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第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編
1.2 ヴェルヌイユの戦い(2)名もなき犠牲者たち
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ヴェルヌイユの戦いは「第二のアジャンクール」と呼ばれる。
ヴェルヌイユは1424年8月17日で、アジャンクールの戦いは九年前——1415年10月25日の出来事だ。私は12歳で、戦争や権力闘争とは無縁だった。
運に見放された惨敗の記録と、虐殺された騎士たちの悲劇は、フランス中で語り草になっている。
九年を経て、アジャンクールの犠牲者の息子たちが「打倒イングランド」と「真のフランス王家たるヴァロワ家再興」をスローガンに掲げて、私のもとへ集まってくるようになった。
「シャルル王の旗下で戦わせてください!」
「父を無惨に殺したイングランドには従いたくありません!」
本心は、父の敵討ちといったところか。
威勢だけは良いものの、みんな一様に小柄で、骨董品のような鎖帷子を着込み、痩せた貧相な馬に乗ってくるのが常だった。父を亡くし、苦労しながらここまで生きてきたのだろう。血気盛んな十代半ばの少年が多かった。
若い騎士志望者たちを戦場に送り出すのはかわいそうな気がして、私は何かと理由をつけて小姓として召し上げた。
そんな中に、ミンゲと呼ばれる小姓がいた。名前から察するに南フランス出身だろうか。
遠方に住む母君の胸中を思うと、やはり戦わせたくなくて、城内でパンを焼いて給仕する役目に就かせた。
騎士志望なのに雑用ばかりで、あからさまに不満を漏らしたり、中には脱走する者もいたが、ミンゲはよく尽くしてくれた。私や他の重臣たちそれぞれの好みのパンを覚えて、新しいパンを補充するときにその人が好きなパンを少し多めに用意するなど、最適な給仕をしてくれる。気が利く性格は料理長からも好かれていた。
平和な仕事に満足していると思っていたのだが——
「陛下、このたび戦地へ行くことになりましたので、お別れを申し上げにまいりました」
ミンゲの親戚はスコットランド出身だった。
その縁で、フランス軍の主力でもあるスコットランド軍に入隊することが決まったらしい。
「そうだったのか……」
律儀に挨拶に来るとは、まだ若いのに殊勝な心がけだ。
それゆえに、危険な戦地へ行かせるのはやはり惜しい。
「……故郷の母君は、このことを知っているのか?」
「少し前に、これまでにいただいた給金を仕送りしました」
手紙は、戦いが終わってから。
戦地で手柄を立ててから「武勇伝」を送るつもりだと言う。
「父は悲劇的な最期を遂げましたが、未亡人となった母も悲惨でした。貴族出身でありながら、なりふり構わず、大変な苦労をして私を育ててくれました。これからは『自慢の息子』の武勇伝を聴きながら余生を過ごしてほしいのです」
もはや私に止めることはできない。
私は気分を切り替えて、定型通りにねぎらいの言葉をかけた。
「いままで大儀であった。武運を祈っている」
ミンゲが退室したのを見届けてから、私は「またか」とつぶやき、重いため息を吐いた。
同じことを言って私の前から去っていった者は、これで何人目だろう。
「まだ、声変わりもしていない子供ではないか……!」
八つ当たりするように、玉座の肘かけを拳で叩いた。
なぜ、彼らは「手柄を立てて帰ってくる」と自分を信じられるのだろう。
騎士たちが誇る勇敢さは、私から見れば短絡的な無謀さでしかなかった。
ほとんどの者が——特に、夢見がちで経験の浅い少年ほど早く死んでいく。
「武勇伝よりも、訃報を伝える手紙の方がはるかに多いというのに……」
じわりと熱いものが込み上げてきて、慌てて目元をぬぐった。
今回は「戦う」と決めたのに、私の心は迷っていた。悪い予感がどうしても消えない。
どこの宮廷にも主戦派と穏健派がいる。
前者は「戦い」を、後者は「話し合い」を是とする。
本来、私は穏健派だが、ブルゴーニュ無怖公が殺害されてから自分のやり方に自信がなくなり、さらに臆病になった。
戦いを前に「迷い」が消えないのは、ブルターニュ公の弟——アルテュール・ド・リッシュモン伯を迎えるための会合で、「野戦を避けるように」と忠告されたせいだろうか。だが、もう遅い。
「あっ、そうだ」
ミンゲが去ってしまう前に餞別をあげようと思いつき、私は武器庫へ向かった。
私が16歳のときに、モントロー橋でブルゴーニュ公との会合に備えて小ぶりの甲冑をあつらえた。
ミンゲは旧式の鎖帷子を身につけていた。亡き父の形見だそうで、丁寧に錆を落として手入れされていたが、あれは弓矢に弱いのだ。プレートアーマーを着用すれば生存確率が上がるはずだ。
「なりません」
侍従長ピエール・ド・ジアックに行く手を阻まれた。
「……なぜだ」
「ひとりを特別扱いすれば、他のものに不満が生まれます」
羨望とやっかみは、結果的に本人の足を引っ張ることになると説かれた。
「別に、特別扱いではない」
「では、他のものにも——陛下にお仕えする者たち全員に餞別を与えるのですか」
「そ、それは……」
ぐうの音も出ない。
ヴェルヌイユに参戦するフランス・スコットランド連合軍は1万8000人もいる。
大きな戦いがなくても、普段から財政難に苦しんでいるのに、相場の給料以上の餞別を大盤振る舞いすることはできない。
「敵はイングランドだけではありません。味方の同輩も、戦場で手柄を競い合うライバルです。初陣の若輩者が王から寵愛されていると知れ渡れば、いっそう面倒です。味方を敵に回すほどおそろしいことはありません」
初陣の若輩者が王から寵愛されていると知れ渡れば、やっかみと羨望の的になる。
それだけならよくある話だが、近ごろは不謹慎で卑猥な妄想を、まるで真実であるかのように垂れ流す者までいると聞く。
「陛下の名誉を守るためです」
「もういい、わかった。ジアックの言う通りにする!」
「結構でございます」
名案だと思ったのに即座に否定されて悔しかったが、遣り手の侍従長には逆らえない。
せめてもの救いにと、スコットランド軍を指揮するバカン伯に「ミンゲを盾持ちに配属できないか」と相談した。防御重視で大きな盾を持たせればあるいは——と考えた。
「仰せのままに。あの少年には、我らの同胞スコットランド人の血が半分は流れているのです。悪いようには致しません」
私はヴェルヌイユへ行かなかった。
現地での対応は、実際に出陣する指揮官に任せるしかない。
***
ヴェルヌイユの戦いで、スコットランド軍は壊滅した。
ベッドフォード公は、兄で王弟だったクラレンス公をボージェの戦いで討ち取ったスコットランド軍に狙いを定め、無慈悲に殺してまわった。戦斧で首を切られ、四肢を切断され、捕まったものは絞首刑となり、逃げたものは近隣の堀で水死体となって発見された。
水死体はぐずぐずにふやけていて個人が判別できず、各自が身につけている紋章でようやく見分けがつく有り様だった。
ミンゲ少年の生死はわからない。戦闘中に「フランス軍は分が悪い」と見限って逃亡し、そのまま行方をくらましたのだとしたら——脱走は重罪だが——その方がずっといい。
気立てのいい子だったから、きっとどこでも生きていける。
フランスでもイングランドでもいい。どこかの町で、お城仕込みの美味しいパン焼き職人になっていたらと願ってやまない。
ヴェルヌイユは1424年8月17日で、アジャンクールの戦いは九年前——1415年10月25日の出来事だ。私は12歳で、戦争や権力闘争とは無縁だった。
運に見放された惨敗の記録と、虐殺された騎士たちの悲劇は、フランス中で語り草になっている。
九年を経て、アジャンクールの犠牲者の息子たちが「打倒イングランド」と「真のフランス王家たるヴァロワ家再興」をスローガンに掲げて、私のもとへ集まってくるようになった。
「シャルル王の旗下で戦わせてください!」
「父を無惨に殺したイングランドには従いたくありません!」
本心は、父の敵討ちといったところか。
威勢だけは良いものの、みんな一様に小柄で、骨董品のような鎖帷子を着込み、痩せた貧相な馬に乗ってくるのが常だった。父を亡くし、苦労しながらここまで生きてきたのだろう。血気盛んな十代半ばの少年が多かった。
若い騎士志望者たちを戦場に送り出すのはかわいそうな気がして、私は何かと理由をつけて小姓として召し上げた。
そんな中に、ミンゲと呼ばれる小姓がいた。名前から察するに南フランス出身だろうか。
遠方に住む母君の胸中を思うと、やはり戦わせたくなくて、城内でパンを焼いて給仕する役目に就かせた。
騎士志望なのに雑用ばかりで、あからさまに不満を漏らしたり、中には脱走する者もいたが、ミンゲはよく尽くしてくれた。私や他の重臣たちそれぞれの好みのパンを覚えて、新しいパンを補充するときにその人が好きなパンを少し多めに用意するなど、最適な給仕をしてくれる。気が利く性格は料理長からも好かれていた。
平和な仕事に満足していると思っていたのだが——
「陛下、このたび戦地へ行くことになりましたので、お別れを申し上げにまいりました」
ミンゲの親戚はスコットランド出身だった。
その縁で、フランス軍の主力でもあるスコットランド軍に入隊することが決まったらしい。
「そうだったのか……」
律儀に挨拶に来るとは、まだ若いのに殊勝な心がけだ。
それゆえに、危険な戦地へ行かせるのはやはり惜しい。
「……故郷の母君は、このことを知っているのか?」
「少し前に、これまでにいただいた給金を仕送りしました」
