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番外編・没落王太子とマリー・ダンジューの結婚
没落王太子の新婚生活(2)ハートの手紙
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ある日、所用があって王太子妃マリー・ダンジューの書斎に立ち寄ったが、あいにく留守だった。
机上には、開封した手紙が置きっぱなしだ。すぐに戻るつもりで席を外したのだろう。
「ここで待たせてもらうよ」
留守番の侍女に断りを入れてから手近な椅子に腰掛けた。
覗き見をするつもりはなかったのだが、手紙の中央に描かれた可愛らしいハートマークが視界に飛び込んできた。
悪魔の囁きが聞こえた、気がした。
(まさか、恋文じゃ……?)
私たちは、王侯貴族にありがちな政略結婚だ。
夫婦円満のためには、世継ぎ問題にならない程度の「宮廷風恋愛」は見逃した方がいい。
しかし、結婚から半年も経ってないのにもう恋人がいるのだろうか。
それとも、結婚前から恋仲の相手がいたのだろうか。
マリーにその気はないのに、誰かに言い寄られている可能性も捨てきれない。
それとなく聞き出すか、そっとしておくべきか。私はどうすれば——
「何か御用ですか?」
「うわあ!」
悶々としていたせいで、マリーの気配に気づかなかった。
「先日頼んだフランドルの交易品が届いた。一緒に見に行かないかと思ってね」
「まぁ、王太子殿下みずからご足労いただくなんて光栄ですわ」
マリーは無邪気に笑っている。やましいことはなさそうに見える。
侍女に指示して、ハートマークの手紙を片付けようとしている。
マリーの行動に不自然さはないが、今のうちに問いたださないと悶々と悩んだ末に疑心暗鬼になりそうだ。いや、すでになりかけている。
「あの、マリー」
「はい?」
「その手紙が見えてしまったのだけど」
「ジャック・クールからの手紙ですか?」
ジャック・クール。男の名前で間違いない!
頭の中であらぬ妄想が膨らみ、邪念が駆けめぐる。
私は自分で思うよりも嫉妬深いのかもしれない。
男の素性について調べる必要がある。マリー自身からも詳しく聞き出さなければ。
焼きもちと思考ばかりが先走り、しかし小心者ゆえに、肝心の口のほうは——はくはくと空回りして声が出てこない。我ながら情けない。
「王太子妃として何が出来るか、いろいろと考えていたのですが」
マリーは私の異変に気づかず、しまいかけた手紙を広げた。
ぷっくりと装飾しすぎなハートマークが目立つ。
見るからに自己主張が強い奴だ。けしからん。
「資産運用について学ぼうと思いまして。よかったら、殿下も一緒にいかが?」
「資産、運用……?」
クール家は、私たちが結婚したサンテティエンヌ大聖堂の参事会員を務める資産家一族だ。
手紙の主ジャック・クールなる男は、家業を継ぐために各地を遊学して「貨幣と金銀の流通」について学び、最近になって結婚するために帰郷したのだと言う。
「ここ数年、王国が発行している金貨の質が悪くなっていると聞きます」
宮廷に出入りする騎士団長や大司教よりも、彼のような知恵ある資産家の意見を取り入れたほうが財務改善の一助になるのではないか——と、マリーは熱心に力説した。
私はマリーの発想に感心しながら、内心で自らの悋気を恥じた。
「私も話を聞きたい。同席してもいいかな」
「嬉しい! 二人で講義を聞いた方がきっと覚えやすいものね!」
マリーは何も疑っていない。純粋に喜んでいる。
幸い、やきもちを焼いたことはバレていないようだ。
もし仮に、ジャックのほうに下心があるとしても夫婦同伴で対面すれば釘を刺せる。
もちろん、各地を遊学した経験談と助言を聞きたいというのも嘘ではない。
なお、自己主張が強いハートマークはこの男が署名するときの手癖だった。
名前本体よりもハートを大きく描くので、ジャック・クールの手紙は一目でわかる。
のちに、国王会計方(財務卿)として辣腕を振るい、フランス王国の財政を立て直す「悪徳実業家」との出会いである。
机上には、開封した手紙が置きっぱなしだ。すぐに戻るつもりで席を外したのだろう。
「ここで待たせてもらうよ」
留守番の侍女に断りを入れてから手近な椅子に腰掛けた。
覗き見をするつもりはなかったのだが、手紙の中央に描かれた可愛らしいハートマークが視界に飛び込んできた。
悪魔の囁きが聞こえた、気がした。
(まさか、恋文じゃ……?)
私たちは、王侯貴族にありがちな政略結婚だ。
夫婦円満のためには、世継ぎ問題にならない程度の「宮廷風恋愛」は見逃した方がいい。
しかし、結婚から半年も経ってないのにもう恋人がいるのだろうか。
それとも、結婚前から恋仲の相手がいたのだろうか。
マリーにその気はないのに、誰かに言い寄られている可能性も捨てきれない。
それとなく聞き出すか、そっとしておくべきか。私はどうすれば——
「何か御用ですか?」
「うわあ!」
悶々としていたせいで、マリーの気配に気づかなかった。
「先日頼んだフランドルの交易品が届いた。一緒に見に行かないかと思ってね」
「まぁ、王太子殿下みずからご足労いただくなんて光栄ですわ」
マリーは無邪気に笑っている。やましいことはなさそうに見える。
侍女に指示して、ハートマークの手紙を片付けようとしている。
マリーの行動に不自然さはないが、今のうちに問いたださないと悶々と悩んだ末に疑心暗鬼になりそうだ。いや、すでになりかけている。
「あの、マリー」
「はい?」
「その手紙が見えてしまったのだけど」
「ジャック・クールからの手紙ですか?」
ジャック・クール。男の名前で間違いない!
頭の中であらぬ妄想が膨らみ、邪念が駆けめぐる。
私は自分で思うよりも嫉妬深いのかもしれない。
男の素性について調べる必要がある。マリー自身からも詳しく聞き出さなければ。
焼きもちと思考ばかりが先走り、しかし小心者ゆえに、肝心の口のほうは——はくはくと空回りして声が出てこない。我ながら情けない。
「王太子妃として何が出来るか、いろいろと考えていたのですが」
マリーは私の異変に気づかず、しまいかけた手紙を広げた。
ぷっくりと装飾しすぎなハートマークが目立つ。
見るからに自己主張が強い奴だ。けしからん。
「資産運用について学ぼうと思いまして。よかったら、殿下も一緒にいかが?」
「資産、運用……?」
クール家は、私たちが結婚したサンテティエンヌ大聖堂の参事会員を務める資産家一族だ。
手紙の主ジャック・クールなる男は、家業を継ぐために各地を遊学して「貨幣と金銀の流通」について学び、最近になって結婚するために帰郷したのだと言う。
「ここ数年、王国が発行している金貨の質が悪くなっていると聞きます」
宮廷に出入りする騎士団長や大司教よりも、彼のような知恵ある資産家の意見を取り入れたほうが財務改善の一助になるのではないか——と、マリーは熱心に力説した。
私はマリーの発想に感心しながら、内心で自らの悋気を恥じた。
「私も話を聞きたい。同席してもいいかな」
「嬉しい! 二人で講義を聞いた方がきっと覚えやすいものね!」
マリーは何も疑っていない。純粋に喜んでいる。
幸い、やきもちを焼いたことはバレていないようだ。
もし仮に、ジャックのほうに下心があるとしても夫婦同伴で対面すれば釘を刺せる。
もちろん、各地を遊学した経験談と助言を聞きたいというのも嘘ではない。
なお、自己主張が強いハートマークはこの男が署名するときの手癖だった。
名前本体よりもハートを大きく描くので、ジャック・クールの手紙は一目でわかる。
のちに、国王会計方(財務卿)として辣腕を振るい、フランス王国の財政を立て直す「悪徳実業家」との出会いである。
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