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KAZU:二日目

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 翌朝、俺は母さんと共に朝食を取る。銀行員として働く母さんは、朝から身だしなみと家事に大忙しだ。朝食はいつも俺がトースターで焼いた食パンとコーヒー。俺はパンが焼き上がるのを待ちながら母さんの忙しない姿を視界の端に入れる。

「父さんの分は焼かなくていいの?」

 洗濯物を干している母さんはこちらに目も向けずに返事をする。

「今日は遅出だからいらないって」

 出社時間がまばらな父さんと、いつも朝からせかせかしている母さん。何も変わらない日常風景。少し変わったことといえば、小説を投稿した翌日だというのに俺は普段どおりギリギリ学校に間に合うような時間まで家にいることくらいだろうか。いつもなら心春が感想を言いたいからとかいう理由で少し早めに家を出て一緒に登校しているはず。今日は朝練でもあるのだろうか。サイトでのメッセージには朝一緒に登校しようといったような話は無かった。心春のハンドルネーム、HARUから書き込まれたいつもと同じような簡単な感想――。それだけだった。

「いただきまーす」

 まだ化粧もしていない母さんは洗濯物を干し終わると、詰め込むようにトーストを頬張るとコーヒーで流し込む。時計をチラチラ見て、化粧の時間と家を出る時間を計算しているようだ。先に食べ終わっていた俺は、通学カバンを手に席を立つ。

「いってらっしゃい。気を付けてね」

 忙しい中でも挨拶だけは欠かさない。うちのルールのようなもの。母さんはヒラヒラと手を振ってリビングから俺を見送る。

「いってきます」


 外に出ると昨日の暖かさが嘘のように涼しい。春の終わりとは言え、まだまだ夏は遠いと感じさせた。高校までが近いために徒歩での登校だが、そのおかげで自転車組に次々と追い抜かれていく。追い越し際にみんなから挨拶をされるような人気者でもないので、俺の周りは静かなものだ。いじめられているという訳でもないが、友達と言える友達が智也くらい。
 学校に着き、校舎に入ったところで朝練上がりの智也に声を掛けられる。

「おはよー! なあなあ和樹―。聞いてくれよ。昨日妹がお菓子作ってさ。感想が欲しいらしくて試食させられたんだけど、タンパク質が足りないって言って上からプロテインかけたらめっちゃ怒られた。だから乙女心が理解できないとかボロクソ」

「乙女心関係ないと思うんだけどね」

「そっちこそ筋肉の気持ちが分かったないって言ってやりたかったけど、ぐっとマスキュラーして堪えた」

「マスキュラーして堪えた」

 下駄箱で靴を履き替えるとマスキュラーなのだろうポージングをして憤慨している智也。しかし、いつも妹の話題が出ることを思うとコミュニケーションが多くて仲が良いのは間違いなさそうだ。俺には兄弟がいないのでどんな気持ちなのかは分からないが少し羨ましくも思う。
 朝の騒がしい校舎の中、二階まで上がって教室に着く。教室の前の廊下ではいつもの心春たち女子グループが談笑していた。教室に入る直前。俺はその横を通る際に心春に声をかける。

「おはよう」

「あ、うん。おはよ」

 女子トークのテンションからいくつもトーンを下げた声で答える心春。いつもと様子がおかしい。いつもならそのままのテンションか、それ以上の元気さで挨拶を返してくれるというのに。俺はたったそれだけの心春の変化が気になり、何かしてしまったのかと不安に駆られてしまった。昨日散歩から帰った後に連絡を取っていないし、別れ際も何も変わったことは無かった。昨日の夜も宣言どおりに小説を投稿し、心春もいつもと変わらないメッセージをくれた。
 俺とは無関係に何かあったのだろうか――

「心春と何かあった? 上腕二頭筋が泣いてるぞ」

「上腕二頭筋は泣いてない」

 上腕二頭筋のことは置いておいて、意外なことに智也も心春の変化に気付いたようで俺に問いかける。意外と言っては失礼か……。智也は仲の良い妹と毎日話しているのだから、女の子の機嫌には敏感なのかもしれない。

