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番外編・没落王太子とマリー・ダンジューの結婚
ルネ・ダンジュー11歳の結婚
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婚約者マリー・ダンジューと義弟ルネの来訪で、その日は久しぶりに賑やかな夕食会になった。
「そうそう、結婚おめでとう」
私とマリーを差し置いて、ルネ・ダンジューはすでに既婚者である。
少し前に、ロレーヌ公の一人娘イザベル・ド・ロレーヌと結婚したばかりだった。
ルネは11歳、花嫁のイザベルは20歳である。
(たぶん、公妃の方から縁談を持ちかけたのだろうな)
貴族の女子相続は難しい。
分家筋が継承権を主張したり、貴族くずれの詐欺師が財産狙いで力づくで結婚におよぶこともある。
義父ロレーヌ公の死後、ルネ・ダンジューが称号と財産を継承して夫婦で共同統治すると決められた。アンジュー家とロレーヌ家の繁栄という意味で、とても「政略的」な結婚だ。
「どうして来てくれなかったんですか」
ぷくっとむくれた丸顔は、とてもじゃないが妻のいる既婚男性には見えない。
「ひどいですよ。ぼくは、シャルル兄様に祝福して欲しかったのに」
私はルネの結婚式に参列しなかった。
祝いの品と祝意を伝える使者を派遣するにとどめた。
「話したいことや聞きたいことがたくさんあったのに……」
ブルゴーニュ無怖公の事件以来、私は臆病になっていた。
平和と幸福のためにと、善意から行動を起こしても、また正反対の結果を招く気がしてこわかったのだ。私が関わったせいで、義弟の慶事に水を差してはいけないと思った。
そして何より、ルネの義父となったロレーヌ公はブルゴーニュ派の重鎮だった。
「もしかして、ぼくは兄様の敵だと思われてるんじゃ……」
「そんなことない!」
即、否定した。
「敵視するなんて考えられないよ」
とはいえ、こうも思う。
王太子とマリー・ダンジューの婚約はうやむやで、進展しない。
その一方で、姉マリーを差し置いて、弟ルネとロレーヌ公令嬢がいち早く結婚した。
これによって、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは「落ち目の王太子を見限ってブルゴーニュ派に鞍替えした」と見なされた。
ヨランドの真意はわからないが、だからといってアンジュー家を恨むのは筋違いだろう。
私の生い立ちに同情的で、愛情を注ぎ、教育を授けてくれたことは事実だ。
だが、しかし——
「公妃は聡明な方だからね」
ヨランド・ダラゴンは愛情深い母であると同時に、アラゴン王女時代に帝王学を学んだ賢明な貴婦人でもある。
君主は、時として非情な決断を迫られる。やすやすと情に流されてはいけない。
実子と領地・財産を犠牲にしてまで、ヨランドが没落王太子を援助するとは考えられなかった。
「確かにお母様の政略はすごいと思いますけど!」
ルネの不満はおさまらない。
察するに、結婚の前後でずいぶん揉めたようだ。
「ああいうの、ぼくは好きじゃないです」
「花嫁とうまくいってないの?」
「イザベルは優しいですよ」
「それは良かった」
ルネが少し太ったのは、年上の花嫁に可愛がられている影響かもしれない。
「お母様の本音がわからないんです。シャルル兄様をどう思っているのか」
「あっ、このスープ美味しいな」
ルネの不満をかわそうと話題を変えた。
「本当ですか!」
「変わった味だけどおいしい。異国のメニューかな」
「ね、ね、どんな風に美味しい?」
「甘ったるいかと思えば、意外と喉ごしはさっぱりしていて清涼感すらある……」
アンジュー家が移住したプロヴァンスは、地中海に面していて交易が盛んだ。
ムスリムの行商人も行き来しているおかげで、フランス内陸や西欧諸国では見かけない物品が入ってくる。食材もそのひとつだ。
「ポンチスープです」
南欧の向こうにあるイスラム圏の蒸留酒に、砂糖とレモン果汁と香草と香辛料を加えたデザートスープだそうだ。
具材に、一口大に切ったシロップ漬け果実がたっぷり入っている。
