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第五章〈王太子の宮廷生活〉編
5.12 狂王のタロット占い(1)侍女オデットと幼女マルグリット
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王宮の片隅で、侍女たちがカードゲームに興じている光景を見かけた。
ふと、父がタロットカードを持っていたことを思い出し、教えを乞うために何度目かの面会を申し入れた。
星を読む占星術は教会も公認している高等学問だが、まじないは魔術に通じると言われている。
だが、女の子はテーブルゲームと占いが好きだ。
「次にアンジューに手紙を送るときは、カードについて書いてみよう」
父の病状は国家機密だからむやみに伝えることはできないが、他愛ないカード遊びの話なら構わないだろう。
マリーは勝ち気に見えるが、子守りの侍女にまで気配りする優しい少女だ。
私のことも、アンジュー家の家族団らんに溶け込めるように、さりげなく気遣ってくれていた。
「私が王太子として旅立つときも、ルネやシャルロットを連れて見送りに来てくれた」
マリーは私の生い立ちを知っているから、宮廷で上手くやれているか気を揉んでいるに違いない。
つたない恋文よりも、父と仲良くしているから心配ないと伝わればそれでいい。
***
王の居室には、女子供が喜びそうな玩具があった。
はじめ、まだ父のことをよく知らなかった私は、父王の狂気を示すモノだと思っていた。
父王の在位期間は長かったが、とっくに宮廷から見放され、孤独な余生を過ごしていた。
居室の周辺には護衛が張り付いているが、王の発狂を怖れて誰も寄り付かなかった。
ただひとり、侍女オデットがいつもそばにいた。
父の部屋には、たくさんの玩具と幼い子供が眠る小さなベッドがあった。
オデットの娘で、名をマルグリットという。
父がオデットを片時も離さないため、母娘ともども王の居室で暮らしていた。
「この子は、父上との子だね?」
オデットは私の問いかけに答えず、はらはらと涙を流した。
「泣かないで。責めている訳じゃないんだ」
私はマルグリットをあやしながら、できるだけ平静を装った。
「どうかお許しください。どのような罰もお受けいたします。ですが、せめて娘だけは!」
「なぜ?」
「どうか、どうかお慈悲を……!」
「おかしなことを言う。なぜ、あなたに罰を与えなければいけないの?」
「わたくしは卑しい侍女の身分でありながら、恐れ多くも国王陛下と不義密通の罪を……」
「私はそんな話を聞きたいのではないよ」
「ひっ!」
王太子という身分は、過剰にヒトを萎縮させる。
私は言葉の選択を誤ったようだ。
(分からないことばかりだ)
まるで腫れ物に触れるかのように、王でありながら宮廷からも見放されている狂人を、オデットはかいがいしく世話をしている。たったひとりで。
(なぜあなただけが? なぜ、誰も手伝おうとしない?)
誰も寄り付かない王宮の最深部。王の居室は密室だ。
心を病んだ孤独な王と、献身的な侍女が二人きりで過ごしていたら、情を交わす機会があってもおかしくない。
(不義密通。確かにそうかもしれない)
だが、侍女の身分で王の要求を拒むことなどできやしないだろう。
私の問いかけは、デリケートな問題に触れるにしては手荒すぎた。
いま、王と王太子のはざまにいるオデット母娘は、高等法院で罪を暴かれ、死刑宣告を待つような気持ちだろうか。
「違うよ、そうじゃない」
私はできるだけ穏やかな表情で、ゆっくりと首を振った。
「責めるつもりはないんだ。これほど父に尽くしているあなたに、贖罪のような言葉を言わせたくないだけだ」
父は生まれつきの狂人ではなかった。
度重なる不幸と不運、そして王の重責と孤独に、父の繊細すぎる精神は耐えられなかったのだ。
「オデット殿、あなたは父の恩人だ」
宮廷から見捨てられた父王。
私も父と同様、宮廷から忘れられた存在だった。
「私にはわかる。父にとって、オデット殿がどれほど大切な存在か」
「滅相もございません」
「気遣いや慈悲で言ってるんじゃないんだ。私の本心だよ」
この世に生まれて誰からも関心を得られないことは、人知れず悲劇を生む。
強すぎる孤独は、心をすり減らせていく。
いつしか現実から目を背けて、夢の世界へ逃げ込む。
幼かった私は、孤独をまぎらせようと王立修道院の書庫にこもってたくさんの本を読み、空想の世界に耽った。
(もし、ずっとひとりで修道院にいたとしたら……)
幸い、私にはジャンがいた。
(王子! 秘密の場所に行きましょう。騎士になったら、俺の武勇伝を聞いてくださいね)
ジャンの存在がどれほど慰めになったことだろう。
父もきっと同じだ。
けれど、侍女オデットの意志と思いはどこに——
「あなたにも、私には計り知れない気苦労があったと思うんだ」
「……滅相もございません」
オデットは多くを語らなかった。
だが、うつむいた頬に流れた幾筋かの涙が、侍女の思いを代弁していた。
敬虔で厳格な聖職者は、王と通じて私生児を産んだオデットを「献身を勘違いして堕落した」と責めるかもしれない。けれど、私は母娘を守りたいと思った。
***
幼子マルグリットの存在は、アンジュー家の子供たちを思い起こさせた。
私は実年齢に比べて精神年齢が幼いようで、小さな子供と戯れることが好きだったから、足繁く父の居室へ通った。
「国王陛下におかれましてはご機嫌うるわしゅう」
「おお、よくぞ参った!」
王太子シャルルではなく小姓シャルルとして。
「マルグリットや、小姓が来たぞ。会いたがっていただろう」
「マルグリットと遊んでもよろしいですか」
「うむ、苦しゅうない。火遊び以外なら何をしてもよい。余が許す」
父は足腰が弱っているのかベッドに寝たきりで、立ち上がることは稀だった。
私がマルグリットの遊び相手をしている間に、オデットはさまざまな雑用をこなしていた。
「きょうはマルグリットのために玩具をもってきたよ」
「どんぐり?」
「ふふ、見ててごらん」
先日、クレルモン伯から鳥笛をいくつかもらった。
「あっ、とりさんのこえがきこえる!」
鳥笛にはさまざまな種類がある。
ロンドン塔の大鴉を手なずけたときは、けたたましい笛の音を使っていた。
小さな女の子を驚かせてしまわないよう、この日は一番かわいらしい音が鳴る笛を持ってきた。
「わたしにもかして」
「はい。ここを少しひねってごらん」
「こう?」
木片や木の実に細工して金具を差し込むと、小鳥のさえずりのような音が出る。
「ちょっとしかきこえない……」
マルグリットの手は小さく、ちょうどいい力加減で鳴らすことは難しいようだ。
「マルグリットはまだ小さいから、力が足りないみたいだ」
「ちいさいからだめなの?」
「うーん。今度、ヴァンセンヌの森へ連れて行ってあげるよ。一緒に鳴らしてみよう」
「とりさんくる?」
「きっと来るよ。マルグリットにこの笛をあげるから、上手に鳴らせるように練習しよう」
私は袖についている装飾用のリボンをほどくと鳥笛に結びつけて、マルグリットの首にかけてあげた。
さらに、帽子の羽飾りをつければちょっとしたアクセサリにも見える。
「なくさないようにね」
「うん! ママン、みてみてーかわいいでしょ。はねもつけたの!」
マルグリットがはしゃぐ一方で、オデットはしきりに恐縮していた。
「畏れ多いことにございます……」
「なぜ? 父上の子なら、マルグリットは私の妹だ。可愛くないはずがないよ」
アンジュー家のルネとシャルロットも可愛かった。
だが、私と幼子マルグリットは血を分けた本当のきょうだいだ。
姉上たちはみな宮廷から離れていたから、父の隠し子について知らないかもしれない。
マルグリットのことを知ったら驚くだろうか。怒るだろうか。祝福を受けられるだろうか。
「ほら、マルグリット。お礼を言いなさい」
母オデットがたしなめると、マルグリットはたたたっと引き返してきた。
スカートの裾をつまむと、首をかしげながら一礼した。
「おにいちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして」
妹のしぐさを見ていると、自然に顔がほころんでしまう。
帽子の羽飾りが貧相になってしまって、侍従長のジャンに叱られるかもしれないがささいなことだ。
(父上がオデット母娘を手放さない気持ちが分かる気がする)
