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「何か作ってやるからそこで座って待ってな」
諒太は二人に声を掛けると台所に一人立った。
江江と陽はキョロキョロと周りを見渡した。 あまりに何もない部屋の佇まいに二人は拍子抜けした。他に人の気配はないし、宗教関連の道具などどこにもない。贅沢な物など見当たらないし、そこにあるのは質素な古い民家に住む一人の男の姿のみである。
(やはりでっち上げの記事だったのね…)
江江と陽は目を合わせた。
しばらくするとちゃぶ台の上に見たことのない料理が運ばれてきた。
「スパムとゴーヤのソーミンチャンプルーだ。あんたたちの口に合うかどうかは保証はしないぞ」
諒太は苦笑しながら言った。
「真田さん、私たちのためにわざわざ作って頂いてありがとうこざいます」
江江は頭を下げた。
「構わないさ。どんな思想や考えを持っていたとしても人間は腹が減るものだからな。ほら、彼もう我慢出来ないようだよ」
陽は目を輝かせ目の前の麺を見つめている。
「チーフ!真田さんにこれ食べていいか聞いてください」
江江は日本語に訳して諒太に聞いた。
「ああ、もちろんさ」
諒太はジェスチャーで食べる仕草をして見せた。
途端に陽は麺を勢いよくすすり始めた。
「美味い!美味いよチーフ!」
陽はこちらを見ている諒太に対して親指を立ててニコっと笑うと美味しそうに再び麺をすすりはじめた。
「彼、面白いね。さあ、江江さんも冷めないうちにどうぞ」
諒太は穏やかな顔で料理を勧めた。
「ありがとうございます」
江江も諒太の厚意に甘えることにした。
「とても美味しいです。陽もとても良い味だと言っています」
「よかったな…」
諒太は片手に麦茶の入ったグラスを手に取って静かに立ち上がると二人に背を向けて縁側に座った。
江江は庭を向く諒太の背中を見つめた。
(真田さんにとってあれだけ酷いことを書いたマスコミは憎い相手のはず…なのに家にまで上げてくれて御飯まで…)
江江はズバリと聞いた。
「真田さん、私にはとても貴方が報道されているような人物には思えません。今日話を聞いた島の人たちもなかなか私たちに口を開いてくれませんでしたが、貴方を悪く言う人は誰一人いませんでした。むしろ貴方に感謝しているという声ばかりでした。貴方はどうして何も話そうとしないのですか?」
…
しばらくの沈黙の後、諒太は口を開いた。
「俺が新興宗教の教祖だとか暴力運動家だとか報道されているのは耳にしている…
確かにそんな事は事実じゃない…
だけど…目の前で妻子を見殺しにしたってことは全く嘘ということではないんだ…」
諒太は右手に持つグラスに目を落とした。
「だけど、そうだったとしても捏造報道に関しては反論すべきじゃないでしょうか?」
「俺が余計な口を挟む事で世間に要らぬ誤解を与えたくはない…」
「要らぬ誤解? 真田さん…それはもしかして蔡志玲のことを言っているんじゃないのですか?」
諒太は江江の質問に答えることはなく無言で空を見続けてた。
夜空には無数の星が瞬いている…
「こんばんは真田さん。中にいるのは竜男さん?」
暗がりの中、裏口から庭にまわり、花妹が縁側に座る諒太の目の前に現れた。
「あなた張花妹じゃない⁈」
江江は急に立ち上がると中国語で大きな声をあげた。花妹は居間から漏れる逆光の灯りのなかしばらく江江の顔を目を細めて見ていたが、記憶が合致したのか驚いたように声を上げた。
「え⁈ 江江⁉︎」
二人は抱きつかんばかりに喜びを隠さなかった。
「知り合いなの?」
諒太は花妹に聞いた。
「はい!私たち台北放送大学の同級生なんです。お互い報道関係の仕事を目指して当時一緒に日本語学科のカリキュラムを勉強していたんです。私は卒業してから違う道に進んだけど、江江は台湾でも有名な報道キャスターになったんです。会うのはもう同窓会以来15年ぶり…」
「花妹あなたがどうしてここにいるの?」
江江は我に返って尋ねた。
「え⁈…わたしは… その…
江江こそどうして?」
花妹は江江から目を逸らし質問を質問で返した。
「私は社命で真田さんの取材に来たの」
「真田さんの?」
「私は今、玉山通信という通信社でジャーナリストとして働いているんだけど、いまマスコミで真田さんについて報道されていることが事実なのかどうか確かめに来たの」
「なぜそんなことを?」
「我が社ではずっと台北東海公司の不正を追っているんだけど、今回の報道も裏で彼等の圧力があるんじゃないかというのがうちの編集長の見立なの。彼等を追い詰める何か糸口でもあればと思って真実を確かめにここに来たのよ」
花妹はしばらく口を噤んでいたが思い切ったように口を開いた。
「実は…わたし三年前から蔡志玲のマネージャーをしているの…
台北東海公司はいまや私たちの事務所の親会社…
志玲が台湾を離れここ美波間島に来た理由も会社の横暴なやり方が原因なの…」
「花妹…あなたが志玲のマネージャーをしていたなんて…」
江江は驚きを隠せなかった。
「こんな場所で立ち話をしてないで中に入ったら? 今日はもうフェリーはないことだし、ここに泊まって部屋で話せばいい。15年ぶりに話すんでしょ?」
中国語で語り合う二人を諒太は家に誘った。
諒太は陽に一部屋と江江、花妹のために一部屋のふた部屋用意した。
江江と陽はせめてもと自分たちで食べた食器を洗うため台所に立った。
その間、花妹は諒太と二人で空き部屋に入り布団の準備を始めた。
「花妹さん…チーリンの具合はどうですか?」
「いま横になっています。
だいぶ精神的に疲れているみたい…
自分のせいで真田さんをはじめ島の皆さんに迷惑をかけてしまっているって自らを責めてろくに食事もとらずに…
…
それから…真田さんのこの家に戻りたいって…このところ口数も少なく落ち込んでる様子で…」
花妹は溜息まじりに肩を落とした。
モラルのかけらもないしつこいマスコミの目から逃れるためチーリンは花妹とともに清子オバーの家に移っているのだが、このところあまり体調が優れない日々が続いていた。
普段陽気なチーリンがそんな状態になっていることに諒太も胸が痛んだ。
「ねえ真田さん、いまチーリンを元気づけてあげられるのは他の誰でもない貴方だけしかいない。
きっとチーリンはそれを望んでいると思う。
彼女、眠っている時もうなされるように貴方の名前を囁いているのよ…
諒太さん…諒太さん…って…
真田さん…きっとチーリンは…
花妹は諒太の目を正面に見据えた。
「他に何か手伝いましょうか?」
諒太が口を開こうとしたと同時に陽が顔を出した。
諒太は陽の声に静かに立ち上がると陽の脇を抜け部屋から出て行った。
「真田さんどうしたんすか?