手紙は、戦いが終わってから。
戦地で手柄を立ててから「武勇伝」を送るつもりだと言う。
「父は悲劇的な最期を遂げましたが、未亡人となった母も悲惨でした。貴族出身でありながら、なりふり構わず、大変な苦労をして私を育ててくれました。これからは『自慢の息子』の武勇伝を聴きながら余生を過ごしてほしいのです」
もはや私に止めることはできない。
私は気分を切り替えて、定型通りにねぎらいの言葉をかけた。
「いままで大儀であった。武運を祈っている」
ミンゲが退室したのを見届けてから、私は「またか」とつぶやき、重いため息を吐いた。
同じことを言って私の前から去っていった者は、これで何人目だろう。
「まだ、声変わりもしていない子供ではないか……!」
八つ当たりするように、玉座の肘かけを拳で叩いた。
なぜ、彼らは「手柄を立てて帰ってくる」と自分を信じられるのだろう。
騎士たちが誇る勇敢さは、私から見れば短絡的な無謀さでしかなかった。
ほとんどの者が——特に、夢見がちで経験の浅い少年ほど早く死んでいく。
「武勇伝よりも、訃報を伝える手紙の方がはるかに多いというのに……」
じわりと熱いものが込み上げてきて、慌てて目元をぬぐった。
今回は「戦う」と決めたのに、私の心は迷っていた。悪い予感がどうしても消えない。
どこの宮廷にも主戦派と穏健派がいる。
前者は「戦い」を、後者は「話し合い」を是とする。
本来、私は穏健派だが、ブルゴーニュ無怖公が殺害されてから自分のやり方に自信がなくなり、さらに臆病になった。
戦いを前に「迷い」が消えないのは、ブルターニュ公の弟——アルテュール・ド・リッシュモン伯を迎えるための会合で、「野戦を避けるように」と忠告されたせいだろうか。だが、もう遅い。
「あっ、そうだ」
ミンゲが去ってしまう前に餞別をあげようと思いつき、私は武器庫へ向かった。
私が16歳のときに、モントロー橋でブルゴーニュ公との会合に備えて小ぶりの甲冑をあつらえた。
ミンゲは旧式の鎖帷子を身につけていた。亡き父の形見だそうで、丁寧に錆を落として手入れされていたが、あれは弓矢に弱いのだ。プレートアーマーを着用すれば生存確率が上がるはずだ。
「なりません」
侍従長ピエール・ド・ジアックに行く手を阻まれた。
「……なぜだ」
「ひとりを特別扱いすれば、他のものに不満が生まれます」
羨望とやっかみは、結果的に本人の足を引っ張ることになると説かれた。
「別に、特別扱いではない」
「では、他のものにも——陛下にお仕えする者たち全員に餞別を与えるのですか」
「そ、それは……」
ぐうの音も出ない。
ヴェルヌイユに参戦するフランス・スコットランド連合軍は1万8000人もいる。
大きな戦いがなくても、普段から財政難に苦しんでいるのに、相場の給料以上の餞別を大盤振る舞いすることはできない。
「敵はイングランドだけではありません。味方の同輩も、戦場で手柄を競い合うライバルです。初陣の若輩者が王から寵愛されていると知れ渡れば、いっそう面倒です。味方を敵に回すほどおそろしいことはありません」
初陣の若輩者が王から寵愛されていると知れ渡れば、やっかみと羨望の的になる。
それだけならよくある話だが、近ごろは不謹慎で卑猥な妄想を、まるで真実であるかのように垂れ流す者までいると聞く。
「陛下の名誉を守るためです」
「もういい、わかった。ジアックの言う通りにする!」
「結構でございます」
名案だと思ったのに即座に否定されて悔しかったが、遣り手の侍従長には逆らえない。
せめてもの救いにと、スコットランド軍を指揮するバカン伯に「ミンゲを盾持ちに配属できないか」と相談した。防御重視で大きな盾を持たせればあるいは——と考えた。
「仰せのままに。あの少年には、我らの同胞スコットランド人の血が半分は流れているのです。悪いようには致しません」
私はヴェルヌイユへ行かなかった。
現地での対応は、実際に出陣する指揮官に任せるしかない。
***
ヴェルヌイユの戦いで、スコットランド軍は壊滅した。
ベッドフォード公は、兄で王弟だったクラレンス公をボージェの戦いで討ち取ったスコットランド軍に狙いを定め、無慈悲に殺してまわった。戦斧で首を切られ、四肢を切断され、捕まったものは絞首刑となり、逃げたものは近隣の堀で水死体となって発見された。
水死体はぐずぐずにふやけていて個人が判別できず、各自が身につけている紋章でようやく見分けがつく有り様だった。
ミンゲ少年の生死はわからない。戦闘中に「フランス軍は分が悪い」と見限って逃亡し、そのまま行方をくらましたのだとしたら——脱走は重罪だが——その方がずっといい。
気立てのいい子だったから、きっとどこでも生きていける。
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