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20 素顔のままで
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絹の葬儀も終わりここ数日美波間島は穏やかな日々が続いていた。
ある昼下がりチーリンは普段とは違う格好で諒太がふらりと庭から出かけようとするのを見かけた。
チーリンは急いで追いかけると諒太の背中に声をかけた。
「真田さんどこに行くの?」
諒太は背中を向けたまま手に持っている釣り竿を上げて言った。
「釣り」
「私も連れて行ってください!」
「やったことあるのか?」
諒太は振り返って聞いた。
「ないです」
「素人に釣れるもんか」
「そんなのやってみないとわからないじゃない」
「まったく…」
諒太は溜息をついて納屋からもう一本竿を出してチーリンに渡した。
「それからほら」
諒太は普段自分が使っている麦わら帽子をチーリンの頭に片手で無造作に被せた。
「海は紫外線が強いからな」
諒太の麦わら帽子はチーリンには少しだけ大きかったがチーリンはなんだか嬉しくなって白い歯を見せてにこっと笑った。
フン…
諒太は微笑すると先を歩いて行った。
チーリンはこの日、白いノースリーブのワンピースを着て諒太の麦わら帽子を被り、足はサンダルという清楚な格好である。
一方の諒太は頭には楽天イーグルスのキャップを被り、白のTシャツに紺の短パンにビーチサンダルと簡単な格好であった。
チーリンはドラマの役の中で釣りをするふりをしたことはあっても実生活でしかも海で釣りをしたことなど今までの人生で一度も無かった。
家と海岸の間にある土手をしばらく歩いて海に突き出したコンクリートで出来た防波堤の突端までくると諒太は腰を下ろした。波は比較的穏やかで、海の中を覗くと透明度の高い水の中に小さな魚が泳いでいるのが見える。
チーリンも諒太と並んで腰を下ろした。
「あんまり近づくなよ。
糸が絡んじまう」
「だってやり方わからないんだもん」
チーリンは口を尖らせた。
「しょうがないな…」
諒太はブツブツ言いながらもチーリンの仕掛けもこしらえてあげた。
二人同時に海に釣り糸を垂らした。
「魚ってのは釣る人間をみるんだ。
だいたい初心者にそう簡単にかかるもんか。
釣りはそんなに甘くない」
諒太が説教じみたことを言っているとチーリンの竿に早速引きがあった。
「なんか引いてる!
どうすればいいの⁈」
チーリンはパニクった。
「竿をゆっくりたてろ!」
チーリンは諒太に言われた通り竿を立てた。小刻みに竿の先に魚の引く感触が伝わってくる。
諒太はタモ網にチーリンの釣り上げた海面で跳ねる赤い魚を捕まえた。
「オジサンだ」
「おじさん? どこに?」
チーリンは周りを見渡した。
「釣れた魚だよ!
長いヒゲみたいのがあるだろ。
通称オジサンって呼ばれているんだ。刺身やフライにすると美味いぞ」
「やったぁ!
私が釣ったんだよ」
チーリンは初めて釣りあげた魚に大喜びだった。
「まあ…ビギナーズラックっていうのもあるしな…」
諒太はチーリンの竿の釣り針から魚を外しながら負け惜しみを言った。
それからというもの釣れる魚、釣れる魚、全てチーリンの竿にかかった。諒太はチーリンの竿の餌付けと魚を外す作業ばかりさせられたあげく結局自分の竿には全く引きがなかった。
「魚も人を見るのよね~」
チーリンは諒太をからかった。
………。
「つまらん…帰る…」
諒太は道具をしまいだした。
「もうー!」
バケツにいっぱいになった魚を持ってチーリンは諒太の後ろを歩いた。
諒太と一緒に楽しい時間を過ごせてチーリンは満ち足りた気分であった。抜けるような真っ青な青空で強い日差しの中、陽の光を反射してキラキラ光る海からは心地よい風が吹いている。
目の前を歩く諒太の大きな背中を見ながらチーリンはふと思った。
(もし…ここで暮らせたら幸せなんだろうな…)
二人は来た時と同じ土手の上を帰って行くと諒太が突然大きな声を出した。
「マズイ!」
そう叫ぶと釣り道具を放り出して脱兎の如く土手を駆け下り砂浜に走り出した。
「え? なに⁈」
チーリンが諒太の走る方を見ると一人の女性がエアマットに体を横たえて海水浴をしているのが見えた。
チーリンも諒太の後を追って駆け出した。
諒太は大声で叫んだ
「戻れ!
流されるぞ!」
腕を回して必死に戻るよう女にアピールしたが女は何を間違えたのか呑気に手を振って応えた。
「岸に戻って!」
チーリンも声の限界まで叫んだ。
しかし女は気づくこともなく波の間に見え隠れしながら海に浮かんでいる。次第に女の乗るエアマットはどんどん沖の方へ流されて行く。
女も自分が置かれた事態にようやく気づいたようだった。
慌ててバタ足で水面を蹴るが思いとは裏腹に潮に流され沖の方へ流されていった。
「クソ!だめだ…」
諒太はTシャツとビーチサンダルを脱ぐと海の中へ向かって走り出した。
「真田さん⁈」
チーリンの心配をよそに諒太はクロールで必死に女の後を追って泳いだ。諒太は生まれも育ちも海のない地域であったため、波のある海での泳ぎは元来得意な方ではない。
しかし女にとっての命綱はもう諒太しかいない。
幾つもの波をこえて諒太はなんとか女の側まで泳いだ。女は沖に流される恐怖で顔が引きつっていた。
女は近くまできた諒太を見つけると助かったと油断した。エアマットの上で重心を移動した瞬間エアマットがひっくり返った。女は勢いよく海の中に投げ出された。
浜にいるチーリンにもこの光景がはっきりと見えていた。
諒太の頭と明るい茶髪の女の頭が波の間に見え隠れしている。
だが、手前の波に隠れて二人の姿が見えなくなってしまった。しばらく経っても二人の姿は見えない。
チーリンは青くなった。
「お願い! 戻ってきて!」
チーリンは膝をついて祈った。
この時、諒太は海の中に沈んだ女を追って海中にいた。海中で女はもがいている。諒太は冷静に女の背後に回り込むと肘を女の首に回してゆっくりと浮上した。諒太は海面に頭を出すと思いっきり息を吸い込んだ。
女も最初は必死に息をしていたが次第に意識がなくなっていった。
「おい!しっかりしろ!」
諒太は海面上で声をかけたが女の返答はなかった。事態は切迫していたが、ここで女にパニックにかられて暴れられるよりはマシである。
諒太はあえて沖の方向に流れる潮の流れに逆らうことを避け一旦岸と平行に泳いだ。
これはいつか離岸流の対処方法として竜男に教えてもらったことだ。
チーリンからも二人の頭が海面に出たのが確認出来た。こちらの浜に戻ってくるものだと思っていたのに諒太は浜と平行に移動している。
チーリンも諒太の動きにあわせて浜を移動した。
(真田さん頑張って…)
チーリンは心の中で祈った。
諒太は女を小脇に抱え必死に泳いだ。次第に体にかかる潮の流れが変わってきたと感じた。諒太はいよいよ浜に向かって方向を変えた。
もう先ほどまでのような潮の抵抗はない。諒太はこれならいけると思った。体力の限りバタ足で浜に向かって前進した。
膝ほどの浅瀬まで来たときチーリンも海に入って女を砂浜まで引っ張った。諒太は全身ずぶ濡れとなり息が上がっていた。
女は見るからに水商売風の風体で派手な化粧に長いつけまつ毛、ショッキングピンク色のビキニを着けていた。
諒太は意識のない女の口元に自らの耳を近づけた。
「息がない…」
諒太は呟いた。
「嘘…」
チーリンにはこの事態が信じられなかった。
諒太は女の胸に両手を重ねると心臓マッサージを開始した。
1.2.3.4.5.6.
「戻ってこい!」
諒太は女に声をかけた。
続けて女の顎をあげると鼻をつまんでマウストゥーマウスの人工呼吸を施した。
チーリンは何も出来ずにただ見ているほかなかった。
一連の動作を3サイクルほどしたとき女はえづいて口から水を吐き出し咳き込んだ。
チーリンはほっとして諒太を見て微笑んだ。
その瞬間女の腕が伸び諒太の首に巻きつくといきなり唇を重ねてきた。
「あーん…俊輔ぇ」
女は意識が朦朧としているようだった。
「ちょっ…離せ…」
諒太は首に巻きついた女の腕を離そうしたが尚も女は力を入れて離そうとはしない。
しまいには諒太の口に舌を入れようとしてきた。
ウッ…
諒太は目を丸くしてもがいている。
「ちょっとあなた何しているの!
離れなさい!」
チーリンは女に怒鳴った。
チーリンが後ろから羽交い締めにするとようやく諒太から離れた。
命を救うためのマウストゥーマウスなら仕方ないが、目の前での不埒なキスは容認できないチーリンであった。鋭い目付きで女を睨みつけた。
「なーんだ俊輔じゃないじゃん…
なんか眠ーい…」
女は大きなあくびをするとその場で寝入ってしまった。
「何なのこの人?」
「わからん…」
チーリンと諒太は顔を見合わせた。
二人は女を起こそうと声をかけたが起きる様子は全くなかった。
仕方なく釣り道具をチーリンに持ってもらい諒太は女が浜に残した荷物を持つと背中に女を背負って帰路についた。風通しの良い縁側に女を横たえると諒太は居間の壁に背中を預けて座った。慣れない遠泳で疲労した諒太も次第に舟を漕ぎ出した。
もう諒太は色々な意味でぐったりであった。
チーリンは庭に干してある洗濯物を取りこんでいた。
「う-ん… ここどこ?」
女が目覚めたようだ。
「ねぇ、大丈夫?」
女が目覚めたことに気づいたチーリンは声をかけた。
「大丈夫っていうかぁ…
まだ眠いや」
女はあくびをして目を擦りながら周りを見渡していた。
「あなた海で溺れかけたのよ。
覚えている?」
「ああ…なんかだんだん流されちゃってさぁ、ウケるよね。
そーいえばそこの人にキスされちゃった私…きゃははは!」
「あなたからしたんです!」
チーリンは怒った。
「マジ? ま、いいか」
女はケロっと答えた。
「あなた彼に溺れているところを助けてもらったのよ。あの浜は遊泳禁止の危険な場所なの。あのままだったらあなた海の彼方に流されていたのよ」
チーリンはきつい目をして女を諭した。
「だってしょーがないじゃん。
知らなかったんだもーん。
そんなにプンプンしないで」
女はウィンクして舌をみせた。
チーリンは女の態度に呆れた。
「あなたどこから来たの?」
チーリンは怒りを抑えて聞いた。
「東京。 ねぇ、私追いかけて男こなかった?」
「見てないけど…」
「そぉ…あのタコ逃げやがったな。
ねぇ、聞いてよ!
