上 下
160 / 203
第九章〈正義の目覚め〉編

9.17 ヘンリー五世崩御(2)葬儀

しおりを挟む
 ヘンリー五世の早すぎる死は、フランスとイングランド両国に波紋を呼んだ。
 これより二年前、英仏間で定めたトロワ条約——王太子シャルルの廃嫡と、シャルル六世死後にヘンリー五世がフランス王位を継承するという条約は、老いた父王がヘンリーより先に死ぬことを前提にしていたからだ。

 王太子を支持するアルマニャック派は、当初からトロワ条約を否定していたが、ヘンリーの死により「条約は完全に無効になった」と主張した。
 神は不当な王位継承を認めない、神罰がくだったのだ、とも。

 ロンドンとパリで、ヘンリー五世の追悼ミサが営まれた。

「かわいそうにねぇ」

 パリの追悼ミサには、イングランドとブルゴーニュ公を支持するフランス在住の貴族たちが大勢参列した。
 弔問にかこつけて、ヘンリーの弟ベッドフォード公の動向を探るためでもある。

「あと少しでフランス王になれたのに。意外とあっけなかったわねぇ」
「イザボー王妃、それは兄に対する嫌味ですか?」
「御愁傷様ね。ただの哀悼よ」
「お気遣い、恐れ入ります」
「ふふ、シャルルの方が悪運が強いのかしら」

 イングランド王位は、生まれたばかりのヘンリー六世が継承する。
 では、フランス王位の行方は?

「やはり、実子のシャルルに王位を継がせたいと?」
「……心外ね。わたくしはフランス王にもっともふさわしい息子が王位を継承すべきだと考えてますの。残念だけど、シャルルは王の器じゃないわ」

 弔問客たちは静かに祈るふりをして耳をそばだてた。
 摂政に就任したベッドフォード公は、フランスから手を引くか、否か。

「言われるまでもない」

 ベッドフォード公は大聖堂に集まった弔問客を一瞥すると、兄王の遺志を引き継ぎ、積極的にフランス統治を進める旨を告げた。

「王太子の好きにはさせません」
「ふふふ……」

 フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールは、ベッドフォード公の顔に手を伸ばすと、しなやかな指先で輪郭をつつとなぞり、満足そうに微笑んだ。

「期待してますわよ、摂政殿……」

 息子よりも鮮やかな緑の瞳が妖しくきらめいた。
 弔問客にも聞こえるように少し声を張り上げて、王太子シャルルの廃嫡とイングランドによるフランス統治を支持すると約束した。


***


「久しぶりだな、リッシュモン伯」
「シャロレー伯」
「今はブルゴーニュ公だよ」

 無怖公の息子・ブルゴーニュ公フィリップとリッシュモンは幼なじみだった。
 私とデュノワ伯ジャンのゆるやかな主従関係に似ている。

「失礼しました」
「はは、まぁいいさ。私は影が薄いからな」
「そんなことは……」
「そんなことあるさ。父が死んで三年経つが、私も家臣たちもいまだに父を恐れている」

 ブルゴーニュ公フィリップはイングランドと同盟を結んでトロワ条約を支持していたが、父ほどフランス統治に関わっていなかった。

「パリは息が詰まる。昔なじみの貴公がいてホッとした」
「私と話していてよろしいのですか。親睦を深めるべき相手がいるでしょうに」

 リッシュモンが目配せした先では、王妃イザボーとベッドフォード公があやしげな密談をしている。

「いい。遠慮させてもらう」

 ブルゴーニュ公フィリップは、声を潜めて「あれは親睦を深めるというより悪だくみだ」と付け加えた。
 そのとき、王妃の指先が伸びてベッドフォード公の頬を撫でた。

「あれが次のターゲットかもしれないな」
「さすがにそれはないでしょう」
「王弟のことを忘れたか? 母を非難した王太子はどうだ?」

 二人に気づかれないように、弔問客の中心から離れた。

「淫乱王妃はタブーを犯すことを恐れない。夫である王の弟のみならず、王弟を殺した父まで寵愛したくらいだからな」

 ベッドフォード公は33歳で、血のつながらない弟であるリッシュモンは29歳、ブルゴーニュ公フィリップは26歳だ。美貌を誇るといえど52歳の王妃に誘惑されるなど想像したくもないが、まったくありえない話でもなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫から国外追放を言い渡されました

杉本凪咲
恋愛
夫は冷淡に私を国外追放に処した。 どうやら、私が使用人をいじめたことが原因らしい。 抵抗虚しく兵士によって連れていかれてしまう私。 そんな私に、被害者である使用人は笑いかけていた……

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。

みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。 ――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。 それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……  ※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...