7番目のシャルル、聖女と亡霊の声

しんの(C.Clarté)

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第一章〈逆臣だらけの宮廷〉編

1.1 ヴェルヌイユの戦い(1)

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 私は生まれつき気が弱く、戦争や流血が苦手だった。
 特に夏——クソ暑い八月に、血みどろ汗まみれの戦争なんてまっぴらごめんだ。
 できることなら、ロワール川支流でせせらぎを聞きながら、原っぱに寝そべってのんびり昼寝を楽しみたい。冷えた果実酒があるとさらに良い。しかし、時代がそれを許さない。

「アンジューからの使者だって?」

 私は、妻で王妃のマリー・ダンジューと顔を見合わせた。
 長男のルイが一歳を迎えたばかりで、マリーは二人目を身ごもっていた。
 アンジュー地方はマリーの生まれ故郷だ。てっきり祝いの使者かと思ったが、使者の来訪を伝える侍従は青ざめていて、何か悪い知らせだと直感した。

「……何があった」

 1424年夏、アンジュー地方メーヌにあるイヴリー城がイングランド軍に包囲され、間もなく陥落した。

 アンジュー公一家は、不遇だった私を拾い上げ、愛情と教育を授けてくれた恩人だ。
 私は父王シャルル六世の10番目の子だった。14歳で王太子になるまで王位継承とは縁遠かったから、(名目上)即位した今もそれほど執着していない。とはいえ、みすみす簒奪者に王冠をくれてやるほど優しくはない。その上に、恩義あるアンジューへの侵攻か——

「個人的にも、道義的にも、イングランドの横暴は到底許せるものではない」
「陛下、それでは……」
「元帥をここへ!」
「はっ!」

 戦争や流血が嫌いでも、大切なものを守るために戦わなければならない時がある。
 だが、正義と信念があっても、運に見放されて敗北する日もあった。



***



 1424年8月17日、ヴェルヌイユの戦い。
 フランス北西部・ノルマンディー地方のヴェルヌイユ近郊で、フランス・スコットランド連合軍とイングランド・ブルゴーニュ連合軍が激突した。
 ノルマンディー地方はイングランド王がフランス国内に保有する所領で、アンジュー地方メーヌと隣り合っている。

 敵方イングランド・ブルゴーニュ連合軍の戦力はおよそ1万4000人。
 指揮官は、英仏連合王国の摂政ベッドフォード公と、ボージェ戦の雪辱を誓ったソールズベリー伯だ。ヘンリー五世が生きていた頃、ボージェの戦いで王弟(ベッドフォード公の兄)が戦死して以来、ベッドフォード公とソールズベリー伯は私を敵視している。
 イングランド・ブルゴーニュ連合軍といっても、指揮官と主力はイングランド勢力で占められている。ここでは「イングランド軍」と呼ぼう。

 一方の我が軍——フランス・スコットランド連合軍の戦力は1万8000人。
 フランス軍とスコットランド軍の他に、アラゴン王国、ミラノ公国、ロンバルディアからも援軍が駆けつけてくれた。いずれも忠誠心が高くて優れた騎士たちだ。
 指揮官は、南フランスの軍事を担っていたラファイエット元帥、アルクール伯、ナルボンヌ卿、スコットランド王族の末裔バカン伯ジョン・ステュアート、スコットランド貴族アーチボルト・ダグラス伯など。
 人数が多すぎて覚えきれないが、のちに庶子からミラノ公に成り上がるフランチェスコ・スフォルツァが参戦していたかもしれない。彼がロンバルディアの傭兵隊長として活躍していた時期と重なる。
 援軍友軍を含め、ここではわかりやすく「フランス軍」と呼ぼう。

 数的にはフランス軍が有利だが、その実体は寄せ集めの混成軍に近かった。



***



 8月17日の夕方、イングランド軍の兵士は雄叫びを挙げ、守護聖人と指揮官の名を称えながらゆっくりと平野を進み始めた。

「聖ジョージ! ベッドフォード!」

 百年戦争の勃発以来、イングランド軍の必勝パターンは長弓兵の運用にある。
 これを攻略しなければフランス軍に勝機はない。

「××××××!!」

 聞き慣れない言葉を叫び、フランス軍左翼のミラノ・ロンバルディア勢が前進した。
 ミラノには欧州最高品質のプレートアーマーを生産する工房がある。最新のミラノ製プレートアーマーは飛来する矢をはじき飛ばした。先端のポイントはへこみ、木製シャフト(矢の胴体)は裂けるか折れて木っ端となった。
 ミラノ・ロンバルディア勢8000騎は無傷のまま、イングランド弓兵2000人めがけて突撃を敢行した。

「~~~~~~!!」

 フランス軍右翼では、スコットランド弓兵とイングランド弓兵——敵味方合わせて1万人が打ち合う「恐るべき弓の決闘」が始まった。
 上空高く矢が放たれ、しばらくすると猛烈な矢の雨が両軍に降り注いだ。強硬なプレートアーマーといえど、長時間の打撃で穴が空けばポイントは皮膚と肉に突き刺さる。優れているのは弓矢か、それとも堅牢な防具が耐え切るのか——?
 戦況報告によると、弓を撃ち合う決闘は45分も続いた。
 私が思うに、弓矢が致命傷にならないからこそ長時間の攻防が成立するのだろう。弓兵はもはや脅威ではなくなっていた。

 両軍の弓兵たちが決闘に夢中になっている間に、フランス軍の主力がイングランド軍の背後を突いて本陣に襲いかかった。

「来たか」

 ソールズベリー伯は弓兵の指揮で出払っていた。
 本陣に控えていたのは、ベッドフォード公と少数精鋭の親衛隊のみだったという。

「シャルルはどこだ……」

 指揮官のベッドフォード公は大きな戦斧を手に、フランス軍を待ち構えていた。

「我が兄、クラレンス公の仇! 命をもって償うがいい!」

 恐ろしい形相で私を探し、近づく者には容赦なく戦斧を叩きつけた。
 プレートアーマーは矢を弾くが、戦斧の一撃を喰らえばひとたまりもない。特に、胸から上部、顔面のフェイスガードの当たりどころが悪いと、へこんだ金属アーマーに圧迫されて呼吸ができなくなる。凹みを修復するか、歪んだ鎧を外さなければ窒息する。

「ははっ、苦しいか? どれ、脱がしてやろう」

 ベッドフォード公は、もがく騎士をつかまえて馬乗りになると強引に兜を剥いだ。
 露わになった首に、慈悲なき戦斧が振り下ろされる。

「おまえは……シャルルではないな。奴はもっと若い……」

 ベッドフォード公が直率する少数の兵は、亡き王弟クラレンス公の名を叫びながらフランス軍を圧倒し、小一時間ほどで制圧した。

「まさか、シャルルは来ていないのか……?」

 憎しみのあまり、ベッドフォード公は狂戦士バーサーカーと化したのだろうか。
 血まみれの戦斧を握りしめると、ボージェの戦いで主力だったスコットランド軍に狙いを定めた。
 スコットランド王族のバカン伯ジョン・ステュアート、その弟のロバート・ステュアート、兄弟の義父アーチボルト・ダグラス伯がことごとく戦死した。投降したスコットランド兵は絞首刑に処され、捕虜となった者はひとりもいなかった。
 こうして、これまでフランス軍を支援してきたスコットランド軍は壊滅状態となった。

「何がシャルル七世だ、腰抜けめ……!!」

 フランス軍指揮官のナルボンヌ卿は、八つ裂きにされ無惨な死体となって見つかった。
 アルクール伯も戦死し、ボージェの戦いと無関係なラファイエット元帥だけがかろうじて捕虜となって生き延びた。

「シャルルはどこだ! あの小心なブールジュの王を引きずり出せッ!!」

 ヴェルヌイユ近郊の平野に、宵闇が迫る。
 おびただしい血と汗のにおいが立ち込める戦場で、ヘンリー五世の弟ベッドフォード公ジョンの怨嗟の叫びがこだましていた。



***



 1424年8月17日、ヴェルヌイユの戦い。
 英仏百年戦争における大規模な戦闘のひとつで、「第二のアジャンクール」と呼ばれる。かの戦いと同じく、イングランド軍が大勝し、フランス軍は大敗を喫した。

 敗因は、「意思疎通の困難」を起因とする指揮系統の乱れだろう。

 はじめ、フランス軍の各勢力は単独では善戦していた。
 問題は、フランス人、スコットランド人、アラゴン人、ミラノ人、ロンバルディア人——それぞれがしゃべる言語がまるで通じなかったことにある。
 王侯貴族は教養としてラテン語を学んでいる。外交では必須の公用語だ。
 しかし、大多数の兵士は生まれ育った地域の方言しか知らなかった。戦場で伝令を送っても、言葉が通じなければ対応が遅れる。「兵は拙速を尊ぶ」というが、戦場では致命的な弱点だった。

 のちに私は「勝利王」と呼ばれるが、この戦いはシャルル七世治世下で最大の敗北となった。
 そしてイングランドは、アンジュー地方の北部メーヌを支配下に収めたのだった。






(※)今回登場した(今回しか登場しない)ジルベール・ド・ラファイエット元帥は、フランス革命時代に活躍したラファイエット将軍の先祖に当たります。
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