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KAZU:三日目①
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「和樹。結局さっきの相手何だったの?」
ホームルーム後の休み時間に心春が俺の席までやって来てそう訊ねた。登校中に何度かやり取りをしたHARU。心春と同じIDで心春と似た雰囲気の女性。今朝までのメッセージの内容は心春も見ており、一昨日からずっと違う人物だったと分かった。
「一応サイトの運営に問い合わせてるんだけど、異常は見つからないって返答しかなくて」
「運営にも分からないバグってこと? うーん。知らない人から応援されるのは良いことだけど、私からのメッセージが届かないのは……」
「あ、そうだ。俺に送ったメッセージ見せてよ」
心春はメッセージに返信が無かったのだと言っていた。つまり返信が必要な何かしらのメッセージを送ってくれていたということだ。
「ちょっと待って」
心春はそう言うと携帯を取り出して素早く操作をした。アプリを起動させてメッセージ内容を表示させただけでは無さそうだ。
「なにしてるの?」
「いやーちょっと。あれよあれ」
「あれって言われて分かるわけないじゃん」
「うーん……。読まれてないんだったら何個か消しとこうと思って。へへへ」
心春は作り笑いで誤魔化しながらメッセージを消し終えたようだった。
「はい! これで大丈夫!」
渡された携帯の画面には、過去の俺とのやり取りに使われたメッセージがずらりと並んでいた。その中で俺が読んだ記憶のないものが一つだけ。
「一体何通消したの?」
「へへへ。気にしない気にしない」
残っていたメッセージを読むと、一昨日アップした小説の感想と直接感想を言いたいから朝家の前で待ってるという内容だった。確かに昨日は小説の投稿直後にも関わらず心春が一緒に学校に行くように言ってこなかったと思っていた記憶がある。しかしこのメッセージを見る限り、今朝の話を聞く限り、心春は昨日の朝も俺の家の前で待っていたのだろう。俺が家を出るよりも前に一人で学校に向かったのだろう。
「心春ごめん……」
「え? 何? 何で私謝られてんの?」
驚いて目を丸くした心春は俺から携帯を受け取って表示されていた内容を確認した。しかしそれだけで俺がなぜ謝っているのかも分からず首を傾げていた。
「いや、昨日の朝待ってくれてたんでしょ?」
「あー。そのこと! 良いよ良いよ! 私待ってるのとか別に嫌いじゃないし。それにメッセージが届いてなかったんだから和樹が悪いわけでもないし! 何で私LINEとかメールとかしなかったんだろう……。サイトのバグが治るまではそっちで感想とかも言うことにするから」
「それにしてもメッセージが届かないのは不便だね。心春以外からメッセージが届いて無視しちゃうみたいなのも嫌だし」
あまり考えられないけれど、心春以外の人からのメッセージも届くかもしれない。そう思って悩んでいると、心春から一つの提案が出た。
「じゃあ、マイページにでも書いといたら? 現在不具合でメッセージが受信できない場合がありますって」
「あ、それ良いかも」
俺はすぐに心春に言われたとおりにメッセージが受信できないかもしれないとマイページに書き込んだ。
「これでどう?」
「どれどれ」
心春は俺が書き加えたと言うと自分の携帯で確認をする。しかし首を傾げて俺に聞き返してきた。
「何も変わってないけど?」
「え?」
心春に言われて自分の画面を見るが、確かに新しく書き込んだ文言は表示されている。しかし、ほらと言って心春が見せてくれた画面には何一つ反映されていない。
「もしかして……」
嫌な予感がした俺はほぼ何も書かれていない小説を新規に投稿してみた。
「心春。俺のページから新しい小説って見れる?」
携帯を操作する心春はまたしても首を傾げる。
「一昨日のじゃなくて?」
「はあ……。なんか俺のマイページ自体が色々おかしいみたい。次に新しい小説書いたら直接メールで送ります」
「ん? よく分からないけどありがとうございます。そんなことよりさ!」
そう言って話を変えた心春は丸一日口をきかなかった反動のように色々と喋りはじめた。支離滅裂になりながらも昨日や一昨日の出来事を話してくれた。学校でのこと、部活のこと、家で見たユーチューブの動画のこと。気が付けばいつもの他愛ない心春との会話になっていた。俺は昨日一日心春と話せていなかったことを思い出しつつ、今を楽しんでいた。
「やっぱり心春と話ができるのは良いな……」
「え?」
不意に漏れ出た言葉に心春が硬直する。言ってしまった本人である俺は失言に恥ずかしくなって硬直する。
「え、あ、今の無し! なんでもない!」
「で、ですよねー。なんでもないですよねー。あははは」
誤魔化す俺に対して何故か誤魔化すように笑い返す心春。とても不自然な二人だったように思う。しかしそこで丁度一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、じゃあまた後でね」
手を振って自分の席に戻っていく心春に俺も手を振り返す。離れてから俺は机に頭をぶつけるようにうなだれた。
授業が始まってすぐ。携帯にメッセージの受信通知が届いた。机の下で隠れるようにして内容を確認すると、HARUからのメッセージだった。心春ではないと分かった今となっては、画面の向こう側の見ず知らずの人間と仲良くなってしまっているという不思議な感覚になっていた。見ず知らずの人間に俺は心の深い所まで暴露してしまっていたことになる。やはりそれは恥ずかしくもあるし、これからどう接するべきかを悩ませるものでもあった。
『さっきは取り乱しちゃってごめん。最近KAZUとのメッセージが楽しくて、人違いだったからってこの関係が無くなるかもしれないって思ったら怖くなっちゃって』
