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第五章〈王太子の宮廷生活〉編
5.13 狂王のタロット占い(2)
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異母妹マルグリットと鳥笛で遊んでいたら、肝心なことを忘れていた。
「あ、タロットカード!」
思い出したのは夜だった。遅すぎる。
新米・王太子のスケジュールはハードだった。
周辺国の使節や王国貴族との謁見、会食、視察、馬上試合の観戦など、公式行事がめいっぱい詰め込まれている。
さらに、その合間を縫って、帝王学、紋章学、象徴学、公文書に使うラテン語、周辺諸国の外国語、弁証法、数学、天文学、錬金術、地理、戦略軍略政略知略……など、膨大な学習をこなさなければならない。剣術だけは、まったく才能がないため免除された。
私は14歳の王太子だが、同時に国王代理でもあった。
いますぐに、逼迫した王政の第一線に立つことを期待されていた。
「ジャン、明日は父上に面会する時間ある?」
デュノワ伯ジャンは、侍従長として私の私的な時間を管理している。
「ないですね」
即答だった。
「少しでいいんだ。タロットカードを見せてもらうだけだから」
「無理です」
ジャンは意外とまじめで厳しかった。
侍従長の上官として、護衛隊長シャステルと宰相アルマニャック伯がいるから、何もかもジャンの差配で決められる訳ではないのだ。
「アジャンクールの敗北は命令系統の乱れが一因ですからね。上官の命令は絶対なんです」
「私は王太子なのに?」
「王太子は上官ではありません。主君です」
ジャンいわく、「忠実な臣下は主君に媚びない」らしい。
翌日のスケジュールはびっしり詰まっていたが、ある客人が風邪を引いたとかで謁見が中止になった。おかげで、ほんの少し自由時間ができた。
「やった! 私は運がいい!」
「病人と会わせる訳にいきませんからね」
ジャンは、「王太子の健康管理も従者の務めです」と胸を張った。
「だからこそ、自由時間を作るために食事を抜くのは感心しません」
私は半ば強制的に食卓に座らされた。
「ただでさえ王太子は細いんですから」
「そんなことを言われても、筋肉がつきにくいのは生まれつきの体質だから仕方がないよ」
私とジャンは、一歳しか違わない。
歳が近くて従兄弟でもあるから背格好が似ていたが、ジャンは鍛えているせいか健康的で引き締まった体格で、私は貧弱だった。
「痩せっぽちは貴族に舐められます。王太子を品定めするような連中を見てると、俺はもう悔しくて歯がゆくて!」
「ちゃんと食べるってば。テールスープとパンを所望するよ」
「修道院並みの清貧さですね……」
ジャンは呆れていたが、私は軽い食事の方が好きだった。
具のないスープとパンの組み合わせは手を汚さないから、時間の節約にもなる。
ちなみに、騎士志望のジャンは羊肉の煮込み料理が好物だった。
「朝のうちに面会の申し入れをしておきました。許可は出ています」
「ありがとう、ジャン!」
ジャンは少々毒舌でおしゃべりだが、よく気が利く侍従長だった。
***
父に面会する許可が出ていたにも関わらず、私は居室の手前で足止めされていた。
(時間がないのに)
時間を管理する侍従が、砂時計を見ている。
砂がすべて落ち切ったら、問答無用で王太子の仕事に戻らなければならない。
「あ、王太子殿下。まだ中には……」
「ごめん、時間がないんだ」
王の部屋を守る護衛の静止を振り切り、私は父の居室に滑り込んだ。
「失礼します……?」
つんと、独特の匂いが鼻についた。
「この匂いは……」
侍女オデットは、私が入ってきたことにも気づかず多忙を極めていた。
父は、珍しくベッドから離れて、部屋の片隅に据え付けられた書斎の椅子に座っていた。
よく見ると、脚衣を履いていない。
膝丈のガウンの下から、筋張った生足が見えていた。
「わたしじゃないよー」
マルグリットが抗議するような口調でそう言った。
「情けないのぅ」
父はしょんぼりとうなだれていた。
どうやら、ベッドで粗相をしてしまったらしい。
「ああっ、王太子殿下!」
オデットはよごれた寝具と格闘していた。
「お見苦しいところを申し訳ありません!」
「やぁ、お疲れさま」
「小一時間ほどお待ちいただければ、匂いも寝具も跡形なくきれいにできますのに」
「ごめん、時間がなくてね。少しだけ父上と話したいんだ」
私は父に一礼すると、足元にひざまずいた。
「小姓シャルルか。余を笑いにきたのか?」
「いいえ。それより陛下、おみ足が寒いのではありませんか」
「尻なら洗った。ちょっと寒い」
「ならばこちらを」
私は、オデットからよごれていない毛布を受け取ると父の腰に巻き付けた。
父の足元はふらつき、尻の肉はだらしなく垂れていた。
父に「笑いにきたのか?」と問いかけられたが、笑いどころか悲哀を感じていた。
「さぁ、これでいかがですか」
「うむ、あったかい」
父は粗相をした自分を恥じて落ち込んでいたが、少し気分が上向いたようだ。
「今日はタロットカードについてご教授いただきたくて参りました」
「おお、そうか! では余がじきじきに小姓シャルルの未来を占ってしんぜよう」
「占いですか?」
「苦しゅうない。余の正面に座るがよい」
占いをするつもりはなかったが、なりゆきでタロット占いをすることになってしまった。
修道院では神学を、王太子になってから軍略に必要な占星術を学んだが、タロット占いは初体験だ。
まじないは魔術だと怖れられているが、少し興味がある。
父はカードデッキを取り出すと、書斎の机でぐしゃぐしゃにシャッフルした。
「こうしてな、こうじゃ!」
父は、よくまぜたカードを三つの山に分けると、「そなたの手で、三つの山をひとつにせよ」と言った。
「こうですか?」
「うむ、よろしい!」
最後にカードを二枚選ぶと、表を開いた。
「ほほう、大アルカナが二枚とはな!」
父が感嘆の声を上げたが、私にはカードの意味が分からない。
二枚とも絵札だった。
「大アルカナとは何でしょうか」
「くっくっく……」
父は意味ありげな笑みを浮かべ、上目遣いで私を見ていた。
「そなた、持っているな?」
「持っている?」
何か、特別なカードが出たようだ。
まじないは良くないと言われていても気になってしまう。
なにせ、私の未来を占ったのだから。
「陛下、カードの意味を教えてください」
「うむ、心して聞くがよい!」
父は、ずいっと一枚目のカードを指差した。
「これは、運命の輪という」
「運命の輪……」
「喜べ、しかも正位置だ!」
運命の輪の正位置。
その意味は、転換点、幸運の到来、チャンス、変化、出会い、解決、定められた運命、そして結束。
「小姓シャルルよ、そなたは大きな運命に組み込まれて生まれてきたようだな」
私は第五王子でありながら、いまや王位継承権第一位の王太子だ。
それだけでも身に余る運命を感じるのに、まだ何かあるのだろうか。
「そなたはまだ若い。将来、大きなことを成し遂げるやもしれぬぞ」
そう言った父の瞳に狂気の色はなく、とても優しいまなざしをしていた。
(※)現存する世界最古のタロットデッキ、通称「シャルル六世のタロット」は、パリの国立図書館が所蔵しています。
「あ、タロットカード!」
思い出したのは夜だった。遅すぎる。
新米・王太子のスケジュールはハードだった。
周辺国の使節や王国貴族との謁見、会食、視察、馬上試合の観戦など、公式行事がめいっぱい詰め込まれている。
さらに、その合間を縫って、帝王学、紋章学、象徴学、公文書に使うラテン語、周辺諸国の外国語、弁証法、数学、天文学、錬金術、地理、戦略軍略政略知略……など、膨大な学習をこなさなければならない。剣術だけは、まったく才能がないため免除された。
私は14歳の王太子だが、同時に国王代理でもあった。
いますぐに、逼迫した王政の第一線に立つことを期待されていた。
「ジャン、明日は父上に面会する時間ある?」
デュノワ伯ジャンは、侍従長として私の私的な時間を管理している。
「ないですね」
即答だった。
「少しでいいんだ。タロットカードを見せてもらうだけだから」
「無理です」
ジャンは意外とまじめで厳しかった。
侍従長の上官として、護衛隊長シャステルと宰相アルマニャック伯がいるから、何もかもジャンの差配で決められる訳ではないのだ。
「アジャンクールの敗北は命令系統の乱れが一因ですからね。上官の命令は絶対なんです」
「私は王太子なのに?」
「王太子は上官ではありません。主君です」
ジャンいわく、「忠実な臣下は主君に媚びない」らしい。
翌日のスケジュールはびっしり詰まっていたが、ある客人が風邪を引いたとかで謁見が中止になった。おかげで、ほんの少し自由時間ができた。
「やった! 私は運がいい!」
「病人と会わせる訳にいきませんからね」
ジャンは、「王太子の健康管理も従者の務めです」と胸を張った。
「だからこそ、自由時間を作るために食事を抜くのは感心しません」
私は半ば強制的に食卓に座らされた。
「ただでさえ王太子は細いんですから」
「そんなことを言われても、筋肉がつきにくいのは生まれつきの体質だから仕方がないよ」
私とジャンは、一歳しか違わない。
歳が近くて従兄弟でもあるから背格好が似ていたが、ジャンは鍛えているせいか健康的で引き締まった体格で、私は貧弱だった。
「痩せっぽちは貴族に舐められます。王太子を品定めするような連中を見てると、俺はもう悔しくて歯がゆくて!」