なんか思い詰めたような顔してましたけど?」
ぽかんとした表情で陽は花妹に聞いた。
「なんでもないわ…」
花妹は顔をそらせた。
その後、花妹と江江は夜を徹して膝を交え話し合った。最初はお互い懐かしさのあまり身の上話に盛り上がったが、夜も更けたころ花妹は真剣な顔になって江江と向き合った。花妹は事務所が台北東海公司に買収されてからの実状を隠すことなく江江に語った。また江江はこれまで自らの取材で明らかになった社会に報道されていない台北東海公司の手段を選ばない遣り口について赤裸々に語った。そして話題はチーリンと諒太のことに及んだ。
「花妹、志玲が美波間島に来た理由はわかったわ。ここで真田さんに助けられたことも。真田さんはどうしてマスコミに反論しないのかしら?
彼さっきは要らぬ誤解は与えたくないって言っていたけど…
このままだと真田さん自分の名誉を保つことができないじゃない?」
「江江…真田さんってああいう人なのよ…」
花妹は目を細め遠くを見つめた。
「え…?」
「いつも自分のことより周りの人のことを考えてる…自分の名誉なんてものに全然こだわっていないの…
今回のことだって女優としての志玲の立場を守ろうと何も語らず自らマスコミの矢面に立って捏造報道を甘んじて受けている…
そういう人なの真田さんは…」
続けて花妹は竜男とチーリンから聞いた美波間島に来るまでの諒太の半生を江江に語して聞かせた。
「真田さんにはそんなことが…」
江江はため息混じりに目を落とした。
「志玲はそんな真田さんとこの島で暮らすうちに人間にとって本当の幸せとは何かということに気づいたんだと思う…」
「人として本当の幸せ…か。
でも花妹、この先志玲をどうするつもりなの?
このままって訳にはいかないでしょう?」
「志玲の気持ちを一番に考えてやりたいとは思うんだけど、このまま呂威社長が大人しく黙っているなんてあり得ない…わたしもこれからどうすべきか考えてあぐねていたの江江…」
「花妹、一度台湾に戻って私と一緒に闘ってくれない?
私もジャーナリストの端くれとして嘘がまかり通るこんな状況を許しておけない。様々なところで台北東海公司の不正は揉み消されている。
人々に真実を伝えることが志玲をそして真田さんを助けることになるはずよ。私が必ず呂威社長を追い詰めてみせる!」
江江は両手でしっかりと花妹の手を取った。
「わかった!」
花妹も力強く江江の手を握り返した。
ー台北東海公司部長室ー
「上手くいきましたね黄部長」
「ああ…マスコミなんざスポンサー契約を打ち切ると脅してやれば何でも言うことをきく。君の妙案ぴたりとはまったな。まさかFake newsを垂れ流すとはな…考えたものだ。
事務所を買収し、徐の老いぼれを追い出して君を事務所社長に押した私の立場もなんとか保つことができたよ陳くん」
「ありがとうございます。なにせスキャンダルは蔡志玲の女優としてのイメージダウンにつながりますからね。
真田を悪役にすることで世論は一気に志玲に対して同情に傾きましたからね…」
「その通りだ。志玲は芸能部門の一番の稼ぎ頭であり、我が社の大事な商品だからな。それで志玲のその後の動きはどうなんだ?」
「説得の為マネージャーの張 花妹を送りましたが未だ動きはありません。話によると志玲は現在真田の家からどこかほかへ移っているという情報が入っています。但し島から出たという報告はありません」
「志玲が台湾を出てからもう二カ月だ。とりあえず呂社長には現状を報告せねばならん。今までと同様マスコミは私が抑える。君は何かあれば逐一私に報告したまえ」
「はい」
「そういえば事務所に新しい女優の卵が入ったと聞いたぞ」
「李娜のことですね。さすが黄部長お耳が早い。
今年田舎から出てきた17歳の色白で綺麗な娘ですよ」
「それはそれは。早いうちに私の元に連れて来たまえ。それが女優として大成する早道だからな」
黄は脂ぎった顔でニヤリと笑った。
「部長もお好きですねぇ」
陳はいやらしく笑った。
「勘違いしてもらっては困るよ君。私が個人的に演技指導してやろうというんだ。ふふふ」
「黄部長自ら演技指導を?なるほど…それは熱が入りそうですね」
ハハハハ…
二人は豪快に笑った。
ー
それから花妹は少しの間台湾に戻るとだけ諒太に告げ、チーリンには全ての事情を告げ江江、陽と共に美波間島を後にした。
翌日…
美波間島は朝から肌寒い陽気となった。 海から吹き込む風は冷たく、波は高まりこの日のフェリーの運航は全て欠航と決まった。
今日は海を渡って報道陣が来ることはない。
諒太は涼しいなか午前の仕事を終わらせ自宅に戻った。
居間に入ると諒太が以前寒い日にあげた紺のパーカーを着てチーリンが一人佇んでいた。チーリンが諒太の家に帰ってくるのは久しぶりのことである。
諒太の帰宅に気づいたチーリンは表情をぱっと明るくした。
しかし、諒太にはチーリンの姿は以前と比べ少しやつれたように感じた。
「諒太さん」
一度は笑顔を見せたチーリンだが、諒太の顔を見るといまにも泣き出しそうな表情に変わった。
「チーリン … 久しぶりだね…
あ!そういえばこの間、さんご荘の比嘉さんからコロンビア産のコーヒーをわけてもらったんだ。何でも馴染みのお客さんからのお土産だって。今から淹れてあげるよ。コーヒー好きだろ?」
諒太はあえて暗い話題に触れないようにチーリンに背を向けて台所に立ちコーヒーを淹れ始めた。
「諒太さん…私のせいで迷惑かけてしまって…ごめんなさい…
島の皆さんにも…」
チーリンは諒太の後ろに立つと震える声で必死に言葉を繋いだ。
「迷惑だなんて思っちゃいない…
俺も島のみんなだって君の味方だよ…」
諒太はチーリンに心配かけまいと微笑した横顔を向けコーヒーを淹れる手を休めずに背を向けたまま答えた。
「私… 私…」
チーリンは思い詰めたようにうつむいた。
「ほら、いい香りがしてきただろ?
俺はブラックが好きなんだ。
君はどうす…
⁈
その刹那…
チーリンは諒太の背中に抱きついた…
(チーリン…)
諒太はその手を止めた…
「台湾を離れて美波間島に来てからの日々…
私にとって毎日が宝物のように尊い時間だった…
優しい島のみんなと出会えたこと…
そして諒太さん…あなたに巡り合えたこと…
私は…あなたに出会って変わったの…」
諒太は口を開くこともなく目の前の一点を見つめたまま振り返ることもせずに背中でチーリンの言葉を聞いた。
「私はここであなたと過ごした日々を想い出にしたくない…
女優を辞めてもいい…
名声もお金も財産も何もいらない…
これからもあなたとここで暮らせるのなら…
…何もいらない
あなたとふたりきり…ここで…
私…ずっと自分の気持ちに素直になれなかった…
でも…いまなら言える…
あの洞窟の中であなたの瞳を見たとき…はっきりわかったの…
自分の本当の気持ちに…
諒太さん…私は…
私は…あなたが好き…」
諒太は背中にチーリンの頰の温もりを感じた。
「チーリン…俺は…
諒太が自分の気持ちを伝えようと顔を上げ振り向こうとしたまさにその時であった。
バリバリバリ!
目の前の窓ガラスが震え、勢いよく砂埃が上がるのが見て取れた。
大きく木々が揺れ、尋常ではない轟音が響いた。
諒太が目を凝らして台所の窓から外を見ると砂埃の中真っ黒に塗装されたヘリが超低空飛行で目の前を高速で横切っていった。
ドクターヘリや自衛隊のヘリではない。何故なら民家の上空をあんなに低空で飛行することなどありえないからだ。
そして時間を置かずけたたましく電話のベルが鳴り響いた。
電話に近いチーリンは廊下に走った。
「瞳さん⁈」
チーリンが電話に出るとその雰囲気にただ事ではない空気を感じとった。
「もしもしチーリンさん⁈
今すぐそこから出て諒太さんとどこかに隠れて!
あいつらが! あいつらがやって来たの! 早く!早くそこから逃げて!
ーーー
嫌!離して!