「ふふ、良かったわね。シャルル兄様に食べてもらうと張り切っていたものね」
マリーが楽しそうに教えてくれた。
「けれど、お母様は『アンジュー公の息子が料理人の真似事をするなんて』と呆れているの」
「えっ、これはルネが作ったの?」
「へへ、交易品の中にあったレシピを試しただけですよ」
「すごいなぁ」
余談だが、後年、ルネ・ダンジューは二つ名「料理王」と呼ばれるほどの食通だ。
妻の美しい瞳をモチーフにした焼き菓子カリソンは、プロヴァンスの郷土菓子として定着している。
「お母様は賢い人かもしれませんけどね……」
ルネは得意げに、「料理人を馬鹿にしたらいけません。新作メニューを考えて、レシピを作って調理することは、すなわち錬金術を極めるに等しいんですから」などと語り始めた。どうやら機嫌は直ったようだ。
***
「そんなことよりシャルル兄様! いえ、王太子様!」
舌鼓を打っていると、何かを思い出したルネが食い気味に「聞きたいことがあったんです」と身を乗り出してきた。
「戦勝おめでとうございます!」
とっさに何のことか分からず、私は目をしばたたく。
「戦勝だって?」
「ラ・ロシェル沖で! イングランドと一戦を交えたとか!」
言われて、つい顔をしかめた。
「あぁ、あれか……」
私は生来、流血や戦いが苦手だ。
あまり思い出したくないのだが、そういえばルネは昔から騎士道物語が好きだった。
幼い子供のように瞳をキラキラさせながら、話の続きを待っている。
「イングランド海軍とハンザ同盟を相手にガレー船40隻を沈めたと聞きました!」
「えぇ、そんな話になってるの……」
「違うんですか?」
正確には、沈めたのではなく拿捕したのだ。
(※)三人が食べているのはフルーツポンチです。ヨーロッパで普及するのはもう少し後ですが、イスラム圏では原型となるメニューが12世紀からあったようです。ワインベースにするとサングリアっぽくなります。
(※)ルネ・ダンジュー(11歳)とイザベル・ド・ロレーヌ(20歳)。まるで森薫先生の「乙嫁語り」みたいなこのカップルから、薔薇戦争の女傑マーガレット・オブ・アンジューが生まれます。フランス名はマルグリット・ダンジューです。
「そうそう、結婚おめでとう」
私とマリーを差し置いて、ルネ・ダンジューはすでに既婚者である。
少し前に、ロレーヌ公の一人娘イザベル・ド・ロレーヌと結婚したばかりだった。
ルネは11歳、花嫁のイザベルは20歳である。
(たぶん、公妃の方から縁談を持ちかけたのだろうな)
貴族の女子相続は難しい。
分家筋が継承権を主張したり、貴族くずれの詐欺師が財産狙いで力づくで結婚におよぶこともある。
義父ロレーヌ公の死後、ルネ・ダンジューが称号と財産を継承して夫婦で共同統治すると決められた。アンジュー家とロレーヌ家の繁栄という意味で、とても「政略的」な結婚だ。
「どうして来てくれなかったんですか」
ぷくっとむくれた丸顔は、とてもじゃないが妻のいる既婚男性には見えない。
「ひどいですよ。ぼくは、シャルル兄様に祝福して欲しかったのに」
私はルネの結婚式に参列しなかった。
祝いの品と祝意を伝える使者を派遣するにとどめた。
「話したいことや聞きたいことがたくさんあったのに……」
ブルゴーニュ無怖公の事件以来、私は臆病になっていた。
平和と幸福のためにと、善意から行動を起こしても、また正反対の結果を招く気がしてこわかったのだ。私が関わったせいで、義弟の慶事に水を差してはいけないと思った。
そして何より、ルネの義父となったロレーヌ公はブルゴーニュ派の重鎮だった。
「もしかして、ぼくは兄様の敵だと思われてるんじゃ……」
「そんなことない!」
即、否定した。
「敵視するなんて考えられないよ」
とはいえ、こうも思う。
王太子とマリー・ダンジューの婚約はうやむやで、進展しない。
その一方で、姉マリーを差し置いて、弟ルネとロレーヌ公令嬢がいち早く結婚した。
これによって、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは「落ち目の王太子を見限ってブルゴーニュ派に鞍替えした」と見なされた。
ヨランドの真意はわからないが、だからといってアンジュー家を恨むのは筋違いだろう。
私の生い立ちに同情的で、愛情を注ぎ、教育を授けてくれたことは事実だ。
だが、しかし——
「公妃は聡明な方だからね」
ヨランド・ダラゴンは愛情深い母であると同時に、アラゴン王女時代に帝王学を学んだ賢明な貴婦人でもある。
君主は、時として非情な決断を迫られる。やすやすと情に流されてはいけない。
実子と領地・財産を犠牲にしてまで、ヨランドが没落王太子を援助するとは考えられなかった。
「確かにお母様の政略はすごいと思いますけど!」
ルネの不満はおさまらない。
察するに、結婚の前後でずいぶん揉めたようだ。
「ああいうの、ぼくは好きじゃないです」
「花嫁とうまくいってないの?」
「イザベルは優しいですよ」
「それは良かった」
ルネが少し太ったのは、年上の花嫁に可愛がられている影響かもしれない。
「お母様の本音がわからないんです。シャルル兄様をどう思っているのか」
「あっ、このスープ美味しいな」
ルネの不満をかわそうと話題を変えた。
「本当ですか!」
「変わった味だけどおいしい。異国のメニューかな」
「ね、ね、どんな風に美味しい?」
「甘ったるいかと思えば、意外と喉ごしはさっぱりしていて清涼感すらある……」
アンジュー家が移住したプロヴァンスは、地中海に面していて交易が盛んだ。
ムスリムの行商人も行き来しているおかげで、フランス内陸や西欧諸国では見かけない物品が入ってくる。食材もそのひとつだ。
「ポンチスープです」
南欧の向こうにあるイスラム圏の蒸留酒に、砂糖とレモン果汁と香草と香辛料を加えたデザートスープだそうだ。
具材に、一口大に切ったシロップ漬け果実がたっぷり入っている。
「ふふ、良かったわね。シャルル兄様に食べてもらうと張り切っていたものね」
マリーが楽しそうに教えてくれた。
「けれど、お母様は『アンジュー公の息子が料理人の真似事をするなんて』と呆れているの」
「えっ、これはルネが作ったの?」
「へへ、交易品の中にあったレシピを試しただけですよ」
「すごいなぁ」
余談だが、後年、ルネ・ダンジューは二つ名「料理王」と呼ばれるほどの食通だ。
妻の美しい瞳をモチーフにした焼き菓子カリソンは、プロヴァンスの郷土菓子として定着している。
「お母様は賢い人かもしれませんけどね……」
ルネは得意げに、「料理人を馬鹿にしたらいけません。新作メニューを考えて、レシピを作って調理することは、すなわち錬金術を極めるに等しいんですから」などと語り始めた。どうやら機嫌は直ったようだ。
***
「そんなことよりシャルル兄様! いえ、王太子様!」
舌鼓を打っていると、何かを思い出したルネが食い気味に「聞きたいことがあったんです」と身を乗り出してきた。
「戦勝おめでとうございます!」
とっさに何のことか分からず、私は目をしばたたく。
「戦勝だって?」
「ラ・ロシェル沖で! イングランドと一戦を交えたとか!」
言われて、つい顔をしかめた。
「あぁ、あれか……」
私は生来、流血や戦いが苦手だ。
あまり思い出したくないのだが、そういえばルネは昔から騎士道物語が好きだった。
幼い子供のように瞳をキラキラさせながら、話の続きを待っている。
「イングランド海軍とハンザ同盟を相手にガレー船40隻を沈めたと聞きました!」
「えぇ、そんな話になってるの……」
「違うんですか?」
正確には、沈めたのではなく拿捕したのだ。
(※)三人が食べているのはフルーツポンチです。ヨーロッパで普及するのはもう少し後ですが、イスラム圏では原型となるメニューが12世紀からあったようです。ワインベースにするとサングリアっぽくなります。
(※)ルネ・ダンジュー(11歳)とイザベル・ド・ロレーヌ(20歳)。まるで森薫先生の「乙嫁語り」みたいなこのカップルから、薔薇戦争の女傑マーガレット・オブ・アンジューが生まれます。フランス名はマルグリット・ダンジューです。
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