199 / 203
番外編・短編など
王太子の詫び状(続・モントロー橋事件、Ver.2)挿絵つき
しおりを挟む
(※)前回「モントロー橋事件、Ver.2」の続きです。橋上でブルゴーニュ無怖公が殺害された後、王太子(シャルル七世)が次期ブルゴーニュ公フィリップ(善良公)に宛てた詫び状を元にしています。
ブルゴーニュ無怖公の凄惨な殺害現場をつぶさに目撃し、王太子は激しいショックに押しつぶされた——らしい。
人が死んでいるのに、他人事のようで申し訳ない。
あの日を思い出そうとすると頭の中に靄がかかり、ひどく無気力になって寝込んでしまうのだ。
心理学で言うフラッシュバックという症状だろうか。
とはいえ、15世紀当時は心的外傷について理解されていない。
事件以来、私はときどき無気力状態を発症するようになり、「怠け者」の烙印を押されてしまう。
アルマニャック伯が生きていたら、何か良い知恵を授けてくれたかもしれない。
だが、死者を生き返らせる奇跡は決して起きない。王も皇帝も、ローマ教皇にだって不可能な芸当だ。
事件後、アルマニャック派の宮廷は混乱に陥った。
権力の象徴たる「王太子を確保する」以外に何もできなかった。
アルマニャック伯の後釜を狙う家臣は何人もいたが、埋め合わせできる者はひとりもいなかった。
ブルゴーニュ派とアルマニャック派の和解への試みが、すべて失われようとしていた。
平和は遠のき、内乱はますますこじれて激化するだろう。王弟オルレアン公が殺されて首謀者ブルゴーニュ公が憎まれたように、これからは私に憎悪が向けられる。
「ブルゴーニュ公と同じく、いつか私も報復を受けて殺されるのだろうか」
ブルゴーニュ公が昏倒し、割れた頭から脳がこぼれて、ちぎれた右腕がびしゃりと私の足元へ飛んでくる——フラッシュバックは、時にブルゴーニュ公の死顔を私の顔に書き換える。
「苦しい。息ができない。体が動かなくなる……あぁ、神よ……」
恐ろしい過去と未来が頭をよぎる。
だが、何もかも手遅れだと決めつけたくなかった。
恐怖と不安と傷心に耽溺して、寝込んでいる場合ではなかった。
震える手を押さえながら、私は手紙をしたためた。
ひとつはパリ市民に宛てた。
王太子が殺害計画を仕組んだという噂は事実無根だと主張し、事件の経緯について説明した。橋上で、互いに非難し合った果てに、互いの家臣が乱暴な振る舞いにおよび、私は守られ、ブルゴーニュ公は死んでしまったのだと。
だが、私の釈明を信じる者はいなかった。
人々は、当事者の説明よりも、事実と異なる噂話を信じた。
読者諸氏の時代で例えると、ますます「炎上した」といえる。
もうひとつの手紙は、シャロレー伯フィリップ——次期ブルゴーニュ公に宛てた詫び状だ。
パリ市民に宛てた手紙と同じく、事件の経緯についての長い説明と釈明を記し、それから次のように書き綴った。
「貴公は犠牲者の遺族である。父君の死に動揺し、大いに立腹していることだろう。だが、それでも私は和平へ向かう試みを諦めたくない。怒りと憎しみを抑え、忍耐を持って耐えてもらえないだろうか……」
この物語を読んでいる読者諸氏は「加害者のくせに図々しい言い分」だと思うだろうか。
亡き無怖公の息子フィリップは何を思っただろうか。
ブルゴーニュ公父子はそれほど仲が良かった訳ではないが、フィリップは父の訃報を知らされると何事かを叫び、歯を食いしばるような形相で部屋に閉じこもった。数日間、飲まず食わずで出てこなかったそうだ。
王侯貴族は、人前で感情をあらわにしないように躾けられる。
フィリップの動揺と悲痛、同時に、貴族として矜持を保とうとする心境は察するに余りある。
当時、ブルゴーニュ公フィリップは23歳で、私こと王太子シャルルは16歳。
これまでは私もフィリップも二派閥の内乱とは直接関係なかった。心のどこかで他人事だと思っていた。
この事件は、大人たちが引き起こした「争いの連鎖」が私たち息子世代に引き継がれた瞬間でもあった。
そして——
百年来、フランスをかき乱してきたイングランドの魔手が忍び寄る。
「火急の要件につき、フィリップ殿じきじきにお目通しいただきたい。さよう、今すぐに!」
懇願する王太子の詫び状よりも一足早く、復讐と戦いの継続を説く手紙が、ブルゴーニュ公フィリップのもとへ届いていた。
(※)ブルゴーニュ公父子の肖像画。左が無怖公ジャン、右が善良公フィリップ。
(※)7番目のシャルル青年期編(仮題)は、シャルル七世が即位した10月21日からスタートします。ジャンヌ・ダルクに導かれてランスで即位…の方ではなく、父王シャルル六世崩御につき19歳で即位した方の記念日。なお、今年は即位599周年です。
近くなったら、活動報告やTwitterであらためて告知します。