私キャバ嬢してんだけどさぁ、リッチな客と沖縄旅行来たんだけどぉ、途中で喧嘩しちゃってそいついなくなっちゃったんだよ。
今回旅行代あいつもちだからさぁ、与那国まで追いかけてきたんだけど見つかんなくてフェリー乗ったらこんな変なトコに来ちゃったってワケ。それでヤケになっていたらキレイな砂浜見つけて一人で泳いでたんだぁ。そしたら海の中にドボンってうけるよね~
それにしてもどこ行ったんだか、ほんっとあのチビ使えねぇ!」
機関銃のようにまくし立てる女の話をチーリンは唖然として聞いていた。
「あ、私、店じゃしのぶって源氏名なんだぁ。どこが 忍ぶ女なんだかバカみたいでしょ?本当の名前は 田中 みうっていうんだ。あなたは?」
「私は サイ チーリンです…」
「へぇー日本人じゃないんだ。
日本語上手いね~どこの人?」
「台湾です」
「台湾かぁ、行ったことないけど小龍包美味しいよねー
あとマンゴーのかき氷東京でも流行ってるよ」
「あの人も台湾人?」
みうは諒太を指差した。
「いえ、あの人は日本人です」
「ふーん。
あなた達は夫婦なの?」
「違います」
「じゃあ恋人?」
「違います」
「え?何?友達?」
「違います」
「アパートの大家さんとかホームステイ?」
「違います」
「わかんないよ。教えて?」
「私この家に居候しているんです。」
「居候?マジ?
ルームシェアでもないんだ?」
「はい。ここは彼の家です。
家賃も払っていません。彼の厚意でここに居させてもらっています」
「うそー?
男と一つ屋根の下で暮らしていて何かあったりとかないの?」
「何もありません!」
「本当ぉ?」
みうは疑うような目でチーリンを見た。
「ねぇ、彼何て名前?」
「真田諒太さんです」
「私さぁ、ワイルド系の細マッチョ結構好きなんだよねぇ~」
みうはそう言うと眠っている諒太の肩や胸を遠慮もなく勝手に触りだした。
「何だ?」
諒太が起きた。
「もう大丈夫なのか?」
「さっきは助けてくれてサンキューりょーたん」
みうはニコっと笑った。
「りょーたん?」
「そう。諒太だからりょーたん。
私のことはみうって呼んで」
「何がりょーたんだ。くだらん」
「りょーたん怒ったぁ?かわいい!」
諒太は苦々しい顔をしてチーリンを見た。
チーリンはため息まじりに首を横に振ると今までのみうの話をかいつまんで諒太に話した。まだビキニ姿のみうは諒太を上目遣いに見上げた。
大きなメロン位はある豊満な胸の谷間を強調していた。
「とにかく服を着ろ。
冷えて腹を壊すぞ」
「だって暑いんだもん。
ここクーラーもないしさ。
なんもないよねこの家」
「悪かったな。
それであんたこれからどこ行くんだ?」
「みうって呼んでりょーたん。
それがさぁ、帰りの那覇から羽田までの航空券は持ってるんだけど明後日の夜発なんだよねー。
泊まるとことか逃げた男が手配していたから私お金持ってないの。
出発日までここに泊めてくれない? お願いりょーたん」
みうは甘えた声で諒太に迫った。
…
「仕方ない…空いている部屋使え」
チーリンはみうをここに泊めてあげるのは反対だったが、考えもなく美波間島に上陸したこと、諒太に助けられたこと、状況こそ違えど自分と同じ境遇で諒太という人間が人で区別するわけもなく、それをわかっているチーリンは口を出せなかった。
「ありがとう~ りょーたん」
みうは諒太に抱きついた。
「おい、よせ!」
チーリンはそれを横目に見ながら
膨れっ面をして立ち上がった。
「夕ごはん作ってきます!」
チーリンは台所にたった。
「俺も行く!」
慌てて諒太も立ち上がった。
「何作るの– 私も見たい~」
みうも後を追った。
先程チーリンが釣った魚がバケツに入っている。
それを見たみうが声をあげた。
「何これキモ!
こんなグロいの食べるつもり?」
「嫌なら食べなくていいぞ。
そのかわり他に食べるものはないからな。魚が気持ち悪いなら座って休んでいろ」
「はぁぃ…」
諒太に言われてみうはふてくされたように台所を引っ込んだ。
諒太とチーリンは並んで台所に立った。
「おじさんは捌き方が難しいんだ。
チーリンさんは俺が捌いた後フライにしてくれるか?」
「はい」
チーリンは諒太が自分を頼りにしてくれることが嬉しかった。
最初のころのチーリンの料理の腕では考えられないことだっただろう。
諒太は出刃庖丁を操り見事な包丁捌きでオジサンを捌いていった。
チーリンも諒太の指示通り完璧にフライに仕上げた。チーリンの料理の腕は最早安心して見ていられるレベルである。チーリンは同時に清子オバー直伝の味噌汁を瞬く間に作った。諒太はその間オジサンを刺身に仕上げていった。
チーリンは料理の最中、諒太がチーリンの料理の手捌きをチラチラ見ては薄く微笑むのを見逃さなかった。
チーリンは台所に諒太と並んで料理を作れる喜びを感じていた。
出来上がった料理を丸いちゃぶ台に運ぶとみうは驚いた表情で声をあげた。
「すごーい! あのキモい魚がこんなになったの!」
「ああ…今日はチーリンさんが魚を釣って料理も作ってくれたんだ。
有り難く頂戴しないとな」
「そんな…私だけじゃ作れなかったですよ…」
チーリンは顔を赤くして照れた。
「なんかさぁ暑くなっちゃった~」
みうはニヤニヤしながら手のひらで顔を仰く仕草をした。
諒太はそんなことは無視して御飯を食べだした。
じゃあ遠慮なくいただきまーす。
みうも食べ始めた。
オジサンは刺身にしてもフライにしても白身の甘い味でとても食べやすい美味しい魚だった。最初敬遠していたみうも美味しいと喜んで食べていた。チーリンは自分が作った料理を美味しいと食べてもらえることがなにより嬉しかった。女優中心の生活では味わえない喜びであった。
三人は残さず完食した。
「ねぇ?この島にはクラブとかバーとかないのー?」
みうは諒太に聞いた。
「そんなものない」
「じゃあさぁ、この島の人達ってどこで遊ぶの?」
「日が出たら仕事、日が沈んだら寝るんだ」
「何それ?退屈じゃん」
「島の人間は仕事を一生懸命やっている。退屈になることはない」
「ふーん。お酒も飲まないの?」
「酒くらい飲むさ。
海人っていう居酒屋もあるし、晩酌くらいはどこの家でもしている」
「りょーたんも飲む?」
「ああ…なんならビールくらいはあるぞ」
諒太は立ち上がると冷蔵庫からビールとグラスを3つ持ってきた。
「私がやる~」
みうは瓶の蓋を慣れた手つきで開けると諒太のグラスにビールを注いだ。
チーリンは目の前でその光景を見ていて腹立たしく思った。
いつも諒太は手酌で飲んでいたし、チーリンは諒太にお酌をするのは恥ずかしく遠慮があった。それをいとも簡単にみうはやっている。
(私だって仕事で酒宴の席で接待することだってあるのに…
どうして素直に真田さんには出来ないのだろう…?)
「はい、チーリンちゃんもどうぞ~」
みうはチーリンのグラスにもお酌をした。
「あ…ありがとう…」
諒太はお返しにみうのグラスにビールをさりげなく注いだ。
「りょーたんありがとう~」
チーリンはショックだった。
諒太は今日来たばかりの女性にもう心を開きはじめている。
「乾杯しよ!」
みうは陽気に笑った。
三人はグラスをあわせた。
チーリンは複雑な気持ちだった。
「おいちぃー
ねぇ、りょーたんはこの島で育ったの?」
「いや、俺の出身は群馬だ」
「マジー? 私のおばあちゃんち群馬だよ。 確か倉賀野とかいったかなぁ? 私も子供の頃よく遊びに行ったなぁ~」
「そうか…俺はもう少し北の中之条だ」
「へぇ~こんな世界の果てで会えるなんて奇遇だね~」
「世界の果てではなく日本の果てだがな」
その後二人は群馬のローカルの話しを交わした。チーリンは全く話題についていけずただ下を向いて疎外感を味わった。諒太の顔を見ても故郷の話題だけに普段より柔らかい感じがした。
話が途切れたときチーリンの空いたグラスに諒太がビールを注ごうとした。
「いえ、私はもう…」
チーリンは咄嗟に口に出てしまった。
「そうか…」
諒太はビール瓶を持った手を引っ込めた。
私…
真田さんが心を開かないと勝手に決め付けているだけで、本当は私のほうが真田さんに自分を出せていないんじゃないの?…
何の遠慮もなく簡単に人の懐に入ることの出来るみうを見てチーリンは思った。それは羨ましくもあり悔しくもあった。
しかし、なぜ悔しい気持ちが湧き上がるのかまではわからなかった。
それから諒太がシャワーを浴びに浴室に行っている時、チーリンとみうは並んで台所で食器を洗っていた。
「ねぇ?りょーたんは好きな人とかいるのかなぁ?」
みうは唐突に質問してきた。
「さあ…いないんじゃないかな…」
「じゃあさぁ、チーリンちゃんはりょーたんのことどう思ってるの?」
「どうって?…」
「男性として好きなのかなぁって?」
「まさか…」
チーリンはみうに顔を向けずに皿を洗いながら答えた。
「ふーん。
じゃあ私りょーたんにアタックしてもいいかなぁ?りょーたん結構タイプなんだよねー」
みうは顔を崩して笑った。
「好きにすればいいんじゃないですか? 私には関係のないことですから…」
チーリンは冷たく突き放すように言った。
(真田さんがあなたなんか相手にするはずないじゃない!)
