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第七章〈王太子の都落ち〉編
7.2 パリ脱出(1)シャステル隊長の計画
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護衛隊長シャステルは、「敵の裏をかいてパリの市街地へ出てから堂々と城門をくぐって脱出する」計画を立てた。
護衛たちは目立たないように分散し、頃合いを見て私とシャステルも地下水路から地上へ出た。
「ここはどこ? もうパリを出たの?」
猿ぐつわをしたままでは怪しすぎるから、地上へ出る前に口に詰め込んだハンカチを外した。
嗚咽は止まっていたが、涙の跡は消せない。
ひどい顔だが、騒動に巻き込まれて焼け出されたと考えればそれほど変ではないと思う。
「まだ市内です。いまは城下の南側にいます」
シャステルが小声で答えた。
「サンチョが馬車を調達してきますから、しばらくお待ちください」
誰だそれは……と思ったが黙っていた。
私はある地方貴族の三男坊である。行儀見習いのために宮廷で小姓をしていたが、クーデターを聞きつけた故郷の父が迎えをよこした——という筋書きになっている。
サンチョという人名は、アラゴンやカタルーニャ方面でよく聞かれる。
この物語を読んでいる読者諸氏の時代だと、スペインといった方が分かりやすいだろうか。
南欧の名を持つ従者サンチョ。
ならば、私が演じる地方貴族の三男坊は、南フランス出身なのだろう。
架空の設定だが、パリの南を通って脱出しようとしていることに不都合はない。
私とシャステルを中心に、護衛たちは分散して任務を遂行している。
ある者は先回りして脱出ルートの安全確保を、ある者は馬車の調達を、またある者は情報収集を、残りの者は付かず離れず私たちを見守り、いざという時はシャステルの合図で戦うことも辞さない。
「上手く脱出できるだろうか」
「心配ご無用です」
王都パリの南には、ブルゴーニュ派の軍勢が最初に入城したサン・ジェルマン・デ・プレ門がある。
軍勢は無理やり押し入ったのではなく、内通者が中から招き入れたらしい。
パリの南側はもともとブルゴーニュ派を支持する住民が多かったのだが、今となってはブルゴーニュ派の軍勢に占拠されたも同然だった。
シャステルは大胆にも、王太子を連れて敵陣のど真ん中を突っ切るルートを選んだ。
(心配するなと言われても無理だよ)
シャステルやジャンと違って、私は生来の小心者だ。気が気ではない。
「馬車が来たようです」
1年前、アンジューからパリへ来たときは王太子の紋章を掲げた大行列をともなっていたが、比べ物にならないほど質素な馬車がやってきた。
小ぶりで何も装飾がないが、人目を避けるなら目立たない方が都合がいいだろう。
乗ろうとして思わず「狭っ……」と言ってしまった。
肩をすぼめて詰めればふたりで乗れなくもないが、宮廷で暮らすうちに私も少し贅沢になったのかもしれない。
「窮屈ですが、どうかご辛抱ください。小さい馬車は軽くてスピードが出ますし、小回りが利いて移動しやすいのです」
シャステルは私が乗車すると扉を閉めようとした。
「待って、シャステルは乗らないの?」
「私はサンチョとともに御者に扮します」
「えっ、本当にサンチョがいるの?」
私は身を乗り出してまわりを確かめようとしたが、「急ぎますから」とシャステルに押しとどめられた。
「この先、何があるか分かりません。声をかけられても、むやみに返事をしたり馬車を開けてはなりません」
「うん、わかった」
「サンチョであろうと誰であろうと、です」
シャステル考案のシナリオは、どこまでが本当なのだろう。
宮廷にいたときは気づかなかったが、この男は小芝居と荒事が好きらしい。
「だからサンチョって誰なんだ……」
シャステルはそれ以上答えず、私ひとりを乗せて馬車が動き出した。
狭い馬車の中には、排泄用とおぼしき壺がひとつ。
小さな窓には黒いカーテンが貼りつき、私が中から開けないと何も見えない。
シャステルは本当に同道しているのだろうか。
サンチョは実在するのか。味方なのか。
(サンチョがジャンだったら良かったのに)
ふと、そんな思いが浮かんできて、あわてて頭から振り払った。
今はまだ感傷にふける余裕はないのだ。
護衛たちは目立たないように分散し、頃合いを見て私とシャステルも地下水路から地上へ出た。
「ここはどこ? もうパリを出たの?」
猿ぐつわをしたままでは怪しすぎるから、地上へ出る前に口に詰め込んだハンカチを外した。
嗚咽は止まっていたが、涙の跡は消せない。
ひどい顔だが、騒動に巻き込まれて焼け出されたと考えればそれほど変ではないと思う。
「まだ市内です。いまは城下の南側にいます」
シャステルが小声で答えた。
「サンチョが馬車を調達してきますから、しばらくお待ちください」
誰だそれは……と思ったが黙っていた。
私はある地方貴族の三男坊である。行儀見習いのために宮廷で小姓をしていたが、クーデターを聞きつけた故郷の父が迎えをよこした——という筋書きになっている。
サンチョという人名は、アラゴンやカタルーニャ方面でよく聞かれる。
この物語を読んでいる読者諸氏の時代だと、スペインといった方が分かりやすいだろうか。
南欧の名を持つ従者サンチョ。
ならば、私が演じる地方貴族の三男坊は、南フランス出身なのだろう。
架空の設定だが、パリの南を通って脱出しようとしていることに不都合はない。
私とシャステルを中心に、護衛たちは分散して任務を遂行している。
ある者は先回りして脱出ルートの安全確保を、ある者は馬車の調達を、またある者は情報収集を、残りの者は付かず離れず私たちを見守り、いざという時はシャステルの合図で戦うことも辞さない。
「上手く脱出できるだろうか」
「心配ご無用です」
王都パリの南には、ブルゴーニュ派の軍勢が最初に入城したサン・ジェルマン・デ・プレ門がある。
軍勢は無理やり押し入ったのではなく、内通者が中から招き入れたらしい。
パリの南側はもともとブルゴーニュ派を支持する住民が多かったのだが、今となってはブルゴーニュ派の軍勢に占拠されたも同然だった。
シャステルは大胆にも、王太子を連れて敵陣のど真ん中を突っ切るルートを選んだ。
(心配するなと言われても無理だよ)
シャステルやジャンと違って、私は生来の小心者だ。気が気ではない。
「馬車が来たようです」
1年前、アンジューからパリへ来たときは王太子の紋章を掲げた大行列をともなっていたが、比べ物にならないほど質素な馬車がやってきた。
小ぶりで何も装飾がないが、人目を避けるなら目立たない方が都合がいいだろう。
乗ろうとして思わず「狭っ……」と言ってしまった。
肩をすぼめて詰めればふたりで乗れなくもないが、宮廷で暮らすうちに私も少し贅沢になったのかもしれない。
「窮屈ですが、どうかご辛抱ください。小さい馬車は軽くてスピードが出ますし、小回りが利いて移動しやすいのです」
シャステルは私が乗車すると扉を閉めようとした。
「待って、シャステルは乗らないの?」
「私はサンチョとともに御者に扮します」
「えっ、本当にサンチョがいるの?」
私は身を乗り出してまわりを確かめようとしたが、「急ぎますから」とシャステルに押しとどめられた。
「この先、何があるか分かりません。声をかけられても、むやみに返事をしたり馬車を開けてはなりません」
「うん、わかった」
「サンチョであろうと誰であろうと、です」
シャステル考案のシナリオは、どこまでが本当なのだろう。
宮廷にいたときは気づかなかったが、この男は小芝居と荒事が好きらしい。
「だからサンチョって誰なんだ……」
シャステルはそれ以上答えず、私ひとりを乗せて馬車が動き出した。
狭い馬車の中には、排泄用とおぼしき壺がひとつ。
小さな窓には黒いカーテンが貼りつき、私が中から開けないと何も見えない。
シャステルは本当に同道しているのだろうか。
サンチョは実在するのか。味方なのか。
(サンチョがジャンだったら良かったのに)
ふと、そんな思いが浮かんできて、あわてて頭から振り払った。
今はまだ感傷にふける余裕はないのだ。
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