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祭りが楽しくないと世界が滅ぶらしい
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「来月行われる学園祭。それが我にとって楽しめるものでなければこの世界を滅ぼす」
一ヶ月前、信じがたい数々の怪奇現象と共に僕の教室に突然現れた神はそう言い放った。ここの生徒のものと同じブレザーにどこの屋台でも売っているようなよく分からない戦隊モノのお面。一風変わった姿で言われた言葉に、クラスメイトは息を飲んで耳を傾けていた。
そして今は学園祭二日目の文化祭パート。僕は一人で誰もいない図書室に篭ってゲームをしていた。僕はこの世界が嫌いだ。滅んでしまえば良いとさえ思っている。だからこそ何もせずに一人で過ごしていた。
この学園祭は一日目が体育祭、二日目が文化祭と二日続けて秋の学校イベントを行う。そんな全国でも珍しい学園祭ではあるが、一日目は本当につまらなかった。なぜなら、相変わらず運動音痴の僕はただ笑いものにされただけだったからだ。笑いというものは本来、どんな形であれ肉体的精神的余裕が生まれた時に自然と出るものだという。つまりは、皆は僕の劣等的な姿を見ることで自らを上位だと思い、精神的余裕を持って笑っていたという事なのだろう。僕が楽しく感じるはずがない。
しかし誰もが皆、今年の学園祭は過去最高の盛り上がりだと言っている。テレビ局も来て取材をしているほどだ。この調子では世界は滅ばないだろう。そう思うと余裕が出来たのか、笑えてきた。
「ははっ」
「やあ、こんにちは。随分と楽しそうに笑っているね」
誰も来るはずのない図書室。そこへ音も立てずに隣に座ってきたのは他の誰でもない。世界を滅ぼすと言っていた神だった。図書室の一番角。僕は入口からの死角になるこの場所で柱を背にしてあぐらをかいていたのだけれど、その横に全く同じポーズで神は座った。もちろんよく分からない戦隊モノのお面付き。
「まあ、ゲームは楽しいかな」
「学園祭は楽しくない……と」
見れば分かるだろう。わざわざ聞くなよ。と思いはするが口には出さない。滅びもしない世界にはもはや興味もない。
「そうかい、そういうスタンスなんだね、君は。でも安心してくれていいよ。このままなら世界はちゃんと滅ぶから」
「え、皆楽しいと思ってるよ? 神様は楽しくないの?」
「周りが楽しいのと、僕が楽しいのは別の話だよ。君なら分かっていると思っていたけど」
確かに分かっている。心の底から理解している。しかし、神ともあろうものが僕みたいな一部の人間と同じ側というのが理解できない。神は多数派に属しているべきものだ。
「ははっ。君は面白いことを考えるね。いやー楽しい楽しい。君なら楽しい学園祭にできるかもしれないよ?」
神の台詞から僕の考えていることが読めると分かり、苛立ちと共にため息が出る。
「無理だよ。祭りに限らず学校とか社会とかは多数派が空気を作るんだ。その中に異物が入れば凄いでも面白いでもなく、ただただ異常として扱われる。元が楽しい空間ならなおさら。それに僕は皆から蔑まれている側の人間だ。異物として入り込むことすら拒絶されるに決まっている」
正論だ。論破だ。これで世界の終焉までゲームができる。
「君は、皆皆って。イエスマンもびっくりのミンナマンだな。そんなのどうだっていいんだよ。君が楽しめばそれでいいんだよ。楽しいかどうかは主観だから、楽しいと思ってしまえば大抵のものは楽しいはずなんだ」
「なるほど。だから楽しくないんだね。把握したよ。僕は今までもこれからも何も楽しむことはないということをね」
「どうして君はそうひねくれているんだろうね」
「さあね」
「高校に入るまではそんなことなかったのに」
本当にこの神という職業は厄介だ。ストーカーも真っ青だろう。
「原因も分かっているんだけどね。だから君にはこんなプレゼントを用意してみました」
そう言って神は僕のゲーム画面に指で触れる。
「あ! いいとこだったのに何するんだよ!」
「いいから、この映像を見てよ」
映画と見紛うほどの画質で流れている動画には、体操服を着た女生徒が映っていた。しかも女子トイレ。
「これは神とは言えやっちゃいけないでしょ」
「そんなこと言いながら見ちゃうんだね。まあ、さっきまでの怒りが消えたことには正直なところ嬉しい限りだけど」
女子トイレとは言ったが、今映されているのは洗面台付近。
「この子が誰だか分かるね?」
神に指摘された人物。映像には一人しか映っていないので言われれば分かる。
「優子ちゃんだ」
いつも笑顔で皆と仲がよく、誰とでも接することのできる女の子だ。
「君はこの優子ちゃんという子と仲が良かったよね」
「確認形でなく過去形なら肯定するよ」
高校入学直後。理由は忘れたけれど、笑いものになっていた僕。いじめではない。そう、ちょっと大人数にいじられていただけ。中学までの優子ちゃんはいつも俺に笑顔で話しかけてくれる子だったが、その日、僕をいじっていたクラスメイトの言葉に乗って下卑た笑いを向けてきた。あちら側の人間になった。
「だからこちら側の人間と仲がいいなんて知られたら申し訳ない……と。彼女の今の楽しい高校生活が台無しになる……と」
「ほんと神ってのは嫌な奴だな」
「ははは面白いことを言うね。そんな君にはサービスでこの声をプレゼント」
優子ちゃんの後ろ姿を映していたゲーム機。消音にしていたのだけど、神はそのボリュームを上げた。その瞬間、画面には音量だけでなく日時も表示される。
「これ、昨日の映像かよ」
「そうだよ。ほら、静かにして優子ちゃんが喋るよ」
カメラアングルが近付く。優子ちゃんの真後ろまで。優子ちゃんの後ろ姿だけではなく鏡に映った優子ちゃんの顔まで見える。撮影しながら空中を浮いている神で台無しだが。
「優子ちゃん……泣いてる?」
鏡に映る優子ちゃんは、うっすらと涙を浮かべていた。
『ごめん。ごめん太郎くん』
「この時、優子ちゃんはね」
「大丈夫。分かってるから」
映像の時間を見れば分かる。これは僕が徒競走で最下位だったとき。テントに戻ってクラスメイトにジベレリン水溶液をかけられた後だろう。
『これでちょっとは身長伸びんじゃね? 身長伸びたら足も早くなるっしょ?』
『でもこれはやばいってー。鈴木くん種無しになっちゃうよー。種無し鈴木くんになっちゃうよー。はははは』
授業で細胞伸長の促進、単為結実促進……種無しぶどうの作成なんかを習ったばかりで、実習で使ったところだった。あまりに頭の悪い使い方に嫌気がさした僕は、直後に運動会パートをサボって帰ったのだった。僕が笑いものになっている時、優子ちゃんもみんなと一緒に笑っていた。僕を見て笑っていた。
「彼女がこうして泣いていたのは、昨日が初めてじゃないよ」
神の言葉。しかし、そんなことはどうでもよかった。回数とかタイミングとか、そんなのどうでもいいことだ。ただ――
「僕、ずっと優子ちゃんに嫌われてるものだと思ってた」
初めて話す神に、自分の気持ちをこぼしていた。
「でも、僕にとって優子ちゃんは大切で……だから関わらないようにしてきた」
「うん。分かるよ。神だから。あと、この後に優子ちゃんが気になる事を言ってたんだよねー。君、分かる?」
僕の傷心を構わず神は先を促す。
『どうしたらいい? ねえ、どうしたらいいの? ケンジャーレッド』
「ケンジャーレッドってなんだろう? 知ってる?」
わざとらしく首を傾げて画面を覗き込む神。いったいどの面下げてそんなことを言っている。いや、どのお面下げてそんなこと言っている。
「ずっと何のお面かと思ってたけど、思い出したよ」
「え? 何を?」
「そのお面、昔僕が好きだったゴケンジャーのケンジャーレッドのお面じゃないか。多分うちにもあるよ」
神はわざとらしく手を叩くと言った。
「そうなんだー。知らなかったー。五人の賢者が独身怪人コドックーと戦うアラフォーヒーローゴケンジャー。そのリーダーのケンジャーレッドがこのお面の人だったなんてー」
改めて設定を聞くと、本当に酷い。よくもまあ幼い頃の僕はこんなものにハマっていたものだと思う。
「昔はそのお面を付けて優子ちゃんを助けに行ってたよ」
「じゃあ、君は今からこのお面を付けて優子ちゃんを助けに行かないとね」
自分のお面を外そうとしながら言う神。
「どうしてそうなるんだよ。別に優子ちゃんは困ってないだろ」
「本当は泣きたいのに笑っていないといけない。それのどこが困っていないって言えるんだい?」
論破というのはこういうのを言うのだろうか。
「でも、駆けつけて何をすれば」
「とりあえず君は行くことだ。ここに君がい続ければ、世界が滅ぶし、優子ちゃんはもっと泣く事になる」
意味の分からないことを言いながらお面を押し付けてくる神。必然、初めて神の顔を拝むことになる。
「お前! その顔!」
「世界の滅びなんてものも楽しさと同じ。主観でしかないんだよ。君はそれを付けて優子ちゃんの元に走るしかない。走らないといけないんだ」
「でも……どうして……どうやって」
「優子ちゃんは今でも君の心配をしている。明日はそれを後悔させてしまうことになる。明日だけじゃない。十年後も二十年後も。いや、死ぬまで」
「お前……お前は……」
「君は今動かなければいけない。優子ちゃんを本当に笑顔にさせなければいけない。でないと後悔することになる。死んでも後悔することになる。だって」
「嘘だろ? まじかよ」
自称神は安心したような笑顔で言った。
「だって、僕は未来の君なのだから」
***
僕は走った。意味も目的もよくわからないけれど、優子ちゃんの元にとにかく走った。優子ちゃんは校庭でメイド服を着て屋台を出している。同級生の店員にベタベタと触られながらも笑顔で接客を続けている。校外のお客さんもいやらしい目で見ていたのは言うまでもない。
僕は優子ちゃんの手を突然掴んで走った。俯いて顔の見えない優子ちゃん。もちろん追いかけてくる同級生。
「君が優子か! 我が名はケンジャーレッド! 孤独と戦う少女の心を救い出すためやって来た!」
クラスメイトたちは立ちすくんでいる。それも当然。見た目も声も、皆を恐怖に陥れた自称神と同じなのだから。ただ一人、腕を引かれて俯いている少女を除いて。
「ずっと……ずっと助けに来てくれるのを待ってた。ケンジャーレッド」
正体がばれてしまったようだが、そんなことはどうでもいい。
「君を孤独の戦いから救いに来た! もしも助けが必要ならば、我に全てを話すがいい!」
忘れもしないケンジャーレッドの台詞。心なしか初めて登場した時の自称神に似ている。
「じゃあ、私の……私の話を聞いてください」
笑顔を絶やさない優子ちゃんが涙を浮かべ、震えながら僕に言う。周りの皆も初めて見るその顔に動揺が隠せないようだった。
「ごめん! ごめんなさい! ケンジャーレッド! 勇気のない……卑怯で馬鹿な私で……ごめんなさい私……私……」
「許す!」
まだ話の続きがあったようだけど、僕は大きな声で遮った。なぜなら元から恨んでもいなかったから。
「君は孤独と戦い続けた! 悪いことは何もない!」
ゴケンジャーの決め台詞。まさか現実で使うことになるとは思っていなかった。テレビではこの後、背後で大きな爆発とともに怪人が散っていくけれど、現実では流石にそこまではできない。しかし。
轟音――
先程までいた図書室の方で爆発音が響く。
「え?」
振り返ると、先ほどまで僕がいた図書室の辺りで冗談ではすまない煙が上がっていた。
***
後日、警察からの発表によると図書室の下の階で風船用のヘリウムガスボンベが破裂。金属製のそのボンベは破裂した空気の勢いだけで天井を突き破り、上階の図書室の更に天井に突き刺さるようにして止まったそうだ。幸い図書室には誰もおらず、ガスボンベが飛んだ場所も教室の角だったために死傷者はいなかったらしい。僕は朝のニュースを聞きながら笑った。
「そういうことかよ」
楽しいかどうかが主観なのと同じく、世界だって主観ということか。僕があのまま図書室にいれば僕は死んでいたのだろう。僕の世界は、神の世界は滅んでいた。学園祭が終わると同時に自称神はいなくなった。僕は部屋に飾ったケンジャーレッドのお面に軽くデコピンをし、事故後二日経って少しだけ落ち着いた学校に向かう。カバンの中にはもう一つのケンジャーレッドのお面。
