2 / 203
序章
00 聖女死す
しおりを挟む
1431年5月30日、聖なる乙女が死んだ。
知らせが届いたとき、私はフランス王国と神聖ローマ帝国の国境にあるバーゼルの地で外遊中だった。
ここでは、キリスト教国の王侯貴族と高位聖職者が集まる公会議がおこなわれており、議題のひとつは、のちに「百年戦争」と呼ばれる英仏間の長い戦いの仲裁だった。
私は公会議から退席すると、フランスから駆けつけた使者と謁見。
玉座に向かって歩きながら催促するように手を出すと、使者は反射的に書簡を差し出した。
「大儀である」
ねぎらいの言葉をかけながら、流れるように「手渡し」で書簡を受け取った。
侍従が、先走って書簡を差し出したことを咎める前に「下がって良い。よく休息するように」と命じて、使者を退室させた。
私は、謁見の間・最奥に用意された玉座に腰かけると、私自身の手で封を開けた。
「あの子は聖女ではないよ」
視線を落として黙読しながら、そうつぶやいた。
由緒正しい慣例では、侍従がおごそかに書簡を受け取り、うやうやしく読み上げることになっている。
その過程がわずらわしく感じて、私はつい簡略化してしまう。
威厳に欠ける行為だとよく叱られた。立場を自覚するように、あるいは、直すべき悪癖だとも言われる。
侍従は「誇りある仕事」を奪われたと感じたのか、抗議するような視線を送っているが、私は無視した。
これは、特別な書簡だ。
可能な限り、人を挟まないで受け取りたかった。
私の手で受け取り、私の目で読み、真偽を判断しなければならない。
私は慎重だった。
例えば、休戦を阻止しようとする勢力が、公会議を失望させるために偽の書簡を送りつけるかもしれない。一通の紙切れに振り回されて、対応を誤れば、取り返しのつかないことになる。
書簡は厳重に封じられている。開けられた形跡はなかった。
本文の筆跡に見覚えがある。なじみの書記官で間違いない。
署名も問題なし。封蝋もしかり。
この書簡は本物だ。
「恐れながら、ご注進を申し上げます」
侍従が、ついに抗議の声を上げた。
使者を退室させてしまったので、文句を伝える相手は私しかいない。
「宮廷の中にも外にも、聖女様を崇拝する者が大勢います」
「ふむ……、聖女サマだと?」
「いくら王太子殿下といえど『あの子は聖女ではない』は言い過ぎです。誰かに聞かれでもしたら批判は免れませんよ!」
……なるほど、侍従が抗議したいことは「由緒正しい慣例を簡略化して王の威厳を損ねたこと」ではなく、「聖女を軽んじる発言」の方か。
「別に、聞かれても構わない」
「殿下!」
長年私に仕える侍従までもが、隠れ聖女崇拝者になっていたとは恐れ入る。
さぞかし、この書簡の内容が気になっているだろう。
今日は特別に私が読み上げてやってもいい。
だが、その前に、私も一言抗議しよう。
「私はもう王太子ではない。とっくに戴冠式を済ませた」
あの子が敵の手に落ちてから、およそ一年。
手元の書簡には、「むごたらしく火刑に処された」と悲報が記されていた。
聖女の痕跡を残さないように、遺灰はセーヌ川に遺棄されて跡形なく消えたという。
死してなお、味方から崇拝され、敵方から畏怖されている。
聖なる乙女の名はジャンヌ・ダルク。
だが、私はジャンヌを聖女とは認めない。絶対に。
知らせが届いたとき、私はフランス王国と神聖ローマ帝国の国境にあるバーゼルの地で外遊中だった。
ここでは、キリスト教国の王侯貴族と高位聖職者が集まる公会議がおこなわれており、議題のひとつは、のちに「百年戦争」と呼ばれる英仏間の長い戦いの仲裁だった。
私は公会議から退席すると、フランスから駆けつけた使者と謁見。
玉座に向かって歩きながら催促するように手を出すと、使者は反射的に書簡を差し出した。
「大儀である」
ねぎらいの言葉をかけながら、流れるように「手渡し」で書簡を受け取った。
侍従が、先走って書簡を差し出したことを咎める前に「下がって良い。よく休息するように」と命じて、使者を退室させた。
私は、謁見の間・最奥に用意された玉座に腰かけると、私自身の手で封を開けた。
「あの子は聖女ではないよ」
視線を落として黙読しながら、そうつぶやいた。
由緒正しい慣例では、侍従がおごそかに書簡を受け取り、うやうやしく読み上げることになっている。
その過程がわずらわしく感じて、私はつい簡略化してしまう。
威厳に欠ける行為だとよく叱られた。立場を自覚するように、あるいは、直すべき悪癖だとも言われる。
侍従は「誇りある仕事」を奪われたと感じたのか、抗議するような視線を送っているが、私は無視した。
これは、特別な書簡だ。
可能な限り、人を挟まないで受け取りたかった。
私の手で受け取り、私の目で読み、真偽を判断しなければならない。
私は慎重だった。
例えば、休戦を阻止しようとする勢力が、公会議を失望させるために偽の書簡を送りつけるかもしれない。一通の紙切れに振り回されて、対応を誤れば、取り返しのつかないことになる。
書簡は厳重に封じられている。開けられた形跡はなかった。
