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番外編・没落王太子とマリー・ダンジューの結婚
没落王太子の新婚生活(1)王太子妃マリー・ダンジュー
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結婚して間もなく、私は怒りの王太子妃マリー・ダンジューに詰め寄られていた。
「殿下、わたくしたちは確かに夫婦になったのですよね?」
「もちろんだとも。神の名のもとに誓ったのだから」
「それなら、どうして……」
新婚早々、夫婦の危機かと思われたが。
「王太子妃とは認めてくださらないの……?」
はじめは意味がわからなかった。
何か誤解が生じているのか、私に至らない点があるのか。
「話し合おう」
「ええ、ぜひ!」
マリーは、分厚い帳簿を何冊も積み上げた。
見たくないが見覚えのある表紙だ。
「わたくし、卒倒するかと思いました」
マリーは、王太子に仕える会計士から逼迫した財務状況について聞き出していた。
「見てしまったのか……」
「会計士任せで知らなかったのではなく、殿下ご自身も把握しているですね」
マリーが呆れるのも無理はない。
トロワ条約以来、私を取り巻く環境は——特に財政面でとても厳しかった。
王侯貴族は領地の収益で生計を立てるが、「廃嫡された王太子に税金を徴収する権利はない」といって納税しない地域が出てきたからだ。
納税する民衆からしてみれば税金は安いに越したことはない。
払わないで済むならもっといい。
しかし、それでは王国の統治はままならない。
私は王国各地をまわって、聖職者と貴族と平民と話し合う「三部会」を開いて税金の必要性を訴えたが、道中でフランス国土の荒廃ぶりを思い知らされた。
訪問先では、王太子滞在を狙って陳情に来る者が後を絶たない。
切羽詰まった陳情者が暴言を吐き、護衛がたまりかねて厳しい懲罰——死刑もあり得た——を盾に脅すのを何度も止めた。
土地と人心の荒廃がひどく、私は納税を無理強いできないと悟った。
表面上は王太子らしい矜持をどうにか保っていた。
その一方で、ひそかに「傭兵に支払う月給」並みに生活費を切り詰めていた。
具体的にいうと、私の個人資産はわずか4エキュ——金貨4枚分だ。
読者諸氏には、当時の相場がわかりにくいだろうから例を挙げてみよう。
百年戦争時代、フランス王国における騎士団長(傭兵隊長)の給料が60リーブルで、一般の騎士は30リーブル、盾持ち15リーブル、砲兵と弓兵8~12リーブル、歩兵4~8リーブルだった。
私の個人資産4エキュをリーブル換算すると8リーブルになる。
なんというか、一兵卒と変わらない。
「王太子殿下ともあろうお方が、なんとおいたわしい……」
「ご、ごめ……隠すつもりはなかったんだけど……」
「倹しい生活にも程があります!」
うわべを取り繕っても、こうして会計帳簿をひらけば財政難はすぐにばれてしまう。
王侯貴族は、気前の良さがステータスだ。
あからさまな節約は侮られ、見下される。
それゆえに、婚姻の儀にかかる費用はケチらないで奮発した。
マリーは、私の財務状況を知らなかったはずだ。
(結婚したことを後悔している……?)
母妃イザボー・ド・バヴィエールは派手好みで、浪費するために嫁いできたような人だったが、マリーは堅実なタイプだ。言い方は悪いが「カネがかかる女」ではない。
とはいえ、私は貧乏暮らしに慣れてしまって、金銭感覚が麻痺しているのかもしれない。
「マリーはこれまで通りに生活していい。苦労はさせないから!」
私ひとりが「没落王太子は貧乏くさい」と嘲笑されるならまだしも、マリーに恥をかかせるわけにいかない。
修道院で育ったせいか、清貧な生活には慣れている。
托鉢修道僧にあやかって週に何度か断食する誓願を立てよう。
そんなことを考えていたら、マリーはますます呆れて「そういう事を言いたいのではありません」と言った。
「わたくしたちは夫婦になったのですから、殿下ひとりで抱え込まないでいただきたいのです。婚姻の儀の出費なら、妻であるわたくしも支払う義務があります」
マリーは「とりあえずこれを」と言って、愛用の時祷書を差し出した。
時祷書とは、キリスト教徒が日々の祈りを捧げるために祈祷文を記した本のことだ。
「結婚式の衣装や晩餐会、それから振る舞う料理も、少しやりすぎなくらいに行き届いていたから。正直、驚きました」
「やりすぎだった?」
「わたくしのために催してくれたのでしょう?」
「うん……」
「とても嬉しかった。ですが、いつもの殿下らしくないと感じていました」
王侯貴族が所有する「私的な時祷書」は宝石を散りばめて豪華に製本されているため、財産のひとつに数えられた。
「この時祷書を売れば、少しは足しになります」
「待って、マリーに負担させるわけにいかない!」
「持参金には手をつけてませんし、時祷書一冊くらい大した負担ではありません」
マリーは「ひとりで重荷を背負うのではなくて、わたくしも殿下と一緒に背負って行きたいのです」と言うと、自分の時祷書を売って結婚費用に充てたのだった。
ちなみに、父王シャルル六世と母妃イザボー・ド・バヴィエールの結婚式は、国家予算二ヶ月分をまるまる使い切ったらしい。
