上 下
203 / 203
番外編・短編など

1.2 父は狂人王(1)【改稿前の旧バージョン】

しおりを挟む
(※)第一章〈幼なじみ主従〉編「1.2 父は狂人王(1)」を全面的に改稿して差し替えました。このページは改稿前の旧バージョンです。

▼1.2 狂王シャルル六世(1)改訂版
https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/595255779/episode/1722123



============
1.2 父は狂人王(1)【改稿前の旧バージョン】
============

 らせん階段を上っているような、下りているような——
 頭上から淡い陽光が差し込み、夜になればいつのまにか灯火がついている。
 らせん階段の先には、見慣れた書斎がある。
 ここは、私の「スペシャルプレイス」だ。
 壁一面が本棚で覆われていて外が見えない。
 誰かに覗かれることもない。
 私が招かない限りは、何人たりとも入れない。

 生前、アラン・シャルティエという旧知の詩人が、私についてこう謳った。

「あなたの容姿は美しいとは言えない。王家の人らしい顔立ちなのに、残念なくらいに威厳がない。けれど、あなたの目はいつも不思議な光をたたえている。瞳の奥に、ちらちら揺れる灯火ともしびが見える」

 王らしい威厳が身に付かなかったのは、宮廷生活を知らずに育ったからだ。
 王位継承順位の低い王族は修道院に送られて、野心を抱かないように育てられる。どこかの国と違って、むやみに殺したりしない。
 主要な王族メンバーに不幸があったときの代用品、つまり「王のスペア」として担ぎ出すために生かされる。

 私は宮廷育ちではないが、ある意味「箱入り」と言えよう。
 14歳になるまで王国の苦境を知らなかったのだから。

 私は無知だった。
 図書室は夢見る場所ではなくなった。
 足りない知識を埋めるために、足しげく図書室へ足を運び、偉大な先人が残した足跡を読み、少しでも過去から教訓を得ようとした。

 我がフランス王国は歴史が長く、歳月を重ねただけ重くて、そして風前の灯だった。

 父王シャルル六世は若くして王位に就いたが、ほとんど政務を執っていない。
 しばしば精神を病み、宮廷で問題行動を起こしては内密に処理されていたようだ。



***



 あるとき、王の警護をする騎士シュヴァリエがあやまって槍を取り落とした。王宮は石造りで、天井は高い。倒れた槍はけたたましい音を立てて、辺りに反響した。

 王は驚き、取り乱し、とつぜん発狂した。
 剣を抜くと、あやまちを犯した騎士を斬りつけて殺害し、手当たり次第に襲いかかったのだ。

 はじめ、王宮に常駐している騎士や侍従たちは、この騒ぎは侵入者のしわざだと思ったらしい。
 無力な侍従たちは避難し、力自慢の騎士たちは犯人を取り押さえるために現場へ駆けつけた。