顔も知らない人が俺との関係を壊したくないと言って取り乱す――。切りたくない縁だと思ってくれていることは、素直にとても嬉しいことだ。しかし、知らない人だと分かったからこそ怖くなることもある。今までの話が本当に真実だったのか……今の言葉も俺を騙すための甘言ではないのか……。日々物語を創っている身としてはいくつもの可能性が頭に浮かぶ。最近はネットを使った犯罪にも警察が気軽に動いてくれるようになっていることもあり、現実世界での犯罪率と比べても多いとは言えない状態ではある。けれど、犯罪とは言わなくても自身を偽るくらいなら当然あり得る。それこそロールプレイをしているかもしれない。心春にそっくりな人物像が偽物の可能性があるのだ。
しかし――
『俺もHARUとのメッセージのやり取りが楽しかったから、この関係は壊したくないな。だから改めてこれからもよろしく』
嘘偽りなく俺はHARUとの関係が心地良かったのだ。HARUが本心で真実を語ってくれているかどうかは問題じゃない。二人の関係が良いものであるかどうかだけが問題なんだ。それなら迷う必要も疑う必要もない。俺がメッセージを送ると、すぐにHARUから返信が来た。
『ありがとう。でも、結構色々話してくれたけど人違いの相手ってやっぱり仲の良い人だったの? もしかして私と似てたのかな?』
話の切り返しも相変わらず俺にとって心地良い。それは俺自身が話題を振るのが苦手だからかもしれない。俺のことを知ろうとしてくれているから俺も話しやすい。個人情報と言ってしまえばそれまでだが、人違いと分かった今でも不思議と素直に話したいと思ってしまう。
『幼馴染の女子だよ。唯一リアルで俺が小説を書いてることを知ってる人なんだ。口調も同じだし、あんまり違和感なくってさ』
幼馴染と言葉にしてから改めて俺は恥ずべき勘違いだと実感した。もう、かれこれ十二年の付き合いになる幼馴染を勘違いするなんて――。しかし、それほどまでに似ているということでもある。テニス部に所属していて、心春と同じく母親がいない。挙句の果てにはHARUという名前を使っている。ここまで一致しているなんて普通考えられない。
『もしかしたら住んでるところが近かったりするのかな? ほら、遠かったら方言とかで分かるし!』
確かに言われてみればそうだ。それこそどれだけ奇跡が重なっているのかと言いたくなるが、住んでいる場所が近いと言われた方が納得できる。しかし、流石に知らない人間相手に住んでいる所まで言って良いものだろうか――。返信もせずにしばらく悩んでいると、続けてメッセージが届いた。十分くらい返事もせずにいたので耐えかねて二通目を送って来たのだろう。
『私が通ってる高校は千葉にある里見高校ってとこ! 家もその近く!』
俺の心配をよそにHARUは迷った様子もなく個人情報をさらけ出した。こんなに簡単に高校名まで出すとは驚かされた。いや、それ以上に驚いたのは――
『俺も同じ高校だよ。だから授業時間とか同じだったんだね』
ホームルームから休み時間まで全て同じタイムスケジュールだったのだから同じ高校だと思っていても可笑しくなかったわけだ。やはりここまで共通点があれば心春と勘違いしても仕方がない。言い訳ではあるが奇跡には違いない。
『うそっ! じゃあ、もしかしたらどこかで顔を合わせてたりするかもしれないね!』
同じ学校だからと言って顔を合わせているとは限らない。何て言ったってこの里見高校は全校生徒で千人以上も在籍しているマンモス校なのだから。とは言えテニス部ともなるとその人数も絞られる。全学年男女合わせて五十人くらいだろう。心春か智也に聞けば分かるはずだ。
『人違いしてた幼馴染もテニス部に入ってるから、もしかしたら顔くらいなら見たことあるかも』
何回かは智也や心春と一緒に帰るために放課後にテニスコートの方に行くこともあった。見たことがあってもおかしくはない。
『ちなみに私は二年生なんだけど、KAZUと幼馴染ちゃんは?』
HARUは本当に自分の個人情報を隠すつもりがないらしい。そうやってオープンにされると俺もあまり隠し立てする必要もないような気がしてきてしまう。この距離感の取り方も心春にそっくりで、だから人違いもしたし、話をしていて落ち着くのかもしれない。
『一年生ですよ』
先輩だと分かったことで無意識に敬語を使ってしまったが、送信直後に返信が来る。
『敬語禁止!』
むしろ後輩からタメ口でも気にしないのかと言いたくなる。しかし、今までどおりの関係を求めていたのだから、優先するのはそんな礼儀ではないのか。何て返そうかと悩んでいたら、またしてもHARUからメッセージが届いた。
『そろそろノート真面目に取らなきゃいけないし、後でまた連絡するね! あ、ちなみに私は二年一組の山内春香。昼休みはテニスコートにいるから! それじゃ!』
急ぐようなメッセージ内容。俺も他人のことを言えないほどに板書が溜まっている。ひとまず携帯をポケットに仕舞い、授業に集中した。
授業が終わり、いつものように智也が俺の席までやって来る。俺もちょうど智也に聞きたかったことがあったので都合が良い。
「山内春香? うーん。記憶にないなー。間違いねーの?」
授業中にHARUから聞いた名前。智也なら男女で違うとはいえテニス部なので知っているかと思ったのだが、良い返事はもらえなかった。
「俺もまだ女子の先輩の名前まで全部覚えてるわけじゃねーし。心春にでも聞いてみたら?」
「そうだね。流石に同じ女子テニス部だったら知ってるだろうし」
心春の方を見ると、いつもの女子メンバーと廊下で話をしていた。昨日と違って心春自身に話しかけづらい雰囲気はないが、それでも女子グループの中に入るのには勇気がいる。
「てか、その山内春香って何者? もしかしてトレーニングマシンの譲り合いか何かで知り合った人とか?」
「違うよ。何て言うか……SNSで知り合っただけ」
「なんだ。筋トレに目覚めたのかと。で?」
智也は冗談を言い終えると、もっと詳しく聞かせろとでも言うように続きを促した。
「でって言われても、それだけだよ。ちょっと関わりがあって、話聞いてたら里見高校の二年生って言うから気になっただけ」
「で、好きになったと?」
「違うって」
ニヤニヤと笑いながらしゃがみ込んで俺の机に顎を乗せる。俺が視線を窓の外に向けたところで智也もそれ以上からかってくることは無かった。
「話したくないこともあるんだろうから無理には聞かねーけどさ。たまには和樹のことも聞かせろよ」
「まあ……気が向いたらな」
「ははは。和樹らしい」
それから午前中は結局心春に聞くことはできず昼休みになった。一応それまでの休み時間に、一緒に昼休みにテニスコートに付き合ってくれないかと話しており、俺と心春と智也でテニスコートのベンチで弁当を食べることになっていた。四時間目が終わり、弁当を持つと心春と智也について教室から出る。
「あ、心春ー。外でお弁当食べるのー?」
廊下で心春に声を掛けてきたのは休み時間になるとよく心春と一緒にいる女子の一人だった。少しギャルっぽい雰囲気で目立つ女子だ。特に関わりは無いが同じ図書委員だから憶えている。確か田中絵美という名前だったはず。入学当時はもっと大人しい印象だったが……。
「絵美ちゃん! そうそう! テニスコートで食べるんだー」
心春は楽しげに弁当箱を見せてそう言った。田中さんは何も持っていないところを見るに購買で買うつもりなのだろう。
「いいなー。私図書委員の仕事だよー。瀬尾ー代わってー」
「今日じゃなかったら良いよ」
今日は俺の都合でテニスコートに行くのだから、もちろん代わる訳にはいかない。しかし、断ったにも関わらず田中さんは少しだけ驚いたような表情を浮かべていた。
「瀬尾ってホントに優しいんだね。心春の言ってたとおり」
「でしょー。仲良くしてあげてねー」
心春が田中さんに何を吹き込んでいるのか知らないが、悪口ではないことは確からしかった。しかし、まるで息子を友達に紹介するかのような言動にはツッコミを入れざるを得ない。
「母親かっ!」
「ホント仲良しね!」
そう言って田中さんは余程面白かったのか、声に出して笑いながら購買に向かって行った。
「初めてまともに口を利いた気がするけど、見た目と違って普通だね」
「私の友達はみんな良い子なんです!」
仰け反るように胸を張った心春は自慢げに笑う。もしかしたら俺のこともこんな風に田中さんたちに言っていたのかもしれない。
「おいバカップル。早く行くぞー」
俺たちの立ち話を聞いているのに飽きたのか、智也が囃し立てながら俺の脇腹を小突いた。
「だからカップルじゃないって」
「はいはい」
それから、先導するように歩く智也の後ろに付いてテニスコートへ向かった。テニスコートは当然のように静かで、人っ子一人いない。いつも昼休みにも練習をしている部活は野球部くらいなもので、テニス部が昼休みに練習をしているところは俺の記憶には無い。
「ねえ和樹。何で急にテニスコートでお弁当食べようなんて言い出したの? まあ、私は久しぶりに和樹達と外で食べるの楽しいから良いんだけど。へへへ」
遊び盛りの子犬のように笑いながら心春が聞いてくる。智也には言っていたが、心春には理由を説明してはいなかった。俺はひととおりテニスコートを見渡して誰も居ないことを再確認すると答える。
「朝の女の人。あれからメッセージで話してて、里見高校の二年でテニス部って教えてくれたんだ。それで今日の昼休みにテニスコートにいるって言ってて」
「ふーん。じゃあ、その人に会いに来たってわけだ」
ベンチに座って自分の弁当を開きながら興味無さげな反応で答える心春。会いに来たのかと聞かれればそうだ。しかし、素直に肯定することがなんとなく恥ずかしく感じて言葉が出なかった。
「で、その人の名前は教えてもらったの? 先に言ってくれたら私からアポ取ってあげたのに」
どことなく不機嫌な様子の心春は更に質問を重ねる。
「山内さんって人なんだけど」
「山内……」
心春は思い出そうとしばらく考えるそぶりを見せた。とっさに出てこないということはあまり目立つ人物ではないのだろうか。そんなことを考えている内に心春は続けて言った。
「なにか心当たりでもあった?」
「いや、そんな人いないって思っただけ」
「え?」
「やっぱそうだよな! 俺も全然記憶に無くてさ」
智也だけでなく心春も知らないと言う……。流石に同じ女子テニス部の先輩を知らないなんてことは不自然。心春が幽霊部員というわけでもないし、HARUも幽霊部員というわけでもなさそうだった。ということはやはり……。
「嘘だったのかな」
「うーん……。言いにくいけどそうとしか思えないかな。私が入学してから辞めた先輩の話も聞いたこと無いし。和樹が里見高校って言ったから合わせたんじゃないの?」
「それは無いと思う。だって俺よりも先に里見高校って言ったのは山内さんの方だし。でも、すぐにバレる嘘をわざわざ吐くのかな……」
そうだ。もしあらかじめ俺のことを知っていたとしても、そんな嘘はすぐにバレる。本名が嘘か部活が嘘か学校が嘘か。最低でも一つは嘘が混ざっていることがバレる。何か理由があるのか、はたまた馬鹿にしているだけなのか。
「なんか怪しいわね。警戒しといた方が良いかも」
「でもまあ、嘘だって早めに分かって良かったんじゃねーの? 変に情が湧いたりする前でさ」
真剣に心配してくれている心春と楽観的な意見ながらにも俺をフォローする智也。確かに全てが嘘だと言うのなら簡単にネット上の作者と読者割り切ってしまえばいい。しかし、俺にはそんな単純なもののようには思えなかった。すると、丁度HARUからメッセージが届いた。
『今テニスコートで友達とお弁当食べてまーす! 校舎から見えるかな?』
――もちろん今テニスコートには俺たち三人しかいない。これでHARUの嘘だとはっきり分かった。
「例の山内さんから?」
弁当を食べつつ心春が心配そうに聞いてくる。俺も弁当に箸を付けながら頷いて答える。
「今テニスコートで友達とお弁当食べてるって」
「やっぱり嘘なのかな。他に里見高校なんて聞いたことも無いし」
嘘……きっぱりと指摘しても良いものか。それとも今までの関係を保つために知らないふりを続けるべきなのか。悩むにつれて箸の動きが遅くなる。すると、いち早く弁当を食べ終えた智也がベンチを立って俺に言った。
「ネットだからって簡単に嘘吐くような人とは縁切っちゃっても良いんじゃねーの? 和樹がそんなに悩むことねーって。別にその山内って人以外に友達がいないってわけじゃねーしさ」
智也のさっぱりとした考えに少しだけ気が楽になったような気がした。
「それでもどうしてもって言うなら、はっきり聞いてやれば良いんじゃね? 嘘つかないでください。本当のことを話す気がないなら結構です! って。それで去っていくならそれまでの関係だったってことだろ」
智也はその言葉を最後にテニス用具が置いてある倉庫の方へと歩いて行く。智也の意見はぐうの音も出ない正論のように聞こえた。そうするしかないだろう。今までの関係を続けるために知らないふりをするのもアリだが、これから先も全てを嘘かもしれないと疑いながら話すことに比べればここではっきりしておいた方が良い。
「うーん……」
しかし、心春だけは納得をしていないように唸っていた。
「ん? 心春、どうかした?」
「いやー。和樹の小説のファン同士として、流石にちょっと擁護したくなるような気持ちがあるだけ。怪しいとは思うけど、何の考えもないとも思えないかなーって」
「まあそれも聞いてみるしかないだろ」
心春はそのまま唸り続けていたが、俺は率直にHARUへとメッセージを打った。
『俺達も今テニスコートで弁当食べてるけど、HARUの姿は見えないよ』
俺がメッセージを打つと直ぐに返信が来た。
『私達はテニスコートの真横のベンチのとこだよ?』
『俺達もテニスコート横のベンチ。西側に置いてあるやつ』
テニスコート横のベンチと言えば、ここと反対側にしかない。もちろん反対側はここから見ることができるし、そこには誰もいない。
『同じとこ……。里見高校だよね? 千葉の。里見公園の近くの?』
『そうだよ。他に里見高校なんて無いし。嘘なら嘘って言ってくれたら良いよ。これからも普通に読者と作家の関係でいられたらいいし』
それは紛れもない俺の本心だ。関係が切れてしまうことを俺は望んでいない。けれど、嘘は吐くのも吐かれるのも良いものではないし、素直に認めて楽になれれば良いと思う。ただそれだけだった。
『嘘つき扱いなんて酷い! 私はKAZUの言葉だから信じようって思ってるのに……。同じ学校だったら良いなって……会えたら嬉しいなって……。だから勇気出して学校も名前も教えたのに。でもKAZUはいるって言ってるのにいないし。わけわかんない。それに私の方が嘘吐いてるって言うし……。ねえ、やっぱりKAZUの言ってることは嘘なの? 違うならKAZUが里高だって証拠何か教えてよ』
文章からだけではHARUが嘘を吐いているようには感じない。ただ、そのメッセージからは悲しみだけが伝わってくる。俺は何か自分が里見高校のテニスコートにいると証明できるものを探した。今ここにいないと分からないようなこと……。
「なあ心春。向こうも今テニスコートにいるって言って譲らないんだけど、俺が今ここにいるって証明できるようなものってない?」
「今? 里高生ってのが証明できるだけじゃダメなの?」
「うーん。それで十分かも」
「じゃあ、こっち来て」
弁当を食べ終わった心春に付いて行くと、テニス用具の置いてある倉庫に案内された。さっき智也がボールとラケットを取り出していたところだ。今は一人でサーブ練習をしている。
「これ、昔お父さんが県大会で優勝した時に記念に買ったトンボなんだって。ほら、日付と名前が書いてある」
倉庫の奥から出てきたのは今はほとんど使っていないであろう木製のトンボだった。柄には『二〇〇五年八月八日 千葉県総体優勝記念 武智』と彫られている。
「これって有名なの?」
俺は心春のお父さんがテニスをやっていたことは知らなかったし、もちろん倉庫にこんなものがあるのも知らなかった。
「多分ここのテニス部でも知らない人いるんじゃないかな? なんか、昔お父さんの後輩が勝手に作ったとか言ってたし」
里高テニス部があまり強くはないからか、運よくこうして残っているだけなのだろう。テニス部でも一部の人間しか知らない上に、確認しようと思えば今すぐ確認することができるもの。これHARUも良い訳のしようがないだろう。
『テニス用具倉庫に二十一年前の総体優勝記念のトンボがある。これは里高生でもテニス用具倉庫の中を見られる人しか分からないはず』
その内容を送信したところで俺は智也から声を掛けられた。
「和樹も心春も弁当食い終わったなら気分転換にちょっと打とうぜー。和樹は俺のラケット貸すからさー」
HARUからもすぐには返信がないだろうと思い、智也の誘いに乗ってコートに入った。三人で十分くらい乱打をしただろうか。昼休みの終わりが近付いてきて急いで片付けをした。走ってコート整備をしながら智也が言う。
「和樹って結構打てるんだなー」
「心春とよく二人で練習してたこともあるからちょっとは」
中学時代、心春の部活が休みの日に練習に付き合わされていた――と言った方が正しいかもしれない。それでも、目の前に来た遅いボールくらいは返せる程度には上達したと思う。
「高校からテニス始めた奴より上手いぞ。今からでも遅くない! テニス部入ろうぜ!」
「そうそう! 一緒にテニスしよーよー」
「嫌だよ。しんどい」
「そう言うと思った。和樹らしいな」
「うん。和樹らしい」