豊かな父の時代とは比べものにならないが、私の新婚時代は妻に頼らなければならないほど財政難だった。
「殿下、わたくしたちは確かに夫婦になったのですよね?」
「もちろんだとも。神の名のもとに誓ったのだから」
「それなら、どうして……」
新婚早々、夫婦の危機かと思われたが。
「王太子妃とは認めてくださらないの……?」
はじめは意味がわからなかった。
何か誤解が生じているのか、私に至らない点があるのか。
「話し合おう」
「ええ、ぜひ!」
マリーは、分厚い帳簿を何冊も積み上げた。
見たくないが見覚えのある表紙だ。
「わたくし、卒倒するかと思いました」
マリーは、王太子に仕える会計士から逼迫した財務状況について聞き出していた。
「見てしまったのか……」
「会計士任せで知らなかったのではなく、殿下ご自身も把握しているですね」
マリーが呆れるのも無理はない。
トロワ条約以来、私を取り巻く環境は——特に財政面でとても厳しかった。
王侯貴族は領地の収益で生計を立てるが、「廃嫡された王太子に税金を徴収する権利はない」といって納税しない地域が出てきたからだ。
納税する民衆からしてみれば税金は安いに越したことはない。
払わないで済むならもっといい。
しかし、それでは王国の統治はままならない。
私は王国各地をまわって、聖職者と貴族と平民と話し合う「三部会」を開いて税金の必要性を訴えたが、道中でフランス国土の荒廃ぶりを思い知らされた。
訪問先では、王太子滞在を狙って陳情に来る者が後を絶たない。
切羽詰まった陳情者が暴言を吐き、護衛がたまりかねて厳しい懲罰——死刑もあり得た——を盾に脅すのを何度も止めた。
土地と人心の荒廃がひどく、私は納税を無理強いできないと悟った。
表面上は王太子らしい矜持をどうにか保っていた。
その一方で、ひそかに「傭兵に支払う月給」並みに生活費を切り詰めていた。
具体的にいうと、私の個人資産はわずか4エキュ——金貨4枚分だ。
読者諸氏には、当時の相場がわかりにくいだろうから例を挙げてみよう。
百年戦争時代、フランス王国における騎士団長(傭兵隊長)の給料が60リーブルで、一般の騎士は30リーブル、盾持ち15リーブル、砲兵と弓兵8~12リーブル、歩兵4~8リーブルだった。
私の個人資産4エキュをリーブル換算すると8リーブルになる。
なんというか、一兵卒と変わらない。
「王太子殿下ともあろうお方が、なんとおいたわしい……」
「ご、ごめ……隠すつもりはなかったんだけど……」
「倹しい生活にも程があります!」
うわべを取り繕っても、こうして会計帳簿をひらけば財政難はすぐにばれてしまう。
王侯貴族は、気前の良さがステータスだ。
あからさまな節約は侮られ、見下される。
それゆえに、婚姻の儀にかかる費用はケチらないで奮発した。
マリーは、私の財務状況を知らなかったはずだ。
(結婚したことを後悔している……?)
母妃イザボー・ド・バヴィエールは派手好みで、浪費するために嫁いできたような人だったが、マリーは堅実なタイプだ。言い方は悪いが「カネがかかる女」ではない。
とはいえ、私は貧乏暮らしに慣れてしまって、金銭感覚が麻痺しているのかもしれない。
「マリーはこれまで通りに生活していい。苦労はさせないから!」
私ひとりが「没落王太子は貧乏くさい」と嘲笑されるならまだしも、マリーに恥をかかせるわけにいかない。
修道院で育ったせいか、清貧な生活には慣れている。
托鉢修道僧にあやかって週に何度か断食する誓願を立てよう。
そんなことを考えていたら、マリーはますます呆れて「そういう事を言いたいのではありません」と言った。
「わたくしたちは夫婦になったのですから、殿下ひとりで抱え込まないでいただきたいのです。婚姻の儀の出費なら、妻であるわたくしも支払う義務があります」
マリーは「とりあえずこれを」と言って、愛用の時祷書を差し出した。
時祷書とは、キリスト教徒が日々の祈りを捧げるために祈祷文を記した本のことだ。
「結婚式の衣装や晩餐会、それから振る舞う料理も、少しやりすぎなくらいに行き届いていたから。正直、驚きました」
「やりすぎだった?」
「わたくしのために催してくれたのでしょう?」
「うん……」
「とても嬉しかった。ですが、いつもの殿下らしくないと感じていました」
王侯貴族が所有する「私的な時祷書」は宝石を散りばめて豪華に製本されているため、財産のひとつに数えられた。
「この時祷書を売れば、少しは足しになります」
「待って、マリーに負担させるわけにいかない!」
「持参金には手をつけてませんし、時祷書一冊くらい大した負担ではありません」
マリーは「ひとりで重荷を背負うのではなくて、わたくしも殿下と一緒に背負って行きたいのです」と言うと、自分の時祷書を売って結婚費用に充てたのだった。
ちなみに、父王シャルル六世と母妃イザボー・ド・バヴィエールの結婚式は、国家予算二ヶ月分をまるまる使い切ったらしい。
豊かな父の時代とは比べものにならないが、私の新婚時代は妻に頼らなければならないほど財政難だった。
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