「何の騒ぎだ。敵襲か?」

 それぞれ別の部署に所属する二人の騎士が出会った。ひとりはかなり若い。

「イングランドとは休戦条約を結んだばかりですよ。それにここは陛下の居室が近い。厳重な警備をかいくぐって王宮の深部に到達できる者がどこに……」

 話の途中で、回廊の奥から剣戟の音が聞こえた。
 この先には王の居室がある。二人の間に緊張が走った。

「休戦中だからこそ油断できないのだ。王の首を狙う者がごまんといる」

 回廊を進むにつれて、剣戟の音が近づき、辺りに血の匂いが漂い始めた。
 人が倒れていた。王を取り巻く侍従と護衛だろう。

「だめだ、もう死んでいる」
「バカな。なぜ誰も剣を抜いていないのだ」

 死んだ騎士の腰には剣が下がったままだった。抜いた形跡はない。

「一体、何が起きているんだ」
「敵の探索も大事ですが、一刻も早く陛下をお探ししなければ」





「陛下に近づいてはならない」

 ふたりの背後で、屍体のひとつが声を発した。かろうじて生きている者がいた。

「おお、生存者がいたか!」

 生きてはいたが、死体と見間違えるほどに血まみれだった。

「止血しなければ」

 若い騎士が手持ちの端切れで傷口を縛ったが、みるみる鮮血に染まった。
 包帯代わりにだぶついた胴衣プールポワンの袖をちぎろうとすると、負傷者は首を横に振った。

「いや、いい。私も死線をくぐり抜けて来た。自分が助からないことくらい分かる」

 若い騎士はうつむき、悔しそうに唇を噛んだ。
 代わりに、年長の騎士が身を乗り出した。

「このような状態で酷だと思うが、せめて何があったのか話を聞かせてほしい」
「時間の許す限り、お答えしよう」

 致命傷を負いながら、この騎士も剣を抜いていなかった。

「貴官は王直属の近衛騎士だろう。陛下の身辺警護を任される騎士は熟練者の中から厳選して選ばれる。それなのに、なぜ一方的にやられたのだ。なぜ剣を使わなかったのか。陛下はどちらにおられる」

 近衛騎士は笑っているような泣いているような痛ましい表情を浮かべた。

「じきにお出ましになるだろう」

 ふたりの騎士は互いに顔を見合わせ、いぶかしんだ。

「失血がひどいと正気を失うと聞くが、気でも狂ったのか」
「陛下の行方をご存知なのですか? 近づいてはならないとは一体……」

 そのとき、回廊の奥にある王の居室から血まみれの王があらわれた。
 傷ついた近衛騎士は、苦しそうに顔を歪めた。

「あぁ、気が狂ってしまわれたのは……」

 王は抜き身の剣を握っていた。何事かつぶやきながら、かたわらの死体にいきなり剣を突き立てた。
 駆けつけた二人の騎士はギョッとした。

「あれは本当に陛下なのか? 一体、ここで何が起きている」
「あの死体が侵入者だったという可能性も……」

 目の前の光景は残酷だったが、見方を変えれば、敵襲を受けた王が戦っているようにも見えた。

「おひとりで戦っておられたのでしょうか。それより、お怪我をされているのでは」

 王を保護するために若い騎士が駆け出そうとすると、近衛騎士は強い口調で引き止めた。

「そこの若いの、陛下に近づいてはならないぞ」

 武器を片手に動き回っているのは王ただひとり。襲撃者はどこにも見当たらなかった。
 騎士たちが状況を飲み込めないまま立ち尽くしていると、王の方から近づいて来た。
 剣は曲がり、切っ先は刃こぼれし、血と脂でどろりと汚れていた。

「……みな逃げろ。主君に剣を向けてはならない」

 近衛騎士は倒れたまま、声を絞り出すように警告した。

「何が起きたのか、どうすれば陛下が正気に戻るか分からない。だが、こんなことで無駄死にしてはならない」

 王が近づいてくる。
 近くで見れば分かる。王は誰よりも血まみれだったが、負傷している様子は見られない。
 あの汚れはすべて返り血だ。

「あぁ陛下……親愛なる国王陛下、何があったというのですか」

 近衛騎士はすがるように語りかけた。すでに涙声だった。

「長きに渡ってお仕えしたこの私さえも、その手にかけるというので……」

 王はためらうことなく、旧知とおぼしき近衛騎士を斬りつけた。黙れと言わんばかりにのど笛を切り裂き、近衛騎士は事切れた。
 二人の騎士は呆気にとられたが、一部始終を目撃し、異様な非常事態を理解した。
 王のうつろな瞳には、恐怖と狂気が宿っていた。

「逃げろ!」

 年長の騎士は声を張り上げた。

「陛下に剣を向けることはできない。とにかく今は逃げるんだ」
「は……はい!」
「いや、待て!」

 先に行こうとした若い騎士を引き止めた。
 しばらく並走しながら、年長の騎士は「ブルトン人か?」と問いかけた。

「精悍な顔つきに見覚えがある。もしやブルターニュ公の……?」
「は、亡き父と兄がブルターニュ公です」
「おお、やはりな! 今は王太子付きの騎士だったか」
「まだ従騎士エスクワイアです」
「見習いか。それにしては度胸がある」

 騒ぎを聞きつけてすぐに駆けつけたのに、若い騎士が一番乗りで王の居室へ向かっていた。
 だが、考えなしの猪突猛進ではなく、話しぶりから冷静さもうかがい知れた。
 騎士にとって、冷静な判断力と機動力は生死を分ける。将来有望な若者だ。

「見習いでも構わん。貴官に伝令を命じる。まずは、ここで見たことを上官に伝えよ。タンギ・デュ・シャステルに命じられたと告げればすぐに分かる。そのあとは王族がた、特に王子と王女をお守りすることを優先して慎重に行動すること。以上だ」
「はッ!」

 年長の騎士は、ふっと笑った。

「俺もブルトン人だ。無事に生き延びたら、とっておきの林檎酒シードルをおごってやろう。さあ、行くんだ」

 同郷の騎士ふたりは再び別れると、それぞれの所属先へ向かった。



***



 私は深いため息をつくと、父王シャルル六世の言動を記録した年代記を書棚に戻した。

 手がすべって武器を取り落とす。
 たとえるなら、料理人が厨房で皿を取り落として割るも同然だ。
 よくありそうな小さなあやまちが、なぜ父王の狂気を呼び覚ましたのだろうか。

 暴れる王を力づくで止められる者はいなかった。
 松明に火をつける者さえ逃げ出した夜の王宮で、王の精神は狂気の次に睡魔に取り憑かれた。
 日中、さんざん暴れた代償か、死んだかのように深く眠り込み、剣を取り上げられるまで惨劇は続いたという。




(※)狂王シャルル六世の狂気(Le roi fou ou la folie de CharlesVI, François-Auguste Biard)
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(10件)

helene
2022.06.29 helene

ラブレタースピンオフ、是非是非♥️

私もBLそんなじゃないけど
面白そうですw

しんの(C.Clarté)
2022.06.29 しんの(C.Clarté)

ご感想ありがとうございます。えっ、需要ありますか?!
書いたことないジャンルだから実現するかわかりませんが検討してみますね。

解除
helene
2022.06.17 helene

仕事の合間に(ヲイ!)ちらっと読むのにちょうどよい長さ、読みやすいし。

アルファポリスの仕組みがよくわからなくて、右往左往しましたが
時間を見つけてぼちぼちと読み進めたいと思います。

しんの(C.Clarté)
2022.06.18 しんの(C.Clarté)

ご感想ありがとうございます。
スキマ時間にさくっと読める文量(1話あたり)を意識しているのでよかったです!
200話近いので「しおり」を挟むと便利ですよ。

解除
keito
2020.11.05 keito

ライルの登場で、物語がますますおもしろくなってきました。
言動とか、はじめに想像していたより若い?
これからも楽しく読ませていただきます。

しんの(C.Clarté)
2020.11.06 しんの(C.Clarté)

ご感想ありがとうございます。
ライルが初登場した都落ち編は1418年。
王太子15歳、シャステル隊長49歳、ライル28歳です。参考までに!

解除

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。

みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。 ――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。 それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……  ※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。

元婚約者様の勘違い

希猫 ゆうみ
恋愛
ある日突然、婚約者の伯爵令息アーノルドから「浮気者」と罵られた伯爵令嬢カイラ。 そのまま罵詈雑言を浴びせられ婚約破棄されてしまう。 しかしアーノルドは酷い勘違いをしているのだ。 アーノルドが見たというホッブス伯爵とキスしていたのは別人。 カイラの双子の妹で数年前親戚である伯爵家の養子となったハリエットだった。 「知らない方がいらっしゃるなんて驚きよ」 「そんな変な男は忘れましょう」 一件落着かに思えたが元婚約者アーノルドは更なる言掛りをつけてくる。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。