チーリンは顔には出さずに心の中で呟いた。
その後みうは諒太に空いている部屋をあてがわれた。
「今日は死にかけたんだ。
無理しないで早く寝ろ」
「はぁぃ」
諒太に言われみうはつまらなそうに返事を返した。
深夜、諒太やチーリンがそれぞれ自室で寝静まったころ家の中に諒太の声が響き渡った。
オワッ!
何事かとチーリンは跳び起き諒太の部屋を覗き込むと寝ている諒太の背中にしがみ付いてみうが寝ていた。
チーリンは諒太の部屋の電気をつけた。
諒太はびっくりして寝ぼけ眼を擦っていた。
「バレたか…」
みうは舌を出して部屋に戻っていった。
はぁ…
チーリンは怒るより呆れていた。
「真田さん…あの娘ここに置いておいて本当に大丈夫?」
「今更出て行けとも言えないしな…」
「そうですね…」
チーリンは不満だったが諒太がそう決断した以上何も言えなかった。
夜が明けて朝になってもみうは深夜の事は無かったかのようにケロっとしたものだった。
「おっはよ! りょーたん!」
洗面所で海岸のごみ拾いから帰ってきて手を洗う諒太の背中をパチンと叩いた。みうはデニムホットパンツに胸には昨日と同じビキニを着けている。茶色の長い髪はきっちり巻き髪をつくっていた。
「りょーたんって何歳になるの?」
「36だ」
「ふーん結構若く見えるね。
私何歳に見える~?」
「さあな…27 ,8ってとこか?」
「本当! 嬉しい~!
もう今年30だよ~
店では25で通しているけどね~
この前なんかさぁー 客に詐欺パネマジかよ!って言われたんだよー
酷くない?
りょーたんはみうのことわかってくれて嬉しい!」
みうは諒太の腕を掴んで寄り添った。
「おはようございます!」
後ろからチーリンの声が聞こえた。
振り返った諒太は驚いた。
いつも家の中ではラフなTシャツ姿が多いチーリンが今日は胸元まで大きく開いたキャミソールを着て立っていたからだ。
長身の上にスタイル抜群で美しいデコルテを強調したチーリンはさすが世界で活躍する女優兼モデルというオーラを醸し出していた。
チーリンは「失礼!」
と二人の間に割り込むと洗顔を始めた。みうは諒太の間を邪魔されたようで気分が悪かった。
朝食の時間もみうとチーリンの微妙な空気は続いた。まるで胸の谷間を競い合うかのように強調しお互いを見合う二人の間に挟まれ諒太は目のやり場に困った。
あの…ここ俺ん家なんだけど…
と喉まで出そうになった諒太であったが、このただならぬ雰囲気の中で口に出す勇気はなかった。
「おーい!諒太いるかぁ⁈」
玄関から竜男の声が聞こえてきた。
「ああ!」
諒太は席を立った。
正直このタイミングで竜男が来てくれて助かったと思った。竜男は発泡スチロールの箱を持って立っている。
「外道の雑魚ばかりだがな、チーリンさんと食べてくれ」
「ありがとう」
諒太は礼を言った。
「かわいい~ お猿さんみたい~」
みうがいつの間にか顔を出していた。
「誰が猿だ!それよりあんた誰⁈」
竜男は訝った。
諒太は竜男を玄関から家の外に引っ張り出し経緯を説明した。
「お前の家はいつから女子寮になったんだ?」
「そんな事にはなっていない。
彼女は明日には島を出る。
それまでのことだ」
「まったく…どこまでお前はお人好しなんだ?」
チーリンが外に出てきていただいた魚のお礼を竜男にした。
「チーリンさん…あなたも色々大変だね」
竜男は同情した。
「私は別に… 真田さんが決めたことですから。
それに真田さんもけっこう楽しそうにしていますしね」
チーリンは諒太をクールに横目で見ながら言った。
諒太はしかめっ面である。
竜男もこの事がもし妹の瞳にでも知れたらまた更にえらい事になると思った。
その時、軽トラが諒太の家の前で勢いよく停まった。
「おい!竜男忘れ物だ!」
源一が竜男の水筒を持って降りてきた。
「おや…チーリンちゃん!
おはよう!今日は一段と色っぽいね~」
源一は猫なで声で挨拶した。
チーリンも笑顔で挨拶を返した。
「ねー?
みんなで何話してんのー!」
みうが外の騒ぎを聞き付け出てきてしまった。
「何だこのねーちゃんは?」
派手な化粧と格好のみうを見て源一はまるで宇宙人でも見るかのように目を丸くしている。
あちゃー源さんに見られた…
竜男は頭を抱えた。
「私、りょーたんの彼女のみうで~す!」
みうは諒太の腕にしがみ付いてピースをした。
「本当か⁈」
源一は信じられないという顔をしてみうを見た後チーリンの方を見た。
チーリンは知らんぷりをした。
「おい!ふざけるな!」
諒太はみうの腕を振りほどいた。
「りょーたん…そんなに否定しなくても… 昨日は一緒に寝たのに…
みう悲しい…」
今度は泣き真似をして源一の傍に行った。
「おい!諒太! こんなかわいい娘を泣かすんじゃねぇ!」
「ちょっと源さん!」
竜男が止めにかかった。
「おじさん、優しいんだね…」
みうは潤んだ瞳で源一を見上げた。
「おうよ!困ったことがあったらこの源さんに任せとけってんだ!」
「こんな野暮ったいイノシシ男は放っておいておじさんと今晩飲みに行くか?」
「行く!行く!」
みうは最初から泣いてなどいない作り泣き顔を急に笑顔に変え源一に甘えた。
「じゃあな、ねーちゃん夕方おじさんが迎えにくるからな、待っていな」
「コラ諒太!女を泣かすんじゃねぇぞ!」
そう言うと源一は軽トラで颯爽と去って行った。
「本当ですよ…」
チーリンは小さく独り言を呟いた。
「じゃあ、諒太俺も帰るわ…」
「待て竜男!もっと話があるよな?」
多分ない…
きっとない…
全然ない…
呪文のように唱えると竜男も速足で帰ってしまった。
残された三人に再び気まずい空気が流れた。
みうが口を開いた。
「ねぇ、目薬欲しいんだけどどっか売っているとこないかなぁ?」
「国吉商店になら売っているぞ。
後で地図を描いてやる」
「みう この島のことなんかわからないよ~
ねぇりょーたん一緒に行こ?」
一瞬諒太はチーリンを見た。
「連れて行ってあげればいいじゃないですか…
みうさん困っているんだし…」
チーリンは諒太に目も合わさずに無愛想に答えた。
「チーリンちゃんもああ言っているんだし行こ!りょーたん」
みうは部屋からハンドバッグを持ってきてから諒太の腕にしがみついた。
「おい!止めろって言っているだろ!」
諒太は口で制止したが無理矢理力ずくで外すことまではしなかった。
「じゃあ…行ってくる…」
諒太とみうは腕を組むかたちで歩きはじめた。
チーリンはおもいっきり二人の背中に向かって舌を出した。
諒太の心の中もなぜか後ろめたい気持ちが支配していた。
チーリンは二人が出掛けた後も気持ちがモヤモヤして晴れることはなかった。昼になっても午後に入っても二人は帰ってこない。
二人とも一体どこで何しているんだろう…
チーリンはすることもなく家の前の土手に腰を下ろして目の前に広がる海を眺めた。綺麗な海でも見れば少しは気分が晴れるだろうと思ったのだが、チーリンの頭には腕を組んで出かけて行く諒太とみうの後姿が浮んでくるのだった。
幹!(バカ!)
チーリンは叫ぶと手元に落ちている石を拾って白い砂浜に向かって投げつけた。
あれ?…
私、何で怒っているんだろ?
