が趣味とは知りませんでした」
「調教というほどではない。世話をしているだけだ」
「良い趣味だと存じます」
「ふん、どうだか」

 私は、馬やロバの世話をすることが好きだった。
 この長いたてがみと長い顔を持つ動物は、日頃から世話をする人間の顔を覚えて、よく懐いてくれる。
 言葉こそ通じないが、知性と心があると感じる。
 それでいて、人間の身分差をまったく知らず、愛情を返してくれる。
 馬は王侯貴族向け、ロバは労働者向けといわれるが、どちらも愛すべき純朴な動物だ。

 だが、どれほど好きでも、馬の育成と調教はとても難しい。
 私は専門的な能力を持っていなかった。下手な調教は、動物虐待になってしまう。

 だから、私はただの馬の世話係だ。
 掃除をして、新鮮な水と飼い葉を入れ替えて、背中にブラシをかける。
 天気が良ければ、運動して牧草を食べさせるために城内の原っぱへ出かける。
 王の厩舎はいつも手入れされているから、私がやっていることは遊びみたいなものだ。
 だが、こうして牧童の真似事をしていると、塞いだ気持ちが不思議と晴れていく。
 気分を一新して、また宮廷の公務へ戻る。それが私の日常だった。

(とはいえ……)

 王侯貴族は、権威を重んじる。
 仮にもフランス王を名乗る者が、薄いシャツ一枚でケダモノの世話をしていると世間に知れたら一大事だ。狂人か、あるいは愚者だと笑い物になってしまう。
 特に、イングランドが支配する北フランスでは、根も葉もない「シャルル七世の悪評」がばらまかれている。
 火種を見つければ、彼らは積極的に炎上させるだろう。

「このことは口外しないように」

 表沙汰にできないが、秘密の趣味はなかなかやめられない。

「当然です。フランス王ともあろう御方が、なんとだらしのない……」
「むう……」

 大元帥になってから、リッシュモンはますます遠慮がなくなった。
 いくら何でも「だらしない」は率直すぎる。無礼スレスレの言い草だ。

「ちゃんとした服を着てください。目のやり場に困ります」
「失礼な! まるで私が裸でいるみたいではないか!」
「同じです。人前に出られる格好ではないのですから」
「うぅ、そんなにひどいか?」

 正論を言われて、ぐうの音も出ない。
 しかし、宮廷用の上等な服に厩舎の匂いがつかないようにと、いろいろと考えた末に、このような薄着をしているのだ。だらしないと言われるのは心外だった。

「陛下のお召し物は、厩舎長が持ち去ったようです」
「違う。ボーリューが持ち去ったのではなく、私が預けたのだ!」
「ひとまず、こちらを羽織ってください」
「うわ、何をするやめ……」

 リッシュモンが身につけていた外套を、無理やり着せられた。
 サイズが大き過ぎて、どこもかしこも布が余っている。
 体格差をまざまざと見せつけられた気がする。いや、そんなことよりも。

「馬糞臭くないか? 貴公の外套に匂いが移ってしまう」
「気遣いはご無用です」
「あと、今の私はだいぶ汗をかいている。外套が汗臭くなっては申し訳ない気がする」
「そんなことを気に掛けるくらいなら、汗で張り付いた下着一枚で家臣の前に立っていることを恥じてください」

 リッシュモンはあいかわらずの鉄面皮だが、視線をそらしてこちらを見ようともしない。かなり怒っている。

(私は、それほどまでに恥ずかしい振る舞いをしているのか……?)

 牧童の真似事などしないで、王らしく、身分をわきまえろということか。
 私が黙ったのを見計らって、リッシュモンは書類の束を差し出した。

「陛下から命じられた『顧問会議の再編案』を作成しました。お目通しください」

 こんな所まで追いかけてきて、一体何事かと思えば。

「……まったく、大元帥はあきれるほど仕事熱心だな」

 書類を読むには、厩舎の奥は暗すぎる。
 お気に入りの老愛馬ポレールと、まじめすぎるリッシュモンを連れて、私たちは牧草地へ出かけることにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

暗愚か名君か、ジャンヌ・ダルクではなく勝利王シャルル七世を主人公にした理由

しんの(C.Clarté)
エッセイ・ノンフィクション
勝利王シャルル七世といえば「ジャンヌ・ダルクのおかげで王になった」と「恩人を見捨てた非情な暗愚」という印象がつきまとう、地味なフランス王です。 ですが、その生い立ちは「設定盛りすぎ」としか言いようがない。 これほど波乱の多い生涯を送った実在の人物はいないのでは…と思うほど、魅力的なキャラクターでした。 百年戦争はジャンヌだけじゃない。 知られざるキャラクターとエピソードを掘り起こしたくて……いや、私が読みたいから! ついに自給自足で小説を書き始めました。 ※表紙絵はPaul de Semantによるパブリックドメインの画像を使用しています。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

