187 / 203
番外編・没落王太子とマリー・ダンジューの結婚
没落王太子の新婚生活(3)王妃マリー・ダンジューの計画
しおりを挟む
「殿下、もっと近くにおいでになって……」
その日、王太子妃マリー・ダンジューはうっとりと熱に浮かされたようにご機嫌だった。
いつも淡々として取り乱すことなく、賢くて品の良いマリーにしては珍しい。
「ほら、よくご覧になって」
「うん、見ているよ」
「触ってもよろしくてよ。こんなに柔らかいなんて……」
「気持ちがいい。いつまでも触れていられるな……」
結婚するときに母ヨランド・ダラゴンから贈られた持参金で、マリーはフランドル産の羊毛と毛織物を大量購入した。
私とマリーは、ふわふわウールの虜になっていた。
「そうだわ、寒がりのルネにも送ってあげましょう」
毛織物は、イングランドとフランドルが二大産地だ。
イングランド産は平織りで毛羽が軽く、フランドル産は綾織りで毛羽が多い。
どちらも柔らかくて弾力性と保温性に優れた織物だ。
マリーは「フランドル産の毛織物」をプロヴァンスから地中海一帯に流通させるのだと言う。
「あの辺は温暖な気候だろう?」
「ここよりもずっと暖かいですけど、それでも冬は厚物が欲しくなります」
王太子妃マリー・ダンジューは、驚くほど商才に長けていた。
瞳をキラキラと輝かせながら「きっと売れるわ」と言い、さらに「わたくし、きっと殿下のお役に立ってみせますから!」と息巻いた。
鼻息を、ふんす!と荒げていてもなぜか可愛いらしい。
政略結婚の決め手になった、マリーが考える「没落王太子を救う妙案」とは——
イングランド王ヘンリー五世とブルゴーニュ公フィリップは「打倒王太子」で共鳴し、政治・軍事面で同盟関係だ。
その一方で、貿易面では長年のライバル関係だった。
中でも、イングランドとブルゴーニュ公支配下のフランドルは「羊毛」と「毛織物」の二大産地として市場を奪い合っていた。ハンザ同盟も大きく関わっている。
「わたくしが、ブルゴーニュ公とフランドル・ハンザ同盟の得意客になったらどうかしら?」
イングランドが台頭すれば、イングランド産の商品がフランス中に広まる。
そうなると、同業を営むフランドル商人たち、ひいてはブルゴーニュ公にとって通商問題が浮上する。
「王太子妃がフランドル産の羊毛と毛織物を愛用しているとしたら……」
マリーはこのように考えた。
「ブルゴーニュ公と王太子殿下の関係改善のきっかけになるのでは?」
政治と経済は、安定した領地運営に欠かせない。
マリー・ダンジューは、フランドル商人の得意客として名を馳せ、結果的に、イングランド王とブルゴーニュ公の同盟関係に少しずつ溝が生まれた。
「少なくとも、ハンザ同盟の商人たちは、得意客の夫——王太子殿下と敵対しようとは考えなくなるはずです」
マリーは、愛用の羽根つき扇を広げると「計画通りだわ」と余裕の微笑みを浮かべた。
***
政敵のイングランドやブルゴーニュ派の人々は、王太子妃となったマリー・ダンジューを容赦なく貶した。
つまらない平凡な女、大して美人でもない、地味な妻ひとりで満足している王太子はやはり甲斐性がない……など、枚挙にいとまがない。
しかし、私はこう思う。
華やかさを抑えているのに「大して美人でもない」なら、着飾ったらどれほど美しくなるだろうかと。
それに、婚姻の儀で「奮発」したおかげで美しい花嫁の姿が目に焼き付いている。あとで財務状況を知ったマリーに叱られたが、私は後悔していない。
着飾っていなくても、マリーの聡明さと高潔さと愛の深さを知っている。
淑女でありながら、商家の女将のようにしたたかな所も気に入っている。
私たちは政略重視で結婚した。
だからといって、マリー・ダンジューをどうして愛さないでいられるだろう。
結婚から半年後、1422年10月21日に父王シャルル六世が崩御した。
九日後の10月30日、婚姻の儀をおこなったベリー領ブールジュのサンティエンヌ大聖堂で、私はフランス王シャルル七世として即位した。
長きフランス王国史でも、私ほど前途多難な王はいないだろう。
「さあ陛下、皆がお待ちかねですよ」
隣には、十八歳になったばかりのマリー・ダンジュー。
勝利どころか、敗色濃厚な没落王太子(没落王)を愛してくれた稀有なフランス王妃である。
控えめでさほど目立たない淑女だが、彼女もまた、百年戦争末期を彩る「女傑」のひとりなのだ。
(※)7番目のシャルル番外編「没落王太子とマリー・ダンジューの結婚」完結。
その日、王太子妃マリー・ダンジューはうっとりと熱に浮かされたようにご機嫌だった。
いつも淡々として取り乱すことなく、賢くて品の良いマリーにしては珍しい。
「ほら、よくご覧になって」
「うん、見ているよ」
「触ってもよろしくてよ。こんなに柔らかいなんて……」
「気持ちがいい。いつまでも触れていられるな……」
結婚するときに母ヨランド・ダラゴンから贈られた持参金で、マリーはフランドル産の羊毛と毛織物を大量購入した。
私とマリーは、ふわふわウールの虜になっていた。
「そうだわ、寒がりのルネにも送ってあげましょう」
毛織物は、イングランドとフランドルが二大産地だ。
イングランド産は平織りで毛羽が軽く、フランドル産は綾織りで毛羽が多い。
どちらも柔らかくて弾力性と保温性に優れた織物だ。