いったい俺らしさとは何なのか問い詰めたくなるような言い草だが、無理に入部させようとしつこくされるよりは良いのでそれ以上突っ込んで話をすることはしなかった。
ホームルーム後の休み時間に心春が俺の席までやって来てそう訊ねた。登校中に何度かやり取りをしたHARU。心春と同じIDで心春と似た雰囲気の女性。今朝までのメッセージの内容は心春も見ており、一昨日からずっと違う人物だったと分かった。
「一応サイトの運営に問い合わせてるんだけど、異常は見つからないって返答しかなくて」
「運営にも分からないバグってこと? うーん。知らない人から応援されるのは良いことだけど、私からのメッセージが届かないのは……」
「あ、そうだ。俺に送ったメッセージ見せてよ」
心春はメッセージに返信が無かったのだと言っていた。つまり返信が必要な何かしらのメッセージを送ってくれていたということだ。
「ちょっと待って」
心春はそう言うと携帯を取り出して素早く操作をした。アプリを起動させてメッセージ内容を表示させただけでは無さそうだ。
「なにしてるの?」
「いやーちょっと。あれよあれ」
「あれって言われて分かるわけないじゃん」
「うーん……。読まれてないんだったら何個か消しとこうと思って。へへへ」
心春は作り笑いで誤魔化しながらメッセージを消し終えたようだった。
「はい! これで大丈夫!」
渡された携帯の画面には、過去の俺とのやり取りに使われたメッセージがずらりと並んでいた。その中で俺が読んだ記憶のないものが一つだけ。
「一体何通消したの?」
「へへへ。気にしない気にしない」
残っていたメッセージを読むと、一昨日アップした小説の感想と直接感想を言いたいから朝家の前で待ってるという内容だった。確かに昨日は小説の投稿直後にも関わらず心春が一緒に学校に行くように言ってこなかったと思っていた記憶がある。しかしこのメッセージを見る限り、今朝の話を聞く限り、心春は昨日の朝も俺の家の前で待っていたのだろう。俺が家を出るよりも前に一人で学校に向かったのだろう。
「心春ごめん……」
「え? 何? 何で私謝られてんの?」
驚いて目を丸くした心春は俺から携帯を受け取って表示されていた内容を確認した。しかしそれだけで俺がなぜ謝っているのかも分からず首を傾げていた。
「いや、昨日の朝待ってくれてたんでしょ?」
「あー。そのこと! 良いよ良いよ! 私待ってるのとか別に嫌いじゃないし。それにメッセージが届いてなかったんだから和樹が悪いわけでもないし! 何で私LINEとかメールとかしなかったんだろう……。サイトのバグが治るまではそっちで感想とかも言うことにするから」
「それにしてもメッセージが届かないのは不便だね。心春以外からメッセージが届いて無視しちゃうみたいなのも嫌だし」
あまり考えられないけれど、心春以外の人からのメッセージも届くかもしれない。そう思って悩んでいると、心春から一つの提案が出た。
「じゃあ、マイページにでも書いといたら? 現在不具合でメッセージが受信できない場合がありますって」
「あ、それ良いかも」
俺はすぐに心春に言われたとおりにメッセージが受信できないかもしれないとマイページに書き込んだ。
「これでどう?」
「どれどれ」
心春は俺が書き加えたと言うと自分の携帯で確認をする。しかし首を傾げて俺に聞き返してきた。
「何も変わってないけど?」
「え?」
心春に言われて自分の画面を見るが、確かに新しく書き込んだ文言は表示されている。しかし、ほらと言って心春が見せてくれた画面には何一つ反映されていない。
「もしかして……」
嫌な予感がした俺はほぼ何も書かれていない小説を新規に投稿してみた。
「心春。俺のページから新しい小説って見れる?」
携帯を操作する心春はまたしても首を傾げる。
「一昨日のじゃなくて?」
「はあ……。なんか俺のマイページ自体が色々おかしいみたい。次に新しい小説書いたら直接メールで送ります」
「ん? よく分からないけどありがとうございます。そんなことよりさ!」
そう言って話を変えた心春は丸一日口をきかなかった反動のように色々と喋りはじめた。支離滅裂になりながらも昨日や一昨日の出来事を話してくれた。学校でのこと、部活のこと、家で見たユーチューブの動画のこと。気が付けばいつもの他愛ない心春との会話になっていた。俺は昨日一日心春と話せていなかったことを思い出しつつ、今を楽しんでいた。
「やっぱり心春と話ができるのは良いな……」
「え?」
不意に漏れ出た言葉に心春が硬直する。言ってしまった本人である俺は失言に恥ずかしくなって硬直する。
「え、あ、今の無し! なんでもない!」
「で、ですよねー。なんでもないですよねー。あははは」
誤魔化す俺に対して何故か誤魔化すように笑い返す心春。とても不自然な二人だったように思う。しかしそこで丁度一時間目の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、じゃあまた後でね」
手を振って自分の席に戻っていく心春に俺も手を振り返す。離れてから俺は机に頭をぶつけるようにうなだれた。
授業が始まってすぐ。携帯にメッセージの受信通知が届いた。机の下で隠れるようにして内容を確認すると、HARUからのメッセージだった。心春ではないと分かった今となっては、画面の向こう側の見ず知らずの人間と仲良くなってしまっているという不思議な感覚になっていた。見ず知らずの人間に俺は心の深い所まで暴露してしまっていたことになる。やはりそれは恥ずかしくもあるし、これからどう接するべきかを悩ませるものでもあった。
『さっきは取り乱しちゃってごめん。最近KAZUとのメッセージが楽しくて、人違いだったからってこの関係が無くなるかもしれないって思ったら怖くなっちゃって』
