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色部耀

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「ねえ紗雪ー。来週の日曜、一緒に古本屋巡りしない? ネットでバズってて気になる漫画があってさー」

「うーん。ごめん栞子。ちょっとバイトの予定が微妙だから明日返事したんでいい?」

「分かったー」

 二人だけしかいない放課後の図書室は窓も開けていないのにやけに涼しい。高校一年の秋。私たちは読書の秋と決め込んでただひたすらに漫画を読むことにふけっていた。かれこれ十二年の付き合いになる幼馴染の紗雪は、肩口まで伸びた髪を邪魔そうにしながらもページをめくる手を止めることない。私の誘いに対しては視線を向けることすらせずに保留する。いつも通りの態度いつも通りの喋り口調。しかし私はそんな紗雪のいつもの中にほんの小さな違和感を覚えていた。

「そろそろ帰りの電車の時間だよー。今日も塾でしょー」

 あえて違和感に踏み込むことはせずに私もいつも通りの帰宅通知係をする。紗雪は漫画の帯を雑にページに挟むと鞄に放り込んだ。

「ん。じゃ帰ろっか」


 電車での帰り道。紗雪は私よりも一駅先で降りるため、いつもホームでさよならをする。しかし今日は先に電車から降りたにもかかわらず、私は紗雪にバレない様に違う車両へと戻った。
――毎月第三金曜日。紗雪はなぜかこの日だけ私との約束を取り付けない。それが翌日の約束であろうと翌週の約束であろうと翌月の約束であろうと。

 そのことについて何か理由があるのかもしれないし、偶々かもしれない。ただ、私は幼馴染であり唯一の友人とも言える紗雪が理解できない行動を取るというのが小さな不安になっていたのだった。遠くに行ってしまうような不確かな不安。ストーカーのような行為に罪悪感が無いと言われれば否定できないが、その罪悪感以上に紗雪が離れてしまうことが怖かった。

 電車に戻ってから二駅。紗雪の家に最寄りの停車駅を通り過ぎたその場所は、新幹線も通っているような大きな駅。ビジネス街と呼ばれる場所だった。紗雪のあとをつけたその先にあったのは表札も何もない雑居ビルだった。様子を伺っていると紗雪は周りを窺いながらビルの一室へと入っていく。しばらくビルの前の電柱に身を隠して覗いていたが、一向に紗雪が出てくる気配はない。何か良くないことに巻き込まれているのではないだろうかと心配になってくる。

「ここ、なんなんだろう……」

「知りたいかい?」

 私のつぶやきに反応したのはスーツ姿の男性だった。私よりも頭一つ分身長も高く、ごく普通の若手サラリーマンといった感じだ。道端で女子高生に声をかけるという行動を除けば普通である。

「友人のことが気になるなら連絡をしてみたらいい」

 怪しい限りではあるが、正論を告げられて私は訝し気な表情を浮かべながらも言われるがままに紗雪へ電話をかける。三回コールが鳴ったところで紗雪は電話に出た。

「もしもし栞子。どうしたの?」

「紗雪ー。もう家着いた?」

 紗雪がこっそりこのビルに来ているのだとしたら嘘を吐いて家に着いたと言うはず。そして私の予想通り紗雪は答えた。

「うん。ちょうど今家に着いたとこ」

「そう」

 相槌だけ打つ私だったが、分かっていながらも内心嘘を吐かれたことにショックを受けていた。目の前に立つ男は肩をすくめているだけ。しかし、その後に続く声に私は混乱したのだった。

「紗雪ー! 今日お風呂掃除あんたの番でしょー」

「分かってるからちょっと待って!」

 普段使わない紗雪の強い言葉。そんな言葉を向ける相手は一人しかいない紗雪の姉だ。私も何度も会っているし声を間違えるはずはない。確かに紗雪は家にいる――

「ごめん紗雪。また連絡する」

「ん? うん。またね」

 それだけ言って電話を切った私は目の前の男を睨み付けるようにして言った。

「どういうことですか?」

 男は私の問いかけに答えることなく簡潔に返事をする。

「来月の第三木曜日、学校終わりにまたここに来ると良い。そこで何が起こっているのか説明しよう」

 それだけ言った男は呼び止める私を無視してその場から去ったのだった。

   ***

 男から告げられた一か月後の木曜日。私は前回と同じように紗雪のあとをつけるようにして雑居ビルの前まで来た。紗雪は先にビルの中へと入っている。私が前と同様に電柱に身を隠していると、これまた同じく男が声をかけてきた。

「約束通り来てくれたね。こっちだよ」

 男に言われて向かったのはビルの裏の方だった。そこには壁の上部にあるガラス窓。そして用意周到に置かれた脚立。

「あの窓からこっそり中を覗いていてごらん。面白いものがみられるから。安心していい。中でいかがわしいことや法に触れるようなことをしている訳ではないから」

 それだけ言うと近くの扉から中へ入っていった。私は他に選択肢があるわけでもないので大人しく脚立をのぼって窓から中を覗き込む。中には先程の男と紗雪の姿。何やら少し話をした後に契約書のような書類のやり取りをしている。それが終わると紗雪が男に封筒を渡した。ATMでお金をおろした時に貰える封筒。男がその封筒を開けると中には二万円入っており、確認をするなり荒れたデスクの上に乱雑に放り投げた。二万円と言えば紗雪の一か月分のバイト代に近い。以前バイト代を聞いた時に三万くらいと言っていたはずだ。私の中でどんどん不信感が膨らんでいたところで男は紗雪の手を握った。いかがわしいことはしないって言っていたのにあの男は! そう思ったのも束の間。男は空いた手に持っていたナニカを口に入れるとみるみる姿が変わっていく。身長が一気に頭一つ分は縮み、それと対照的に髪が肩口まで伸びる。
 気が付くとそこにはダボダボのスーツを着た紗雪の姿があった。

   ***

 制服姿の紗雪と男物のスーツ姿の紗雪。その二人を見比べながら、私は夢でも見ている気分だった。私の混乱など知る由もない二人は部屋の中にある試着室のような場所で着替えて出てきた。見分けがつかないが、パーカー姿の紗雪が本物の紗雪で制服姿の紗雪が私を案内してきた男なのだろう。本物の紗雪はパーカーを被るとお辞儀をしてビルの表玄関から出て行く。そして偽物は紗雪がいなくなったことを確認すると私が覗いている窓の方を見ると手招きをしてきた。中に入って来いということだろう。
 私は自分に何度も落ち着けと言い聞かせながら裏口を使ってビルの中に入る。

「栞子さんが不審に思っていた正体はこういうことだよ。毎月入れ替わっていたというわけ」

「紗雪は私のことをさん付けで呼びません」

「分かってるよ。口調だって違う。変身薬を飲んでいる間は人格も記憶も本人と全く同じものを得られるからね」

 変身薬……。聞いただけではにわかに信じられないことだが、実際に目にした私にとっては現実として受け止めるしかなかった。

「でも毎月入れ替わっていた時のあなたは今みたいに別人って感じじゃなかったです。少なくとも他の人は違和感も持ってなかったと思いますし」

「人格も記憶も得られると言っても、自由に出し入れできる二重人格のようなものでね。今は元の人格で接しているだけだよ。これから紗雪さんの家に帰るためにビルを出てから明日のこの時間まで私は完璧に紗雪になる」

 毎月この男は紗雪と一日入れ替わっていた――。しかも紗雪からお金をもらって――。私は男の言葉を聞きながらも頭の中ではどうして紗雪がそんなことをしているのかと考えてばかりいた。この行為自体が悪いことなのではないかとか入れ替わったこの男が何かいけないことをするのではないかとか、もっと他に聞くべきことがあったはずなのに、私の口から出たのは別の言葉だった。

「紗雪は……なんのためにこんなことをしているんですか?」

「心配なら追いかけるといい。気になるだろうと思って用意しておいた」

 男がそう言って私に差し出したのは新幹線のチケットだった。出発時間はこの後すぐ。迷っている時間は無さそうだった。

「気を付けて行くんだよ。チケット代は私のポケットマネーだから気にしなくて良い。それに君に気付かれた私の責任もある」

 私は新幹線のチケットを受け取ると感謝の言葉も無しにビルから飛び出そうとした。しかしそこで呼び止められる。

「この薬を飲んでから行くといい。効果は六時間。顔だけが変わる変身薬だ」

 そう言って渡される栄養ドリンクのような薬。本来ならほぼ知らない人間から貰った怪しい薬なんて飲むはずがないのだけど、この時の私は一切の思考が停止していたようですぐに飲み干した。近くに置いてあった姿見には誰か分からない顔に変わった自分がいた。心なしか普段の自分より可愛い気がするがそこについては触れないでおこう。

「それでは、また明日のこの時間に。その時にこの仕事について説明しよう」

「お願いします」

 私はそれだけ告げて紗雪を追いかけた。

   ***

 新幹線に揺られること一時間少々。私は紗雪が見えるギリギリの位置から追いかける。到着したのは大都会東京。紗雪はパーカーをおろしていて、とても嬉しそうな表情を浮かべている。これから何か楽しいことでもあるのだろう。好きな漫画の新刊を買いに本屋へ足を運んだ時と似たような顔をしている。そんな様子を見ながらしばらく街中を歩くと、紗雪はファミレスの前で立ち止まった。手鏡で髪の乱れなどを直して顔をマッサージすると中へ入って行く。紗雪が身だしなみを気にする姿なんて初めて見た……。私も追いかけて中に入ると、紗雪は男の人と二人でテーブルを挟んで座っていた。
 紗雪と見知らぬ男性……その後ろの席に私は位置取ると二人の会話に耳を傾けた。

「毎月会いに来てくれてありがとう」

「い、いえ。私が会いたくて来てるだけですので」

 いつもより少し高くて可愛らしい声。なんだか別人みたいだ。その一度のやり取りだけで紗雪がこの男性のことを好きなのだと確信する。見た目はパッとしない痩せた男性。大学生くらいだろうか。伸びた前髪が邪魔そうな、いかにもバンドマンとでもいった感じの雰囲気。

「さっきまで原稿描いてたからまた見てね」

「はい! ナツキさんの新作楽しみです!」

 ナツキ……新作……。その言葉で何か引っかかった私はスマホで検索する。するとすぐに私と紗雪が登録しているイラストサイトで見つかった。イラストレーターナツキ……。紗雪から勧められて見た記憶がある。というか私もフォローしていた。多くはないがライトノベルのイラストを描いたりもしている立派なクリエイターだ。それだけで食べていけるほど稼いでそうかと言われるとそうでは無さそうだけど……。

 しばらく二人の会話を聞いていると、なにやらナツキさんとやらは大学生らしく、漫画家を目指しているとのこと。今も出版社の担当編集と一緒に新人賞に向けて読切を描いているだとか。そんな話を紗雪は楽しそうに聞いている。恋人……なのだろうか。年上の大学生とお付き合いできるなんて羨ましいとも思うけど、私には縁がない話だと俯瞰してしまうところもあった。詳しくは次に本物の紗雪と会った時に聞いてみよう。明日記憶と人格を持っている偽物に聞いても分かるのだろうけど、やはり本物の口から聞きたい。

 ナツキさんは終始優しい対応をしながらも夢についてや創作についての苦悩などを話していた。傍から聞いている限り印象の良い人だ。そう思いながら私は一人で一杯のタピオカミルクティをチビチビ飲んでいたが、ついに貰っていた新幹線の時間が近付いてきてしまっていた。
 九時発の新幹線――。薬を飲んだのが四時半ごろなので丁度家に着くあたりで変身が解けるだろう。この後紗雪たちがどこに行くのか気にはなるけれど、流石に夜中に変身が解けて追跡するのは無理だ。それに今まで少なくとも六回はこうして一人で東京に出てきている紗雪を心配する必要もないのかもしれない。少し寂しいけれど認めざるを得ない。
 そして私は二人を置いてファミレスを後にしたのだった。

   ***

 翌日、私は偽紗雪に言われた通りビルの事務所に来ていた。今回はわざわざバレない様にあとをつけることもなく二人で堂々と事務所に向かった。偽紗雪は事務所の扉をくぐるまで完璧に紗雪になっていたのだけど、扉をくぐった瞬間に元の男性の態度へと変わった。これが人格を自由に入れ替えるというやつなのだろう。

「私たちChangesは依頼者の人生を一日だけ代行する仕事をさせていただいています。紗雪さんも忙しい毎日の中でどうにか自由にできる一日を得るために弊社に依頼をされました」

 突然今までにない丁寧な話し方をする偽紗雪。業務の一環と言ったところだろうか。

「これが紗雪さんと交わしている契約書です」

 そう言って見せられた書面には料金や様々な禁足事項などが記されてあった。禁足事項には二日連続で入れ替わることができないことや入れ替わりを口外してはいけないこと、犯罪への利用への禁止等が書かれている。それらに対する違約金の表記は目を疑うような金額で、紗雪が私に話してくれないのも当然といった感じだった。

「生成方法は私にも分かりませんがこのような薬を飲んで入れ替わる感じですね」

 偽紗雪の手の乗せられていたのは小指の爪のようなサイズの水晶の欠片みたいだった。私が飲んだドリンクとは見るからに存在感が違う。

「それとこちらが紹介制でお渡ししている招待状ですね。えっと……どこやったかな……。あったあった」

 荒れたデスクから発掘されたカードにはこのように書かれていた。


 一日「あなた」を代わります。


 忙しい主婦、サラリーマン、学校が辛い学生、はたまた芸能人や政治家まで。「あなた」の代わりに「あなた」をやります。
 解放された「あなた」は一日羽根を伸ばすもよし、自分を覗き見るもよし、引きこもるもよし。「あなた」がいないと「あなた」ができない自由な時間をお過ごしください。

――なんとも怪しい説明文だった。しかし私は実際にこの目で見て体験してしまっている限り疑う余地はない。

「何が起きていたのかが分かって少しは安心できたかな?」

「ええ……。少しは」

「業務内容を教えたところで少し聞きたいんだけど……っとその前に。少し待ってて」

 偽紗雪はそう言うと試着室のような場所へと入って行った。そこで二・三分待つとスーツに着替えた男が出てきた。

「丁度時間だったので。さて、さっきの質問だけど、栞子さんは何を根拠に紗雪さんが普段と違うって思ったのかな?」

「それは……」

 男から少し威圧感を覚える。もしかして消されたりするのだろうか?

「毎月第三金曜日は絶対に約束事をしなかったじゃないですか。ただそれだけなんですけど逆にそれだけが決まっていつもと違うから気になって……」

「なるほど……確かに約束事はできる限りしないようにしていたけど、そんなところから分かる人もいるのか。やっぱり定期的に決まった日に入れ替わるのはリスクが高いかもしれないな。参考になったよ」

「それだけですか?」

「ああ。それだけだよ。新幹線代くらいは十分出るくらいの情報だ。ありがとう」

「ええ……はい……」

「今日はもう帰ってくれても大丈夫だよ。入れ替わりのことについても君だけは紗雪さんに話しても構わない。ただし他の人に聞かれない場所でね」

 その男の言葉を最後に私は事務所を後にした。次に紗雪に会うのは月曜日だ。紗雪は前もって約束をしていない限り基本的に土日はバイトと塾で忙しいから会えない。いつも電車の時間までを過ごす放課後の図書室――。そこで昨日の男性の話を聞いてみよう。

   ***

 そして月曜日の放課後。私はずっとため込むようにして黙っていた話題を切り出す。紗雪はいつもと変わらず漫画に没頭している。肩口まで伸びた髪を邪魔そうに払う姿も偽物と見分けがつかない。よく見れば読んでいる漫画の栞の位置が違うかもしれないけど、そこまでは流石に覚えていない。もしかしたら金曜日に偽物が経験した記憶も本人に戻るのかもしれないが、それも確認していない今は分からない。

「ねえ紗雪。先週の木曜日と金曜日の話なんだけど」

「ん?」

 紗雪は漫画を読みながら表情を変えずに答えた。紗雪のことだから内心ドキドキしているだろうけれど、Changesの規約のこともあるから頑張って隠しているのだろう。

「Changesの人から許可貰ってるから話してくれて大丈夫だよ。先週東京で会ってた男の人の話……教えてほしいな」

 話をしても大丈夫と前置きをしたことに驚いたのか、紗雪は目を丸くして固まっていた。口もパクパクと動かして吐き出す言葉を探している。そんな姿を見ながら私は黙って待った。紗雪の言葉で紗雪の考えを教えて欲しいから。
 紗雪は結局五分近く黙っていただろうか。そうしてからゆっくりと話し始めた。何におびえているのか、声が少し震えている。

「ナツキさん……。中学の時からファンだったんだけど、高校入学と共に付き合うことになったの」

 課が飛ぶような声で紗雪はそう言う。恋人関係なのかもとは思っていたけれど実際に言葉にされて驚きが無いとまでは言えない。

「初めは遠距離で会えなくても良いって思ってたんだけど、やっぱり会いたくて……。じつはそれでバイト始めてたの」

「バイト始めた理由ってそれだったんだ」

「うん。でもバイト始めたら会いに行くお金はできたけど会いに行く時間が無くなっちゃって。そしたらバイト先のお客さんがたまたま私の事情を知ってChangesを紹介してくれたの」

「Changesの利用料金考えたら会いに行くためのお金足りなくならない?」

 私の疑問に紗雪はなぜか少し恥ずかしそうに答える。

「実は月に二回会いに行けるお金があったんだけど、それが毎月になった上にバイトの時間が増えたって感じ。まあ、それでも幸せだから塾があってバイト増えて忙しくなっても頑張れるんだけどね。それにナツキさん一人暮らしだから、Changes使って会いに行ったら親に何も言わなくても泊まれるし」

 恥ずかしがったのは最後の言葉を言った時。流石の私も紗雪の表情と仕草でどういう意味か分かる。

「泊まれるから一緒に遅くまで漫画作ってるの」

「ん?」

 何か私が勘違いしている可能性も出てきたが、それ以上は突っ込んで聞かないようにしよう。気になるけれど、今はちょっと情報量が多すぎる。
 そう話した後に紗雪は突然真剣な顔をして私を見た。その変わりように少し気圧される。

「もし止めようと思っててもやめないから。時間が無くてもきつくても、私は絶対やめないから」

 私は紗雪のそんな強い言葉は初めて聞いた。それだけにナツキさんとやらのことが本気で好きなんだと思い知らされた。だからというわけではないけれど、私は紗雪にこう返した。

「止めるわけないじゃん」

 だって幸せなんでしょ? 顔を見れば分かる。

「でも……」

 そう言って私は続ける。

「そのナツキさんて人との話、惚気でもいいから私にも聞かせてよね」

 何も知らないと紗雪が遠くに行ってしまうような気がするから。

「うん。話す。ありがと栞子……」

 紗雪は栞替わりの帯も挟まずに漫画を置くとそう言って涙を流したのだった。

   ***

 その日の帰り道。電車のホームで別れた直後に私は背後から声をかけられた。

「栞子さん。Changesです」

 声の主は紗雪と入れ替わっていた職員。振り返った私は何か嫌な予感がして後ずさった。

「取って食おうってわけじゃないから安心して。単なるスカウトだから」

「スカウト?」

 顔を合わせてフランクな話し方になったChangesのスタッフは私の聞き返した言葉に頷き返す。

「ウチでバイトしない? 君の繊細な観察眼は仕事に役立つ。それに内情を知っているから色々と都合が良いんだ。色々と……ね」

 少し脅すような口調なのは俗に言う「この秘密を知ったものはただで帰さない」というやつなのだろう。そう思うと私の返事は一つしかない。これから私は多くの人の人生に関わっていくことになるのだろう――
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