そこで瞳の電話が切れた。
「瞳ちゃんがどうかしたの⁈」
チーリンは諒太の言葉に答えることもなく勢いよく家の外に出ると一気に駆けだした。
諒太もチーリンの後を追って駆けた。
チーリンの向かった役場のヘリポートには先程の黒いヘリが着陸していた。ローターはゆっくりと回り、まだエンジンはかかったままだ。
「チーリンさん来ちゃだめ‼︎」
ヘリの傍らで瞳が大きな男に押さえられながら必死に叫んでいた。
「瞳さんを離して!」
勢いよく走り込んだチーリンの体を別の男が押さえた。
「離して!」
チーリンは必死で抵抗したが男の力に敵うはずもなかった。
「お前ら!」
チーリンの後に走り込んだ諒太の前に体重180kgはありそうなまるで関取を思わせる巨漢が立ちはだかった。
「フッ、サナダ…お前のほうから来るとはな。手間が省けたぜ」
巨漢男は片言の日本語で不敵に笑った。男は刺青の入ったスキンヘッドの頭に真っ黒なサングラスをかけていて表情を読み解くことができない。
諒太は周囲を見渡した。
瞳を押さえる大男はモヒカン頭にサングラスをかけ、まるで泥棒のようなひげを蓄えていた。この男も身長が190センチをはるかに超えていると思われるほどの大男で、胸板が厚くガッチリとした体型はまるでレスラーのようである。
そしてチーリンを力ずくで押さえる男は金髪をオールバックにした白人であった。この男も同様に黒いサングラスをかけ、背格好は諒太とさほど変わらないが、諒太はこの男の雰囲気に常人とは異なるただならぬ空気を感じとった。三人全てがご丁寧に上下黒のスーツを纏い、黒のタイにシャツと靴まで真っ黒とまるで葬列にでも参加するかのような風体であった。
建物の陰には村役場のパート職員の我那覇道子と宮里志乃が恐怖に慄いた表情で身を小さくしていた。
男性職員の砂川はどこかに出かけているようで見当たらない。
この連中がヘリで台湾から無許可で国境を越えて侵入してきたことは疑いようがなかった。
「嫌!離して!」
男に捕らわれている瞳とチーリンは男の腕を解こうと必死に抵抗している。
「彼女たちを離せ!」
諒太は巨漢男に向かっていった。
諒太も182センチの身長があり、決して小さいわけではないのだが、巨漢男を前にするとまるで大人に向かう中学生のように見える。
「おっと。あまりしゃしゃり出ない方がいいぜサナダ。呂社長は会社の所有物である蔡志玲をお前に断りもなく利用されていることに大変ご立腹だ」
巨漢男はヘリのほうに目線を送った。そういえばよく見ると先程からヘリの操縦席のパイロットの横でサングラスにヘッドセットを付けた男がニヤニヤしながらこちらを見ている。
(あれが呂威社長…なのか? )
諒太はこのような乱暴なことをする呂威のやり方に憤慨した。
「ふざけるな!チーリンは会社の所有物なんかじゃない!」
諒太は怒りで拳を握り巨漢男に近づいていった。
「それ以上近づくなサナダ!」
巨漢男は瞳を押さえる男に目配せをした。
「離してよ!」
瞳を押さえるモヒカン男の太い腕が背後からまるでアナコンダのように瞳のか細い首に巻きついていた。
クッ…
諒太は唇を噛んだ。
「諒太さん!私のことはいいからチーリンさんを助けて‼︎」
瞳は首を締め上げられながら絶叫した。
「黙れ女‼︎」
モヒカン男がその太い腕で更に瞳の首を締め上げた。瞳は苦しそうに身動きひとつ取れないでいる。
「よせ! 乱暴なことはするな!」
「おい、俺たちだってなるべくことを荒立てることはしたくねぇんだ。お前がこのまま大人しく蔡志玲を引き渡せば呂社長はこの島の開発計画を白紙に戻してもいいと仰っている。どうするサナダ?」
巨漢男は諒太の目の前で不敵な笑みを浮かべた。
(な…に…?
島の開発から手を引くだと…)
諒太の目が一瞬泳いだ。
諒太の中で様々な思いが交錯した。
「そんな男の言葉を信じないで!
諒太さんチーリンさんを行かせてはダメー!」
懸命な瞳の言葉にも諒太の体が動くことはなかった…
チーリンは金髪白人男に押さえられながらヘリの大きなエンジン音にかき消されてもなお必死に諒太の名前を叫び続けている。
「時間切れだサナダ。こんな場所にいつまでもいたくないからな」
嫌がるチーリンを金髪白人男は力ずくでヘリに押し込めた。
諒太はその光景をただ呆然と見ていた。
「腰抜けめ!」
巨漢男は諒太の胸をついた。
勢いで諒太は後ろに倒れて尻もちをついた。
巨漢男は地面に唾を吐き、モヒカン男は瞳を乱暴につき飛ばすと二人はヘリに乗り込んだ。
そして無情にもチーリンを乗せた黒いヘリは砂埃を舞い上げ上昇していく。
「諒太さんどうして…」
瞳は涙を流しながらその場にへたれこんだ。
「諒太さん!諒太さん!」
チーリンはヘリの窓にへばりつきながら諒太の名前を叫び続けた。
ヘリはさらに高度を上げていく…
紀藤医師と一緒に大絆の出産を手伝った分校…
アントニーとマイケル親子がキャッチボールをした校庭…
源一たち漁師たちと楽しい時間を過ごした居酒屋海人…
食材を買い出しに行った国吉商店…
厩舎で汗をかき、諒太と一緒に馬を走らせた津嘉山の牧場…
諒太と大きなおにぎりを頬張り、ラムネを飲んだ海の展望台…
サトウキビ畑…
漁港…
島にやってきて最初に降り立ったフェリーの波止場…
諒太と釣りをした防波堤…
みうを助けた白く美しい砂浜…
そして…二ヵ月余りを過ごした諒太の家…
懐かしい風景がどんどん小さくなっていく…
いつしか風景は海が見えるだけとなり島の姿は視界から消えた…
(諒太さん…)
チーリンは窓に頭をもたれながら涙で滲んで見えるコバルトブルー色の海を気が抜けたようにただ見つめた…
諒太は呆然とチーリンを乗せたヘリが飛び去った後の空を見つめ続けた。いつしか曇天の空からは小雨が降り出していた。
美波間島の長い夏は終わろうとしていた…
諒太は二人に声を掛けると台所に一人立った。
江江と陽はキョロキョロと周りを見渡した。 あまりに何もない部屋の佇まいに二人は拍子抜けした。他に人の気配はないし、宗教関連の道具などどこにもない。贅沢な物など見当たらないし、そこにあるのは質素な古い民家に住む一人の男の姿のみである。
(やはりでっち上げの記事だったのね…)
江江と陽は目を合わせた。
しばらくするとちゃぶ台の上に見たことのない料理が運ばれてきた。
「スパムとゴーヤのソーミンチャンプルーだ。あんたたちの口に合うかどうかは保証はしないぞ」
諒太は苦笑しながら言った。
「真田さん、私たちのためにわざわざ作って頂いてありがとうこざいます」
江江は頭を下げた。
「構わないさ。どんな思想や考えを持っていたとしても人間は腹が減るものだからな。ほら、彼もう我慢出来ないようだよ」
陽は目を輝かせ目の前の麺を見つめている。
「チーフ!真田さんにこれ食べていいか聞いてください」
江江は日本語に訳して諒太に聞いた。
「ああ、もちろんさ」
諒太はジェスチャーで食べる仕草をして見せた。
途端に陽は麺を勢いよくすすり始めた。
「美味い!美味いよチーフ!」
陽はこちらを見ている諒太に対して親指を立ててニコっと笑うと美味しそうに再び麺をすすりはじめた。
「彼、面白いね。さあ、江江さんも冷めないうちにどうぞ」
諒太は穏やかな顔で料理を勧めた。
「ありがとうございます」
江江も諒太の厚意に甘えることにした。
「とても美味しいです。陽もとても良い味だと言っています」
「よかったな…」
諒太は片手に麦茶の入ったグラスを手に取って静かに立ち上がると二人に背を向けて縁側に座った。
江江は庭を向く諒太の背中を見つめた。
(真田さんにとってあれだけ酷いことを書いたマスコミは憎い相手のはず…なのに家にまで上げてくれて御飯まで…)
江江はズバリと聞いた。
「真田さん、私にはとても貴方が報道されているような人物には思えません。今日話を聞いた島の人たちもなかなか私たちに口を開いてくれませんでしたが、貴方を悪く言う人は誰一人いませんでした。むしろ貴方に感謝しているという声ばかりでした。貴方はどうして何も話そうとしないのですか?」
…
しばらくの沈黙の後、諒太は口を開いた。
「俺が新興宗教の教祖だとか暴力運動家だとか報道されているのは耳にしている…
確かにそんな事は事実じゃない…
だけど…目の前で妻子を見殺しにしたってことは全く嘘ということではないんだ…」
諒太は右手に持つグラスに目を落とした。
「だけど、そうだったとしても捏造報道に関しては反論すべきじゃないでしょうか?」
「俺が余計な口を挟む事で世間に要らぬ誤解を与えたくはない…」
「要らぬ誤解? 真田さん…それはもしかして蔡志玲のことを言っているんじゃないのですか?」
諒太は江江の質問に答えることはなく無言で空を見続けてた。
夜空には無数の星が瞬いている…
「こんばんは真田さん。中にいるのは竜男さん?」
暗がりの中、裏口から庭にまわり、花妹が縁側に座る諒太の目の前に現れた。
「あなた張花妹じゃない⁈」
江江は急に立ち上がると中国語で大きな声をあげた。花妹は居間から漏れる逆光の灯りのなかしばらく江江の顔を目を細めて見ていたが、記憶が合致したのか驚いたように声を上げた。
「え⁈ 江江⁉︎」
二人は抱きつかんばかりに喜びを隠さなかった。
「知り合いなの?」
諒太は花妹に聞いた。
「はい!私たち台北放送大学の同級生なんです。お互い報道関係の仕事を目指して当時一緒に日本語学科のカリキュラムを勉強していたんです。私は卒業してから違う道に進んだけど、江江は台湾でも有名な報道キャスターになったんです。会うのはもう同窓会以来15年ぶり…」
「花妹あなたがどうしてここにいるの?」
江江は我に返って尋ねた。
「え⁈…わたしは… その…
江江こそどうして?」
花妹は江江から目を逸らし質問を質問で返した。
「私は社命で真田さんの取材に来たの」
「真田さんの?」
「私は今、玉山通信という通信社でジャーナリストとして働いているんだけど、いまマスコミで真田さんについて報道されていることが事実なのかどうか確かめに来たの」
「なぜそんなことを?」
「我が社ではずっと台北東海公司の不正を追っているんだけど、今回の報道も裏で彼等の圧力があるんじゃないかというのがうちの編集長の見立なの。彼等を追い詰める何か糸口でもあればと思って真実を確かめにここに来たのよ」
花妹はしばらく口を噤んでいたが思い切ったように口を開いた。
「実は…わたし三年前から蔡志玲のマネージャーをしているの…
台北東海公司はいまや私たちの事務所の親会社…
志玲が台湾を離れここ美波間島に来た理由も会社の横暴なやり方が原因なの…」
「花妹…あなたが志玲のマネージャーをしていたなんて…」
江江は驚きを隠せなかった。
「こんな場所で立ち話をしてないで中に入ったら? 今日はもうフェリーはないことだし、ここに泊まって部屋で話せばいい。15年ぶりに話すんでしょ?」
中国語で語り合う二人を諒太は家に誘った。
諒太は陽に一部屋と江江、花妹のために一部屋のふた部屋用意した。
江江と陽はせめてもと自分たちで食べた食器を洗うため台所に立った。
その間、花妹は諒太と二人で空き部屋に入り布団の準備を始めた。
「花妹さん…チーリンの具合はどうですか?」
「いま横になっています。
だいぶ精神的に疲れているみたい…
自分のせいで真田さんをはじめ島の皆さんに迷惑をかけてしまっているって自らを責めてろくに食事もとらずに…
…
それから…真田さんのこの家に戻りたいって…このところ口数も少なく落ち込んでる様子で…」
花妹は溜息まじりに肩を落とした。
モラルのかけらもないしつこいマスコミの目から逃れるためチーリンは花妹とともに清子オバーの家に移っているのだが、このところあまり体調が優れない日々が続いていた。
普段陽気なチーリンがそんな状態になっていることに諒太も胸が痛んだ。
「ねえ真田さん、いまチーリンを元気づけてあげられるのは他の誰でもない貴方だけしかいない。
きっとチーリンはそれを望んでいると思う。
彼女、眠っている時もうなされるように貴方の名前を囁いているのよ…
諒太さん…諒太さん…って…
真田さん…きっとチーリンは…
花妹は諒太の目を正面に見据えた。
「他に何か手伝いましょうか?」
諒太が口を開こうとしたと同時に陽が顔を出した。
諒太は陽の声に静かに立ち上がると陽の脇を抜け部屋から出て行った。
「真田さんどうしたんすか?
なんか思い詰めたような顔してましたけど?」
ぽかんとした表情で陽は花妹に聞いた。
「なんでもないわ…」
花妹は顔をそらせた。
その後、花妹と江江は夜を徹して膝を交え話し合った。最初はお互い懐かしさのあまり身の上話に盛り上がったが、夜も更けたころ花妹は真剣な顔になって江江と向き合った。花妹は事務所が台北東海公司に買収されてからの実状を隠すことなく江江に語った。また江江はこれまで自らの取材で明らかになった社会に報道されていない台北東海公司の手段を選ばない遣り口について赤裸々に語った。そして話題はチーリンと諒太のことに及んだ。
「花妹、志玲が美波間島に来た理由はわかったわ。ここで真田さんに助けられたことも。真田さんはどうしてマスコミに反論しないのかしら?
彼さっきは要らぬ誤解は与えたくないって言っていたけど…
このままだと真田さん自分の名誉を保つことができないじゃない?」
「江江…真田さんってああいう人なのよ…」
花妹は目を細め遠くを見つめた。
「え…?」
「いつも自分のことより周りの人のことを考えてる…自分の名誉なんてものに全然こだわっていないの…
今回のことだって女優としての志玲の立場を守ろうと何も語らず自らマスコミの矢面に立って捏造報道を甘んじて受けている…
そういう人なの真田さんは…」
続けて花妹は竜男とチーリンから聞いた美波間島に来るまでの諒太の半生を江江に語して聞かせた。
「真田さんにはそんなことが…」
江江はため息混じりに目を落とした。
「志玲はそんな真田さんとこの島で暮らすうちに人間にとって本当の幸せとは何かということに気づいたんだと思う…」
「人として本当の幸せ…か。
でも花妹、この先志玲をどうするつもりなの?
このままって訳にはいかないでしょう?」
「志玲の気持ちを一番に考えてやりたいとは思うんだけど、このまま呂威社長が大人しく黙っているなんてあり得ない…わたしもこれからどうすべきか考えてあぐねていたの江江…」
「花妹、一度台湾に戻って私と一緒に闘ってくれない?
私もジャーナリストの端くれとして嘘がまかり通るこんな状況を許しておけない。様々なところで台北東海公司の不正は揉み消されている。
人々に真実を伝えることが志玲をそして真田さんを助けることになるはずよ。私が必ず呂威社長を追い詰めてみせる!」
江江は両手でしっかりと花妹の手を取った。
「わかった!」
花妹も力強く江江の手を握り返した。
ー台北東海公司部長室ー
「上手くいきましたね黄部長」
「ああ…マスコミなんざスポンサー契約を打ち切ると脅してやれば何でも言うことをきく。君の妙案ぴたりとはまったな。まさかFake newsを垂れ流すとはな…考えたものだ。
事務所を買収し、徐の老いぼれを追い出して君を事務所社長に押した私の立場もなんとか保つことができたよ陳くん」
「ありがとうございます。なにせスキャンダルは蔡志玲の女優としてのイメージダウンにつながりますからね。
真田を悪役にすることで世論は一気に志玲に対して同情に傾きましたからね…」
「その通りだ。志玲は芸能部門の一番の稼ぎ頭であり、我が社の大事な商品だからな。それで志玲のその後の動きはどうなんだ?」
「説得の為マネージャーの張 花妹を送りましたが未だ動きはありません。話によると志玲は現在真田の家からどこかほかへ移っているという情報が入っています。但し島から出たという報告はありません」
「志玲が台湾を出てからもう二カ月だ。とりあえず呂社長には現状を報告せねばならん。今までと同様マスコミは私が抑える。君は何かあれば逐一私に報告したまえ」
「はい」
「そういえば事務所に新しい女優の卵が入ったと聞いたぞ」
「李娜のことですね。さすが黄部長お耳が早い。
今年田舎から出てきた17歳の色白で綺麗な娘ですよ」
「それはそれは。早いうちに私の元に連れて来たまえ。それが女優として大成する早道だからな」
黄は脂ぎった顔でニヤリと笑った。
「部長もお好きですねぇ」
陳はいやらしく笑った。
「勘違いしてもらっては困るよ君。私が個人的に演技指導してやろうというんだ。ふふふ」
「黄部長自ら演技指導を?なるほど…それは熱が入りそうですね」
ハハハハ…
二人は豪快に笑った。
ー
それから花妹は少しの間台湾に戻るとだけ諒太に告げ、チーリンには全ての事情を告げ江江、陽と共に美波間島を後にした。
翌日…
美波間島は朝から肌寒い陽気となった。 海から吹き込む風は冷たく、波は高まりこの日のフェリーの運航は全て欠航と決まった。
今日は海を渡って報道陣が来ることはない。
諒太は涼しいなか午前の仕事を終わらせ自宅に戻った。
居間に入ると諒太が以前寒い日にあげた紺のパーカーを着てチーリンが一人佇んでいた。チーリンが諒太の家に帰ってくるのは久しぶりのことである。
諒太の帰宅に気づいたチーリンは表情をぱっと明るくした。
しかし、諒太にはチーリンの姿は以前と比べ少しやつれたように感じた。
「諒太さん」
一度は笑顔を見せたチーリンだが、諒太の顔を見るといまにも泣き出しそうな表情に変わった。
「チーリン … 久しぶりだね…
あ!そういえばこの間、さんご荘の比嘉さんからコロンビア産のコーヒーをわけてもらったんだ。何でも馴染みのお客さんからのお土産だって。今から淹れてあげるよ。コーヒー好きだろ?」
諒太はあえて暗い話題に触れないようにチーリンに背を向けて台所に立ちコーヒーを淹れ始めた。
「諒太さん…私のせいで迷惑かけてしまって…ごめんなさい…
島の皆さんにも…」
チーリンは諒太の後ろに立つと震える声で必死に言葉を繋いだ。
「迷惑だなんて思っちゃいない…
俺も島のみんなだって君の味方だよ…」
諒太はチーリンに心配かけまいと微笑した横顔を向けコーヒーを淹れる手を休めずに背を向けたまま答えた。
「私… 私…」
チーリンは思い詰めたようにうつむいた。
「ほら、いい香りがしてきただろ?
俺はブラックが好きなんだ。
君はどうす…
⁈
その刹那…
チーリンは諒太の背中に抱きついた…
(チーリン…)
諒太はその手を止めた…
「台湾を離れて美波間島に来てからの日々…
私にとって毎日が宝物のように尊い時間だった…
優しい島のみんなと出会えたこと…
そして諒太さん…あなたに巡り合えたこと…
私は…あなたに出会って変わったの…」
諒太は口を開くこともなく目の前の一点を見つめたまま振り返ることもせずに背中でチーリンの言葉を聞いた。
「私はここであなたと過ごした日々を想い出にしたくない…
女優を辞めてもいい…
名声もお金も財産も何もいらない…
これからもあなたとここで暮らせるのなら…
…何もいらない
あなたとふたりきり…ここで…
私…ずっと自分の気持ちに素直になれなかった…
でも…いまなら言える…
あの洞窟の中であなたの瞳を見たとき…はっきりわかったの…
自分の本当の気持ちに…
諒太さん…私は…
私は…あなたが好き…」
諒太は背中にチーリンの頰の温もりを感じた。
「チーリン…俺は…
諒太が自分の気持ちを伝えようと顔を上げ振り向こうとしたまさにその時であった。
バリバリバリ!
目の前の窓ガラスが震え、勢いよく砂埃が上がるのが見て取れた。
大きく木々が揺れ、尋常ではない轟音が響いた。
諒太が目を凝らして台所の窓から外を見ると砂埃の中真っ黒に塗装されたヘリが超低空飛行で目の前を高速で横切っていった。
ドクターヘリや自衛隊のヘリではない。何故なら民家の上空をあんなに低空で飛行することなどありえないからだ。
そして時間を置かずけたたましく電話のベルが鳴り響いた。
電話に近いチーリンは廊下に走った。
「瞳さん⁈」
チーリンが電話に出るとその雰囲気にただ事ではない空気を感じとった。
「もしもしチーリンさん⁈
今すぐそこから出て諒太さんとどこかに隠れて!
あいつらが! あいつらがやって来たの! 早く!早くそこから逃げて!
ーーー
嫌!離して!
そこで瞳の電話が切れた。
「瞳ちゃんがどうかしたの⁈」
チーリンは諒太の言葉に答えることもなく勢いよく家の外に出ると一気に駆けだした。
諒太もチーリンの後を追って駆けた。
チーリンの向かった役場のヘリポートには先程の黒いヘリが着陸していた。ローターはゆっくりと回り、まだエンジンはかかったままだ。
「チーリンさん来ちゃだめ‼︎」
ヘリの傍らで瞳が大きな男に押さえられながら必死に叫んでいた。
「瞳さんを離して!」
勢いよく走り込んだチーリンの体を別の男が押さえた。
「離して!」
チーリンは必死で抵抗したが男の力に敵うはずもなかった。
「お前ら!」
チーリンの後に走り込んだ諒太の前に体重180kgはありそうなまるで関取を思わせる巨漢が立ちはだかった。
「フッ、サナダ…お前のほうから来るとはな。手間が省けたぜ」
巨漢男は片言の日本語で不敵に笑った。男は刺青の入ったスキンヘッドの頭に真っ黒なサングラスをかけていて表情を読み解くことができない。
諒太は周囲を見渡した。
瞳を押さえる大男はモヒカン頭にサングラスをかけ、まるで泥棒のようなひげを蓄えていた。この男も身長が190センチをはるかに超えていると思われるほどの大男で、胸板が厚くガッチリとした体型はまるでレスラーのようである。
そしてチーリンを力ずくで押さえる男は金髪をオールバックにした白人であった。この男も同様に黒いサングラスをかけ、背格好は諒太とさほど変わらないが、諒太はこの男の雰囲気に常人とは異なるただならぬ空気を感じとった。三人全てがご丁寧に上下黒のスーツを纏い、黒のタイにシャツと靴まで真っ黒とまるで葬列にでも参加するかのような風体であった。
建物の陰には村役場のパート職員の我那覇道子と宮里志乃が恐怖に慄いた表情で身を小さくしていた。
男性職員の砂川はどこかに出かけているようで見当たらない。
この連中がヘリで台湾から無許可で国境を越えて侵入してきたことは疑いようがなかった。
「嫌!離して!」
男に捕らわれている瞳とチーリンは男の腕を解こうと必死に抵抗している。
「彼女たちを離せ!」
諒太は巨漢男に向かっていった。
諒太も182センチの身長があり、決して小さいわけではないのだが、巨漢男を前にするとまるで大人に向かう中学生のように見える。
「おっと。あまりしゃしゃり出ない方がいいぜサナダ。呂社長は会社の所有物である蔡志玲をお前に断りもなく利用されていることに大変ご立腹だ」
巨漢男はヘリのほうに目線を送った。そういえばよく見ると先程からヘリの操縦席のパイロットの横でサングラスにヘッドセットを付けた男がニヤニヤしながらこちらを見ている。
(あれが呂威社長…なのか? )
諒太はこのような乱暴なことをする呂威のやり方に憤慨した。
「ふざけるな!チーリンは会社の所有物なんかじゃない!」
諒太は怒りで拳を握り巨漢男に近づいていった。
「それ以上近づくなサナダ!」
巨漢男は瞳を押さえる男に目配せをした。
「離してよ!」
瞳を押さえるモヒカン男の太い腕が背後からまるでアナコンダのように瞳のか細い首に巻きついていた。
クッ…
諒太は唇を噛んだ。
「諒太さん!私のことはいいからチーリンさんを助けて‼︎」
瞳は首を締め上げられながら絶叫した。
「黙れ女‼︎」
モヒカン男がその太い腕で更に瞳の首を締め上げた。瞳は苦しそうに身動きひとつ取れないでいる。
「よせ! 乱暴なことはするな!」
「おい、俺たちだってなるべくことを荒立てることはしたくねぇんだ。お前がこのまま大人しく蔡志玲を引き渡せば呂社長はこの島の開発計画を白紙に戻してもいいと仰っている。どうするサナダ?」
巨漢男は諒太の目の前で不敵な笑みを浮かべた。
(な…に…?
島の開発から手を引くだと…)
諒太の目が一瞬泳いだ。
諒太の中で様々な思いが交錯した。
「そんな男の言葉を信じないで!
諒太さんチーリンさんを行かせてはダメー!」
懸命な瞳の言葉にも諒太の体が動くことはなかった…
チーリンは金髪白人男に押さえられながらヘリの大きなエンジン音にかき消されてもなお必死に諒太の名前を叫び続けている。
「時間切れだサナダ。こんな場所にいつまでもいたくないからな」
嫌がるチーリンを金髪白人男は力ずくでヘリに押し込めた。
諒太はその光景をただ呆然と見ていた。
「腰抜けめ!」
巨漢男は諒太の胸をついた。
勢いで諒太は後ろに倒れて尻もちをついた。
巨漢男は地面に唾を吐き、モヒカン男は瞳を乱暴につき飛ばすと二人はヘリに乗り込んだ。
そして無情にもチーリンを乗せた黒いヘリは砂埃を舞い上げ上昇していく。
「諒太さんどうして…」
瞳は涙を流しながらその場にへたれこんだ。
「諒太さん!諒太さん!」
チーリンはヘリの窓にへばりつきながら諒太の名前を叫び続けた。
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諒太と釣りをした防波堤…
みうを助けた白く美しい砂浜…
そして…二ヵ月余りを過ごした諒太の家…
懐かしい風景がどんどん小さくなっていく…
いつしか風景は海が見えるだけとなり島の姿は視界から消えた…
(諒太さん…)
チーリンは窓に頭をもたれながら涙で滲んで見えるコバルトブルー色の海を気が抜けたようにただ見つめた…
諒太は呆然とチーリンを乗せたヘリが飛び去った後の空を見つめ続けた。いつしか曇天の空からは小雨が降り出していた。
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