教皇の獲物(ジビエ) 〜コンスタンティノポリスに角笛が響く時〜

H・カザーン
歴史・時代
 西暦一四五一年。  ローマ教皇の甥レオナルド・ディ・サヴォイアは、十九歳の若さでヴァティカンの枢機卿に叙階(任命)された。  西ローマ帝国を始め広大な西欧の上に立つローマ教皇。一方、その当時の東ローマ帝国は、かつての栄華も去り首都コンスタンティノポリスのみを城壁で囲まれた地域に縮小され、若きオスマンの新皇帝メフメト二世から圧迫を受け続けている都市国家だった。  そんなある日、メフメトと同い年のレオナルドは、ヴァティカンから東ローマとオスマン両帝国の和平大使としての任務を受ける。行方不明だった王女クラウディアに幼い頃から心を寄せていたレオナルドだが、彼女が見つかったかもしれない可能性を西欧に残したまま、遥か東の都コンスタンティノポリスに旅立つ。  教皇はレオナルドを守るため、オスマンとの戦争勃発前には必ず帰還せよと固く申付ける。  交渉後に帰国しようと教皇勅使の船が出港した瞬間、オスマンの攻撃を受け逃れてきたヴェネツィア商船を救い、レオナルドらは東ローマ帝国に引き返すことになった。そのままコンスタンティノポリスにとどまった彼らは、四月、ついにメフメトに城壁の周囲を包囲され、籠城戦に巻き込まれてしまうのだった。  史実に基づいた創作ヨーロッパ史!  わりと大手による新人賞の三次通過作品を改稿したものです。四次の壁はテオドシウス城壁より高いので、なかなか……。  表紙のイラストは都合により主人公じゃなくてユージェニオになってしまいました(スマソ)レオナルドは、もう少し孤独でストイックなイメージのつもり……だったり(*´-`)

華麗なるブルゴーニュ家とハプスブルグ家の歴史絵巻~ 「我らが姫君」マリー姫と「中世最後の騎士」マクシミリアン1世のかくも美しい愛の物語

伽羅かおる
歴史・時代
 15世紀欧州随一の富を誇ったブルゴーニュ家の「我らが美しき姫君 マリー・ド・ブルゴーニュ」とハプスブルグ家「中世最後の騎士 マクシミリアン1世」の悲しくも美しい愛の物語を、そしてその2人の側にいた2人の姫アリシアとセシリアの視点から、史実に基づき描いていく歴史小説です。  もともとマリーとマクシミリアンの曽祖父はポルトガルのジョアン1世で、この2人も再従兄弟(はとこ)同士、マリーの父方のお祖母様と、マクシミリアンの母方のお祖父様は兄と妹という関係だったのです。当時のヨーロッパではカトリック同士でしか婚姻を結べないのはもちろんのこと、貴族や王家の結婚は親同士が決める政略結婚ですから、親戚筋同士の結婚になることが多いのです。  そしてこの物語のもう一つの話になる主人公の2人の姫もやはり、アリシアはイングランド王ヨーク家の親族であり、またセシリアの方はマリーとマクシミリアンの曽祖父に当たるジョアン1世の妻であるイングランド王室ランカスター家出身のフィリパ(マリーの父方のお祖母様と、マクシミリアンの母方のお祖父様の母にあたる人)の父であるジョン・オブ・ゴーントの血を引いています。  またヨーク家とランカスター家とはかの有名な《薔薇戦争》の両家になります。  少し複雑なので、この話はおいおい本編において、詳しく説明させていただきますが、この4人はどこかしらで親戚筋に当たる関係だったのです。そしてマリーやマクシミリアンにとって大切な役割を果たしていたマリーの義母マーガレット・オブ・ヨークも決して忘れてはいけない存在です。  ブルゴーニュ家とハプスブルグ家というヨーロッパでも超名門王家の複雑な血筋が絡み合う、華麗なる中世のヨーロッパの姫物語の世界を覗いてみたい方必見です!  読者の皆さんにとって、中世の西洋史を深く知る助けのひとつになることを祈ります! そしてこの時代のヨーロッパの歴史の面白さをお伝えできればこれほど嬉しいことはありません!  こちらがこの小説の主な参考文献になります。 「Maria von Burgund」 Carl Vossen 著 「Marie de Bourgogne」 Georges-Henri Dumonto著 独語と仏語の文献を駆使して、今までにないマリーとマクシミリアンの世界をお届け致します!

立花道雪遺香~鎮西の片田舎で生まれた没落武士が天下の雄将へと成し遂げる行く末を見届けようと思う~

和本明子
歴史・時代
戸次道雪。その娘、立花誾(ギン)千代。 高橋紹運。その子、高橋彌七郎統虎……後の立花宗茂。 そして彼らを支えし安東、由布、十時、小野、薦野、米多比たち家臣団。 この物語は、激動の戦国時代で誰もが自身の利益と保身に走り、多大の恩がある主君をも見限り裏切ってしまえる乱世に在りて、己の『義』を貫き通し、受け継いできた者たちの、義なる物語である。

紅き龍棲の玉座

五月雨輝
ファンタジー
天空を飛ぶ龍を巧みに操り、龍騎兵戦術を得意とする大陸北東の国家、ローヤン帝国。 天才的戦術家であり、人智を超えた能力、天法術の使い手でもある第一皇子リューシスは、玉座への意思が無いにも関わらず、常にその優れた器量を異母弟であり皇太子のバルタザールの一派に警戒されていた。 そしてついにある日、リューシスは皇太子派の中心人物である宰相マクシムによる陰謀にかかり、皇帝暗殺未遂の大罪人として追われてしまう。 数少ない仲間たちと共に辺境の地まで逃亡するリューシスを、マクシムら皇太子派は執拗に追い続ける。 だがまた、そのようなローヤン帝国の騒乱を好機と見て、帝国を狙う数々の敵が現れる。 強大な隣国の侵攻、かつて大陸を統治していた国の末裔の決起、政治に不満を持つ民衆の蜂起、そしてリューシスを憎悪し、帝国そのものを破壊しようとする謎の天法士の暗躍。 皇子から大罪人へと転落したリューシスは、数々の難敵に対処しながら、自らを陥れた宰相らへ戦いを挑む。 紅い玉座を巡る熾烈な戦いが始まる。 タイトルは紅き(あかき)龍棲(りゅうせい)の玉座、と読みます。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...