馬鹿みたい…
陽の光を反射して輝くエメラルドグリーンの海を飽くことなくチーリンは見つめ続けた。
「おい、そんなところで何やっているんだ?」
チーリンを土手に見つけた諒太が下の道から声をかけた。
夕方になり諒太が独りで帰ってきたのだ。諒太は土手の階段を登って座っているチーリンの側に立った。
「みうさんは一緒じゃないの?」
チーリンは正面に広がる海から目を離さずに諒太に尋ねた。
「ああ…途中で源さんに会ったから。そのあとは源さんと海人に行っているはずだ」
「そう…
みうさんとても楽しそうに出て行ったね…」
相変わらずチーリンは海を見たままだ。
諒太も腰を下ろした。
「そう? …かな…
…
あの娘にはどこか俺と同じ匂いがするような気がしたんだ」
「ノロケですか?」
チーリンは初めて諒太の顔を見て
軽蔑にも似た目線を送った。
「そんなんじゃない。
あの陽気さの間に見せる表情だ…
今日一緒に歩いてふとした瞬間に見せる寂しそうな顔を見たんだ」
「また演技なんじゃないですか?」
「いや、演技じゃあんな顔は出来ないんじゃないかな…君みたいにプロの女優じゃないんだし。あのカラ元気はなにか無理をしているんじゃないかと思ったんだ」
(きっとそれは真田さんが彼女に心を惹かれているからそんな風に思えるんですよ…)
チーリンは諒太の横顔をチラッと見て思った。
その後諒太とチーリンはお互いに普段よりよそよそしい態度で夕食を共にした。
夜も深くなったころ玄関が開いた。
「おーい 起きてるかぁー?」
源一の声が聞こえてきた。
「源さん!大丈夫か?」
酔っ払ってフラフラのみうに肩を貸し、息も絶え絶えに源一は諒太の家に辿りついたのであった。
「ハァー重い。諒太、ちょっと手伝え」
諒太は源一と共にみうを居間まで運び寝かせた。
「どうしたの、源さん?」
チーリンも心配して部屋から出てきた。
「いや~ チーリンちゃん、みうちゃんちょっと飲み過ぎたようだ。
悪りぃーけど水を一杯もらえるかい?」
「はい」
チーリンは急いで源一に水を持ってきた。
「呼んでもらえれば迎えにいったのに…」
水を美味しそうに一気に飲む源一に諒太は声をかけた。
「いや、それにはおよばねーよ」
源一は自分も相当飲んだのであろう顔を真っ赤にして答えた。
「こんなに飲みつぶれるまで飲むなんて…」
チーリンはみうを見て顔をしかめた。
「チーリンちゃんはみうちゃんのこと嫌いかい?」
「嫌いとかじゃなくて女性としてだらしないのがちょっと…」
「まあ、この娘にはこの娘なりの悩みがあってここまで飲んじまったってことだよ」
「なんかあったのかい?」
諒太は源一に尋ねた。
「ああ、今までこの娘も色々あったみたいだな。飲んでいるうちに俺に話してくれたよ。最後は俺までもらい泣きしちまったくらいだ」
「どういう事ですか?」
チーリンはみうに顔を向ける源一に問いかけた。
「この娘には実は息子がいるそうなんだ。18の高校生のときに子供ができて学校は退学…
この娘自身、両親は小学校のときに離婚して母親に育てられたそうなんだ。その母親も夜は水商売で働いてこの娘と一緒に過ごす時間は殆どなかったらしい。そんな寂しさを紛らわすためにみうちゃんは夜の街に出ては遊びまわっていたそうだ。
そこで出会った遊び仲間の5歳年上の男といい仲になって子供が出来た。
だが、その男も根っからの遊び人で真面目に働くような奴じゃなかったらしいんだ。その男の父親は町の議員で世間体を気にするような人間だったようだ。
当時高校生のみうちゃんに子供を育てられるわけもなく、男の親が自分の養子にすることで養育することになって嫌がるみうちゃんから赤ん坊を取り上げたそうなんだ。
それからというもの…男の親は過去のことは全部なかったことにして子供をみうちゃん会わせることもなかった。それでもとみうちゃんは一生懸命働いて貯めた金で息子の小学校の入学に合わせてランドセルを送ったんだ。ところがランドセルは封も開けることなく送り返されたそうだ。
同封の手紙には息子さんが別のランドセルを背負った写真が一枚と向こうの親から手紙が一枚入っていた。
この子の親は私です
二度と構わないでください
とたった一言書いてあったそうだ。
今じゃ息子も中学生だ。
だけど…ずっとみうちゃんは子供には会えていない…
みうちゃん今でも大切にその写真を持っていたよ。
この娘の明るさはきっと自分の哀しさを隠すために身につけた処世術なんだろうな…
諒太、お前が家族を失って人から距離を取ったことと同じように…」
源一は目を潤ませて顔をみうに向けた。
「諒太、それからな、今日お前に美波間の綺麗な景色を見せてもらったこととても喜んでいたぞ。
こんな楽しかったこと今までなかったって言ってな…
この娘は愛情に飢えているんだと俺は思ったよ」
「そう…」
諒太はみうを見つめて頷いた。
「俺が昼、 島を案内したのは彼女が東京に帰るまで何か一つでも美波間島を気に入ってもらえたらと思ったからなんだ…
せっかくこんな遠くまで来て何も思い出に残らないんじゃあんまりじゃないか…」
夕方…真田さんは自分とみうさんは同じ匂いがするって言ってた…
哀しみを抱えたもの同士通じ合うものがあったのね…
下世話なことを考えていたチーリンは恥ずかしくなって俯いた。
チーリンはみうの部屋から掛布団を持ってくると優しくみうにかけてあげた。
「じゃ、てっぺん超えるとかぁーちゃんに怒られるから俺は行くわ」
源一は立ち上がった。
「ありがとう源さん…」
諒太は礼を言った。
「いいってことよ」
源一は今になって酔いが回ったのか千鳥足で帰っていった。
居間に戻った諒太はみうを見てボソっと独り言のように呟いた。
「人は大なり小なり悩みを抱えて生きているんだな…」
翌朝みうの目覚めはさすがに遅かった。諒太は既に畑に出かけ、チーリンは洗濯や掃除の家事をしているときにみうは起き出した。
「チーリンちゃん ごめん…
昨日飲み過ぎちゃった」
夜飲み過ぎたためか今朝は昨日のような元気のないみうであった。
「おはよう…あまり顔色良くないわね…」
チーリンは心配そうにみうの顔を覗き込んだ。
「源さんと飲んでいたらつい楽しくなっちゃって… でも何話したかあんまり覚えてないや。
りょーたんは?」
「今出かけているわよ」
「そう… ちょうどいいや。
チーリンちゃんちょっと話せる?」
みうはチーリンを砂浜まで連れだした。二人は海を正面に腰を下ろすとチーリンはみうに尋ねた。
「どうしたの? 私に話って?」
「うん…
昨日りょーたんに島を案内してもらって美波間島って凄く良いなぁーって思った…
東京じゃ味わえない自然がいっぱいあって景色も綺麗で人も優しいし…」
チーリンはみうの話を黙って聞いていた。
みうは次の話を切り出せないようでもじもじしていた。
「実は…昨日りょーたんにアプローチかけたんだ…」
チーリンはじっとみうを見つめた。
…
暫くの沈黙の後みうは口を開いた。
「やっぱダメだった!」
みうはにっこり笑った。
「りょーたんは私に女として興味がないみたい」
「そう…」
チーリンは視線を落とした。
「私一人であげちゃってウケるよね?りょーたんの心にはもう入る余地がないみたい…
ねぇ…チーリンちゃん…
多分りょーたんの心にはあなたがいるよ…」
「まさか…
どうしてみうさんにそんな事がわかるの?」
「うーん …職業柄なのかな?
私さぁ、今までいろんな男と付き合ってきたし、仕事でもいっぱい男と接しているから結構そーいうとこ敏感なんだぁ。
りょーたんってあの通りポーカーフェイスきめているけど、私がチーリンちゃんの話をふると一瞬フリーズすんだよね。耳赤くしてさ…かわいいよねぇ~ まあ、チーリンちゃんのこと好きかどうかまではわかんないけど意識はしているんじゃないかな?」
「そんなことないと思うけど…」
チーリンはみうから視線を逸らした。
「ううん、りょーたんはきっとチーリンちゃんのこと大切に思っていると思うよ…」
チーリンは顔を赤くした。
「チーリンちゃんも昨日はああ言ったけど、本当はりょーたんのことまんざらでもないんでしょ?」
「私はそんな…」
「いいじゃん隠さなくても~
昨日源さんから聞いたよ。
チーリンちゃん有名な女優さんなんだってね?
でもさぁ、もしそんな肩書を意識してんだったらそんなの邪魔なだけだよ。女優だろうが大統領だろうが人を好きになるって気持ちは純粋なものじゃん。全部剥がして最後に残るのは一人の女と一人の男…
肩書なんてポイって捨てちゃえばいいんだよ。
私が見るところりょーたんだってあなたのこと特別女優扱いなんてしてないじゃん。
りょーたんは女優としてのチーリンちゃんじゃなくて一人の女性としてあなたを見ているんだと思うよ…
…
チーリンちゃん、自分の気持ちに素直になればいいんじゃない?」
チーリンは返す言葉も見つからずただ黙って俯いた。
砂浜には穏やかな波が打ち寄せていた。
諒太が畑から帰って洗面所で手に付いた土を洗い流しているとみうとチーリンが連れ立って帰ってきた。
「ただいま~りょーたん!」
「なんだ? 二人そろって…」
「いいのー!
女子には女子の話があるんだから~」
「ね!チーリンちゃん!」
チーリンは諒太の顔をチラッと見ると少し照れたような表情で目線を逸らした。
諒太には昨日とは打って変わったこの二人の関係性がさっぱりわからなかった。
みうが美波間島を離れる前の最後の食事に諒太は得意のソーミンチャンプルーを振る舞った。
みうは相変わらず明るく一切陰を見せなかった。
諒太もチーリンも昨夜聞いたみうの話を口に出すことはなかった。
そして美波間から与那国行きのフェリーの出港の時間、諒太とチーリンはみうを見送りに波止場まで一緒に向かった。
この先みうは来た時と逆のルートで与那国空港から小型のプロペラ機に乗り那覇空港まで飛び、那覇から羽田空港までジェット機に乗り換えることになる。
目の前にフェリーが接岸している。
みうは明るい顔で諒太に言った。
「りょーたん いろいろありがとね!」
「ああ…また遊びにこい」
諒太は優しく声をかけた。
みうは小さく頷くと諒太の耳元に近寄った。そしてチーリンには届かない小さな声で囁いた。
「チーリンちゃんをしっかり守ってあげてね…」
ん…?
諒太が驚きの表情を浮かべているとみうは突然諒太の頬にキスをした。
「東京に来た時はお店に遊びにきて! サービスするよ!」
チーリンはその光景を目にして厳しい顔をしてみうを見つめた。
みうはチーリンの前に立つと諒太に言った。
「りょーたん、チーリンちゃんと話があるからちょっと離れていて」
「あ…ああ、わかった…」
諒太は数歩離れた。
「チーリンちゃん、そんな顔しないの…
りょーたんはあの通り不器用だからチーリンちゃんがリードしてあげるんだよ」
えっ?
チーリンは驚いた表情でみうを見た。
「チーリンちゃん…自分の気持ちに素直になりなよ…
私 …あなたには幸せになってほしいから…」
みうはにっこり笑った。
「じゃねー!」
みうは軽快にタラップを渡るとフェリーの中へ消えていった。
「みうさん最後何て言ったんだ?」
諒太はチーリンに聞いた。
「…ヒミツ」
フェリーが港を離れていくのを見ている諒太の後姿をチーリンは優しい表情で見つめていた…
ある昼下がりチーリンは普段とは違う格好で諒太がふらりと庭から出かけようとするのを見かけた。
チーリンは急いで追いかけると諒太の背中に声をかけた。
「真田さんどこに行くの?」
諒太は背中を向けたまま手に持っている釣り竿を上げて言った。
「釣り」
「私も連れて行ってください!」
「やったことあるのか?」
諒太は振り返って聞いた。
「ないです」
「素人に釣れるもんか」
「そんなのやってみないとわからないじゃない」
「まったく…」
諒太は溜息をついて納屋からもう一本竿を出してチーリンに渡した。
「それからほら」
諒太は普段自分が使っている麦わら帽子をチーリンの頭に片手で無造作に被せた。
「海は紫外線が強いからな」
諒太の麦わら帽子はチーリンには少しだけ大きかったがチーリンはなんだか嬉しくなって白い歯を見せてにこっと笑った。
フン…
諒太は微笑すると先を歩いて行った。
チーリンはこの日、白いノースリーブのワンピースを着て諒太の麦わら帽子を被り、足はサンダルという清楚な格好である。
一方の諒太は頭には楽天イーグルスのキャップを被り、白のTシャツに紺の短パンにビーチサンダルと簡単な格好であった。
チーリンはドラマの役の中で釣りをするふりをしたことはあっても実生活でしかも海で釣りをしたことなど今までの人生で一度も無かった。
家と海岸の間にある土手をしばらく歩いて海に突き出したコンクリートで出来た防波堤の突端までくると諒太は腰を下ろした。波は比較的穏やかで、海の中を覗くと透明度の高い水の中に小さな魚が泳いでいるのが見える。
チーリンも諒太と並んで腰を下ろした。
「あんまり近づくなよ。
糸が絡んじまう」
「だってやり方わからないんだもん」
チーリンは口を尖らせた。
「しょうがないな…」
諒太はブツブツ言いながらもチーリンの仕掛けもこしらえてあげた。
二人同時に海に釣り糸を垂らした。
「魚ってのは釣る人間をみるんだ。
だいたい初心者にそう簡単にかかるもんか。
釣りはそんなに甘くない」
諒太が説教じみたことを言っているとチーリンの竿に早速引きがあった。
「なんか引いてる!
どうすればいいの⁈」
チーリンはパニクった。
「竿をゆっくりたてろ!」
チーリンは諒太に言われた通り竿を立てた。小刻みに竿の先に魚の引く感触が伝わってくる。
諒太はタモ網にチーリンの釣り上げた海面で跳ねる赤い魚を捕まえた。
「オジサンだ」
「おじさん? どこに?」
チーリンは周りを見渡した。
「釣れた魚だよ!
長いヒゲみたいのがあるだろ。
通称オジサンって呼ばれているんだ。刺身やフライにすると美味いぞ」
「やったぁ!
私が釣ったんだよ」
チーリンは初めて釣りあげた魚に大喜びだった。
「まあ…ビギナーズラックっていうのもあるしな…」
諒太はチーリンの竿の釣り針から魚を外しながら負け惜しみを言った。
それからというもの釣れる魚、釣れる魚、全てチーリンの竿にかかった。諒太はチーリンの竿の餌付けと魚を外す作業ばかりさせられたあげく結局自分の竿には全く引きがなかった。
「魚も人を見るのよね~」
チーリンは諒太をからかった。
………。
「つまらん…帰る…」
諒太は道具をしまいだした。
「もうー!」
バケツにいっぱいになった魚を持ってチーリンは諒太の後ろを歩いた。
諒太と一緒に楽しい時間を過ごせてチーリンは満ち足りた気分であった。抜けるような真っ青な青空で強い日差しの中、陽の光を反射してキラキラ光る海からは心地よい風が吹いている。
目の前を歩く諒太の大きな背中を見ながらチーリンはふと思った。
(もし…ここで暮らせたら幸せなんだろうな…)
二人は来た時と同じ土手の上を帰って行くと諒太が突然大きな声を出した。
「マズイ!」
そう叫ぶと釣り道具を放り出して脱兎の如く土手を駆け下り砂浜に走り出した。
「え? なに⁈」
チーリンが諒太の走る方を見ると一人の女性がエアマットに体を横たえて海水浴をしているのが見えた。
チーリンも諒太の後を追って駆け出した。
諒太は大声で叫んだ
「戻れ!
流されるぞ!」
腕を回して必死に戻るよう女にアピールしたが女は何を間違えたのか呑気に手を振って応えた。
「岸に戻って!」
チーリンも声の限界まで叫んだ。
しかし女は気づくこともなく波の間に見え隠れしながら海に浮かんでいる。次第に女の乗るエアマットはどんどん沖の方へ流されて行く。
女も自分が置かれた事態にようやく気づいたようだった。
慌ててバタ足で水面を蹴るが思いとは裏腹に潮に流され沖の方へ流されていった。
「クソ!だめだ…」
諒太はTシャツとビーチサンダルを脱ぐと海の中へ向かって走り出した。
「真田さん⁈」
チーリンの心配をよそに諒太はクロールで必死に女の後を追って泳いだ。諒太は生まれも育ちも海のない地域であったため、波のある海での泳ぎは元来得意な方ではない。
しかし女にとっての命綱はもう諒太しかいない。
幾つもの波をこえて諒太はなんとか女の側まで泳いだ。女は沖に流される恐怖で顔が引きつっていた。
女は近くまできた諒太を見つけると助かったと油断した。エアマットの上で重心を移動した瞬間エアマットがひっくり返った。女は勢いよく海の中に投げ出された。
浜にいるチーリンにもこの光景がはっきりと見えていた。
諒太の頭と明るい茶髪の女の頭が波の間に見え隠れしている。
だが、手前の波に隠れて二人の姿が見えなくなってしまった。しばらく経っても二人の姿は見えない。
チーリンは青くなった。
「お願い! 戻ってきて!」
チーリンは膝をついて祈った。
この時、諒太は海の中に沈んだ女を追って海中にいた。海中で女はもがいている。諒太は冷静に女の背後に回り込むと肘を女の首に回してゆっくりと浮上した。諒太は海面に頭を出すと思いっきり息を吸い込んだ。
女も最初は必死に息をしていたが次第に意識がなくなっていった。
「おい!しっかりしろ!」
諒太は海面上で声をかけたが女の返答はなかった。事態は切迫していたが、ここで女にパニックにかられて暴れられるよりはマシである。
諒太はあえて沖の方向に流れる潮の流れに逆らうことを避け一旦岸と平行に泳いだ。
これはいつか離岸流の対処方法として竜男に教えてもらったことだ。
チーリンからも二人の頭が海面に出たのが確認出来た。こちらの浜に戻ってくるものだと思っていたのに諒太は浜と平行に移動している。
チーリンも諒太の動きにあわせて浜を移動した。
(真田さん頑張って…)
チーリンは心の中で祈った。
諒太は女を小脇に抱え必死に泳いだ。次第に体にかかる潮の流れが変わってきたと感じた。諒太はいよいよ浜に向かって方向を変えた。
もう先ほどまでのような潮の抵抗はない。諒太はこれならいけると思った。体力の限りバタ足で浜に向かって前進した。
膝ほどの浅瀬まで来たときチーリンも海に入って女を砂浜まで引っ張った。諒太は全身ずぶ濡れとなり息が上がっていた。
女は見るからに水商売風の風体で派手な化粧に長いつけまつ毛、ショッキングピンク色のビキニを着けていた。
諒太は意識のない女の口元に自らの耳を近づけた。
「息がない…」
諒太は呟いた。
「嘘…」
チーリンにはこの事態が信じられなかった。
諒太は女の胸に両手を重ねると心臓マッサージを開始した。
1.2.3.4.5.6.
「戻ってこい!」
諒太は女に声をかけた。
続けて女の顎をあげると鼻をつまんでマウストゥーマウスの人工呼吸を施した。
チーリンは何も出来ずにただ見ているほかなかった。
一連の動作を3サイクルほどしたとき女はえづいて口から水を吐き出し咳き込んだ。
チーリンはほっとして諒太を見て微笑んだ。
その瞬間女の腕が伸び諒太の首に巻きつくといきなり唇を重ねてきた。
「あーん…俊輔ぇ」
女は意識が朦朧としているようだった。
「ちょっ…離せ…」
諒太は首に巻きついた女の腕を離そうしたが尚も女は力を入れて離そうとはしない。
しまいには諒太の口に舌を入れようとしてきた。
ウッ…
諒太は目を丸くしてもがいている。
「ちょっとあなた何しているの!
離れなさい!」
チーリンは女に怒鳴った。
チーリンが後ろから羽交い締めにするとようやく諒太から離れた。
命を救うためのマウストゥーマウスなら仕方ないが、目の前での不埒なキスは容認できないチーリンであった。鋭い目付きで女を睨みつけた。
「なーんだ俊輔じゃないじゃん…
なんか眠ーい…」
女は大きなあくびをするとその場で寝入ってしまった。
「何なのこの人?」
「わからん…」
チーリンと諒太は顔を見合わせた。
二人は女を起こそうと声をかけたが起きる様子は全くなかった。
仕方なく釣り道具をチーリンに持ってもらい諒太は女が浜に残した荷物を持つと背中に女を背負って帰路についた。風通しの良い縁側に女を横たえると諒太は居間の壁に背中を預けて座った。慣れない遠泳で疲労した諒太も次第に舟を漕ぎ出した。
もう諒太は色々な意味でぐったりであった。
チーリンは庭に干してある洗濯物を取りこんでいた。
「う-ん… ここどこ?」
女が目覚めたようだ。
「ねぇ、大丈夫?」
女が目覚めたことに気づいたチーリンは声をかけた。
「大丈夫っていうかぁ…
まだ眠いや」
女はあくびをして目を擦りながら周りを見渡していた。
「あなた海で溺れかけたのよ。
覚えている?」
「ああ…なんかだんだん流されちゃってさぁ、ウケるよね。
そーいえばそこの人にキスされちゃった私…きゃははは!」
「あなたからしたんです!」
チーリンは怒った。
「マジ? ま、いいか」
女はケロっと答えた。
「あなた彼に溺れているところを助けてもらったのよ。あの浜は遊泳禁止の危険な場所なの。あのままだったらあなた海の彼方に流されていたのよ」
チーリンはきつい目をして女を諭した。
「だってしょーがないじゃん。
知らなかったんだもーん。
そんなにプンプンしないで」
女はウィンクして舌をみせた。
チーリンは女の態度に呆れた。
「あなたどこから来たの?」
チーリンは怒りを抑えて聞いた。
「東京。 ねぇ、私追いかけて男こなかった?」
「見てないけど…」
「そぉ…あのタコ逃げやがったな。
ねぇ、聞いてよ!
私キャバ嬢してんだけどさぁ、リッチな客と沖縄旅行来たんだけどぉ、途中で喧嘩しちゃってそいついなくなっちゃったんだよ。
今回旅行代あいつもちだからさぁ、与那国まで追いかけてきたんだけど見つかんなくてフェリー乗ったらこんな変なトコに来ちゃったってワケ。それでヤケになっていたらキレイな砂浜見つけて一人で泳いでたんだぁ。そしたら海の中にドボンってうけるよね~
それにしてもどこ行ったんだか、ほんっとあのチビ使えねぇ!」
機関銃のようにまくし立てる女の話をチーリンは唖然として聞いていた。
「あ、私、店じゃしのぶって源氏名なんだぁ。どこが 忍ぶ女なんだかバカみたいでしょ?本当の名前は 田中 みうっていうんだ。あなたは?」
「私は サイ チーリンです…」
「へぇー日本人じゃないんだ。
日本語上手いね~どこの人?」
「台湾です」
「台湾かぁ、行ったことないけど小龍包美味しいよねー
あとマンゴーのかき氷東京でも流行ってるよ」
「あの人も台湾人?」
みうは諒太を指差した。
「いえ、あの人は日本人です」
「ふーん。
あなた達は夫婦なの?」
「違います」
「じゃあ恋人?」
「違います」
「え?何?友達?」
「違います」
「アパートの大家さんとかホームステイ?」
「違います」
「わかんないよ。教えて?」
「私この家に居候しているんです。」
「居候?マジ?
ルームシェアでもないんだ?」
「はい。ここは彼の家です。
家賃も払っていません。彼の厚意でここに居させてもらっています」
「うそー?
男と一つ屋根の下で暮らしていて何かあったりとかないの?」
「何もありません!」
「本当ぉ?」
みうは疑うような目でチーリンを見た。
「ねぇ、彼何て名前?」
「真田諒太さんです」
「私さぁ、ワイルド系の細マッチョ結構好きなんだよねぇ~」
みうはそう言うと眠っている諒太の肩や胸を遠慮もなく勝手に触りだした。
「何だ?」
諒太が起きた。
「もう大丈夫なのか?」
「さっきは助けてくれてサンキューりょーたん」
みうはニコっと笑った。
「りょーたん?」
「そう。諒太だからりょーたん。
私のことはみうって呼んで」
「何がりょーたんだ。くだらん」
「りょーたん怒ったぁ?かわいい!」
諒太は苦々しい顔をしてチーリンを見た。
チーリンはため息まじりに首を横に振ると今までのみうの話をかいつまんで諒太に話した。まだビキニ姿のみうは諒太を上目遣いに見上げた。
大きなメロン位はある豊満な胸の谷間を強調していた。
「とにかく服を着ろ。
冷えて腹を壊すぞ」
「だって暑いんだもん。
ここクーラーもないしさ。
なんもないよねこの家」
「悪かったな。
それであんたこれからどこ行くんだ?」
「みうって呼んでりょーたん。
それがさぁ、帰りの那覇から羽田までの航空券は持ってるんだけど明後日の夜発なんだよねー。
泊まるとことか逃げた男が手配していたから私お金持ってないの。
出発日までここに泊めてくれない? お願いりょーたん」
みうは甘えた声で諒太に迫った。
…
「仕方ない…空いている部屋使え」
チーリンはみうをここに泊めてあげるのは反対だったが、考えもなく美波間島に上陸したこと、諒太に助けられたこと、状況こそ違えど自分と同じ境遇で諒太という人間が人で区別するわけもなく、それをわかっているチーリンは口を出せなかった。
「ありがとう~ りょーたん」
みうは諒太に抱きついた。
「おい、よせ!」
チーリンはそれを横目に見ながら
膨れっ面をして立ち上がった。
「夕ごはん作ってきます!」
チーリンは台所にたった。
「俺も行く!」
慌てて諒太も立ち上がった。
「何作るの– 私も見たい~」
みうも後を追った。
先程チーリンが釣った魚がバケツに入っている。
それを見たみうが声をあげた。
「何これキモ!
こんなグロいの食べるつもり?」
「嫌なら食べなくていいぞ。
そのかわり他に食べるものはないからな。魚が気持ち悪いなら座って休んでいろ」
「はぁぃ…」
諒太に言われてみうはふてくされたように台所を引っ込んだ。
諒太とチーリンは並んで台所に立った。
「おじさんは捌き方が難しいんだ。
チーリンさんは俺が捌いた後フライにしてくれるか?」
「はい」
チーリンは諒太が自分を頼りにしてくれることが嬉しかった。
最初のころのチーリンの料理の腕では考えられないことだっただろう。
諒太は出刃庖丁を操り見事な包丁捌きでオジサンを捌いていった。
チーリンも諒太の指示通り完璧にフライに仕上げた。チーリンの料理の腕は最早安心して見ていられるレベルである。チーリンは同時に清子オバー直伝の味噌汁を瞬く間に作った。諒太はその間オジサンを刺身に仕上げていった。
チーリンは料理の最中、諒太がチーリンの料理の手捌きをチラチラ見ては薄く微笑むのを見逃さなかった。
チーリンは台所に諒太と並んで料理を作れる喜びを感じていた。
出来上がった料理を丸いちゃぶ台に運ぶとみうは驚いた表情で声をあげた。
「すごーい! あのキモい魚がこんなになったの!」
「ああ…今日はチーリンさんが魚を釣って料理も作ってくれたんだ。
有り難く頂戴しないとな」
「そんな…私だけじゃ作れなかったですよ…」
チーリンは顔を赤くして照れた。
「なんかさぁ暑くなっちゃった~」
みうはニヤニヤしながら手のひらで顔を仰く仕草をした。
諒太はそんなことは無視して御飯を食べだした。
じゃあ遠慮なくいただきまーす。
みうも食べ始めた。
オジサンは刺身にしてもフライにしても白身の甘い味でとても食べやすい美味しい魚だった。最初敬遠していたみうも美味しいと喜んで食べていた。チーリンは自分が作った料理を美味しいと食べてもらえることがなにより嬉しかった。女優中心の生活では味わえない喜びであった。
三人は残さず完食した。
「ねぇ?この島にはクラブとかバーとかないのー?」
みうは諒太に聞いた。
「そんなものない」
「じゃあさぁ、この島の人達ってどこで遊ぶの?」
「日が出たら仕事、日が沈んだら寝るんだ」
「何それ?退屈じゃん」
「島の人間は仕事を一生懸命やっている。退屈になることはない」
「ふーん。お酒も飲まないの?」
「酒くらい飲むさ。
海人っていう居酒屋もあるし、晩酌くらいはどこの家でもしている」
「りょーたんも飲む?」
「ああ…なんならビールくらいはあるぞ」
諒太は立ち上がると冷蔵庫からビールとグラスを3つ持ってきた。
「私がやる~」
みうは瓶の蓋を慣れた手つきで開けると諒太のグラスにビールを注いだ。
チーリンは目の前でその光景を見ていて腹立たしく思った。
いつも諒太は手酌で飲んでいたし、チーリンは諒太にお酌をするのは恥ずかしく遠慮があった。それをいとも簡単にみうはやっている。
(私だって仕事で酒宴の席で接待することだってあるのに…
どうして素直に真田さんには出来ないのだろう…?)
「はい、チーリンちゃんもどうぞ~」
みうはチーリンのグラスにもお酌をした。
「あ…ありがとう…」
諒太はお返しにみうのグラスにビールをさりげなく注いだ。
「りょーたんありがとう~」
チーリンはショックだった。
諒太は今日来たばかりの女性にもう心を開きはじめている。
「乾杯しよ!」
みうは陽気に笑った。
三人はグラスをあわせた。
チーリンは複雑な気持ちだった。
「おいちぃー
ねぇ、りょーたんはこの島で育ったの?」
「いや、俺の出身は群馬だ」
「マジー? 私のおばあちゃんち群馬だよ。 確か倉賀野とかいったかなぁ? 私も子供の頃よく遊びに行ったなぁ~」
「そうか…俺はもう少し北の中之条だ」
「へぇ~こんな世界の果てで会えるなんて奇遇だね~」
「世界の果てではなく日本の果てだがな」
その後二人は群馬のローカルの話しを交わした。チーリンは全く話題についていけずただ下を向いて疎外感を味わった。諒太の顔を見ても故郷の話題だけに普段より柔らかい感じがした。
話が途切れたときチーリンの空いたグラスに諒太がビールを注ごうとした。
「いえ、私はもう…」
チーリンは咄嗟に口に出てしまった。
「そうか…」
諒太はビール瓶を持った手を引っ込めた。
私…
真田さんが心を開かないと勝手に決め付けているだけで、本当は私のほうが真田さんに自分を出せていないんじゃないの?…
何の遠慮もなく簡単に人の懐に入ることの出来るみうを見てチーリンは思った。それは羨ましくもあり悔しくもあった。
しかし、なぜ悔しい気持ちが湧き上がるのかまではわからなかった。
それから諒太がシャワーを浴びに浴室に行っている時、チーリンとみうは並んで台所で食器を洗っていた。
「ねぇ?りょーたんは好きな人とかいるのかなぁ?」
みうは唐突に質問してきた。
「さあ…いないんじゃないかな…」
「じゃあさぁ、チーリンちゃんはりょーたんのことどう思ってるの?」
「どうって?…」
「男性として好きなのかなぁって?」
「まさか…」
チーリンはみうに顔を向けずに皿を洗いながら答えた。
「ふーん。
じゃあ私りょーたんにアタックしてもいいかなぁ?りょーたん結構タイプなんだよねー」
みうは顔を崩して笑った。
「好きにすればいいんじゃないですか? 私には関係のないことですから…」
チーリンは冷たく突き放すように言った。
(真田さんがあなたなんか相手にするはずないじゃない!)
チーリンは顔には出さずに心の中で呟いた。
その後みうは諒太に空いている部屋をあてがわれた。
「今日は死にかけたんだ。
無理しないで早く寝ろ」
「はぁぃ」
諒太に言われみうはつまらなそうに返事を返した。
深夜、諒太やチーリンがそれぞれ自室で寝静まったころ家の中に諒太の声が響き渡った。
オワッ!
何事かとチーリンは跳び起き諒太の部屋を覗き込むと寝ている諒太の背中にしがみ付いてみうが寝ていた。
チーリンは諒太の部屋の電気をつけた。
諒太はびっくりして寝ぼけ眼を擦っていた。
「バレたか…」
みうは舌を出して部屋に戻っていった。
はぁ…
チーリンは怒るより呆れていた。
「真田さん…あの娘ここに置いておいて本当に大丈夫?」
「今更出て行けとも言えないしな…」
「そうですね…」
チーリンは不満だったが諒太がそう決断した以上何も言えなかった。
夜が明けて朝になってもみうは深夜の事は無かったかのようにケロっとしたものだった。
「おっはよ! りょーたん!」
洗面所で海岸のごみ拾いから帰ってきて手を洗う諒太の背中をパチンと叩いた。みうはデニムホットパンツに胸には昨日と同じビキニを着けている。茶色の長い髪はきっちり巻き髪をつくっていた。
「りょーたんって何歳になるの?」
「36だ」
「ふーん結構若く見えるね。
私何歳に見える~?」
「さあな…27 ,8ってとこか?」
「本当! 嬉しい~!
もう今年30だよ~
店では25で通しているけどね~
この前なんかさぁー 客に詐欺パネマジかよ!って言われたんだよー
酷くない?
りょーたんはみうのことわかってくれて嬉しい!」
みうは諒太の腕を掴んで寄り添った。
「おはようございます!」
後ろからチーリンの声が聞こえた。
振り返った諒太は驚いた。
いつも家の中ではラフなTシャツ姿が多いチーリンが今日は胸元まで大きく開いたキャミソールを着て立っていたからだ。
長身の上にスタイル抜群で美しいデコルテを強調したチーリンはさすが世界で活躍する女優兼モデルというオーラを醸し出していた。
チーリンは「失礼!」
と二人の間に割り込むと洗顔を始めた。みうは諒太の間を邪魔されたようで気分が悪かった。
朝食の時間もみうとチーリンの微妙な空気は続いた。まるで胸の谷間を競い合うかのように強調しお互いを見合う二人の間に挟まれ諒太は目のやり場に困った。
あの…ここ俺ん家なんだけど…
と喉まで出そうになった諒太であったが、このただならぬ雰囲気の中で口に出す勇気はなかった。
「おーい!諒太いるかぁ⁈」
玄関から竜男の声が聞こえてきた。
「ああ!」
諒太は席を立った。
正直このタイミングで竜男が来てくれて助かったと思った。竜男は発泡スチロールの箱を持って立っている。
「外道の雑魚ばかりだがな、チーリンさんと食べてくれ」
「ありがとう」
諒太は礼を言った。
「かわいい~ お猿さんみたい~」
みうがいつの間にか顔を出していた。
「誰が猿だ!それよりあんた誰⁈」
竜男は訝った。
諒太は竜男を玄関から家の外に引っ張り出し経緯を説明した。
「お前の家はいつから女子寮になったんだ?」
「そんな事にはなっていない。
彼女は明日には島を出る。
それまでのことだ」
「まったく…どこまでお前はお人好しなんだ?」
チーリンが外に出てきていただいた魚のお礼を竜男にした。
「チーリンさん…あなたも色々大変だね」
竜男は同情した。
「私は別に… 真田さんが決めたことですから。
それに真田さんもけっこう楽しそうにしていますしね」
チーリンは諒太をクールに横目で見ながら言った。
諒太はしかめっ面である。
竜男もこの事がもし妹の瞳にでも知れたらまた更にえらい事になると思った。
その時、軽トラが諒太の家の前で勢いよく停まった。
「おい!竜男忘れ物だ!」
源一が竜男の水筒を持って降りてきた。
「おや…チーリンちゃん!
おはよう!今日は一段と色っぽいね~」
源一は猫なで声で挨拶した。
チーリンも笑顔で挨拶を返した。
「ねー?
みんなで何話してんのー!」
みうが外の騒ぎを聞き付け出てきてしまった。
「何だこのねーちゃんは?」
派手な化粧と格好のみうを見て源一はまるで宇宙人でも見るかのように目を丸くしている。
あちゃー源さんに見られた…
竜男は頭を抱えた。
「私、りょーたんの彼女のみうで~す!」
みうは諒太の腕にしがみ付いてピースをした。
「本当か⁈」
源一は信じられないという顔をしてみうを見た後チーリンの方を見た。
チーリンは知らんぷりをした。
「おい!ふざけるな!」
諒太はみうの腕を振りほどいた。
「りょーたん…そんなに否定しなくても… 昨日は一緒に寝たのに…
みう悲しい…」
今度は泣き真似をして源一の傍に行った。
「おい!諒太! こんなかわいい娘を泣かすんじゃねぇ!」
「ちょっと源さん!」
竜男が止めにかかった。
「おじさん、優しいんだね…」
みうは潤んだ瞳で源一を見上げた。
「おうよ!困ったことがあったらこの源さんに任せとけってんだ!」
「こんな野暮ったいイノシシ男は放っておいておじさんと今晩飲みに行くか?」
「行く!行く!」
みうは最初から泣いてなどいない作り泣き顔を急に笑顔に変え源一に甘えた。
「じゃあな、ねーちゃん夕方おじさんが迎えにくるからな、待っていな」
「コラ諒太!女を泣かすんじゃねぇぞ!」
そう言うと源一は軽トラで颯爽と去って行った。
「本当ですよ…」
チーリンは小さく独り言を呟いた。
「じゃあ、諒太俺も帰るわ…」
「待て竜男!もっと話があるよな?」
多分ない…
きっとない…
全然ない…
呪文のように唱えると竜男も速足で帰ってしまった。
残された三人に再び気まずい空気が流れた。
みうが口を開いた。
「ねぇ、目薬欲しいんだけどどっか売っているとこないかなぁ?」
「国吉商店になら売っているぞ。
後で地図を描いてやる」
「みう この島のことなんかわからないよ~
ねぇりょーたん一緒に行こ?」
一瞬諒太はチーリンを見た。
「連れて行ってあげればいいじゃないですか…
みうさん困っているんだし…」
チーリンは諒太に目も合わさずに無愛想に答えた。
「チーリンちゃんもああ言っているんだし行こ!りょーたん」
みうは部屋からハンドバッグを持ってきてから諒太の腕にしがみついた。
「おい!止めろって言っているだろ!」
諒太は口で制止したが無理矢理力ずくで外すことまではしなかった。
「じゃあ…行ってくる…」
諒太とみうは腕を組むかたちで歩きはじめた。
チーリンはおもいっきり二人の背中に向かって舌を出した。
諒太の心の中もなぜか後ろめたい気持ちが支配していた。
チーリンは二人が出掛けた後も気持ちがモヤモヤして晴れることはなかった。昼になっても午後に入っても二人は帰ってこない。
二人とも一体どこで何しているんだろう…
チーリンはすることもなく家の前の土手に腰を下ろして目の前に広がる海を眺めた。綺麗な海でも見れば少しは気分が晴れるだろうと思ったのだが、チーリンの頭には腕を組んで出かけて行く諒太とみうの後姿が浮んでくるのだった。
幹!(バカ!)
チーリンは叫ぶと手元に落ちている石を拾って白い砂浜に向かって投げつけた。
あれ?…
私、何で怒っているんだろ?
