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第八章〈殺人者シャルル〉編

8.20 神も王も怖れない男(3)親書と密書

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 親書とは、国を統治する君主が他国の君主に宛てた公的な手紙をさす。
 私とブルゴーニュ公の往復書簡も親書と呼んで差し支えないだろう。

 アルマニャック派とブルゴーニュ派の内紛を止めるには、私とブルゴーニュ公が実際に対面して正式な和平条約を結ぶ必要がある。

 1407年に王弟オルレアン公が暗殺されてから12年。
 長年、こじれた関係を修復するのは簡単ではない。
 アルマニャック派もブルゴーニュ派も一枚岩ではなく、好戦的な者から厭戦的な者まで色々いる。
 和解がその場限りの口約束にならないように双方のトップが和平に合意して文書に残すのだ。


====================

 一.アルマニャック伯とその一味は先の王太子ふたりを毒殺し、ブルゴーニュ公は王妃から救援要請を受けて王太子シャルルを救出・保護するために立ち上がったが、アルマニャック派一味の残党が王太子を誘拐してパリから逃亡した。

 二.王太子がパリへ帰還し、両親である国王と王妃の保護下に戻るならば、王家とブルゴーニュ公はアルマニャック派一味のこれまでの悪行を許し、寛大な処置をすることを誓う。

====================


「何これ……」
「我が主、ブルゴーニュ公が考えた和平条約の草案でございます」

 私はブルゴーニュ公の使者に突き返した。
 アルマニャック派の心情を顧みれば到底受け入れられる内容ではない。

「ふざけているのか。よくこれだけ都合のいい解釈ができるものだな」
「恐れ入ります」
「褒めてないよ」
「我が主にそう申し伝えます」

 味方の説得、敵方との交渉。
 対面に漕ぎ着けるまで慎重に手続きを踏んでいく。
 イングランドをはじめ、和平を望まない者の妨害も考えられた。

「和平条約を正式な形にするまでアニエス嬢との結婚は考えられない。そう伝えて欲しい」
「……御意のままに」

 私はブルゴーニュ公の本心を探りながら、水面下でブルゴーニュ派への内偵を進めていた。
 といっても、ブルゴーニュ派の知り合いはほとんどいない。
 私は羊皮紙に羽根ペンを走らせると、ベルトラン・ド・ボーヴォーという男を呼んだ。

「やあ、ボーボーさん」

 ボーヴォー家はアンジェ城で厩舎番をしている下級貴族だったが、近年になって躍進が著しく、ついに城代に任命される栄誉に預かった。
 ベルトランは当主の弟で、ことしで19歳になる。

「その呼び方は……」
「失礼。つい、子供のときの口癖が出てしまう」

 異例の出世は、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンの信頼の証しだ。
 ヨランドは家臣の一部を私に預けてくれた。ベルトランもそのひとりである。
 マリー・ダンジューがプロヴァンスへ旅立った後も、私のもとに残った。

「この手紙をミシェル王女に届けて欲しい」
「どなたですか」
「私の姉だよ。ブルゴーニュ公の嫡男フィリップの妃なんだ」

 しがない下級貴族の理由の定かでない出世。
 それは、ボーヴォー家が諜報活動に長けていることを意味する。

「パリの宮廷から来た役人や名門貴族はブルゴーニュ公に知られている。目立たないで自由に動いてもらうにはボーボーさんが適任だと思ったんだ」
「その呼び方は……」
「ごめん」
「いえ、結構です」

 私とミシェル王女、姉弟間で秘密の往復書簡を交わすようになった。
 ブルゴーニュ公の家臣とかち合わないように、また姉が内通者として疑われないように細心の注意を払いながら。

「王太子殿下はえげつないお方ですね」
「えげつない?」
「私はアンジュー家にお仕えしていました。ヨランド妃もマリー様も私の主人です」
「さては、手紙の中身を読んだな?」

 手紙の中で、私は適齢期の王子らしく婚約者アニエス嬢に興味がある素振りを見せた。
 アンジュー家に仕えるベルトランからすれば、不愉快な内容だったに違いない。

「恥ずかしいなぁ。封蝋シーリングしたのにどうやって読んだんだ?」
「やり方はいろいろあります。ですが、安心しました」
「安心した?」
「万が一、敵に読まれても害のない内容だとわかりました。よく練られていると思います。私が思っていたよりも殿下はよく考えてらっしゃる。次からは開封しないで届けます」

 和平のためには結婚以外の選択肢はない。
 申し訳ないが、アニエス嬢への興味は人目をごまかすダミーだ。
 ミシェル王女とベルトラン、ふたりを通じてブルゴーニュ公の動向とブルゴーニュ派の内情を調べてもらった。
 ついでに、父王の世話をしていたオデットとマルグリット母子の捜索も。
 ミシェル王女は異母妹がいることに驚いていたが、好意的に受け止めたようだった。

「母子の行方は引き続き捜索中ですが、デュノワ伯の安否がわかりました」

 私はがたりと身を乗り出した。
 いとこのよしみで、ミシェル王女がジャンの身柄を預かっているという。

「すこぶる元気で、隙あらばブルゴーニュ公を暗殺しようと企んでいます」
「は……ははは、何やってるんだか」

 ジャンは王弟オルレアン公の庶子だから、ブルゴーニュ公は父の仇になる。
 王太子の身代わりになって捕まったというのに、悲観するどころか敵討ちを企んでいるとは。
 元気そうで安心したのと、いかにもジャンらしい行動の報告を聞いて、私は人目もはばからずに笑ってしまった。

「笑い事ではありません」

 しかし、ベルトランは一計を案じた。

「暗殺にも作法があります。面と向かって堂々とやることではありません」
「ぷっ、ジャンはそんなことをしているのか……」
「アルマニャック派の王族がブルゴーニュ公に危害を加えたら、いままで和平のためにしてきた工作がすべて吹き飛びます。王女も保護責任が問われるでしょう」
「わかったよ。ジャンが余計なことをしないように見張っていて欲しい」

 後になって思い返すと、私は注文の多い弟だったかもしれない。
 ベルトランは再び旅立つ前に「手紙を読んだらすぐに廃棄するように」と申し添えた。密書の作法である。


***


 1419年7月、プイイ・ル・フォートで最初の和平会談が行われた。
 私は欠席し、ブルゴーニュ公も現れなかった。
 それぞれの代理人が、双方の意見にズレがあることを認め、それでも和平に向けて暫定条約を結んだ。

「うん、ブルゴーニュ公の草案よりだいぶまともになった」

 次回の会談は9月10日。
 いよいよ王太子とブルゴーニュ公本人がヨンヌ川にかかるモントローで面会すると決まった。
 仮初めの和平条約に署名を交わして正式なものとする。

「うまく行きすぎて、少し怖くなってくるな」

 私には追い風が吹いている。そう確信していた。
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