「いや、思い当たるようなことは特に」

「まあ、筋肉と違って女子は面倒くさいもんだからな。うんうん」

「筋肉と比べるな」

 腕を組んで一人納得していた智也に俺はツッコミを入れる。しかし智也はそのまま悟ったかのように続けた。

「仕方ないな。俺が聞いてきてやるよ。二人がぎこちない雰囲気見せられるとなんか面倒くさいからな」

 智也がそう言ってくれたところで朝のホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴る。同じクラスでも智也の席は遠いので、急いで帰って行った。


 ホームルームが始まって少し経った頃、ポケットの中で携帯が震える。先生から見えないように机の下で画面を見ると、小説投稿サイトの新着メッセージ通知だった。サイトを開くと、HARUからのメッセージだった。

『昨日の夕暮れになりたいって小説、KAZU作品の中で特に好きになったんだけど、何か思い入れか何かあるの?』

 いつもなら直接会って話をするような内容。それをわざわざメッセージを利用して聞いてくるとは、やはり何かおかしい。しかし、その理由を話さないのは言いたくないからか……。ならばこちらから聞くべきではないのかもしれない。

『思い入れって程じゃないけど、家に帰っても一人で寂しい思いをしてる人が少しでも温かい気持ちになれたらなって』

 俺も小さい頃は両親共働きということもあって、家に帰ってもしばらくは一人で寂しい時間を過ごしていた。母さんは父さんより帰ってくるのが早いけれど、それでも夜六時頃。父さんは早くても九時までは帰ってこない。今でこそ何とも思わないが、昔は寂しいと感じていたことも多い。
 しかしそれだけでなく、正直なところ心春の家庭環境のことも考えながら書いていた。今、心春には母親がいない――。つい二ヶ月ほど前に交通事故で亡くなってしまった。近所ということもあり、俺も良く顔を合わせていたのでその時のことは忘れられないだろう。知っている人が死んでしまったという喪失感。それ以上に心春の泣き腫らした顔が忘れられない。今は父親と祖父母との四人暮らしで、家に帰れば必ず祖父母がいるとはいえ母親がいないことで何かしらの寂しい思いがあるだろうと――。そんな想像もしながら書いたのが昨日の作品だった。
 やはり心春には作品の背景が透けて見えてしまったのだろうか。そう思っていると、更にメッセージが届いた。

『そうなんだ。なんか私のことと重なって共感しちゃったから、KAZUも同じような経験があるのかなって』

 共感したと言ってくれたということは、心春のことを思って書いたのは間違いではなかったのだろう。心春の心に届いたということだろう。最近書いている短編小説は心春のために書き始めたもの。だから共感してくれること以上に喜ばしいことはない。それにしても、心春から俺がどんな経験をしてきたかと聞いてきたことは無い。そこで俺は昨日耳にした言葉を思い出した。リアルよりネットの方が本音で話せたりする――。放課後に松岡先輩が言っていた言葉。まさかこんな時に思い出すとは思わなかった。

『親が共働きで帰りが遅いし、小さい頃は寂しく思うこともあったかな』

 少しだけだが、俺も本音を漏らした。もちろん心春にこんなことを言ったのは初めてだ。心春も少しは本音で話してくれるだろうか。そんなことを思っていると、更にもう一通メッセージが届いた。

『私は今でも思うことあるかな。ホームルームも終わっちゃうから、また後で連絡するね』

 休み時間ではなく、ホームルームだからメッセージでやり取りができたということなのだろうか。心春の態度の変化についてヒントになるような気がしたが、まだよく分からない。しかし、一つだけ分かったことがある。それは、心春が今でも家で寂しい気持ちになる時があるということ――


 ホームルームが終わって休み時間になっても心春と俺が話すことは無かった。心春はいつにも増して元気で明るい様子で過ごしていて、元から住む世界の違う俺は話しかけに行くことすら憚られる雰囲気がある。女子の壁とでも言うべき何かがそびえ立っていた。俺は窓際の席で智也とくだらない話をしているだけ。

「聞いてきてやるって言ったはいいけど、ちょっとあの中に入るには広背筋が足りないな。ここまであからさまだと気になって仕方ないんだが」

「広背筋は関係ない」

 智也はそんなことを言っているが、女子の群れに突撃して事情を聞く厚かましさは無いようだ。もちろん俺にもできない。だから文句なんて言えるはずもない。

「部活の時とかでもいいよ。急ぎの用事があるってわけでもないし」

「いやいや、筋肉と青春は待ってくれないぜ?」

「筋肉と青春は待ってくれない」

「今日筋トレをしなかった一日は、昨日誰かが筋トレをしたかった一日って言葉があるのを知らないのか?」

「そんな言葉がないってことだけは知ってる」

 クラーク博士のポーズを決めた智也は俺のツッコミを気にすることなく立ち続ける。少年よ大志を抱けとでも言いだしそうだ。しかし智也の言うことももっともで、早く解決するに越したことは無いのは事実。

「さっきのホームルーム中に後で連絡するって言われたし、大丈夫だと思うけどな」

「ホームルーム中って携帯で?」

「そうそう」

「ならそんなに心配はいらないか」

 心配しなければいけないかは事情にもよるが、どうしようもないというわけでは無いのだろう。心春からの連絡待ちなのでどうなるかは分からないけれど。智也も完全に腑に落ちた様子ではないが、ある程度は納得したみたいだった。
 授業開始のチャイムがなって一時間目が始まる。すると、見計らったかのようにHARUからメッセージが届いた。なぜLINEでもメールでもないのかと疑問ではあるが、そこにも事情があるのかもしれない。

『初めに言っとくけど、無理してすぐに返信とかしなくてもいいからね。それで質問! KAZUっていつから小説書いてたの?』

 机の下で隠れてメッセージを見ると、出だしから気遣うような言葉が添えられていた。確かに授業中に携帯を弄っているのを先生に見つかると怒られてしまう。心春は俺よりも後方の席なので確認できないが、コソコソとしているに違いない。

『中学一年の頃からかな。その時は今みたいな短編じゃなくて長編を書いていたんだけどね』

 今思えば、心春に昔の小説の話をしたことは無かった。心春に小説を書いて見せたのが二ヶ月ほど前……心春のお母さんが亡くなった二日後のことだ。見ていられないほどに落ち込んでいた心春をどうにか少しでも元気づけられないかと思って書いたのが今のような短編小説だった。

『長編! 読んでみたい!』

 俺がメッセージを返した直後、打てば響く勢いでHARUから返信が来た。短編は書き始めてから約二ヶ月で十作品を超えたが、心春はそのどれも楽しんで読んでくれている。過去の作品があると知れば読みたいと思うのも当然か。

『短編で書いてる作品と違ってファンタジーだから、多分面白くないよ。それにもうアカウントごと消しちゃってるし』

 心春は俺の返事に満足しなかったのか、続けて聞いてきた。

『アカウント消しちゃうほどって、何かあったの? 納得いかない作品だったとか?』

 納得いかない作品だったのかと言われると確かにそうだ。しかし、それ以前にちょっとしたトラウマのようなものがあった。

『読者から物凄く叩かれてね。嫌になって消したんだよ』

 多分、面と向かって話していたら恥ずかしくて答えていなかっただろう。黒歴史と言っても良い。今の短編は読者が少ないことが主な原因でもあるけれど、批判を受けたことは無い。まあ、元々が心春を元気づけるために書き始めた小説だから心春以外からの評判は気にしていないけれど。当の本人である心春からはいつも面白いと言って喜んで貰えているわけだし。そんな感じで今は気分良く執筆できているから、昔の作品のことを語る時が来るとは思ってもみなかった。思い出すだけでも嫌な気分になる昔の作品のことを――

 昔書いていた長編小説は俗に言うテンプレ小説と呼ばれるもので、当時流行していた形のバトルファンタジー設定の小説だった。主人公が強くて爽快で、ことあるごとに女の子から好かれてハーレム状態になるというどこにでもある物語。ハイペースな更新と分かりやすい設定のおかげだったのだろう。日本で一番読者数の多い小説サイトでランキングを駆け上がり、日間ランキングでは一位になったこともある。
 しかし目立ったことが災いしたのか、批判が集中し炎上と呼ばれるほどになってしまった。稚拙な文章、単純な構成、今思えば叩かれて当然の薄い内容だったと思う。けれど、一年前の俺はそれが耐えられなかった。その結果、完結させることもせずに逃げるようにしてアカウントを消した。ペンネームも、再登録をした今のKAZUとは違って格好つけた名前で、今思えば恥ずかしいネーミングだった。

『そうなんだ。嫌なこと思い出させちゃってごめん』

 心春はそう言って俺の気持ちを察してくれた。謝ってくれてはいるが、心春に非は無い。むしろ感謝しているくらいだ。初めこそ心春を元気づけるためだけに書いていたが、今では小説を書くこと自体が楽しい。昔小説を書き出した頃に感じていたものを思い出させてくれた。

『謝らなくて良いよ。むしろHARUがいつも読んでくれてるおかげで嫌な思い出は忘れられるし、感謝してるから』

 素直にこんなことを言えたのも実際に顔を合わせていないからこそなのだろう。昨日松岡先輩から聞いた台詞が催眠術のように効いているのかもしれない。

『それなら良かった。じゃあ、これからも感想いっぱい書くね。まだ他にも小説のこと聞いても良い?』

 そういえば、いつも心春は感想を言ってくれるだけで俺から小説のことを聞き出そうとはしてこない。最近書き始めた短編小説は、俺の考えや生活環境にかなり影響されている節があるので、あまり深くは聞きづらいのだと思っていた。正直なところ、聞かれたとしても答えづらいというのが本音だ。

『なんでも聞いて。答えられる範囲でなら何でも答えるよ』

『じゃあとりあえず一個目。一週間に二作品くらいのペースで書いてるけど、小説ってどのくらいの時間で書いてるの?』

 俺が最近書いている短編小説は、おおよそ一万五千から二万文字程度。あまり執筆速度が速い方ではないけれど、それを週に二作品を目安にしている。しかし、時間と言われると困ることもある。

『プロットは空き時間に少しずつまとめてたりするからどのくらい時間がかかるか分からないけど。本文を書くだけなら早くても……八時間くらいじゃないかな? 休日に短めの作品を一晩で書き上げたことがあったけど、その時が八時間くらいだったと思う』

 休日に用事が無ければ大体一日中引きこもって小説を書いている。これはもう中学時代からの習慣のようなものだ。

『凄い! 私ならそんなに集中力続かないと思う。部活も午前か午後の四時間で限界だし、勉強だって二時間もできないもん』

 それほどまでに俺が小説を好きだという証拠なのだろう。俺だって部活の練習を四時間しろなんて言われたら無理だ。体育の五十分でさえ辛いというのに。

『俺だって四時間も部活しろなんて言われたらできないし、得手不得手ってことなんだろうね』

『確かに! 私もテニスが好きだから何時間も練習できるだけだし! もしかしたら私も小説書き始めたら八時間とか書き続けちゃうかも』

 それこそ書き始めてみないと分からないとしか言いようがないが、もしかすると俺よりも面白い作品を作るかもしれない。それはそれで良い。小説は作者の内面があらわれるものだし、心春の意外な一面が見られるだろう。

『もし書くことになったら読ませてもらうよ。楽しみにしてる』

『書くとしてもしばらく先かな。やっぱり難しそうだし、時間もあんまりないしね』

 確かに心春は真面目に部活もやっているし、家に帰っても俺なんかよりやらなければいけない家事も多いのだろう。マロの散歩もいつも心春がしているみたいだし。そういえばあまり家でのことは聞いた記憶が無い。

『やっぱり部活と勉強以外も忙しいの?』

 その質問に答えが返って来るのにはしばらく時間がかかった。やはりあまり家でのことは話したくないのだろうか。

『私、お母さんがいないからさ。おばあちゃんと一緒に家事分担してて、あんまり自分の時間とれないんだよね』

 学校に行って、部活をして、家に帰ると家事に勉強。俺みたいな帰宅部とは違って自由に時間を使えるわけではないか。そう思うと、休み時間に友達とあれだけ楽しそうにしているのも納得せざるを得ない。自由な時間を本当に楽しんでいるのだと。俺が心春の心境を推察していると、更にもう一通メッセージが届いた。

『そろそろ授業終わるから、また後でね』

 気が付くと授業の時間は残り十分を切っており、黒板には板書が溜まっていた。これほどまでに授業を聞かずにいたことは初めてだ。とりあえず急いでノートを取っておかないとまずい。心春にはまた後でとだけ返信をして、俺は必死でノートを取った。
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