神無月。
神がいなくなると忙しくなる。今日から僕はヒーローにならなくてはいけないのだから。
一ヶ月前、信じがたい数々の怪奇現象と共に僕の教室に突然現れた神はそう言い放った。ここの生徒のものと同じブレザーにどこの屋台でも売っているようなよく分からない戦隊モノのお面。一風変わった姿で言われた言葉に、クラスメイトは息を飲んで耳を傾けていた。
そして今は学園祭二日目の文化祭パート。僕は一人で誰もいない図書室に篭ってゲームをしていた。僕はこの世界が嫌いだ。滅んでしまえば良いとさえ思っている。だからこそ何もせずに一人で過ごしていた。
この学園祭は一日目が体育祭、二日目が文化祭と二日続けて秋の学校イベントを行う。そんな全国でも珍しい学園祭ではあるが、一日目は本当につまらなかった。なぜなら、相変わらず運動音痴の僕はただ笑いものにされただけだったからだ。笑いというものは本来、どんな形であれ肉体的精神的余裕が生まれた時に自然と出るものだという。つまりは、皆は僕の劣等的な姿を見ることで自らを上位だと思い、精神的余裕を持って笑っていたという事なのだろう。僕が楽しく感じるはずがない。
しかし誰もが皆、今年の学園祭は過去最高の盛り上がりだと言っている。テレビ局も来て取材をしているほどだ。この調子では世界は滅ばないだろう。そう思うと余裕が出来たのか、笑えてきた。
「ははっ」
「やあ、こんにちは。随分と楽しそうに笑っているね」
誰も来るはずのない図書室。そこへ音も立てずに隣に座ってきたのは他の誰でもない。世界を滅ぼすと言っていた神だった。図書室の一番角。僕は入口からの死角になるこの場所で柱を背にしてあぐらをかいていたのだけれど、その横に全く同じポーズで神は座った。もちろんよく分からない戦隊モノのお面付き。
「まあ、ゲームは楽しいかな」
「学園祭は楽しくない……と」
見れば分かるだろう。わざわざ聞くなよ。と思いはするが口には出さない。滅びもしない世界にはもはや興味もない。
「そうかい、そういうスタンスなんだね、君は。でも安心してくれていいよ。このままなら世界はちゃんと滅ぶから」
「え、皆楽しいと思ってるよ? 神様は楽しくないの?」
「周りが楽しいのと、僕が楽しいのは別の話だよ。君なら分かっていると思っていたけど」
確かに分かっている。心の底から理解している。しかし、神ともあろうものが僕みたいな一部の人間と同じ側というのが理解できない。神は多数派に属しているべきものだ。
「ははっ。君は面白いことを考えるね。いやー楽しい楽しい。君なら楽しい学園祭にできるかもしれないよ?」
神の台詞から僕の考えていることが読めると分かり、苛立ちと共にため息が出る。
「無理だよ。祭りに限らず学校とか社会とかは多数派が空気を作るんだ。その中に異物が入れば凄いでも面白いでもなく、ただただ異常として扱われる。元が楽しい空間ならなおさら。それに僕は皆から蔑まれている側の人間だ。異物として入り込むことすら拒絶されるに決まっている」
正論だ。論破だ。これで世界の終焉までゲームができる。
「君は、皆皆って。イエスマンもびっくりのミンナマンだな。そんなのどうだっていいんだよ。君が楽しめばそれでいいんだよ。楽しいかどうかは主観だから、楽しいと思ってしまえば大抵のものは楽しいはずなんだ」
「なるほど。だから楽しくないんだね。把握したよ。僕は今までもこれからも何も楽しむことはないということをね」
「どうして君はそうひねくれているんだろうね」
「さあね」
「高校に入るまではそんなことなかったのに」
本当にこの神という職業は厄介だ。ストーカーも真っ青だろう。
「原因も分かっているんだけどね。だから君にはこんなプレゼントを用意してみました」
そう言って神は僕のゲーム画面に指で触れる。
「あ! いいとこだったのに何するんだよ!」
「いいから、この映像を見てよ」
映画と見紛うほどの画質で流れている動画には、体操服を着た女生徒が映っていた。しかも女子トイレ。
「これは神とは言えやっちゃいけないでしょ」
「そんなこと言いながら見ちゃうんだね。まあ、さっきまでの怒りが消えたことには正直なところ嬉しい限りだけど」
女子トイレとは言ったが、今映されているのは洗面台付近。
「この子が誰だか分かるね?」
神に指摘された人物。映像には一人しか映っていないので言われれば分かる。
「優子ちゃんだ」
いつも笑顔で皆と仲がよく、誰とでも接することのできる女の子だ。
「君はこの優子ちゃんという子と仲が良かったよね」
「確認形でなく過去形なら肯定するよ」
高校入学直後。理由は忘れたけれど、笑いものになっていた僕。いじめではない。そう、ちょっと大人数にいじられていただけ。中学までの優子ちゃんはいつも俺に笑顔で話しかけてくれる子だったが、その日、僕をいじっていたクラスメイトの言葉に乗って下卑た笑いを向けてきた。あちら側の人間になった。
「だからこちら側の人間と仲がいいなんて知られたら申し訳ない……と。彼女の今の楽しい高校生活が台無しになる……と」
「ほんと神ってのは嫌な奴だな」
「ははは面白いことを言うね。そんな君にはサービスでこの声をプレゼント」
優子ちゃんの後ろ姿を映していたゲーム機。消音にしていたのだけど、神はそのボリュームを上げた。その瞬間、画面には音量だけでなく日時も表示される。
「これ、昨日の映像かよ」
「そうだよ。ほら、静かにして優子ちゃんが喋るよ」
カメラアングルが近付く。優子ちゃんの真後ろまで。優子ちゃんの後ろ姿だけではなく鏡に映った優子ちゃんの顔まで見える。撮影しながら空中を浮いている神で台無しだが。
「優子ちゃん……泣いてる?」
鏡に映る優子ちゃんは、うっすらと涙を浮かべていた。
『ごめん。ごめん太郎くん』
「この時、優子ちゃんはね」
「大丈夫。分かってるから」
映像の時間を見れば分かる。これは僕が徒競走で最下位だったとき。テントに戻ってクラスメイトにジベレリン水溶液をかけられた後だろう。
『これでちょっとは身長伸びんじゃね? 身長伸びたら足も早くなるっしょ?』
『でもこれはやばいってー。鈴木くん種無しになっちゃうよー。種無し鈴木くんになっちゃうよー。はははは』
授業で細胞伸長の促進、単為結実促進……種無しぶどうの作成なんかを習ったばかりで、実習で使ったところだった。あまりに頭の悪い使い方に嫌気がさした僕は、直後に運動会パートをサボって帰ったのだった。僕が笑いものになっている時、優子ちゃんもみんなと一緒に笑っていた。僕を見て笑っていた。
「彼女がこうして泣いていたのは、昨日が初めてじゃないよ」
神の言葉。しかし、そんなことはどうでもよかった。回数とかタイミングとか、そんなのどうでもいいことだ。ただ――
「僕、ずっと優子ちゃんに嫌われてるものだと思ってた」
初めて話す神に、自分の気持ちをこぼしていた。
「でも、僕にとって優子ちゃんは大切で……だから関わらないようにしてきた」
「うん。分かるよ。神だから。あと、この後に優子ちゃんが気になる事を言ってたんだよねー。君、分かる?」
僕の傷心を構わず神は先を促す。
『どうしたらいい? ねえ、どうしたらいいの? ケンジャーレッド』
「ケンジャーレッドってなんだろう? 知ってる?」
わざとらしく首を傾げて画面を覗き込む神。いったいどの面下げてそんなことを言っている。いや、どのお面下げてそんなこと言っている。
「ずっと何のお面かと思ってたけど、思い出したよ」
「え? 何を?」
「そのお面、昔僕が好きだったゴケンジャーのケンジャーレッドのお面じゃないか。多分うちにもあるよ」
神はわざとらしく手を叩くと言った。
「そうなんだー。知らなかったー。五人の賢者が独身怪人コドックーと戦うアラフォーヒーローゴケンジャー。そのリーダーのケンジャーレッドがこのお面の人だったなんてー」
改めて設定を聞くと、本当に酷い。よくもまあ幼い頃の僕はこんなものにハマっていたものだと思う。
「昔はそのお面を付けて優子ちゃんを助けに行ってたよ」
「じゃあ、君は今からこのお面を付けて優子ちゃんを助けに行かないとね」
自分のお面を外そうとしながら言う神。
「どうしてそうなるんだよ。別に優子ちゃんは困ってないだろ」
「本当は泣きたいのに笑っていないといけない。それのどこが困っていないって言えるんだい?」
論破というのはこういうのを言うのだろうか。
「でも、駆けつけて何をすれば」
「とりあえず君は行くことだ。ここに君がい続ければ、世界が滅ぶし、優子ちゃんはもっと泣く事になる」
意味の分からないことを言いながらお面を押し付けてくる神。必然、初めて神の顔を拝むことになる。
「お前! その顔!」
「世界の滅びなんてものも楽しさと同じ。主観でしかないんだよ。君はそれを付けて優子ちゃんの元に走るしかない。走らないといけないんだ」
「でも……どうして……どうやって」
「優子ちゃんは今でも君の心配をしている。明日はそれを後悔させてしまうことになる。明日だけじゃない。十年後も二十年後も。いや、死ぬまで」
「お前……お前は……」
「君は今動かなければいけない。優子ちゃんを本当に笑顔にさせなければいけない。でないと後悔することになる。死んでも後悔することになる。だって」
「嘘だろ? まじかよ」
自称神は安心したような笑顔で言った。
「だって、僕は未来の君なのだから」
***
僕は走った。意味も目的もよくわからないけれど、優子ちゃんの元にとにかく走った。優子ちゃんは校庭でメイド服を着て屋台を出している。同級生の店員にベタベタと触られながらも笑顔で接客を続けている。校外のお客さんもいやらしい目で見ていたのは言うまでもない。
僕は優子ちゃんの手を突然掴んで走った。俯いて顔の見えない優子ちゃん。もちろん追いかけてくる同級生。
「君が優子か! 我が名はケンジャーレッド! 孤独と戦う少女の心を救い出すためやって来た!」
クラスメイトたちは立ちすくんでいる。それも当然。見た目も声も、皆を恐怖に陥れた自称神と同じなのだから。ただ一人、腕を引かれて俯いている少女を除いて。
「ずっと……ずっと助けに来てくれるのを待ってた。ケンジャーレッド」
正体がばれてしまったようだが、そんなことはどうでもいい。
「君を孤独の戦いから救いに来た! もしも助けが必要ならば、我に全てを話すがいい!」
忘れもしないケンジャーレッドの台詞。心なしか初めて登場した時の自称神に似ている。
「じゃあ、私の……私の話を聞いてください」
笑顔を絶やさない優子ちゃんが涙を浮かべ、震えながら僕に言う。周りの皆も初めて見るその顔に動揺が隠せないようだった。
「ごめん! ごめんなさい! ケンジャーレッド! 勇気のない……卑怯で馬鹿な私で……ごめんなさい私……私……」
「許す!」
まだ話の続きがあったようだけど、僕は大きな声で遮った。なぜなら元から恨んでもいなかったから。
「君は孤独と戦い続けた! 悪いことは何もない!」
ゴケンジャーの決め台詞。まさか現実で使うことになるとは思っていなかった。テレビではこの後、背後で大きな爆発とともに怪人が散っていくけれど、現実では流石にそこまではできない。しかし。
轟音――
先程までいた図書室の方で爆発音が響く。
「え?」
振り返ると、先ほどまで僕がいた図書室の辺りで冗談ではすまない煙が上がっていた。
***
後日、警察からの発表によると図書室の下の階で風船用のヘリウムガスボンベが破裂。金属製のそのボンベは破裂した空気の勢いだけで天井を突き破り、上階の図書室の更に天井に突き刺さるようにして止まったそうだ。幸い図書室には誰もおらず、ガスボンベが飛んだ場所も教室の角だったために死傷者はいなかったらしい。僕は朝のニュースを聞きながら笑った。
「そういうことかよ」
楽しいかどうかが主観なのと同じく、世界だって主観ということか。僕があのまま図書室にいれば僕は死んでいたのだろう。僕の世界は、神の世界は滅んでいた。学園祭が終わると同時に自称神はいなくなった。僕は部屋に飾ったケンジャーレッドのお面に軽くデコピンをし、事故後二日経って少しだけ落ち着いた学校に向かう。カバンの中にはもう一つのケンジャーレッドのお面。
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