馬鹿みたい…
陽の光を反射して輝くエメラルドグリーンの海を飽くことなくチーリンは見つめ続けた。
「おい、そんなところで何やっているんだ?」
チーリンを土手に見つけた諒太が下の道から声をかけた。
夕方になり諒太が独りで帰ってきたのだ。諒太は土手の階段を登って座っているチーリンの側に立った。
「みうさんは一緒じゃないの?」
チーリンは正面に広がる海から目を離さずに諒太に尋ねた。
「ああ…途中で源さんに会ったから。そのあとは源さんと海人に行っているはずだ」
「そう…
みうさんとても楽しそうに出て行ったね…」
相変わらずチーリンは海を見たままだ。
諒太も腰を下ろした。
「そう? …かな…
…
あの娘にはどこか俺と同じ匂いがするような気がしたんだ」
「ノロケですか?」
チーリンは初めて諒太の顔を見て
軽蔑にも似た目線を送った。
「そんなんじゃない。
あの陽気さの間に見せる表情だ…
今日一緒に歩いてふとした瞬間に見せる寂しそうな顔を見たんだ」
「また演技なんじゃないですか?」
「いや、演技じゃあんな顔は出来ないんじゃないかな…君みたいにプロの女優じゃないんだし。あのカラ元気はなにか無理をしているんじゃないかと思ったんだ」
(きっとそれは真田さんが彼女に心を惹かれているからそんな風に思えるんですよ…)
チーリンは諒太の横顔をチラッと見て思った。
その後諒太とチーリンはお互いに普段よりよそよそしい態度で夕食を共にした。
夜も深くなったころ玄関が開いた。
「おーい 起きてるかぁー?」
源一の声が聞こえてきた。
「源さん!大丈夫か?」
酔っ払ってフラフラのみうに肩を貸し、息も絶え絶えに源一は諒太の家に辿りついたのであった。
「ハァー重い。諒太、ちょっと手伝え」
諒太は源一と共にみうを居間まで運び寝かせた。
「どうしたの、源さん?」
チーリンも心配して部屋から出てきた。
「いや~ チーリンちゃん、みうちゃんちょっと飲み過ぎたようだ。
悪りぃーけど水を一杯もらえるかい?」
「はい」
チーリンは急いで源一に水を持ってきた。
「呼んでもらえれば迎えにいったのに…」
水を美味しそうに一気に飲む源一に諒太は声をかけた。
「いや、それにはおよばねーよ」
源一は自分も相当飲んだのであろう顔を真っ赤にして答えた。
「こんなに飲みつぶれるまで飲むなんて…」
チーリンはみうを見て顔をしかめた。
「チーリンちゃんはみうちゃんのこと嫌いかい?」
「嫌いとかじゃなくて女性としてだらしないのがちょっと…」
「まあ、この娘にはこの娘なりの悩みがあってここまで飲んじまったってことだよ」
「なんかあったのかい?」
諒太は源一に尋ねた。
「ああ、今までこの娘も色々あったみたいだな。飲んでいるうちに俺に話してくれたよ。最後は俺までもらい泣きしちまったくらいだ」
「どういう事ですか?」
チーリンはみうに顔を向ける源一に問いかけた。
「この娘には実は息子がいるそうなんだ。18の高校生のときに子供ができて学校は退学…
この娘自身、両親は小学校のときに離婚して母親に育てられたそうなんだ。その母親も夜は水商売で働いてこの娘と一緒に過ごす時間は殆どなかったらしい。そんな寂しさを紛らわすためにみうちゃんは夜の街に出ては遊びまわっていたそうだ。
そこで出会った遊び仲間の5歳年上の男といい仲になって子供が出来た。
だが、その男も根っからの遊び人で真面目に働くような奴じゃなかったらしいんだ。その男の父親は町の議員で世間体を気にするような人間だったようだ。
当時高校生のみうちゃんに子供を育てられるわけもなく、男の親が自分の養子にすることで養育することになって嫌がるみうちゃんから赤ん坊を取り上げたそうなんだ。
それからというもの…男の親は過去のことは全部なかったことにして子供をみうちゃん会わせることもなかった。それでもとみうちゃんは一生懸命働いて貯めた金で息子の小学校の入学に合わせてランドセルを送ったんだ。ところがランドセルは封も開けることなく送り返されたそうだ。
同封の手紙には息子さんが別のランドセルを背負った写真が一枚と向こうの親から手紙が一枚入っていた。
この子の親は私です
二度と構わないでください
とたった一言書いてあったそうだ。
今じゃ息子も中学生だ。
だけど…ずっとみうちゃんは子供には会えていない…
みうちゃん今でも大切にその写真を持っていたよ。
この娘の明るさはきっと自分の哀しさを隠すために身につけた処世術なんだろうな…
諒太、お前が家族を失って人から距離を取ったことと同じように…」
源一は目を潤ませて顔をみうに向けた。
「諒太、それからな、今日お前に美波間の綺麗な景色を見せてもらったこととても喜んでいたぞ。
こんな楽しかったこと今までなかったって言ってな…
この娘は愛情に飢えているんだと俺は思ったよ」
「そう…」
諒太はみうを見つめて頷いた。
「俺が昼、 島を案内したのは彼女が東京に帰るまで何か一つでも美波間島を気に入ってもらえたらと思ったからなんだ…
せっかくこんな遠くまで来て何も思い出に残らないんじゃあんまりじゃないか…」
夕方…真田さんは自分とみうさんは同じ匂いがするって言ってた…
哀しみを抱えたもの同士通じ合うものがあったのね…
下世話なことを考えていたチーリンは恥ずかしくなって俯いた。
チーリンはみうの部屋から掛布団を持ってくると優しくみうにかけてあげた。
「じゃ、てっぺん超えるとかぁーちゃんに怒られるから俺は行くわ」
源一は立ち上がった。
「ありがとう源さん…」
諒太は礼を言った。
「いいってことよ」
源一は今になって酔いが回ったのか千鳥足で帰っていった。
居間に戻った諒太はみうを見てボソっと独り言のように呟いた。
「人は大なり小なり悩みを抱えて生きているんだな…」
翌朝みうの目覚めはさすがに遅かった。諒太は既に畑に出かけ、チーリンは洗濯や掃除の家事をしているときにみうは起き出した。
「チーリンちゃん ごめん…
昨日飲み過ぎちゃった」
夜飲み過ぎたためか今朝は昨日のような元気のないみうであった。
「おはよう…あまり顔色良くないわね…」
チーリンは心配そうにみうの顔を覗き込んだ。
「源さんと飲んでいたらつい楽しくなっちゃって… でも何話したかあんまり覚えてないや。
りょーたんは?」
「今出かけているわよ」
「そう… ちょうどいいや。
チーリンちゃんちょっと話せる?」
みうはチーリンを砂浜まで連れだした。二人は海を正面に腰を下ろすとチーリンはみうに尋ねた。
「どうしたの? 私に話って?」
「うん…
昨日りょーたんに島を案内してもらって美波間島って凄く良いなぁーって思った…
東京じゃ味わえない自然がいっぱいあって景色も綺麗で人も優しいし…」
チーリンはみうの話を黙って聞いていた。
みうは次の話を切り出せないようでもじもじしていた。
「実は…昨日りょーたんにアプローチかけたんだ…」
チーリンはじっとみうを見つめた。
…
暫くの沈黙の後みうは口を開いた。
「やっぱダメだった!」
みうはにっこり笑った。
「りょーたんは私に女として興味がないみたい」
「そう…」
チーリンは視線を落とした。
「私一人であげちゃってウケるよね?りょーたんの心にはもう入る余地がないみたい…
ねぇ…チーリンちゃん…
多分りょーたんの心にはあなたがいるよ…」
「まさか…
どうしてみうさんにそんな事がわかるの?」
「うーん …職業柄なのかな?
私さぁ、今までいろんな男と付き合ってきたし、仕事でもいっぱい男と接しているから結構そーいうとこ敏感なんだぁ。
りょーたんってあの通りポーカーフェイスきめているけど、私がチーリンちゃんの話をふると一瞬フリーズすんだよね。耳赤くしてさ…かわいいよねぇ~ まあ、チーリンちゃんのこと好きかどうかまではわかんないけど意識はしているんじゃないかな?」
「そんなことないと思うけど…」
チーリンはみうから視線を逸らした。
「ううん、りょーたんはきっとチーリンちゃんのこと大切に思っていると思うよ…」
チーリンは顔を赤くした。
「チーリンちゃんも昨日はああ言ったけど、本当はりょーたんのことまんざらでもないんでしょ?」
「私はそんな…」
「いいじゃん隠さなくても~
昨日源さんから聞いたよ。
チーリンちゃん有名な女優さんなんだってね?
でもさぁ、もしそんな肩書を意識してんだったらそんなの邪魔なだけだよ。女優だろうが大統領だろうが人を好きになるって気持ちは純粋なものじゃん。全部剥がして最後に残るのは一人の女と一人の男…
肩書なんてポイって捨てちゃえばいいんだよ。
私が見るところりょーたんだってあなたのこと特別女優扱いなんてしてないじゃん。
りょーたんは女優としてのチーリンちゃんじゃなくて一人の女性としてあなたを見ているんだと思うよ…
…
チーリンちゃん、自分の気持ちに素直になればいいんじゃない?」
チーリンは返す言葉も見つからずただ黙って俯いた。
砂浜には穏やかな波が打ち寄せていた。
諒太が畑から帰って洗面所で手に付いた土を洗い流しているとみうとチーリンが連れ立って帰ってきた。
「ただいま~りょーたん!」
「なんだ? 二人そろって…」
「いいのー!
女子には女子の話があるんだから~」
「ね!チーリンちゃん!」
チーリンは諒太の顔をチラッと見ると少し照れたような表情で目線を逸らした。
諒太には昨日とは打って変わったこの二人の関係性がさっぱりわからなかった。
みうが美波間島を離れる前の最後の食事に諒太は得意のソーミンチャンプルーを振る舞った。
みうは相変わらず明るく一切陰を見せなかった。
諒太もチーリンも昨夜聞いたみうの話を口に出すことはなかった。
そして美波間から与那国行きのフェリーの出港の時間、諒太とチーリンはみうを見送りに波止場まで一緒に向かった。
この先みうは来た時と逆のルートで与那国空港から小型のプロペラ機に乗り那覇空港まで飛び、那覇から羽田空港までジェット機に乗り換えることになる。
目の前にフェリーが接岸している。
みうは明るい顔で諒太に言った。
「りょーたん いろいろありがとね!」
「ああ…また遊びにこい」
諒太は優しく声をかけた。
みうは小さく頷くと諒太の耳元に近寄った。そしてチーリンには届かない小さな声で囁いた。
「チーリンちゃんをしっかり守ってあげてね…」
ん…?
諒太が驚きの表情を浮かべているとみうは突然諒太の頬にキスをした。
「東京に来た時はお店に遊びにきて! サービスするよ!」
チーリンはその光景を目にして厳しい顔をしてみうを見つめた。
みうはチーリンの前に立つと諒太に言った。
「りょーたん、チーリンちゃんと話があるからちょっと離れていて」
「あ…ああ、わかった…」
諒太は数歩離れた。
「チーリンちゃん、そんな顔しないの…
りょーたんはあの通り不器用だからチーリンちゃんがリードしてあげるんだよ」
えっ?
チーリンは驚いた表情でみうを見た。
「チーリンちゃん…自分の気持ちに素直になりなよ…
私 …あなたには幸せになってほしいから…」
みうはにっこり笑った。
「じゃねー!」
みうは軽快にタラップを渡るとフェリーの中へ消えていった。
「みうさん最後何て言ったんだ?」
諒太はチーリンに聞いた。
「…ヒミツ」
フェリーが港を離れていくのを見ている諒太の後姿をチーリンは優しい表情で見つめていた…
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