顔も知らない人が俺との関係を壊したくないと言って取り乱す――。切りたくない縁だと思ってくれていることは、素直にとても嬉しいことだ。しかし、知らない人だと分かったからこそ怖くなることもある。今までの話が本当に真実だったのか……今の言葉も俺を騙すための甘言ではないのか……。日々物語を創っている身としてはいくつもの可能性が頭に浮かぶ。最近はネットを使った犯罪にも警察が気軽に動いてくれるようになっていることもあり、現実世界での犯罪率と比べても多いとは言えない状態ではある。けれど、犯罪とは言わなくても自身を偽るくらいなら当然あり得る。それこそロールプレイをしているかもしれない。心春にそっくりな人物像が偽物の可能性があるのだ。
しかし――
『俺もHARUとのメッセージのやり取りが楽しかったから、この関係は壊したくないな。だから改めてこれからもよろしく』
嘘偽りなく俺はHARUとの関係が心地良かったのだ。HARUが本心で真実を語ってくれているかどうかは問題じゃない。二人の関係が良いものであるかどうかだけが問題なんだ。それなら迷う必要も疑う必要もない。俺がメッセージを送ると、すぐにHARUから返信が来た。
『ありがとう。でも、結構色々話してくれたけど人違いの相手ってやっぱり仲の良い人だったの? もしかして私と似てたのかな?』
話の切り返しも相変わらず俺にとって心地良い。それは俺自身が話題を振るのが苦手だからかもしれない。俺のことを知ろうとしてくれているから俺も話しやすい。個人情報と言ってしまえばそれまでだが、人違いと分かった今でも不思議と素直に話したいと思ってしまう。
『幼馴染の女子だよ。唯一リアルで俺が小説を書いてることを知ってる人なんだ。口調も同じだし、あんまり違和感なくってさ』
幼馴染と言葉にしてから改めて俺は恥ずべき勘違いだと実感した。もう、かれこれ十二年の付き合いになる幼馴染を勘違いするなんて――。しかし、それほどまでに似ているということでもある。テニス部に所属していて、心春と同じく母親がいない。挙句の果てにはHARUという名前を使っている。ここまで一致しているなんて普通考えられない。
『もしかしたら住んでるところが近かったりするのかな? ほら、遠かったら方言とかで分かるし!』
確かに言われてみればそうだ。それこそどれだけ奇跡が重なっているのかと言いたくなるが、住んでいる場所が近いと言われた方が納得できる。しかし、流石に知らない人間相手に住んでいる所まで言って良いものだろうか――。返信もせずにしばらく悩んでいると、続けてメッセージが届いた。十分くらい返事もせずにいたので耐えかねて二通目を送って来たのだろう。
『私が通ってる高校は千葉にある里見高校ってとこ! 家もその近く!』
俺の心配をよそにHARUは迷った様子もなく個人情報をさらけ出した。こんなに簡単に高校名まで出すとは驚かされた。いや、それ以上に驚いたのは――
『俺も同じ高校だよ。だから授業時間とか同じだったんだね』
ホームルームから休み時間まで全て同じタイムスケジュールだったのだから同じ高校だと思っていても可笑しくなかったわけだ。やはりここまで共通点があれば心春と勘違いしても仕方がない。言い訳ではあるが奇跡には違いない。
『うそっ! じゃあ、もしかしたらどこかで顔を合わせてたりするかもしれないね!』
同じ学校だからと言って顔を合わせているとは限らない。何て言ったってこの里見高校は全校生徒で千人以上も在籍しているマンモス校なのだから。とは言えテニス部ともなるとその人数も絞られる。全学年男女合わせて五十人くらいだろう。心春か智也に聞けば分かるはずだ。
『人違いしてた幼馴染もテニス部に入ってるから、もしかしたら顔くらいなら見たことあるかも』
何回かは智也や心春と一緒に帰るために放課後にテニスコートの方に行くこともあった。見たことがあってもおかしくはない。
『ちなみに私は二年生なんだけど、KAZUと幼馴染ちゃんは?』
HARUは本当に自分の個人情報を隠すつもりがないらしい。そうやってオープンにされると俺もあまり隠し立てする必要もないような気がしてきてしまう。この距離感の取り方も心春にそっくりで、だから人違いもしたし、話をしていて落ち着くのかもしれない。
『一年生ですよ』
先輩だと分かったことで無意識に敬語を使ってしまったが、送信直後に返信が来る。
『敬語禁止!』
むしろ後輩からタメ口でも気にしないのかと言いたくなる。しかし、今までどおりの関係を求めていたのだから、優先するのはそんな礼儀ではないのか。何て返そうかと悩んでいたら、またしてもHARUからメッセージが届いた。
『そろそろノート真面目に取らなきゃいけないし、後でまた連絡するね! あ、ちなみに私は二年一組の山内春香。昼休みはテニスコートにいるから! それじゃ!』
急ぐようなメッセージ内容。俺も他人のことを言えないほどに板書が溜まっている。ひとまず携帯をポケットに仕舞い、授業に集中した。
授業が終わり、いつものように智也が俺の席までやって来る。俺もちょうど智也に聞きたかったことがあったので都合が良い。
「山内春香? うーん。記憶にないなー。間違いねーの?」
授業中にHARUから聞いた名前。智也なら男女で違うとはいえテニス部なので知っているかと思ったのだが、良い返事はもらえなかった。
「俺もまだ女子の先輩の名前まで全部覚えてるわけじゃねーし。心春にでも聞いてみたら?」
「そうだね。流石に同じ女子テニス部だったら知ってるだろうし」
心春の方を見ると、いつもの女子メンバーと廊下で話をしていた。昨日と違って心春自身に話しかけづらい雰囲気はないが、それでも女子グループの中に入るのには勇気がいる。
「てか、その山内春香って何者? もしかしてトレーニングマシンの譲り合いか何かで知り合った人とか?」
「違うよ。何て言うか……SNSで知り合っただけ」
「なんだ。筋トレに目覚めたのかと。で?」
智也は冗談を言い終えると、もっと詳しく聞かせろとでも言うように続きを促した。
「でって言われても、それだけだよ。ちょっと関わりがあって、話聞いてたら里見高校の二年生って言うから気になっただけ」