ブルゴーニュ無怖公の凄惨な殺害現場をつぶさに目撃し、王太子は激しいショックに押しつぶされた——らしい。
人が死んでいるのに、他人事のようで申し訳ない。
あの日を思い出そうとすると頭の中に靄がかかり、ひどく無気力になって寝込んでしまうのだ。
心理学で言うフラッシュバックという症状だろうか。
とはいえ、15世紀当時は心的外傷について理解されていない。
事件以来、私はときどき無気力状態を発症するようになり、「怠け者」の烙印を押されてしまう。
アルマニャック伯が生きていたら、何か良い知恵を授けてくれたかもしれない。
だが、死者を生き返らせる奇跡は決して起きない。王も皇帝も、ローマ教皇にだって不可能な芸当だ。
事件後、アルマニャック派の宮廷は混乱に陥った。
権力の象徴たる「王太子を確保する」以外に何もできなかった。
アルマニャック伯の後釜を狙う家臣は何人もいたが、埋め合わせできる者はひとりもいなかった。
ブルゴーニュ派とアルマニャック派の和解への試みが、すべて失われようとしていた。
平和は遠のき、内乱はますますこじれて激化するだろう。王弟オルレアン公が殺されて首謀者ブルゴーニュ公が憎まれたように、これからは私に憎悪が向けられる。
「ブルゴーニュ公と同じく、いつか私も報復を受けて殺されるのだろうか」
ブルゴーニュ公が昏倒し、割れた頭から脳がこぼれて、ちぎれた右腕がびしゃりと私の足元へ飛んでくる——フラッシュバックは、時にブルゴーニュ公の死顔を私の顔に書き換える。
「苦しい。息ができない。体が動かなくなる……あぁ、神よ……」
恐ろしい過去と未来が頭をよぎる。
だが、何もかも手遅れだと決めつけたくなかった。
恐怖と不安と傷心に耽溺して、寝込んでいる場合ではなかった。
震える手を押さえながら、私は手紙をしたためた。
ひとつはパリ市民に宛てた。
王太子が殺害計画を仕組んだという噂は事実無根だと主張し、事件の経緯について説明した。橋上で、互いに非難し合った果てに、互いの家臣が乱暴な振る舞いにおよび、私は守られ、ブルゴーニュ公は死んでしまったのだと。
だが、私の釈明を信じる者はいなかった。
人々は、当事者の説明よりも、事実と異なる噂話を信じた。
読者諸氏の時代で例えると、ますます「炎上した」といえる。
もうひとつの手紙は、シャロレー伯フィリップ——次期ブルゴーニュ公に宛てた詫び状だ。
パリ市民に宛てた手紙と同じく、事件の経緯についての長い説明と釈明を記し、それから次のように書き綴った。
「貴公は犠牲者の遺族である。父君の死に動揺し、大いに立腹していることだろう。だが、それでも私は和平へ向かう試みを諦めたくない。怒りと憎しみを抑え、忍耐を持って耐えてもらえないだろうか……」
この物語を読んでいる読者諸氏は「加害者のくせに図々しい言い分」だと思うだろうか。
亡き無怖公の息子フィリップは何を思っただろうか。
ブルゴーニュ公父子はそれほど仲が良かった訳ではないが、フィリップは父の訃報を知らされると何事かを叫び、歯を食いしばるような形相で部屋に閉じこもった。数日間、飲まず食わずで出てこなかったそうだ。
王侯貴族は、人前で感情をあらわにしないように躾けられる。
フィリップの動揺と悲痛、同時に、貴族として矜持を保とうとする心境は察するに余りある。
当時、ブルゴーニュ公フィリップは23歳で、私こと王太子シャルルは16歳。
これまでは私もフィリップも二派閥の内乱とは直接関係なかった。心のどこかで他人事だと思っていた。
この事件は、大人たちが引き起こした「争いの連鎖」が私たち息子世代に引き継がれた瞬間でもあった。
そして——
百年来、フランスをかき乱してきたイングランドの魔手が忍び寄る。
「火急の要件につき、フィリップ殿じきじきにお目通しいただきたい。さよう、今すぐに!」
懇願する王太子の詫び状よりも一足早く、復讐と戦いの継続を説く手紙が、ブルゴーニュ公フィリップのもとへ届いていた。
(※)ブルゴーニュ公父子の肖像画。左が無怖公ジャン、右が善良公フィリップ。
(※)7番目のシャルル青年期編(仮題)は、シャルル七世が即位した10月21日からスタートします。ジャンヌ・ダルクに導かれてランスで即位…の方ではなく、父王シャルル六世崩御につき19歳で即位した方の記念日。なお、今年は即位599周年です。
近くなったら、活動報告やTwitterであらためて告知します。
0
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
追放された王太子のひとりごと 〜7番目のシャルル étude〜
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
