149 / 203
第九章〈正義の目覚め〉編
9.6 リッシュモンとフランス宮廷(2)
しおりを挟む
ブルゴーニュ無怖公が失脚し、王太子がリッシュモンを正騎士に叙任した同じ年。
10歳の末弟シャルルとマリー・ダンジューの婚約が決まった。おそらく、反ブルゴーニュ勢力の結束を固めるため、そして幼い私の身辺を守るための政略だろう。婚約を名目に、私はアンジュー公夫妻に預けられることになった。
アンジェ城到着に合わせて、王太子から祝いの贈り物が届いた。私はアンジュー公妃ヨランド・ダラゴンに連れられて使者アルテュール・ド・リッシュモンと対面した。
「公妃もお人が悪い」
「あら、何のことかしら」
「王子がすでにご滞在されているとは聞いてませんでした」
私は王家の末弟だから、王位を継承するとは見なされていなかった。
フランス王家と関わりの深いサン・ドニの聖職者の記録によると、父王は末王子に関心がなく、母妃イザボーは権力と縁のなさそうな子を冷遇していた。
物心がつく前、母を追いかけて湖に向かう途中で、ブルゴーニュ公に誘拐されたときも、母は私を案じるどころか湖畔で王弟と相引きしていた。
兄の王太子はそのことを嘆き、何度か母と衝突していたらしいが、リッシュモンはどこまで知っていただろう。
「申し遅れました。私はブルターニュ公の弟、アルテュール・ド・リッシュモン伯と申します」
私とリッシュモンの浅からぬ関係を思うと、この時点で出会っていたことは奇跡だ。
無怖公がリッシュモンを宮廷へ送り込み、王太子がリッシュモンを気に入って正騎士に叙任し、無怖公が失脚し、私とマリーが婚約すると贈り物が届いた。王太子に仕える者はごまんといるだろうに、よりによってこの男が使者に選ばれたのだから。
「王太子殿下から王子へ手紙を預かってまいりました」
「兄上から?!」
後年のことを思うと、この時のリッシュモンはずいぶん優しかった。
私が幼かったからだろうか。
「字は読めますか?」
「うん!」
「では、私が読み上げるよりも、王子が手づから読んだ方が感動もひとしおでしょうから、どうぞお受け取りください」
私は10歳になったばかりで、礼拝堂の長椅子に腰掛けるとわくわくしながら封蝋を破り、手紙を開封した。
兄の手紙は子供には少し難しかったが、私は自分が忘れられていなかったことが嬉しかった。
「王子、どうされましたか」
「えっ……」
確かに嬉しかったはずなのに、ふいに切ない感情がこみ上げてきて、気がつくと涙が流れていたらしい。リッシュモンはヨランドとの会話を中断すると、膝をついて私の頬をぬぐった。ヨランドも異変に気づき、優しく寄り添ってくれた。
「リッシュモン伯、王太子殿下からの書簡には何が書かれていたのですか」
「内容は把握してません。プライベートな話でしょうから立ち入ったことまでは……」
私は鼻をすすりながら、ふるふると首を横に振った。
「何でもない。兄上からの手紙が嬉しかったから」
本心だったが、ふたりは私の心に巣食う孤独を感じ取ったのだろう。
ヨランドはリッシュモンを引き止め、リッシュモンは帰還を先延ばしにすると、「シャルル王子の兄・王太子の名代」という口実で婚約披露宴まで付き合ってくれた。
「すばらしい祝宴でした。王太子殿下に『王子は健やかにご成長している』とお伝えします」
「もちろん兄上にも感謝しているけれど、あなたにも御礼を言わせてほしい」
別れの挨拶を交わしながら、私は礼を伝え、遠征先での武運を祈った。
今にして思えば、峻厳な性格のリッシュモンが優しい気遣いを見せた貴重な一幕だった。きっとあの男にも、兄の手紙を心待ちにしてひそかに涙を流した日があったのだろう。
初対面では10歳と20歳だったが、次に会うのは11年後である。
おそらく、この時のリッシュモンは、私を通じて幼いころの自分の面影を見たのだろう。私もまたリッシュモンに兄の面影を重ねていたのかもしれない。
10歳の末弟シャルルとマリー・ダンジューの婚約が決まった。おそらく、反ブルゴーニュ勢力の結束を固めるため、そして幼い私の身辺を守るための政略だろう。婚約を名目に、私はアンジュー公夫妻に預けられることになった。
アンジェ城到着に合わせて、王太子から祝いの贈り物が届いた。私はアンジュー公妃ヨランド・ダラゴンに連れられて使者アルテュール・ド・リッシュモンと対面した。
