願い!運命を超えて

色部耀

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鉄は熱いうちに打て1

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 六月一日金曜日。晴れ。今日は待ちに待ったインターハイ県予選。――こんな書き出しから始まると、小学生の日記みたいで微笑ましい気がする。だけれど、実際は熱のこもった市営スタジアムで選手・応援者百人を超える緊張と声援。微笑ましい表情をしている人は少数派だった。

 斯く言う私は、緊張は無いものの、周囲のピリピリした雰囲気には当てられていた。しかし、私以外の森北高校の部員たちは、一様に緊張の面持ちだ。

 男子は午前に全員惜敗し、午後は女子の競争競技決勝を残すところとなっていた。ちなみに、決勝に足を進めているのは4×100mリレー・100m・10000mの三種目。リレーは一走が三年の高橋さん、二走が私、三走が同じく三年の室伏さん、アンカーが妹の春菜。このメンバーで予選一位通過を果たして決勝進出。100mは私が予選四位、高橋さんが三位で決勝。10000mは予選が無く決勝だけだけれど、春菜が優勝候補筆頭だ。

 午後一時。初めに私たちが参加する競技は4×100mリレー。私の役目は、おそらく一位で渡ってくるであろうバトンを、二位と差を縮められない程度に抑えて室伏さんに繋ぐこと。

「ホントあんたたち姉妹は緊張というものを知らないんだから」

 招集時刻になって係員に連絡後、私にそう言ってきたのは副部長の室伏さんだった。

「え、そんなことないよー。するする緊張」

 いつものように笑顔で返すと、室伏さんはお返しとでも言うように満面の笑みで返してくれた。

「いつもと変わらず笑ってられるんだから、緊張してないでしょ?」

 ……どうやら、いつも通りなのが逆に良くなかったようだ。――難しい。

「それより若菜。あっちにいるあんたの妹に、Y字バランスは柔軟体操じゃないって教えてあげてきて。男子どもの視線が嫌だ」

 室伏さんが頭を抱えながら指を指した先を見ると、見事にY字バランスを決める春菜の姿があった。確かにすごい注目されている。

「春菜、春菜」

「なあにお姉ちゃん? そろそろ?」

「そろそろなのはそろそろなんだけど。その格好、やめなさい。変な目で見られてるわよ」

「目立って良いじゃない。こんなに注目されるってことは、陸上でY字バランスしてる女子高生なんてそうそう見られるものじゃない証拠ね」

 一応、私が言うとすぐにやめてくれたけれど。春菜は相変わらずみたいだった。

「人に迷惑かけないなら、目立ってなんぼ。少しでも他人の記憶に残れる女に、あたしはなりたい」

 大きな声で宮沢賢治みたいに言い回し、格好良く決めた春菜は聴衆から盛大な拍手を貰っていた。――誇らしげだ。なんだか私も誇らしく思えてきた。

「馬鹿なこと言ってないで行くよ! うちらが恥ずかしいっていう迷惑があるのよ」

 懐柔されかけてた私を尻目に、室伏さんが春菜を引きずってトラックの方に向かう。春菜は間の抜けた声で、あーーと言っていたが。ただただ微笑ましい限りだった。

 少数派の微笑ましい空間が、目の前にあった。

 高橋さんは……いつも通りずっとため息をついている。

「ごめんね高橋さん」

「いいよー。なごむしー」

 とは言いつつため息をついて笑っている。

「なんかこー……のんびりできてる感じがいいよねー」

 高橋さんがゆっくりと室伏さんの後ろを付いていく。

「さやか! 陸上選手がのんびりとか馬鹿なの!?」

「そうですよ高橋先輩! のんびりした空気なんかダメです! 緊張感を持って! 一秒前の自分より一秒でも速くを心がけ」

「あんたがそののんびりした空気とやらを作った張本人なんだけどね」

 とうとう室伏さんまでため息をついてしまった。でも、みんないい意味で緊張もほぐれたみたいだし、春菜には感謝ね。

 引きずられる春菜を見ると、ぐっと親指を立てて私に笑顔を向けた。我ながらいい仕事をしたといった感じなのだろうか?

 私もお返しにサムズアップすると、春菜は真っ白な歯を見せて笑った。……春菜も人並みに緊張していたのだろう。誰にも悟られないように自分の感情を隠すのが上手い子だから。だからこそ、誰かが気付いてあげないといけない。普段は薫くんに任せるとして……。今は……私の出番だったのだろう。

 係員から、スタート位置につくように指示が出る。程良い緊張の中、予選一位通過の私たちはそれぞれのポジションに立った。結果は……終わってみるまでわからない。

 私たちの学校に限らず、各々が様々意味での緊張を持って構える。観客席も先程までと比べると、幾分も静かになっているように思う。固唾を飲んで見守る……とでも言ったところだろうか。

 風は無く、完全な無風――。足を引っ張るものも背中を押すものもいない。それがフィールドに立った陸上選手だ――なんてことを顧問の先生に言われたことを思い出す。それは確かに競技としてはそうなのかもしれないけれど、精神的に――と言うとまた違ってくるのかもしれない。その証拠に、室伏さんも高橋さんもいい表情をしているように見える。――春菜の力なのだろう。

 そしていよいよスタートの合図。

「位置について――用意――」

 銃声が――鳴り響いた。

 誰よりも早くスターターを蹴って飛び出したのは高橋さん。ぐんぐんと加速し、自らが加速したことで受ける風圧で体をお越していくかのように顔を上げていく。二次関数のグラフの立ち上がりを見ているかのような非の打ち所のなさ。綺麗……完璧とも思える動作。私が真似をしようと思っているのは、何を隠そう高橋さんのこの走り。

 足で地面を蹴る。手で空気を漕ぐ。体で風を切る――。

 第一走……誰よりも速くバトンを繋いでくれるのは誰の目にも明らか――。高橋さんだ。

 テークオーバーゾーンに差し掛かる手前――。私は形式上助走を取る。高橋さんと同じリズムで足を運び、高橋さんより少し小さい歩幅で――。必然――その距離はみるみる縮んでいく。

 そしてバトンパス――。

 流れるように受け取ったバトンを左手に受け、そのまま加速する――。やっぱり……背中を押されているような気がする。

 他の選手との距離は縮めない。そのままの距離感を保って次の室伏さんに繋ぐ――なんら問題のないいつも通り、今までの大会と同じ。

 強い室伏さんと、自慢の妹春菜がこの後の展開を自由に動かせばいい。

 私はただの繋ぎ役。空気と変わらないように、ここにいるだけ。無風に無害に歯車になるだけ――。

 ――私から繋がれ、ゴールまで辿り着いたバトン。その順位は……。

 見事に優勝だった。

「やった! やったね! 全国大会だよ!」

 柄にもなく泣いて喜ぶ室伏さん。

「優勝――初めて――」

 普段通りだけど喜びを隠さない高橋さん。

「目標は全国制覇!!」

 ――春菜は……よく分からないや。
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