私にとっても、王太子の重責から解放される穏やかなひとときだった。
(※)バードコールのイメージ補完用に。(https://note.mu/shinno3cc/n/n0d8559136ba2)
ふと、父がタロットカードを持っていたことを思い出し、教えを乞うために何度目かの面会を申し入れた。
星を読む占星術は教会も公認している高等学問だが、まじないは魔術に通じると言われている。
だが、女の子はテーブルゲームと占いが好きだ。
「次にアンジューに手紙を送るときは、カードについて書いてみよう」
父の病状は国家機密だからむやみに伝えることはできないが、他愛ないカード遊びの話なら構わないだろう。
マリーは勝ち気に見えるが、子守りの侍女にまで気配りする優しい少女だ。
私のことも、アンジュー家の家族団らんに溶け込めるように、さりげなく気遣ってくれていた。
「私が王太子として旅立つときも、ルネやシャルロットを連れて見送りに来てくれた」
マリーは私の生い立ちを知っているから、宮廷で上手くやれているか気を揉んでいるに違いない。
つたない恋文よりも、父と仲良くしているから心配ないと伝わればそれでいい。
***
王の居室には、女子供が喜びそうな玩具があった。
はじめ、まだ父のことをよく知らなかった私は、父王の狂気を示すモノだと思っていた。
父王の在位期間は長かったが、とっくに宮廷から見放され、孤独な余生を過ごしていた。
居室の周辺には護衛が張り付いているが、王の発狂を怖れて誰も寄り付かなかった。
ただひとり、侍女オデットがいつもそばにいた。
父の部屋には、たくさんの玩具と幼い子供が眠る小さなベッドがあった。
オデットの娘で、名をマルグリットという。
父がオデットを片時も離さないため、母娘ともども王の居室で暮らしていた。
「この子は、父上との子だね?」
オデットは私の問いかけに答えず、はらはらと涙を流した。
「泣かないで。責めている訳じゃないんだ」
私はマルグリットをあやしながら、できるだけ平静を装った。
「どうかお許しください。どのような罰もお受けいたします。ですが、せめて娘だけは!」
「なぜ?」
「どうか、どうかお慈悲を……!」
「おかしなことを言う。なぜ、あなたに罰を与えなければいけないの?」
「わたくしは卑しい侍女の身分でありながら、恐れ多くも国王陛下と不義密通の罪を……」
「私はそんな話を聞きたいのではないよ」
「ひっ!」
王太子という身分は、過剰にヒトを萎縮させる。
私は言葉の選択を誤ったようだ。
(分からないことばかりだ)
まるで腫れ物に触れるかのように、王でありながら宮廷からも見放されている狂人を、オデットはかいがいしく世話をしている。たったひとりで。
(なぜあなただけが? なぜ、誰も手伝おうとしない?)
誰も寄り付かない王宮の最深部。王の居室は密室だ。
心を病んだ孤独な王と、献身的な侍女が二人きりで過ごしていたら、情を交わす機会があってもおかしくない。
(不義密通。確かにそうかもしれない)
だが、侍女の身分で王の要求を拒むことなどできやしないだろう。
私の問いかけは、デリケートな問題に触れるにしては手荒すぎた。
いま、王と王太子のはざまにいるオデット母娘は、高等法院で罪を暴かれ、死刑宣告を待つような気持ちだろうか。
「違うよ、そうじゃない」
私はできるだけ穏やかな表情で、ゆっくりと首を振った。
「責めるつもりはないんだ。これほど父に尽くしているあなたに、贖罪のような言葉を言わせたくないだけだ」
父は生まれつきの狂人ではなかった。
度重なる不幸と不運、そして王の重責と孤独に、父の繊細すぎる精神は耐えられなかったのだ。
「オデット殿、あなたは父の恩人だ」
宮廷から見捨てられた父王。
私も父と同様、宮廷から忘れられた存在だった。
「私にはわかる。父にとって、オデット殿がどれほど大切な存在か」
「滅相もございません」
「気遣いや慈悲で言ってるんじゃないんだ。私の本心だよ」
この世に生まれて誰からも関心を得られないことは、人知れず悲劇を生む。
強すぎる孤独は、心をすり減らせていく。
いつしか現実から目を背けて、夢の世界へ逃げ込む。
幼かった私は、孤独をまぎらせようと王立修道院の書庫にこもってたくさんの本を読み、空想の世界に耽った。
(もし、ずっとひとりで修道院にいたとしたら……)
幸い、私にはジャンがいた。
(王子! 秘密の場所に行きましょう。騎士になったら、俺の武勇伝を聞いてくださいね)
ジャンの存在がどれほど慰めになったことだろう。
父もきっと同じだ。
けれど、侍女オデットの意志と思いはどこに——
「あなたにも、私には計り知れない気苦労があったと思うんだ」
「……滅相もございません」
オデットは多くを語らなかった。
だが、うつむいた頬に流れた幾筋かの涙が、侍女の思いを代弁していた。
敬虔で厳格な聖職者は、王と通じて私生児を産んだオデットを「献身を勘違いして堕落した」と責めるかもしれない。けれど、私は母娘を守りたいと思った。
***
幼子マルグリットの存在は、アンジュー家の子供たちを思い起こさせた。
私は実年齢に比べて精神年齢が幼いようで、小さな子供と戯れることが好きだったから、足繁く父の居室へ通った。
「国王陛下におかれましてはご機嫌うるわしゅう」
「おお、よくぞ参った!」
王太子シャルルではなく小姓シャルルとして。
「マルグリットや、小姓が来たぞ。会いたがっていただろう」
「マルグリットと遊んでもよろしいですか」
「うむ、苦しゅうない。火遊び以外なら何をしてもよい。余が許す」
父は足腰が弱っているのかベッドに寝たきりで、立ち上がることは稀だった。
私がマルグリットの遊び相手をしている間に、オデットはさまざまな雑用をこなしていた。
「きょうはマルグリットのために玩具をもってきたよ」
「どんぐり?」
「ふふ、見ててごらん」
先日、クレルモン伯から鳥笛をいくつかもらった。
「あっ、とりさんのこえがきこえる!」
鳥笛にはさまざまな種類がある。
ロンドン塔の大鴉を手なずけたときは、けたたましい笛の音を使っていた。
小さな女の子を驚かせてしまわないよう、この日は一番かわいらしい音が鳴る笛を持ってきた。
「わたしにもかして」
「はい。ここを少しひねってごらん」
「こう?」
木片や木の実に細工して金具を差し込むと、小鳥のさえずりのような音が出る。
「ちょっとしかきこえない……」
マルグリットの手は小さく、ちょうどいい力加減で鳴らすことは難しいようだ。
「マルグリットはまだ小さいから、力が足りないみたいだ」
「ちいさいからだめなの?」
「うーん。今度、ヴァンセンヌの森へ連れて行ってあげるよ。一緒に鳴らしてみよう」
「とりさんくる?」
「きっと来るよ。マルグリットにこの笛をあげるから、上手に鳴らせるように練習しよう」
私は袖についている装飾用のリボンをほどくと鳥笛に結びつけて、マルグリットの首にかけてあげた。
さらに、帽子の羽飾りをつければちょっとしたアクセサリにも見える。
「なくさないようにね」
「うん! ママン、みてみてーかわいいでしょ。はねもつけたの!」
マルグリットがはしゃぐ一方で、オデットはしきりに恐縮していた。
「畏れ多いことにございます……」
「なぜ? 父上の子なら、マルグリットは私の妹だ。可愛くないはずがないよ」
アンジュー家のルネとシャルロットも可愛かった。
だが、私と幼子マルグリットは血を分けた本当のきょうだいだ。
姉上たちはみな宮廷から離れていたから、父の隠し子について知らないかもしれない。
マルグリットのことを知ったら驚くだろうか。怒るだろうか。祝福を受けられるだろうか。
「ほら、マルグリット。お礼を言いなさい」
母オデットがたしなめると、マルグリットはたたたっと引き返してきた。
スカートの裾をつまむと、首をかしげながら一礼した。
「おにいちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして」
妹のしぐさを見ていると、自然に顔がほころんでしまう。
帽子の羽飾りが貧相になってしまって、侍従長のジャンに叱られるかもしれないがささいなことだ。
(父上がオデット母娘を手放さない気持ちが分かる気がする)
私にとっても、王太子の重責から解放される穏やかなひとときだった。
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