「公妃もお人が悪い」
「あら、何のことかしら」
「王子がすでにご滞在されているとは聞いてませんでした」
私は王家の末弟だから、王位を継承するとは見なされていなかった。
フランス王家と関わりの深いサン・ドニの聖職者の記録によると、父王は末王子に関心がなく、母妃イザボーは権力と縁のなさそうな子を冷遇していた。
物心がつく前、母を追いかけて湖に向かう途中で、ブルゴーニュ公に誘拐されたときも、母は私を案じるどころか湖畔で王弟と相引きしていた。
兄の王太子はそのことを嘆き、何度か母と衝突していたらしいが、リッシュモンはどこまで知っていただろう。
「申し遅れました。私はブルターニュ公の弟、アルテュール・ド・リッシュモン伯と申します」
私とリッシュモンの浅からぬ関係を思うと、この時点で出会っていたことは奇跡だ。
無怖公がリッシュモンを宮廷へ送り込み、王太子がリッシュモンを気に入って正騎士に叙任し、無怖公が失脚し、私とマリーが婚約すると贈り物が届いた。王太子に仕える者はごまんといるだろうに、よりによってこの男が使者に選ばれたのだから。
「王太子殿下から王子へ手紙を預かってまいりました」
「兄上から?!」
後年のことを思うと、この時のリッシュモンはずいぶん優しかった。
私が幼かったからだろうか。
「字は読めますか?」
「うん!」
「では、私が読み上げるよりも、王子が手づから読んだ方が感動もひとしおでしょうから、どうぞお受け取りください」
私は10歳になったばかりで、礼拝堂の長椅子に腰掛けるとわくわくしながら封蝋を破り、手紙を開封した。
兄の手紙は子供には少し難しかったが、私は自分が忘れられていなかったことが嬉しかった。
「王子、どうされましたか」
「えっ……」
確かに嬉しかったはずなのに、ふいに切ない感情がこみ上げてきて、気がつくと涙が流れていたらしい。リッシュモンはヨランドとの会話を中断すると、膝をついて私の頬をぬぐった。ヨランドも異変に気づき、優しく寄り添ってくれた。
「リッシュモン伯、王太子殿下からの書簡には何が書かれていたのですか」
「内容は把握してません。プライベートな話でしょうから立ち入ったことまでは……」
私は鼻をすすりながら、ふるふると首を横に振った。
「何でもない。兄上からの手紙が嬉しかったから」
本心だったが、ふたりは私の心に巣食う孤独を感じ取ったのだろう。
ヨランドはリッシュモンを引き止め、リッシュモンは帰還を先延ばしにすると、「シャルル王子の兄・王太子の名代」という口実で婚約披露宴まで付き合ってくれた。
「すばらしい祝宴でした。王太子殿下に『王子は健やかにご成長している』とお伝えします」
「もちろん兄上にも感謝しているけれど、あなたにも御礼を言わせてほしい」
別れの挨拶を交わしながら、私は礼を伝え、遠征先での武運を祈った。
今にして思えば、峻厳な性格のリッシュモンが優しい気遣いを見せた貴重な一幕だった。きっとあの男にも、兄の手紙を心待ちにしてひそかに涙を流した日があったのだろう。
初対面では10歳と20歳だったが、次に会うのは11年後である。
おそらく、この時のリッシュモンは、私を通じて幼いころの自分の面影を見たのだろう。私もまたリッシュモンに兄の面影を重ねていたのかもしれない。
10
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
EX級アーティファクト化した介護用ガイノイドと行く未来異星世界遺跡探索~君と添い遂げるために~
青空顎門
SF
病で余命宣告を受けた主人公。彼は介護用に購入した最愛のガイノイド(女性型アンドロイド)の腕の中で息絶えた……はずだったが、気づくと彼女と共に見知らぬ場所にいた。そこは遥か未来――時空間転移技術が暴走して崩壊した後の時代、宇宙の遥か彼方の辺境惑星だった。男はファンタジーの如く高度な技術の名残が散見される世界で、今度こそ彼女と添い遂げるために未来の超文明の遺跡を巡っていく。
※小説家になろう様、カクヨム様、ノベルアップ+様、ノベルバ様にも掲載しております。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる