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第四章〈王太子デビュー〉編
4.2 王太子の死(2)
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謁見のあと、私は自分の部屋へ戻らなかった。
部屋はおろか、アンジュー公の家族が暮らす私的なエリアに入れなくなった。
代わりに、王都パリから派遣された王太子専属の護衛に囲まれて客間へ移った。
「みんな、アンジェ城にいるのに」
私だけが部外者になってしまったようだ。
その夜はなかなか寝付けなくて、私は客間のベッドで何度も寝返りを打った。
「はぁ……、眠れないや……」
寒くもないのに、私は天蓋つきベッドを取り囲むカーテンをすべておろし、隙間なく閉じた。それでも、カーテン越しに人の気配を感じる。
目につくところに数人、物陰に数人、私が気づいてないだけで他にも護衛がいるようだ。
たくさん人がいるのに、私は孤独に苛まれていた。
——ルネといい、シャルロットといい、兄さまは大層おモテになる方だわ。
ほんの数時間前、城の書庫で交わした会話を思い出していた。
孤独と不安が少しだけ慰められたのだろう。
私は、ふふ、と笑った。
もしかして、あの時のマリーは焼きもちを焼いていたのだろうか。
——小さい子は体温が高いから、抱いていると温かくて気持ちがいいのよね。
うん、そうだ。
でも、シャルロットが私に抱っこをせがむのは目線が高くなるからだ。
私の方がマリーより少し背が高いからね。
大丈夫、シャルロットはマリー姉さまのことも大好きだよ……。
——シャルル兄さまー、いらっしゃいますかー。
ルネ、私はここにいるよ……。
——うえぇん、しゃるるにいさまーだっこー!
また後でね……。
そう言って、シャルロットのぷくぷくと丸い頬を撫でた。
すぐに戻ってくるつもりだった。
こんなことになるとは思わなかった。
「マリー、ルネ、シャルロット……。あれから三人はどうしているだろう」
本当に「また後で」会えるのだろうか。
アンジューへ来てから四年も経つのに、初めて来た日よりもずっと心細かった。
「ねえ、兄上。これほど多くの護衛に守られていても、人は死んでしまうのですね……」
あれほど会いたいと願った兄はもういない。
兄の死と引き換えに、私はパリへ連れ戻されるのだ。
「死ぬのは恐ろしかったですか? 私は、生きることが怖い……」
鼻の奥がつんとして、視界がじわりと滲んだ。
私は寝返りを打ってうつぶせになると、枕に顔をぎゅうぎゅうと押し付けた。
嗚咽がこみ上げてきても外に漏れないように。誰にも聞かれないように。
***
王太子専属の護衛隊長は、タンギ・デュ・シャステルと名乗った。
長年、王家に仕えているブルターニュ出身の騎士だという。私を迎えにきた一行の中に、もちろん彼もいた。
王太子を取り巻く護衛の人数や配置など、これからはシャステルが一手に引き受ける。
「王宮では、流行病が蔓延っているのかしら」
アンジュー側との打ち合わせがひと段落すると、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは人気のないところでシャステルを呼び止めた。
14~15世紀の西欧では黒死病が猛威を振るっていた。
「そのような話は聞いたことがありません」
「ならば、なぜ王太子殿下ばかりが亡くなるのですか!」
ヨランドはめずらしく語気を強めた。
「たまたま、でしょう」
「本当に? いま、宮廷では何が起きているのです?」
「私には何も」
「あの子を言われるままに送り出しても、本当に大丈夫なのでしょうか……」
現在のシャステルは、護衛隊長という責任ある役職についている。
立場上、王宮の事情をむやみに明かすわけにはいかない。
シャステルは無言を貫いた。
もちろん、ヨランドもシャステルの立場と事情を察している。
「この四年間、我が子同然に慈しみ、育ててまいりました。どうかあの子を、王太子殿下をお守りください」
「必ず、命に代えても!」
アンジュー家の人たちも、さまざまな思いを抱えていた。
私は王位継承権を持つ唯一の王子となり、シャステルは過剰すぎるほどの護衛体制を敷いた。
同じ頃、ロンドン塔に幽閉されているリッシュモンたち虜囚には厳しい監視がついていたと聞く。
王太子の護衛と、虜囚の監視。
一体、何が違うのだろう。
部屋はおろか、アンジュー公の家族が暮らす私的なエリアに入れなくなった。
代わりに、王都パリから派遣された王太子専属の護衛に囲まれて客間へ移った。
「みんな、アンジェ城にいるのに」
私だけが部外者になってしまったようだ。
その夜はなかなか寝付けなくて、私は客間のベッドで何度も寝返りを打った。
「はぁ……、眠れないや……」
寒くもないのに、私は天蓋つきベッドを取り囲むカーテンをすべておろし、隙間なく閉じた。それでも、カーテン越しに人の気配を感じる。
目につくところに数人、物陰に数人、私が気づいてないだけで他にも護衛がいるようだ。
たくさん人がいるのに、私は孤独に苛まれていた。
——ルネといい、シャルロットといい、兄さまは大層おモテになる方だわ。
ほんの数時間前、城の書庫で交わした会話を思い出していた。
孤独と不安が少しだけ慰められたのだろう。
私は、ふふ、と笑った。
もしかして、あの時のマリーは焼きもちを焼いていたのだろうか。
——小さい子は体温が高いから、抱いていると温かくて気持ちがいいのよね。
うん、そうだ。
でも、シャルロットが私に抱っこをせがむのは目線が高くなるからだ。
私の方がマリーより少し背が高いからね。
大丈夫、シャルロットはマリー姉さまのことも大好きだよ……。
——シャルル兄さまー、いらっしゃいますかー。
ルネ、私はここにいるよ……。
——うえぇん、しゃるるにいさまーだっこー!
また後でね……。
そう言って、シャルロットのぷくぷくと丸い頬を撫でた。
すぐに戻ってくるつもりだった。
こんなことになるとは思わなかった。
「マリー、ルネ、シャルロット……。あれから三人はどうしているだろう」
本当に「また後で」会えるのだろうか。
アンジューへ来てから四年も経つのに、初めて来た日よりもずっと心細かった。
「ねえ、兄上。これほど多くの護衛に守られていても、人は死んでしまうのですね……」
あれほど会いたいと願った兄はもういない。
兄の死と引き換えに、私はパリへ連れ戻されるのだ。
「死ぬのは恐ろしかったですか? 私は、生きることが怖い……」
鼻の奥がつんとして、視界がじわりと滲んだ。
私は寝返りを打ってうつぶせになると、枕に顔をぎゅうぎゅうと押し付けた。
嗚咽がこみ上げてきても外に漏れないように。誰にも聞かれないように。
***
王太子専属の護衛隊長は、タンギ・デュ・シャステルと名乗った。
長年、王家に仕えているブルターニュ出身の騎士だという。私を迎えにきた一行の中に、もちろん彼もいた。
王太子を取り巻く護衛の人数や配置など、これからはシャステルが一手に引き受ける。
「王宮では、流行病が蔓延っているのかしら」
アンジュー側との打ち合わせがひと段落すると、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは人気のないところでシャステルを呼び止めた。
14~15世紀の西欧では黒死病が猛威を振るっていた。
「そのような話は聞いたことがありません」
「ならば、なぜ王太子殿下ばかりが亡くなるのですか!」
ヨランドはめずらしく語気を強めた。
「たまたま、でしょう」
「本当に? いま、宮廷では何が起きているのです?」
「私には何も」
「あの子を言われるままに送り出しても、本当に大丈夫なのでしょうか……」
現在のシャステルは、護衛隊長という責任ある役職についている。
立場上、王宮の事情をむやみに明かすわけにはいかない。
シャステルは無言を貫いた。
もちろん、ヨランドもシャステルの立場と事情を察している。
「この四年間、我が子同然に慈しみ、育ててまいりました。どうかあの子を、王太子殿下をお守りください」
「必ず、命に代えても!」
アンジュー家の人たちも、さまざまな思いを抱えていた。
私は王位継承権を持つ唯一の王子となり、シャステルは過剰すぎるほどの護衛体制を敷いた。
同じ頃、ロンドン塔に幽閉されているリッシュモンたち虜囚には厳しい監視がついていたと聞く。
王太子の護衛と、虜囚の監視。
一体、何が違うのだろう。
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