本文の筆跡に見覚えがある。なじみの書記官で間違いない。
署名も問題なし。封蝋もしかり。
この書簡は本物だ。
「恐れながら、ご注進を申し上げます」
侍従が、ついに抗議の声を上げた。
使者を退室させてしまったので、文句を伝える相手は私しかいない。
「宮廷の中にも外にも、聖女様を崇拝する者が大勢います」
「ふむ……、聖女サマだと?」
「いくら王太子殿下といえど『あの子は聖女ではない』は言い過ぎです。誰かに聞かれでもしたら批判は免れませんよ!」
……なるほど、侍従が抗議したいことは「由緒正しい慣例を簡略化して王の威厳を損ねたこと」ではなく、「聖女を軽んじる発言」の方か。
「別に、聞かれても構わない」
「殿下!」
長年私に仕える侍従までもが、隠れ聖女崇拝者になっていたとは恐れ入る。
さぞかし、この書簡の内容が気になっているだろう。
今日は特別に私が読み上げてやってもいい。
だが、その前に、私も一言抗議しよう。
「私はもう王太子ではない。とっくに戴冠式を済ませた」
あの子が敵の手に落ちてから、およそ一年。
手元の書簡には、「むごたらしく火刑に処された」と悲報が記されていた。
聖女の痕跡を残さないように、遺灰はセーヌ川に遺棄されて跡形なく消えたという。
死してなお、味方から崇拝され、敵方から畏怖されている。
聖なる乙女の名はジャンヌ・ダルク。
だが、私はジャンヌを聖女とは認めない。絶対に。
23
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
追放された王太子のひとりごと 〜7番目のシャルル étude〜
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
救国の英雄ジャンヌ・ダルクが現れる数年前。百年戦争は休戦中だったが、フランス王シャルル六世の発狂で王国は内乱状態となり、イングランド王ヘンリー五世は再び野心を抱く。
兄王子たちの連続死で、末っ子で第五王子のシャルルは14歳で王太子となり王都パリへ連れ戻された。父王に統治能力がないため、王太子は摂政(国王代理)である。重責を背負いながら宮廷で奮闘していたが、母妃イザボーと愛人ブルゴーニュ公に命を狙われ、パリを脱出した。王太子は、逃亡先のシノン城で星空に問いかける。
※「7番目のシャルル」シリーズの原型となった習作です。
※小説家になろうとカクヨムで重複投稿しています。
※表紙と挿絵画像はPicrew「キミの世界メーカー」で作成したイラストを加工し、イメージとして使わせていただいてます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~
恩地玖
歴史・時代
位人臣を極めた豊臣秀吉も病には勝てず、只々豊臣家の行く末を案じるばかりだった。
一体、これまで成してきたことは何だったのか。
医師、施薬院との対話を通じて、己の人生を振り返る豊臣秀吉がそこにいた。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。
SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。
伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。
そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。
さて、この先の少年の運命やいかに?
剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます!
*この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから!
*この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
白雉の微睡
葛西秋
歴史・時代
中大兄皇子と中臣鎌足による古代律令制度への政治改革、大化の改新。乙巳の変前夜から近江大津宮遷都までを辿る古代飛鳥の物語。
――馬が足りない。兵が足りない。なにもかも、戦のためのものが全て足りない。
飛鳥の宮廷で中臣鎌子が受け取った葛城王の木簡にはただそれだけが書かれていた。唐と新羅の連合軍によって滅亡が目前に迫る百済。その百済からの援軍要請を満たすための数千騎が揃わない。百済が完全に滅亡すれば唐は一気に倭国に攻めてくるだろう。だがその唐の軍勢を迎え撃つだけの戦力を倭国は未だ備えていなかった。古代に起きた国家存亡の危機がどのように回避されたのか、中大兄皇子と中臣鎌足の視点から描く古代飛鳥の歴史物語。
主要な登場人物:
葛城王(かつらぎおう)……中大兄皇子。のちの天智天皇、中臣鎌子(なかとみ かまこ)……中臣鎌足。藤原氏の始祖。王族の祭祀を司る中臣連を出自とする
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる