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第36話『悪意の伝播』

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 植物の残骸がツンとくる臭気を放つ。エルや騎士たちは、急に終わってしまった戦いの後、そこに残った物を見て気分を悪くした。

 ラザリアが刎ね飛ばした蕾の一部には、おそらく邪教徒たちが連れてきたのであろう女性たちが捕われていた。

 蕾の葉を剥ぎ取り中からぬるりと現れた女性たちは、見るも無残な姿になっていた。

 皆々服を溶かされ、体には無数の痣ができ、なによりも、誰一人として、正気を保っていなかったのだ。
 目が虚になり、現実を認識できていない様子だった。彼女らを案じこちらから触れようとすると、彼女らは悲鳴をあげながら離れていく。虐待を受けた小動物のような動作は、エルに恐怖心を植え付けた。


「――なにを、どう、生きれば……」


 こんなことが、できるのか。エルは拳を強く握り、爪が食い込む痛みで暴れたくなるほどの衝動をなんとか抑え込んだ。


「とにかく、彼女らには保護が必要だ。おい、誰か外の女供を呼んでこい。男の俺たちでは彼女らに対処できん。それと何か羽織る物をもらってこい。俺たちでも何か渡せる物があったら渡す。ラザリアさんは、とりあえず今彼女らを落ち着かせるために動いてください」


 騎士の1人がテキパキと指示を出す。頭目であるリガロが、依然伸びきったままだったからだ。
 聖騎士であるリガロがたった一撃でこの有様だ。アルゴフィリアの攻撃が如何に凄まじいかを物語っており、それはこの場の全員にある種の危機感を抱かせていた。
 とにもかくにも、ここから離れねば。蔓延した空気は無意識のうちにその認識を共有させていた。


「――なあ、エル」


 と。ラザリアが怪訝な表情でエルに話しかけてきた。


「どうかしましたか、ラザリアさん」

「1つ、気になったことがあってな。
 奴は……去り際に、第3のテストを用意すると言っていたな?」


 ラザリアの言葉にエルは黙り込む。ラザリアは張り詰めた糸を緩めぬままにその先を述べた。


「何が起こるかはわからんが……いずれにせよ、奴は近いうちにまた現れるということだ。特にお前は、どうにも奴に気に入られたみたいだからな。
 重々、警戒しておけ。……私も、お前に何かがないよう警戒する。とにかく奴は危険だ。私が見た中では、最も恐ろしい……それこそ自身をそう名乗っていたように、『悪意』の塊の化け物だ」


 エルは「はい」と小さく呟く。ラザリアは頷き、そしてエルへと背を向けた。


「……もしもまた奴と対峙した時は、私を呼べ。……奴はイアンを連れていった。私とてもはや無関係ではない。
 言いたいことはそれだけだ。……じゃあ、私は彼女らと話をしてくる。……と言っても、できれば刺激しないでおきたいのだが、な」


 ラザリアが救助された女性たちの元へと行く。エルは彼女の背中を見つめ、そして拳を強く握りこんだ。

 ――あの男だけは、許さない、と。


◇ ◇ ◇ ◇


 フィオナ・レインフォードはチェイン・アームズの広いグラウンドで、執り行われている授業をしゃがみこんで眺めていた。

 リネアが男子学生と剣の打ち合いをしている。流石成績最優と言われているだけあって、相手をしている生徒は打ち返す暇もなく追い込まれている。フィオナはリネアを観察しながら、「やっぱりすごいなあ……」と呟いた。


 現在行われている授業は、生徒間で行われる実戦演習だ。
 本当の『実戦』となると、大技を使った戦いも繰り広げられるが、ここで行われる演習では、強力な一撃ではなく、細かな立ち回り要求されている。

 理由は簡単だ。魔力とは、周囲の物質から共鳴により得る物。すなわち、『その場の環境』が扱う魔術に多大な影響を与えることとなる。

 環境とは自分では操作できないもの。火属性を得意とする者が、火属性の魔力を都合よく得続けることは不可能だ。そのためその場の環境を観察し、即座に魔術を練り上げなければならない。


 そこで執り行われるのがこの授業だ。教員となる立場の者が、生徒には一切の情報を教えず魔力のこもった物品を複数用意する。生徒たちはその物品から魔力を得つつ、相手となる生徒と剣を打ち合う……というものだ。

 この際に扱う魔術は、規定されたレベル以上の物を扱ってはならない。それではパワーでのゴリ押しとなってしまうからだ。
 また生徒たちには各員、一つだけ『属性石』と言う、魔力が込められた石を持ち込むことが許されている。

 属性石には、4属性のうちのどれか1つの魔力が入っている。多くの者はこの属性石をいくつも持ち、それにより自らの得意な魔術を扱えるようにしている。
 だからと言って、扱う魔力の全てを石だけで賄うのは不可能だ。属性石はどうあっても『重要な補佐』にしかなり得ない。


 考えれば考えるほど、よく練り込まれた演習だと思う。フィオナはリネアが男子生徒を難なく倒してしまったのを眺めながら、この授業の意義に感心していた。


「やった、また勝った!」


 リネアが拳をぐっと握り、本日3度目となる勝利を喜んだ。


「やるじゃん、リネア!」

「えっへへ、私ったら今日も1番!」


 リネアはそう言ってフィオナにピースサインを見せつけた。


「どうよ、フィオナ! あんたもすっごい成長したみたいだけど、私だって負けてないんだからね!」

「本当に凄いよ、リネア! 3年前も、1番成績が良かったけど――今はあの頃よりも、凄い進歩してる。傍目からでも、わかるくらいに。
 やっぱり、リネアは凄いなあ。……早く、追いつかないとなあ」


 フィオナは純粋な笑みを浮かべながら言う。リネアはそんなフィオナに「あはは、早くここまで来なよ! 私はいつだって、受けて立つから!」と木刀の剣先を向けた。

 ああ、そうだった。そういえば、リネアはあの時も、こんな感じだったな。フィオナはふと、3年前のリネアの姿を思い出した。

 ――除籍を受けてから、恥ずかしさや後ろめたさを感じて長い間連絡を取らなかった。その間に、リネアはこんなにも、自分よりも進んでいた。

 当然だ。自分が進もうともがいている間にも、彼女には彼女の成長があったのだ。自分はそれを見ていなかったから、実感することが無かっただけで。

 ……ああ、そうか。自分は、リネアという大きなライバルからずっと目を背け続けていたのか。フィオナはふと、自分の中にあった黒い感情を理解した。


 リネアが笑い、こちらへと歩いてくる。フィオナも立ち上がり、そしてリネアの方へと歩き向かう。


 ――ふ、と。フィオナの視線が、リネアの後ろで動いた何かへと向いた。

 そこには、先程リネアに倒された男子生徒が、木刀を振り上げリネアを殴りつけようとしている姿があった。


「ッ! 『吹き飛べ』!!」


 フィオナは瞬間に叫び、後方の男子生徒を吹き飛ばした。


「フィ、フィオナ……?」

「ちょっとあなた! なに突然リネアを殴ろうとしてんのよ! いくら負けて悔しいからって、そんな……こと、を……」


 フィオナは吹き飛び倒れた男子生徒を見て、声を失った。

 ――あの“気”が、吹き出ている。

 男子生徒の体から、人攫いたちを見た時に感じた黒いオーラが――禍々しい怖気が、溢れている。それはフィオナに不安感を与えるには十分過ぎる程で。


 直後。学園の校舎の一室が、巨大な音ともに爆発した。
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