「ちゃんと食べるってば。テールスープとパンを所望するよ」
「修道院並みの清貧さですね……」
ジャンは呆れていたが、私は軽い食事の方が好きだった。
具のないスープとパンの組み合わせは手を汚さないから、時間の節約にもなる。
ちなみに、騎士志望のジャンは羊肉の煮込み料理が好物だった。
「朝のうちに面会の申し入れをしておきました。許可は出ています」
「ありがとう、ジャン!」
ジャンは少々毒舌でおしゃべりだが、よく気が利く侍従長だった。
***
父に面会する許可が出ていたにも関わらず、私は居室の手前で足止めされていた。
(時間がないのに)
時間を管理する侍従が、砂時計を見ている。
砂がすべて落ち切ったら、問答無用で王太子の仕事に戻らなければならない。
「あ、王太子殿下。まだ中には……」
「ごめん、時間がないんだ」
王の部屋を守る護衛の静止を振り切り、私は父の居室に滑り込んだ。
「失礼します……?」
つんと、独特の匂いが鼻についた。
「この匂いは……」
侍女オデットは、私が入ってきたことにも気づかず多忙を極めていた。
父は、珍しくベッドから離れて、部屋の片隅に据え付けられた書斎の椅子に座っていた。
よく見ると、脚衣を履いていない。
膝丈のガウンの下から、筋張った生足が見えていた。
「わたしじゃないよー」
マルグリットが抗議するような口調でそう言った。
「情けないのぅ」
父はしょんぼりとうなだれていた。
どうやら、ベッドで粗相をしてしまったらしい。
「ああっ、王太子殿下!」
オデットはよごれた寝具と格闘していた。
「お見苦しいところを申し訳ありません!」
「やぁ、お疲れさま」
「小一時間ほどお待ちいただければ、匂いも寝具も跡形なくきれいにできますのに」
「ごめん、時間がなくてね。少しだけ父上と話したいんだ」
私は父に一礼すると、足元にひざまずいた。
「小姓シャルルか。余を笑いにきたのか?」
「いいえ。それより陛下、おみ足が寒いのではありませんか」
「尻なら洗った。ちょっと寒い」
「ならばこちらを」
私は、オデットからよごれていない毛布を受け取ると父の腰に巻き付けた。
父の足元はふらつき、尻の肉はだらしなく垂れていた。
父に「笑いにきたのか?」と問いかけられたが、笑いどころか悲哀を感じていた。
「さぁ、これでいかがですか」
「うむ、あったかい」
父は粗相をした自分を恥じて落ち込んでいたが、少し気分が上向いたようだ。
「今日はタロットカードについてご教授いただきたくて参りました」
「おお、そうか! では余がじきじきに小姓シャルルの未来を占ってしんぜよう」
「占いですか?」
「苦しゅうない。余の正面に座るがよい」
占いをするつもりはなかったが、なりゆきでタロット占いをすることになってしまった。
修道院では神学を、王太子になってから軍略に必要な占星術を学んだが、タロット占いは初体験だ。
まじないは魔術だと怖れられているが、少し興味がある。
父はカードデッキを取り出すと、書斎の机でぐしゃぐしゃにシャッフルした。
「こうしてな、こうじゃ!」
父は、よくまぜたカードを三つの山に分けると、「そなたの手で、三つの山をひとつにせよ」と言った。
「こうですか?」
「うむ、よろしい!」
最後にカードを二枚選ぶと、表を開いた。
「ほほう、大アルカナが二枚とはな!」
父が感嘆の声を上げたが、私にはカードの意味が分からない。
二枚とも絵札だった。
「大アルカナとは何でしょうか」
「くっくっく……」
父は意味ありげな笑みを浮かべ、上目遣いで私を見ていた。
「そなた、持っているな?」
「持っている?」
何か、特別なカードが出たようだ。
まじないは良くないと言われていても気になってしまう。
なにせ、私の未来を占ったのだから。
「陛下、カードの意味を教えてください」
「うむ、心して聞くがよい!」
父は、ずいっと一枚目のカードを指差した。
「これは、運命の輪という」
「運命の輪……」
「喜べ、しかも正位置だ!」
運命の輪の正位置。
その意味は、転換点、幸運の到来、チャンス、変化、出会い、解決、定められた運命、そして結束。
「小姓シャルルよ、そなたは大きな運命に組み込まれて生まれてきたようだな」
私は第五王子でありながら、いまや王位継承権第一位の王太子だ。
それだけでも身に余る運命を感じるのに、まだ何かあるのだろうか。
「そなたはまだ若い。将来、大きなことを成し遂げるやもしれぬぞ」
そう言った父の瞳に狂気の色はなく、とても優しいまなざしをしていた。
(※)現存する世界最古のタロットデッキ、通称「シャルル六世のタロット」は、パリの国立図書館が所蔵しています。
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