マリーは「フランドル産の毛織物」をプロヴァンスから地中海一帯に流通させるのだと言う。
「あの辺は温暖な気候だろう?」
「ここよりもずっと暖かいですけど、それでも冬は厚物が欲しくなります」
王太子妃マリー・ダンジューは、驚くほど商才に長けていた。
瞳をキラキラと輝かせながら「きっと売れるわ」と言い、さらに「わたくし、きっと殿下のお役に立ってみせますから!」と息巻いた。
鼻息を、ふんす!と荒げていてもなぜか可愛いらしい。
政略結婚の決め手になった、マリーが考える「没落王太子を救う妙案」とは——
イングランド王ヘンリー五世とブルゴーニュ公フィリップは「打倒王太子」で共鳴し、政治・軍事面で同盟関係だ。
その一方で、貿易面では長年のライバル関係だった。
中でも、イングランドとブルゴーニュ公支配下のフランドルは「羊毛」と「毛織物」の二大産地として市場を奪い合っていた。ハンザ同盟も大きく関わっている。
「わたくしが、ブルゴーニュ公とフランドル・ハンザ同盟の得意客になったらどうかしら?」
イングランドが台頭すれば、イングランド産の商品がフランス中に広まる。
そうなると、同業を営むフランドル商人たち、ひいてはブルゴーニュ公にとって通商問題が浮上する。
「王太子妃がフランドル産の羊毛と毛織物を愛用しているとしたら……」
マリーはこのように考えた。
「ブルゴーニュ公と王太子殿下の関係改善のきっかけになるのでは?」
政治と経済は、安定した領地運営に欠かせない。
マリー・ダンジューは、フランドル商人の得意客として名を馳せ、結果的に、イングランド王とブルゴーニュ公の同盟関係に少しずつ溝が生まれた。
「少なくとも、ハンザ同盟の商人たちは、得意客の夫——王太子殿下と敵対しようとは考えなくなるはずです」
マリーは、愛用の羽根つき扇を広げると「計画通りだわ」と余裕の微笑みを浮かべた。
***
政敵のイングランドやブルゴーニュ派の人々は、王太子妃となったマリー・ダンジューを容赦なく貶した。
つまらない平凡な女、大して美人でもない、地味な妻ひとりで満足している王太子はやはり甲斐性がない……など、枚挙にいとまがない。
しかし、私はこう思う。
華やかさを抑えているのに「大して美人でもない」なら、着飾ったらどれほど美しくなるだろうかと。
それに、婚姻の儀で「奮発」したおかげで美しい花嫁の姿が目に焼き付いている。あとで財務状況を知ったマリーに叱られたが、私は後悔していない。
着飾っていなくても、マリーの聡明さと高潔さと愛の深さを知っている。
淑女でありながら、商家の女将のようにしたたかな所も気に入っている。
私たちは政略重視で結婚した。
だからといって、マリー・ダンジューをどうして愛さないでいられるだろう。
結婚から半年後、1422年10月21日に父王シャルル六世が崩御した。
九日後の10月30日、婚姻の儀をおこなったベリー領ブールジュのサンティエンヌ大聖堂で、私はフランス王シャルル七世として即位した。
長きフランス王国史でも、私ほど前途多難な王はいないだろう。
「さあ陛下、皆がお待ちかねですよ」
隣には、十八歳になったばかりのマリー・ダンジュー。
勝利どころか、敗色濃厚な没落王太子(没落王)を愛してくれた稀有なフランス王妃である。
控えめでさほど目立たない淑女だが、彼女もまた、百年戦争末期を彩る「女傑」のひとりなのだ。
(※)7番目のシャルル番外編「没落王太子とマリー・ダンジューの結婚」完結。
10
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
胸キュンシチュの相手はおれじゃないだろ?
一ノ瀬麻紀
BL
今まで好きな人どころか、女の子にも興味をしめさなかった幼馴染の東雲律 (しののめりつ)から、恋愛相談を受けた月島湊 (つきしま みなと)と弟の月島湧 (つきしまゆう)
湊が提案したのは「少女漫画みたいな胸キュンシチュで、あの子のハートをGETしちゃおう作戦!」
なのに、なぜか律は湊の前にばかり現れる。
そして湊のまわりに起こるのは、湊の提案した「胸キュンシチュエーション」
え?ちょっとまって?実践する相手、間違ってないか?
戸惑う湊に打ち明けられた真実とは……。
DKの青春BL✨️
2万弱の短編です。よろしくお願いします。
ノベマさん、エブリスタさんにも投稿しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
EX級アーティファクト化した介護用ガイノイドと行く未来異星世界遺跡探索~君と添い遂げるために~
青空顎門
SF
病で余命宣告を受けた主人公。彼は介護用に購入した最愛のガイノイド(女性型アンドロイド)の腕の中で息絶えた……はずだったが、気づくと彼女と共に見知らぬ場所にいた。そこは遥か未来――時空間転移技術が暴走して崩壊した後の時代、宇宙の遥か彼方の辺境惑星だった。男はファンタジーの如く高度な技術の名残が散見される世界で、今度こそ彼女と添い遂げるために未来の超文明の遺跡を巡っていく。
※小説家になろう様、カクヨム様、ノベルアップ+様、ノベルバ様にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる