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番外編・ベリー公夫人のいとも数奇なる遍歴
怒りの王太子と悪党アルマニャック伯
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(※)ベリー公夫人のエピソードを書いていたら、久しぶりに「都落ち」以前の初々しい王太子とアルマニャック伯の話をやりたくなったので、短い番外編です。
その日の私は、めずらしく怒っていた。
「見損なったぞ、アルマニャック伯!」
事前の「先ぶれ」もすっ飛ばして、宰相アルマニャック伯が執務している書斎に飛び込んだ。
アルマニャック伯は、手元の書類から視線を上げると、(老眼でこまかい字が見にくいのだろう)細めた目をしばたたかせながら、憤慨する私を見た。
「どうしました? 今日は確か、ベリー公夫人と謁見なさっていたはずでは」
「そうだ! あの気の毒なベリー公夫人から、オーベルニュの詐欺事件について聞いた!」
アルマニャック伯はすぐに思い当たったようで、「あぁ、あの事件ですか」と一人で納得している。
「ずいぶん冷静だな。否定しないのか?」
「今さら否定も隠蔽もしませんよ。事実ですから」
アルマニャック伯の悪びれない態度に、私の怒りのボルテージはますます上昇する。
「なんて奴だ……!」
「以前、私は『善人ではない』と申し上げたはずです。下心ある不届きな取り巻き貴族に利用されぬよう、したたかに、賢くおなりなさいと」
「この犯罪者め! 見損なった!」
アルマニャック伯は、怒っている私をおもしそろそうに眺めている。
「しかしながら、殿下はひとつ勘違いをなさっておいでです」
「……申し開きがあるなら聞く」
「オーベルニュ伯から領地を騙し取ったのは、確かに『アルマニャック伯』ですが、そいつは私の兄、先代アルマニャック伯です」
「せ、先代?」
「ええ、ジャン・ダルマニャックと申します」
今、目の前にいるアルマニャック伯の本名はベルナール・ダルマニャックだ。
「身内を悪く言うのは憚られますが。弟の私から見ても、兄は伯爵とは名ばかりの大悪党でしたね。兄に比べれば、私なぞ小物です」
アルマニャック伯は「うむうむ」と頷きながら、昔を懐かしんでいる。
私は誤解に気づくと、あわててアルマニャック伯に詫びた。
「ごめん、早とちりしたみたいだ。勘違いとはいえ、ひどいことを言ってしまったね……」
うなだれる私に、後を追ってきたデュノワ伯ジャンが「だから、本人に確かめた方がいいですよと言ったのに」と追い討ちをかける。
「まぁまぁ、それくらいにしましょう。誰にでも勘違いはありますし、後ろめたさを引きずるのは健全ではありませんからね」
アルマニャック伯に「顔を上げてください」と促された。
王太子が謙虚すぎると、善意の家臣は恐縮してさらに頭を下げ、下心ある家臣は調子に乗ってますます頭が高くなる。だから、丁寧すぎる言動は控えるようにと言われている。
「ベリー公夫人が相続するはずだった土地を返してあげたいんだ」
亡きベリー公の土地財産は、私が王太子になった時に「称号」とともに継承している。
詐欺事件から28年も経っていて、今さら遅すぎるかもしれないが、ベリー公夫人ジャンヌ・ド・オーベルニュのために私ができることをしてあげたいと思った。
「でも、ジャンが『勝手に決めないで相談したほうがいい』というから」
私が目配せすると、デュノワ伯ジャンが進み出て、インクが乾きかけた書類をアルマニャック伯に差し出した。
オーベルニュ伯領だった土地を返還し、ベリー公夫人の好きにして良いと許可する内容をしたためた。あとは、私が文末に署名すれば、この書類は効力を持つようになる。
「これをベリー公夫人に渡したい。いいだろうか」
「殿下は、国王陛下の裁定を不服とし、引っくり返すおつもりですか」
「えっ……」
「殿下がなさろうとしていることは、そういう意味になります」
そんなつもりじゃない。私は青ざめた。
確かに、父王・シャルル六世は、ベリー公とジャンヌ・ド・オーベルニュを結婚させることで事件解決とした。いま、私がやろうとしていることは「父王の治世に対する不満」ひいては「反逆」と解釈されてもおかしくない。
「違う。父上に逆らうつもりはない!」
「当時のベリー公夫人は11歳。国王陛下の裁定に逆らうことはできないでしょう。気の毒とは思いますが、だからといって28年前のことを蒸し返して、王太子殿下をそそのかす振る舞いは感心しませんな……」
アルマニャック伯は、眼光鋭く、誰もいない空を睨んだ。
下心ある不届きな取り巻き貴族に利用されぬように、という忠告を思い出す。
(わからない。私はベリー公夫人に利用されたのか?)
だが、詐欺事件は事実だ。
ベリー公夫人の境遇に同情するのは、いけないことだろうか。
何かしてあげたいと思う気持ちは、秩序を乱し、父王に反逆する意味になるのだろうか。
「納得していただけたなら、ベリー公夫人にはすみやかにお帰りいただきましょう」
アルマニャック伯は、私を書斎にとどめたままで、デュノワ伯ジャンに指示した。
「今後は、二度と殿下に会わせないように……」
「恩返しならどうだろうか」
「何ですと?」
私は考えた。
詐欺事件の「罪滅ぼし」として土地を返還すれば、父王の裁定に逆らうことになる。
だが、燃える人の舞踏会事件で、父王の命を救ってくれた人への「恩返し」ならどうだろうか。
「これなら、父上に逆らうことにならないのでは?」
それに、もしあの事件で父が命を失っていたら、私は生まれていなかった。
そう考えれば、ベリー公夫人は父王と私の「恩人」で間違いない。
「恩人に礼をするのは理にかなっている。ねぇ、アルマニャック伯もそう思わない?」
「……なるほど、そう来ましたか」
アルマニャック伯の許可を得て、私はベリー公夫人に「オーベルニュ伯領を好きにして良い」という公文書を発行した。一件落着である。
人にはそれぞれ「自分独自の正義」がある。
数多の正義と、王国の秩序を守るには、みんなが納得する「理屈」が重要だと思い知らされる一幕だった。
その日の私は、めずらしく怒っていた。
「見損なったぞ、アルマニャック伯!」
事前の「先ぶれ」もすっ飛ばして、宰相アルマニャック伯が執務している書斎に飛び込んだ。
アルマニャック伯は、手元の書類から視線を上げると、(老眼でこまかい字が見にくいのだろう)細めた目をしばたたかせながら、憤慨する私を見た。
「どうしました? 今日は確か、ベリー公夫人と謁見なさっていたはずでは」
「そうだ! あの気の毒なベリー公夫人から、オーベルニュの詐欺事件について聞いた!」
アルマニャック伯はすぐに思い当たったようで、「あぁ、あの事件ですか」と一人で納得している。
「ずいぶん冷静だな。否定しないのか?」
「今さら否定も隠蔽もしませんよ。事実ですから」
アルマニャック伯の悪びれない態度に、私の怒りのボルテージはますます上昇する。
「なんて奴だ……!」
「以前、私は『善人ではない』と申し上げたはずです。下心ある不届きな取り巻き貴族に利用されぬよう、したたかに、賢くおなりなさいと」
「この犯罪者め! 見損なった!」
アルマニャック伯は、怒っている私をおもしそろそうに眺めている。
「しかしながら、殿下はひとつ勘違いをなさっておいでです」
「……申し開きがあるなら聞く」
「オーベルニュ伯から領地を騙し取ったのは、確かに『アルマニャック伯』ですが、そいつは私の兄、先代アルマニャック伯です」
「せ、先代?」
「ええ、ジャン・ダルマニャックと申します」
今、目の前にいるアルマニャック伯の本名はベルナール・ダルマニャックだ。
「身内を悪く言うのは憚られますが。弟の私から見ても、兄は伯爵とは名ばかりの大悪党でしたね。兄に比べれば、私なぞ小物です」
アルマニャック伯は「うむうむ」と頷きながら、昔を懐かしんでいる。
私は誤解に気づくと、あわててアルマニャック伯に詫びた。
「ごめん、早とちりしたみたいだ。勘違いとはいえ、ひどいことを言ってしまったね……」
うなだれる私に、後を追ってきたデュノワ伯ジャンが「だから、本人に確かめた方がいいですよと言ったのに」と追い討ちをかける。
「まぁまぁ、それくらいにしましょう。誰にでも勘違いはありますし、後ろめたさを引きずるのは健全ではありませんからね」
