185 / 203
番外編・没落王太子とマリー・ダンジューの結婚
没落王太子の新婚生活(1)王太子妃マリー・ダンジュー
しおりを挟む
結婚して間もなく、私は怒りの王太子妃マリー・ダンジューに詰め寄られていた。
「殿下、わたくしたちは確かに夫婦になったのですよね?」
「もちろんだとも。神の名のもとに誓ったのだから」
「それなら、どうして……」
新婚早々、夫婦の危機かと思われたが。
「王太子妃とは認めてくださらないの……?」
はじめは意味がわからなかった。
何か誤解が生じているのか、私に至らない点があるのか。
「話し合おう」
「ええ、ぜひ!」
マリーは、分厚い帳簿を何冊も積み上げた。
見たくないが見覚えのある表紙だ。
「わたくし、卒倒するかと思いました」
マリーは、王太子に仕える会計士から逼迫した財務状況について聞き出していた。
「見てしまったのか……」
「会計士任せで知らなかったのではなく、殿下ご自身も把握しているですね」
マリーが呆れるのも無理はない。
トロワ条約以来、私を取り巻く環境は——特に財政面でとても厳しかった。
王侯貴族は領地の収益で生計を立てるが、「廃嫡された王太子に税金を徴収する権利はない」といって納税しない地域が出てきたからだ。
納税する民衆からしてみれば税金は安いに越したことはない。
払わないで済むならもっといい。
しかし、それでは王国の統治はままならない。
私は王国各地をまわって、聖職者と貴族と平民と話し合う「三部会」を開いて税金の必要性を訴えたが、道中でフランス国土の荒廃ぶりを思い知らされた。
訪問先では、王太子滞在を狙って陳情に来る者が後を絶たない。
切羽詰まった陳情者が暴言を吐き、護衛がたまりかねて厳しい懲罰——死刑もあり得た——を盾に脅すのを何度も止めた。
土地と人心の荒廃がひどく、私は納税を無理強いできないと悟った。
表面上は王太子らしい矜持をどうにか保っていた。
その一方で、ひそかに「傭兵に支払う月給」並みに生活費を切り詰めていた。
具体的にいうと、私の個人資産はわずか4エキュ——金貨4枚分だ。
読者諸氏には、当時の相場がわかりにくいだろうから例を挙げてみよう。
百年戦争時代、フランス王国における騎士団長(傭兵隊長)の給料が60リーブルで、一般の騎士は30リーブル、盾持ち15リーブル、砲兵と弓兵8~12リーブル、歩兵4~8リーブルだった。
私の個人資産4エキュをリーブル換算すると8リーブルになる。
なんというか、一兵卒と変わらない。
「王太子殿下ともあろうお方が、なんとおいたわしい……」
「ご、ごめ……隠すつもりはなかったんだけど……」
「倹しい生活にも程があります!」
うわべを取り繕っても、こうして会計帳簿をひらけば財政難はすぐにばれてしまう。
王侯貴族は、気前の良さがステータスだ。
あからさまな節約は侮られ、見下される。
それゆえに、婚姻の儀にかかる費用はケチらないで奮発した。
マリーは、私の財務状況を知らなかったはずだ。
(結婚したことを後悔している……?)
母妃イザボー・ド・バヴィエールは派手好みで、浪費するために嫁いできたような人だったが、マリーは堅実なタイプだ。言い方は悪いが「カネがかかる女」ではない。
とはいえ、私は貧乏暮らしに慣れてしまって、金銭感覚が麻痺しているのかもしれない。
「マリーはこれまで通りに生活していい。苦労はさせないから!」
私ひとりが「没落王太子は貧乏くさい」と嘲笑されるならまだしも、マリーに恥をかかせるわけにいかない。
修道院で育ったせいか、清貧な生活には慣れている。
托鉢修道僧にあやかって週に何度か断食する誓願を立てよう。
そんなことを考えていたら、マリーはますます呆れて「そういう事を言いたいのではありません」と言った。
「わたくしたちは夫婦になったのですから、殿下ひとりで抱え込まないでいただきたいのです。婚姻の儀の出費なら、妻であるわたくしも支払う義務があります」
マリーは「とりあえずこれを」と言って、愛用の時祷書を差し出した。
時祷書とは、キリスト教徒が日々の祈りを捧げるために祈祷文を記した本のことだ。
「結婚式の衣装や晩餐会、それから振る舞う料理も、少しやりすぎなくらいに行き届いていたから。正直、驚きました」
「やりすぎだった?」
「わたくしのために催してくれたのでしょう?」
「うん……」
「とても嬉しかった。ですが、いつもの殿下らしくないと感じていました」
王侯貴族が所有する「私的な時祷書」は宝石を散りばめて豪華に製本されているため、財産のひとつに数えられた。
「この時祷書を売れば、少しは足しになります」
「待って、マリーに負担させるわけにいかない!」
「持参金には手をつけてませんし、時祷書一冊くらい大した負担ではありません」
マリーは「ひとりで重荷を背負うのではなくて、わたくしも殿下と一緒に背負って行きたいのです」と言うと、自分の時祷書を売って結婚費用に充てたのだった。
ちなみに、父王シャルル六世と母妃イザボー・ド・バヴィエールの結婚式は、国家予算二ヶ月分をまるまる使い切ったらしい。
豊かな父の時代とは比べものにならないが、私の新婚時代は妻に頼らなければならないほど財政難だった。
「殿下、わたくしたちは確かに夫婦になったのですよね?」
「もちろんだとも。神の名のもとに誓ったのだから」
「それなら、どうして……」
新婚早々、夫婦の危機かと思われたが。
「王太子妃とは認めてくださらないの……?」
はじめは意味がわからなかった。
何か誤解が生じているのか、私に至らない点があるのか。
「話し合おう」
「ええ、ぜひ!」
マリーは、分厚い帳簿を何冊も積み上げた。
見たくないが見覚えのある表紙だ。
「わたくし、卒倒するかと思いました」
マリーは、王太子に仕える会計士から逼迫した財務状況について聞き出していた。
「見てしまったのか……」
「会計士任せで知らなかったのではなく、殿下ご自身も把握しているですね」
マリーが呆れるのも無理はない。
トロワ条約以来、私を取り巻く環境は——特に財政面でとても厳しかった。
王侯貴族は領地の収益で生計を立てるが、「廃嫡された王太子に税金を徴収する権利はない」といって納税しない地域が出てきたからだ。
納税する民衆からしてみれば税金は安いに越したことはない。
払わないで済むならもっといい。
しかし、それでは王国の統治はままならない。
私は王国各地をまわって、聖職者と貴族と平民と話し合う「三部会」を開いて税金の必要性を訴えたが、道中でフランス国土の荒廃ぶりを思い知らされた。
訪問先では、王太子滞在を狙って陳情に来る者が後を絶たない。
切羽詰まった陳情者が暴言を吐き、護衛がたまりかねて厳しい懲罰——死刑もあり得た——を盾に脅すのを何度も止めた。
土地と人心の荒廃がひどく、私は納税を無理強いできないと悟った。
表面上は王太子らしい矜持をどうにか保っていた。
その一方で、ひそかに「傭兵に支払う月給」並みに生活費を切り詰めていた。
具体的にいうと、私の個人資産はわずか4エキュ——金貨4枚分だ。
読者諸氏には、当時の相場がわかりにくいだろうから例を挙げてみよう。
百年戦争時代、フランス王国における騎士団長(傭兵隊長)の給料が60リーブルで、一般の騎士は30リーブル、盾持ち15リーブル、砲兵と弓兵8~12リーブル、歩兵4~8リーブルだった。
私の個人資産4エキュをリーブル換算すると8リーブルになる。
なんというか、一兵卒と変わらない。
「王太子殿下ともあろうお方が、なんとおいたわしい……」
「ご、ごめ……隠すつもりはなかったんだけど……」
「倹しい生活にも程があります!」
うわべを取り繕っても、こうして会計帳簿をひらけば財政難はすぐにばれてしまう。
王侯貴族は、気前の良さがステータスだ。
あからさまな節約は侮られ、見下される。
それゆえに、婚姻の儀にかかる費用はケチらないで奮発した。
マリーは、私の財務状況を知らなかったはずだ。
(結婚したことを後悔している……?)
母妃イザボー・ド・バヴィエールは派手好みで、浪費するために嫁いできたような人だったが、マリーは堅実なタイプだ。言い方は悪いが「カネがかかる女」ではない。
とはいえ、私は貧乏暮らしに慣れてしまって、金銭感覚が麻痺しているのかもしれない。
「マリーはこれまで通りに生活していい。苦労はさせないから!」
私ひとりが「没落王太子は貧乏くさい」と嘲笑されるならまだしも、マリーに恥をかかせるわけにいかない。
修道院で育ったせいか、清貧な生活には慣れている。
托鉢修道僧にあやかって週に何度か断食する誓願を立てよう。
そんなことを考えていたら、マリーはますます呆れて「そういう事を言いたいのではありません」と言った。
「わたくしたちは夫婦になったのですから、殿下ひとりで抱え込まないでいただきたいのです。婚姻の儀の出費なら、妻であるわたくしも支払う義務があります」
マリーは「とりあえずこれを」と言って、愛用の時祷書を差し出した。
時祷書とは、キリスト教徒が日々の祈りを捧げるために祈祷文を記した本のことだ。
「結婚式の衣装や晩餐会、それから振る舞う料理も、少しやりすぎなくらいに行き届いていたから。正直、驚きました」
「やりすぎだった?」
「わたくしのために催してくれたのでしょう?」
「うん……」
「とても嬉しかった。ですが、いつもの殿下らしくないと感じていました」
王侯貴族が所有する「私的な時祷書」は宝石を散りばめて豪華に製本されているため、財産のひとつに数えられた。
「この時祷書を売れば、少しは足しになります」
「待って、マリーに負担させるわけにいかない!」
「持参金には手をつけてませんし、時祷書一冊くらい大した負担ではありません」
マリーは「ひとりで重荷を背負うのではなくて、わたくしも殿下と一緒に背負って行きたいのです」と言うと、自分の時祷書を売って結婚費用に充てたのだった。
ちなみに、父王シャルル六世と母妃イザボー・ド・バヴィエールの結婚式は、国家予算二ヶ月分をまるまる使い切ったらしい。
豊かな父の時代とは比べものにならないが、私の新婚時代は妻に頼らなければならないほど財政難だった。
0
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

【完結】ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…

お荷物認定を受けてSSS級PTを追放されました。でも実は俺がいたからSSS級になれていたようです。
幌須 慶治
ファンタジー
S級冒険者PT『疾風の英雄』
電光石火の攻撃で凶悪なモンスターを次々討伐して瞬く間に最上級ランクまで上がった冒険者の夢を体現するPTである。
龍狩りの一閃ゲラートを筆頭に極炎のバーバラ、岩盤砕きガイル、地竜射抜くローラの4人の圧倒的な火力を以って凶悪モンスターを次々と打ち倒していく姿は冒険者どころか庶民の憧れを一身に集めていた。
そんな中で俺、ロイドはただの盾持ち兼荷物運びとして見られている。
盾持ちなのだからと他の4人が動く前に現地で相手の注意を引き、模擬戦の時は2対1での攻撃を受ける。
当然地味な役割なのだから居ても居なくても気にも留められずに居ないものとして扱われる。
今日もそうして地竜を討伐して、俺は1人後処理をしてからギルドに戻る。
ようやく帰り着いた頃には日も沈み酒場で祝杯を挙げる仲間たちに報酬を私に近づいた時にそれは起こる。
ニヤついた目をしたゲラートが言い放つ
「ロイド、お前役にたたなすぎるからクビな!」
全員の目と口が弧を描いたのが見えた。
一応毎日更新目指して、15話位で終わる予定です。
作品紹介に出てる人物、主人公以外重要じゃないのはご愛嬌()
15話で終わる気がしないので終わるまで延長します、脱線多くてごめんなさい 2020/7/26
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる