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私が見付けた究極の美

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 私が彼女を始めて見たのは歌舞伎町の風俗街。店から出てきて物臭そうにマスクをつける姿。その時に目だけではなく心まで奪われたことは言うまでもないだろう。しかし、生まれてこの方そう言った経験が無かった私は店に入る勇気もなく後ろ髪を引かれる思いで日々を過ごしていた。

 その日から記憶残っている彼女を彫像にしようと本業の依頼の合間に少しずつ掘り進めた。

 それから一ヵ月ほどが経ったある日、アトリエのそばを散歩していて彼女の姿を目にした。小さな公園のベンチに腰掛け、煙草を吸うでもなく空に向かってすーっと息を吐く姿。手は煙草を持っているような形を作り、入道雲を煙に見立てているのが分かった。

 ただ空を見ているだけで幸せそうにしている彼女が愛おしくて、毎日のようにその公園に通って彼女がいないか確認するのが日課になっていた。

 土日の正午過ぎ。彼女はいつもベンチに座っている。私はいつしか彼女と話をする日を夢見ていた。その頃、たまたま仕事の依頼で全盲の方と接することがあってこれだ! と意気込んで彼女のいる公園へと向かった。

 当初の目的は彼女の顔を間近で見ることで記憶に焼き付け、彫像に反映させたい……それだけで接触しただけだった。しかし――


「目が……不自由なんですね。そうだ! ぶつかってしまったお詫びと言っては何ですが、これから向かうところがあるなら案内しましょうか? 私も丁度散歩していただけですので」


 予想外に彼女の優しさに接触してしまった。それからは流れに身を任せるようにアトリエに案内をして、今作っている作品を見せることになった。

 題材となった本人の彫像を――

 顔の判別もつかないしまだ服装も自由に変えられるレベルのもの。さほど大きな問題ではなかったが、常に緊張が走っていた。


「あの……モデルがいないなら私がなりましょうか?」


 その言葉を聞いた時、心臓がはじけ飛んだかと思った。しかも私の遠慮を他所に肌をさらしてくれる。初めて会った男に対して何の臆面もなく――

 普通ならはしたない女だと感じるだろうか。下品な遊女だと思うだろうか。

 しかし私は綺麗だと……美しいと魅入られてしまった。

 侮蔑の感情ではなく敬意と憧れの感情で見ていた。

 その時私の世界が変わった。この美しさの全てを残したい――そう本気で真剣に思った。少し傷んだ髪も深爪してしまったその指も。できるならば皺の一つ一つまで再現したくなるほどに彼女は私にとって美の究極形だと思えた。

 おそらくはその精神性も含めてのことだろう。

 私は彫刻家として芸術家として表現者として真摯に向き合おう――そう思っていたのに。

 私の指は彼女の全てを求めるように貪るように這い回った。私の頭は常に熱気でショートしていた。それはおそらく指を通じて彼女にも伝わっていた事だろう。

 しかし、私の胸の内は秘めたままどうにか完成までこぎつけることができた。

 実物には劣るが満足のいく作品となった彫像。その前で私は終ぞ涙をこぼして膝をついた。


「さやかさん……謝罪しなければならないことがあるんです。ずっとあなたを騙していたことがあるんです」


 いつもと同じ時間。正午過ぎにアトリエを訪れたさやかさんに私は土下座で深々と頭を下げた。


「実は目が見えないと言うのは嘘だったんです。初めからあなたをモデルに作品を仕上げたくて近付くための口実にしていただけなんです」


「目が見えないのが嘘というのは初日から気付いていました。それよりも、こんな無茶苦茶な嘘を吐いてまで私を作品にしたいと思ってくれたことが今は嬉しい」


 そんなことを言ってさやかさんは微笑む。


「気付いて……いたんですか?」


「はい。仕草とかでなんとなく――だったんですが、スマホがポケットから出てきた時に確信しました。目の見えない人はキー付きの携帯しか使いませんからね。私の方こそ気付いていたのにずっと黙っていてすみませんでした。その……もし気付いたと言ってしまえば綾瀬さんとの関係が崩れてしまう気がして……。ごめんなさい」


 初日から気付いていた――そのショックで私はそのまま頭を地面に打ち付けた。


「あの、綾瀬さん。一つ聞いても良いですか?」


「はい。なんでも聞いてください」


 私はかけていたメガネを放り投げる。


「初めから私の彫像を作ろうとしていたとおっしゃいましたが、なぜ作ろうと思ったんですか? 作ってどうしようと思っていたんですか?」


 純粋な興味からくる言葉。真っ直ぐで他意の無い言葉。切出刀のように突き刺さる言葉。


「あなたの美しい姿を見かけたのがきっかけです。美しいものを作りたい――と。作ってどうするつもりだったかと聞かれると……。そこから先は考えていませんでしたが、ずっと傍に置いておくつもりではいました。美しいものを身近で自分だけのものにって感じでしょうか」


「そうですか……もう一つ聞いていいでしょいうか?」


「もちろんです」


「では、生身の私と彫像の私。どちらの方が綺麗ですか?」


「? そんなの生身のさやかさんに決まってるじゃないですか」


「では最後に。身近に置いておくのは彫像ではなく私ではいかがでしょう? この二ヵ月間、私はとても幸せでした。これで終わりだなんて思いたくないんです」


「そ、そ、それは……?」


「交際の申し込みです。返事……聞かせて頂けますか?」


「でも私はさっき彫像のあなたを自分だけのものにして身近に置いておきたいなんて言ったんですよ?」


「はい。あなただけのさやかにしてください。綺麗だと言ってくれたあなたのそばで、これ以上汚れてしまわない私でいたいんです」


「そこまで言っていただけたら、こちらこそよろしくお願いします」


 私は土下座のまま三つ指揃えて頭を下げる。すると彼女も私に倣って目の前で三つ指ついて頭を下げた。


「こちらこそよろしくお願いいたします」


 彼女は何をしていても美しかった。だから私は口にした。


「これ以上汚れてしまわないなんて、今が汚れてるみたいな言い方をしていましたけど」


 私と彼女は正座をしたまま顔を上げる。


「あなたは美しいです。この世の何よりも」
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