アルマニャック伯に「顔を上げてください」と促された。
王太子が謙虚すぎると、善意の家臣は恐縮してさらに頭を下げ、下心ある家臣は調子に乗ってますます頭が高くなる。だから、丁寧すぎる言動は控えるようにと言われている。
「ベリー公夫人が相続するはずだった土地を返してあげたいんだ」
亡きベリー公の土地財産は、私が王太子になった時に「称号」とともに継承している。
詐欺事件から28年も経っていて、今さら遅すぎるかもしれないが、ベリー公夫人ジャンヌ・ド・オーベルニュのために私ができることをしてあげたいと思った。
「でも、ジャンが『勝手に決めないで相談したほうがいい』というから」
私が目配せすると、デュノワ伯ジャンが進み出て、インクが乾きかけた書類をアルマニャック伯に差し出した。
オーベルニュ伯領だった土地を返還し、ベリー公夫人の好きにして良いと許可する内容をしたためた。あとは、私が文末に署名すれば、この書類は効力を持つようになる。
「これをベリー公夫人に渡したい。いいだろうか」
「殿下は、国王陛下の裁定を不服とし、引っくり返すおつもりですか」
「えっ……」
「殿下がなさろうとしていることは、そういう意味になります」
そんなつもりじゃない。私は青ざめた。
確かに、父王・シャルル六世は、ベリー公とジャンヌ・ド・オーベルニュを結婚させることで事件解決とした。いま、私がやろうとしていることは「父王の治世に対する不満」ひいては「反逆」と解釈されてもおかしくない。
「違う。父上に逆らうつもりはない!」
「当時のベリー公夫人は11歳。国王陛下の裁定に逆らうことはできないでしょう。気の毒とは思いますが、だからといって28年前のことを蒸し返して、王太子殿下をそそのかす振る舞いは感心しませんな……」
アルマニャック伯は、眼光鋭く、誰もいない空を睨んだ。
下心ある不届きな取り巻き貴族に利用されぬように、という忠告を思い出す。
(わからない。私はベリー公夫人に利用されたのか?)
だが、詐欺事件は事実だ。
ベリー公夫人の境遇に同情するのは、いけないことだろうか。
何かしてあげたいと思う気持ちは、秩序を乱し、父王に反逆する意味になるのだろうか。
「納得していただけたなら、ベリー公夫人にはすみやかにお帰りいただきましょう」
アルマニャック伯は、私を書斎にとどめたままで、デュノワ伯ジャンに指示した。
「今後は、二度と殿下に会わせないように……」
「恩返しならどうだろうか」
「何ですと?」
私は考えた。
詐欺事件の「罪滅ぼし」として土地を返還すれば、父王の裁定に逆らうことになる。
だが、燃える人の舞踏会事件で、父王の命を救ってくれた人への「恩返し」ならどうだろうか。
「これなら、父上に逆らうことにならないのでは?」
それに、もしあの事件で父が命を失っていたら、私は生まれていなかった。
そう考えれば、ベリー公夫人は父王と私の「恩人」で間違いない。
「恩人に礼をするのは理にかなっている。ねぇ、アルマニャック伯もそう思わない?」
「……なるほど、そう来ましたか」
アルマニャック伯の許可を得て、私はベリー公夫人に「オーベルニュ伯領を好きにして良い」という公文書を発行した。一件落着である。
人にはそれぞれ「自分独自の正義」がある。
数多の正義と、王国の秩序を守るには、みんなが納得する「理屈」が重要だと思い知らされる一幕だった。
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