「で、好きになったと?」
「違うって」
ニヤニヤと笑いながらしゃがみ込んで俺の机に顎を乗せる。俺が視線を窓の外に向けたところで智也もそれ以上からかってくることは無かった。
「話したくないこともあるんだろうから無理には聞かねーけどさ。たまには和樹のことも聞かせろよ」
「まあ……気が向いたらな」
「ははは。和樹らしい」
それから午前中は結局心春に聞くことはできず昼休みになった。一応それまでの休み時間に、一緒に昼休みにテニスコートに付き合ってくれないかと話しており、俺と心春と智也でテニスコートのベンチで弁当を食べることになっていた。四時間目が終わり、弁当を持つと心春と智也について教室から出る。
「あ、心春ー。外でお弁当食べるのー?」
廊下で心春に声を掛けてきたのは休み時間になるとよく心春と一緒にいる女子の一人だった。少しギャルっぽい雰囲気で目立つ女子だ。特に関わりは無いが同じ図書委員だから憶えている。確か田中絵美という名前だったはず。入学当時はもっと大人しい印象だったが……。
「絵美ちゃん! そうそう! テニスコートで食べるんだー」
心春は楽しげに弁当箱を見せてそう言った。田中さんは何も持っていないところを見るに購買で買うつもりなのだろう。
「いいなー。私図書委員の仕事だよー。瀬尾ー代わってー」
「今日じゃなかったら良いよ」
今日は俺の都合でテニスコートに行くのだから、もちろん代わる訳にはいかない。しかし、断ったにも関わらず田中さんは少しだけ驚いたような表情を浮かべていた。
「瀬尾ってホントに優しいんだね。心春の言ってたとおり」
「でしょー。仲良くしてあげてねー」
心春が田中さんに何を吹き込んでいるのか知らないが、悪口ではないことは確からしかった。しかし、まるで息子を友達に紹介するかのような言動にはツッコミを入れざるを得ない。
「母親かっ!」
「ホント仲良しね!」
そう言って田中さんは余程面白かったのか、声に出して笑いながら購買に向かって行った。
「初めてまともに口を利いた気がするけど、見た目と違って普通だね」
「私の友達はみんな良い子なんです!」
仰け反るように胸を張った心春は自慢げに笑う。もしかしたら俺のこともこんな風に田中さんたちに言っていたのかもしれない。
「おいバカップル。早く行くぞー」
俺たちの立ち話を聞いているのに飽きたのか、智也が囃し立てながら俺の脇腹を小突いた。
「だからカップルじゃないって」
「はいはい」
それから、先導するように歩く智也の後ろに付いてテニスコートへ向かった。テニスコートは当然のように静かで、人っ子一人いない。いつも昼休みにも練習をしている部活は野球部くらいなもので、テニス部が昼休みに練習をしているところは俺の記憶には無い。
「ねえ和樹。何で急にテニスコートでお弁当食べようなんて言い出したの? まあ、私は久しぶりに和樹達と外で食べるの楽しいから良いんだけど。へへへ」
遊び盛りの子犬のように笑いながら心春が聞いてくる。智也には言っていたが、心春には理由を説明してはいなかった。俺はひととおりテニスコートを見渡して誰も居ないことを再確認すると答える。
「朝の女の人。あれからメッセージで話してて、里見高校の二年でテニス部って教えてくれたんだ。それで今日の昼休みにテニスコートにいるって言ってて」
「ふーん。じゃあ、その人に会いに来たってわけだ」
ベンチに座って自分の弁当を開きながら興味無さげな反応で答える心春。会いに来たのかと聞かれればそうだ。しかし、素直に肯定することがなんとなく恥ずかしく感じて言葉が出なかった。
「で、その人の名前は教えてもらったの? 先に言ってくれたら私からアポ取ってあげたのに」
どことなく不機嫌な様子の心春は更に質問を重ねる。
「山内さんって人なんだけど」
「山内……」
心春は思い出そうとしばらく考えるそぶりを見せた。とっさに出てこないということはあまり目立つ人物ではないのだろうか。そんなことを考えている内に心春は続けて言った。
「なにか心当たりでもあった?」
「いや、そんな人いないって思っただけ」
「え?」
「やっぱそうだよな! 俺も全然記憶に無くてさ」
智也だけでなく心春も知らないと言う……。流石に同じ女子テニス部の先輩を知らないなんてことは不自然。心春が幽霊部員というわけでもないし、HARUも幽霊部員というわけでもなさそうだった。ということはやはり……。
「嘘だったのかな」
「うーん……。言いにくいけどそうとしか思えないかな。私が入学してから辞めた先輩の話も聞いたこと無いし。和樹が里見高校って言ったから合わせたんじゃないの?」
「それは無いと思う。だって俺よりも先に里見高校って言ったのは山内さんの方だし。でも、すぐにバレる嘘をわざわざ吐くのかな……」
そうだ。もしあらかじめ俺のことを知っていたとしても、そんな嘘はすぐにバレる。本名が嘘か部活が嘘か学校が嘘か。最低でも一つは嘘が混ざっていることがバレる。何か理由があるのか、はたまた馬鹿にしているだけなのか。
「なんか怪しいわね。警戒しといた方が良いかも」
「でもまあ、嘘だって早めに分かって良かったんじゃねーの? 変に情が湧いたりする前でさ」
真剣に心配してくれている心春と楽観的な意見ながらにも俺をフォローする智也。確かに全てが嘘だと言うのなら簡単にネット上の作者と読者割り切ってしまえばいい。しかし、俺にはそんな単純なもののようには思えなかった。すると、丁度HARUからメッセージが届いた。
『今テニスコートで友達とお弁当食べてまーす! 校舎から見えるかな?』
――もちろん今テニスコートには俺たち三人しかいない。これでHARUの嘘だとはっきり分かった。
「例の山内さんから?」
弁当を食べつつ心春が心配そうに聞いてくる。俺も弁当に箸を付けながら頷いて答える。
「今テニスコートで友達とお弁当食べてるって」
「やっぱり嘘なのかな。他に里見高校なんて聞いたことも無いし」
嘘……きっぱりと指摘しても良いものか。それとも今までの関係を保つために知らないふりを続けるべきなのか。悩むにつれて箸の動きが遅くなる。すると、いち早く弁当を食べ終えた智也がベンチを立って俺に言った。
「ネットだからって簡単に嘘吐くような人とは縁切っちゃっても良いんじゃねーの? 和樹がそんなに悩むことねーって。別にその山内って人以外に友達がいないってわけじゃねーしさ」
智也のさっぱりとした考えに少しだけ気が楽になったような気がした。
「それでもどうしてもって言うなら、はっきり聞いてやれば良いんじゃね? 嘘つかないでください。本当のことを話す気がないなら結構です! って。それで去っていくならそれまでの関係だったってことだろ」
智也はその言葉を最後にテニス用具が置いてある倉庫の方へと歩いて行く。智也の意見はぐうの音も出ない正論のように聞こえた。そうするしかないだろう。今までの関係を続けるために知らないふりをするのもアリだが、これから先も全てを嘘かもしれないと疑いながら話すことに比べればここではっきりしておいた方が良い。
「うーん……」
しかし、心春だけは納得をしていないように唸っていた。
「ん? 心春、どうかした?」
「いやー。和樹の小説のファン同士として、流石にちょっと擁護したくなるような気持ちがあるだけ。怪しいとは思うけど、何の考えもないとも思えないかなーって」
「まあそれも聞いてみるしかないだろ」
心春はそのまま唸り続けていたが、俺は率直にHARUへとメッセージを打った。
『俺達も今テニスコートで弁当食べてるけど、HARUの姿は見えないよ』
俺がメッセージを打つと直ぐに返信が来た。
『私達はテニスコートの真横のベンチのとこだよ?』
『俺達もテニスコート横のベンチ。西側に置いてあるやつ』
テニスコート横のベンチと言えば、ここと反対側にしかない。もちろん反対側はここから見ることができるし、そこには誰もいない。
『同じとこ……。里見高校だよね? 千葉の。里見公園の近くの?』
『そうだよ。他に里見高校なんて無いし。嘘なら嘘って言ってくれたら良いよ。これからも普通に読者と作家の関係でいられたらいいし』
それは紛れもない俺の本心だ。関係が切れてしまうことを俺は望んでいない。けれど、嘘は吐くのも吐かれるのも良いものではないし、素直に認めて楽になれれば良いと思う。ただそれだけだった。
『嘘つき扱いなんて酷い! 私はKAZUの言葉だから信じようって思ってるのに……。同じ学校だったら良いなって……会えたら嬉しいなって……。だから勇気出して学校も名前も教えたのに。でもKAZUはいるって言ってるのにいないし。わけわかんない。それに私の方が嘘吐いてるって言うし……。ねえ、やっぱりKAZUの言ってることは嘘なの? 違うならKAZUが里高だって証拠何か教えてよ』
文章からだけではHARUが嘘を吐いているようには感じない。ただ、そのメッセージからは悲しみだけが伝わってくる。俺は何か自分が里見高校のテニスコートにいると証明できるものを探した。今ここにいないと分からないようなこと……。
「なあ心春。向こうも今テニスコートにいるって言って譲らないんだけど、俺が今ここにいるって証明できるようなものってない?」
「今? 里高生ってのが証明できるだけじゃダメなの?」
「うーん。それで十分かも」
「じゃあ、こっち来て」
弁当を食べ終わった心春に付いて行くと、テニス用具の置いてある倉庫に案内された。さっき智也がボールとラケットを取り出していたところだ。今は一人でサーブ練習をしている。
「これ、昔お父さんが県大会で優勝した時に記念に買ったトンボなんだって。ほら、日付と名前が書いてある」
倉庫の奥から出てきたのは今はほとんど使っていないであろう木製のトンボだった。柄には『二〇〇五年八月八日 千葉県総体優勝記念 武智』と彫られている。
「これって有名なの?」
俺は心春のお父さんがテニスをやっていたことは知らなかったし、もちろん倉庫にこんなものがあるのも知らなかった。
「多分ここのテニス部でも知らない人いるんじゃないかな? なんか、昔お父さんの後輩が勝手に作ったとか言ってたし」
里高テニス部があまり強くはないからか、運よくこうして残っているだけなのだろう。テニス部でも一部の人間しか知らない上に、確認しようと思えば今すぐ確認することができるもの。これHARUも良い訳のしようがないだろう。
『テニス用具倉庫に二十一年前の総体優勝記念のトンボがある。これは里高生でもテニス用具倉庫の中を見られる人しか分からないはず』
その内容を送信したところで俺は智也から声を掛けられた。
「和樹も心春も弁当食い終わったなら気分転換にちょっと打とうぜー。和樹は俺のラケット貸すからさー」
HARUからもすぐには返信がないだろうと思い、智也の誘いに乗ってコートに入った。三人で十分くらい乱打をしただろうか。昼休みの終わりが近付いてきて急いで片付けをした。走ってコート整備をしながら智也が言う。
「和樹って結構打てるんだなー」
「心春とよく二人で練習してたこともあるからちょっとは」
中学時代、心春の部活が休みの日に練習に付き合わされていた――と言った方が正しいかもしれない。それでも、目の前に来た遅いボールくらいは返せる程度には上達したと思う。
「高校からテニス始めた奴より上手いぞ。今からでも遅くない! テニス部入ろうぜ!」
「そうそう! 一緒にテニスしよーよー」
「嫌だよ。しんどい」
「そう言うと思った。和樹らしいな」
「うん。和樹らしい」
いったい俺らしさとは何なのか問い詰めたくなるような言い草だが、無理に入部させようとしつこくされるよりは良いのでそれ以上突っ込んで話をすることはしなかった。
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