ヒーローなんていない

色部耀

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ヒーローなんていない

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 自分を助けてくれるヒーローなんていない――小学五年生の時にすでに私はそれを知っていたのです。


 天才子役、愛川愛美(あいかわまなみ)の朝は早い。

 買ったばかりの母親の新車に乗り、どんどん増えていくアイドルグッズに囲まれてシートベルトをしめる。愛美が売れれば売れるほど愛美の母親は物を買う。言うなれば愛美は在庫の減らない高額商品。売れる限り売り続けられるブランドチャイルド。

 スタジオに着くと肥育(ひいく)された豚のような男に出迎えられる。毎日違うボディソープの香りをさせるこの男は大層愛美にご執心のようだ。全くもって気持ち悪い。

「おはようございます! 武内プロデューサー。今日もよろしくお願いします!」

 明るい挨拶をする愛美は目の前の豚を笑顔にする。そんな豚に肩を抱かれても笑顔を崩さない愛美は本当に天才子役だと思う。でも、私は自分を殺して笑顔を振りまく愛美のことが心底嫌いだった。目の前の豚以上に……気持ち悪い。

 自分を殺す。
 じゃあ殺された自分はどこに行くのか。
 心の中に押し込められて愛美に向かって脳内で語りかける亡霊になるんだ。

 そんな自分に名前はない。

 私は愛美に殺されて頭の片隅にいるだけの亡霊。人格だけの死体。そんな亡霊の私は、自分を殺した愛美もそうさせた世界も憎かった。

 母親は愛美を豚に引き渡すと先に一人で控え室へ向かった。これから愛美と豚はしばらく豚の部屋で二人きりの打ち合わせだ。豚の醜悪な笑顔に私は虫唾が走るが、愛美は顔色ひとつ変えない。

 連れて行かれた豚の部屋は生臭く、仮眠室も兼ねているのか簡易ベッドが置いてある。ベッドに座る豚。愛美はいつものように豚の膝の上に座らされる。おなかを抱きしめる手、頭を撫でる手。その不快感だけが愛美の中にいる私に伝わる。耳元で囁かれる褒め言葉も実に不快だ。心の声を発しない愛美は何も感じていないのかもしれない。

 いつもの我慢。もう少し我慢すれば終わる。

 そう思っていたが甘かった。その日の豚は頭を撫でるだけでは飽き足らず、その手で胸を撫でてきたのだ。そしてこう言った。そろそろ大人の仕事の仕方を覚える頃かな? と。

 愛美の体が硬直する。貼り付けたような笑顔も固くなる。でもこの場には誰もいない。誰も来ない。誰も助けてなんかくれない。ヒーローなんていない。

――助けて。

 そう……聞こえた気がした。震えるような声がした。ヒーローを呼ぶ声がした。

 私が頭を上げると後ろでブヒッと豚の鳴き声が聞こえる。振り返るとそこには顔を抑えた豚がいた。私のことを愛美ちゃん愛美ちゃんと呼び近寄ってくる。

「ブヒブヒブヒブヒ、愛美ちゃん愛美ちゃんうっせぇんだよ豚ッ!! 私は愛美ちゃんとかいうやつじゃねえ!!」

 久しぶりに出した私の声は今まで聞いたことがないくらい汚かった。豚はそれでも愛美ちゃんと呼んでくる。

「だから愛美ちゃんじゃねぇ。私は……」

 そこまで言って私は自分に名前がないことを思い出した。名前がないなら好きに名乗ってやろうじゃないか。

「愛美を助けるヒーローだ!」

 そう言って豚の股間を蹴り上げたヒーローは部屋から飛び出しました。

 スタジオの外まで走ったヒーロー。そこで私は初めて知ったのです。朝は明るいということを。
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