救国の英雄ジャンヌ・ダルクが現れる数年前。百年戦争は休戦中だったが、フランス王シャルル六世の発狂で王国は内乱状態となり、イングランド王ヘンリー五世は再び野心を抱く。
兄王子たちの連続死で、末っ子で第五王子のシャルルは14歳で王太子となり王都パリへ連れ戻された。父王に統治能力がないため、王太子は摂政(国王代理)である。重責を背負いながら宮廷で奮闘していたが、母妃イザボーと愛人ブルゴーニュ公に命を狙われ、パリを脱出した。王太子は、逃亡先のシノン城で星空に問いかける。
※「7番目のシャルル」シリーズの原型となった習作です。
※小説家になろうとカクヨムで重複投稿しています。
※表紙と挿絵画像はPicrew「キミの世界メーカー」で作成したイラストを加工し、イメージとして使わせていただいてます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。
SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。
伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。
そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。
さて、この先の少年の運命やいかに?
剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます!
*この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから!
*この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
白雉の微睡
葛西秋
歴史・時代
中大兄皇子と中臣鎌足による古代律令制度への政治改革、大化の改新。乙巳の変前夜から近江大津宮遷都までを辿る古代飛鳥の物語。
――馬が足りない。兵が足りない。なにもかも、戦のためのものが全て足りない。
飛鳥の宮廷で中臣鎌子が受け取った葛城王の木簡にはただそれだけが書かれていた。唐と新羅の連合軍によって滅亡が目前に迫る百済。その百済からの援軍要請を満たすための数千騎が揃わない。百済が完全に滅亡すれば唐は一気に倭国に攻めてくるだろう。だがその唐の軍勢を迎え撃つだけの戦力を倭国は未だ備えていなかった。古代に起きた国家存亡の危機がどのように回避されたのか、中大兄皇子と中臣鎌足の視点から描く古代飛鳥の歴史物語。
主要な登場人物:
葛城王(かつらぎおう)……中大兄皇子。のちの天智天皇、中臣鎌子(なかとみ かまこ)……中臣鎌足。藤原氏の始祖。王族の祭祀を司る中臣連を出自とする
田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜
皐月なおみ
歴史・時代
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!?
冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。
あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。
でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変!
『これおかみ、わしに気安くさわるでない』
なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者?
もしかして、晃之進の…?
心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。
『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』
そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…?
近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。
亭主との関係
子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り
友人への複雑な思い
たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…?
※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です!
※歴史・時代小説コンテストエントリー作品です。もしよろしければ応援よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる